医学界新聞

 

 〔連載〕ChatBooth

 不思議ワールド

 加納佳代子


 民間の療養型精神病院に転職して,3年が経とうとしている。街はずれの,古墳の上に建つ精神病院で繰り広げられる日常生活は,なんだかとても不思議な世界なのである。
 職員たちはいつもと変わらぬ毎日で,「たいしたことは何も起きていない」と思って働いているのかもしれないが,その実「たいしたこと」が起きている。そして,職員の中には「一般病院に勤めていれば,自分はできる人間になっている」と勘違いをしている者もいれば,「こんなにおもしろい病院はない」と思って働いている者もいる。
 毎朝,病院の周りを散歩している入院患者さんが,その途中で倒れて運ばれてきた。胃がんのための貧血だった。彼は,手術のために総合病院に転院した。私は,その病院に用事があったのでちょっと顔を見せると,「何にも食べさせてもらえない。帰りたい……」とつぶやいた。結局,手術をしないままに戻ってきた彼は,それが唯一の楽しみであるかのように,これまでと同じようにアンパンを買いに毎日売店に通った。がん末期の痩せたからだで,コーヒー様の胃液を吐きながらも……。昨年の運動会の時に,彼は輸血が終わってからパン食い競争に出場した。むろん,車椅子での参加である。夢中でパンをほうばり,食べ終わるとほっとした顔をした。
 口をパクパクさせてよだれを垂らし,目をキョトキョトとしながら,硬直したからだでうなずいていた患者さんがいる。彼女は,1年前に催した中庭での「野点」では,効かない右手で茶せんを握り見事なお手前をみせてくれた。今では,眼鏡をかけ,腕時計をして,「あら,今何時。あたし,お食事したかしら?」なんて言っている。
 交通事故に遭い失語症となった患者さんは,暴力をふるい保護室に入っていたこともあった。笑い声が唯一のコミュニケーション手段である。朝から晩まで働いている妻が面会にきても,うれしさがうまく表現できないでいる。そんな彼が,1年前の観梅に行った時には,梅の木の下でみんなと一緒に歌った。ことばはしゃべれないが,歌は歌える。先日,私は彼と一緒に水戸黄門の主題歌「人生楽ありゃ苦もあるさ……」を歌った。歌詞の最後の部分に「人生そんなに悪くはないもんだ。何にもしないで生きるより,何かを求めて生きようよ」とある。一緒に歌っている私のほうが,涙出ちゃった。
 30年間声を出さず,家の中から一歩も出ることのなかった50代の女性が入院してきた。患者さんと看護者の創り出す社会の中で暮らし始め,小さな声で会話ができるようになった。年老いた母親は,「しゃべれるはずはない」と言って信じなかったけど,柱の影からそのかわいらしい声を聞くことができた。
 椅子を投げ,大暴れをする体格のよい老人性痴呆の患者さんは,元校長先生。妻は,職員が彼のことを「校長先生」と呼ぶとつらくなると言う。校長先生だった頃の彼の姿と現実のギャップが受け止められず,そして面倒をみられない自分を嘆く。彼は,ナースステーションを職員室に見たて,病棟のスタッフたちを呼びつけて化学式を教える。そして一言,「デキの悪い生徒しか集まっとらん」。
 こういうことも,ただの日常の一部に過ぎず,これから先もいつもと変わらぬ毎日の連続を繰り返しているだけかもしれない。ここにいると,いったい何に価値があるのかをいつも考えさせられる。