医学界新聞

 

医学界・法学界に,賽は投げられた

元判事の読んだ『医療紛争-メディカル・コンフリクト・マネジメントの提案

稲葉一人(京都大学大学院医学研究科・前大阪地方裁判所判事)


 法社会学者として第一級の和田仁孝氏が,医学博士の前田正一氏というよき協力者を得て,きわめて実際的で,有益な視点を打ち出したのが本書である。医療事故という,医療の現場を舞台にした不幸な出来事をきっかけに,傷ついた人たちをどのように回復させるのかという観点から,Conflict-Managementという思想を導入しようとするものである。

むなしい勝訴

 交通事故で病院に運ばれた正人君が,直後のX線単純写真では内臓破裂を診断できず,医師が食事を許したことなどで症状が悪化し,けっきょくMRSA感染によるDICで死亡したという具体的な事例から本文は始まる。
 医師や医療機関が真摯に対応していないと感じた両親は,弁護士に依頼して証拠保全を経て提訴した。両親は,みずからの努力で得た資料や多くの陳述書を裁判所へ提出するように主張するが,弁護士はこれを拒む。そのため弁護士は解任され,医療訴訟としては無謀とも言える本人訴訟となる。
 両親はみずから医師への質問も行ない,裁判所からの和解も拒否する。医師側の弁護士は,これら両親の振る舞いを「節度がない無謀な行動」と,また「息子正人が無謀運転をしていた」と非難するかのような主張をする。
 判決は提訴から2年9か月後,原告勝訴で終わる。しかし両親は,裁判で勝訴してもまったく満足していない-というものである。

私がその裁判官だったら……

 もし私が今でも裁判官をしていたのであれば,正直言ってこのような当事者は厄介であり,弁護士や裁判所の行為はそれぞれ理由のある(普通の)行為であるとみなすであろう。たとえば弁護士が陳述書を多く出したがらないのは,裁判所がそれを受け取ることを嫌がることに起因するのである。多くの事件に追われた裁判所は,本論に関係のないことが書かれた陳述書を読む時間を惜しむし,法律家は,両親は裁判で勝って賠償を得たのだから満足を得たと考えるであろう。
 また,私が紛争解決の研究者でなく,(法律家の経歴だけで)医療の世界に飛び込むことなく,医療事故分析の作業に取り組んだ経験がなかったならば,こう考えていたであろう。民事訴訟という責任追及手段が背後にある中で,医師らに「十分に説明しろ」,「ミスを認めろ」などと求めることは,医師らに無理を求めるに等しい,と。したがって「本事例は不幸だが,この手続きは仕方がない」として諦めるのが,これまでの法律家と医療者の反応であった。
 しかし著者らは,法律家や医療者が通常抱くこの思いに真正面から対峙する。そこで発する問いは,「医療者や法律家は,事故後の救済の過程において当事者の思いを適切に受け止めてきたのか」というものである。この問いに,評者は共感を持つ。

患者/原告は説明を求める

 本書は,2つの意味でChallengingである。それはまず第1に,「患者側の思いを真摯に受け止めてきたか」と言う医療者への問いである。
 本書は200床の公立病院での,医療をめぐる苦情に関する実証的なデータを提示する。これによると,苦情所有経験率は57.1%(患者282人中161人)で,40歳代に限ると80.0%になる。そのうち「説明に不満を持った人」が,41.0%(161人中66人)というものである。つまり,医療者は受け止めてこなかったのである。
 では,これが医療紛争とどのような関係があるのか。本書はアメリカにおける多数の実証研究を提示する。これによると,患者側が医療者に対して求めているものは主として,(1)情報開示,(2)真相の究明,(3)謝罪(誠意),(4)再発防止への取り組み,であるという。ここから言えるのは,医療者は患者側の思いを十分に受け止めてこなかったため,患者側は「真相の究明を」,「2度と起こらないように」と,医療者の誠意ある説明を求めて提訴するという構図である。

医療者も受傷者である

 しかし重要なのは,「患者側のそのような思いは医療者の思いと共通する」という 本書の指摘である。「事故の受傷者としての医療者」という発想である。
 医療者も1人の人間であり,ミスを犯そうとして犯すわけではない。事故は,多くの条件が重なって偶然に生ずる。患者の救命や治癒ができなかったことへの忸怩たる思い,詫びたい気持ちを抱く。事故の原因を探り,今後の事故防止のために意味づけたいと医療者も思う。これは,患者側の思いと共通する。では,このような共通する思いを受け止める仕組みはあるのかと本書は問う。つまりここに,医療者とともに,法律家は「患者の思いを受け止めることができるか」という第2のChallengingな問いが発生する。
 しかし裁判は,弁護士が加工しやすいように,紛争を法的な枠組みにはめ込み,生活事実を切り取り,再構成することから始まる。裁判は,そのような「作られた事実」をもとに,事故の責任を原則として個人に帰属させ,過失・因果関係を問い,金銭賠償による回復を図るシステムである。つまり裁判は,患者の切実な提訴の思いや,医療者の思いを受け止める仕組みにはなっていないのである。

コンプレイント・マネジャーの提案

 そこで著者らは,裁判外での紛争解決を提案する。これは,ADR(Alternative Dispute Resolution:裁判外紛争解決)と呼ばれるもので,すでにアメリカでは多く採り入れられている。評者も民間型のADR機関を立ち上げ,紛争解決に携わる法律家をTrainingしている。著者らは,ADRのうち合意型紛争処理を提案する。それは3つのレベル,すなわち,(1)医療機関にコンプレイント・マネジャーを設置する,(2)都道府県に医事紛争処理機関を置く,(3)裁定委員会を設置する,から構成される。
 特に,患者側と医療者を対立構造に置かず初期段階から共感的に対応するコンプレイント・マネジャーの働きに注目する。イギリスではこのレベルで98%の苦情が処理され,終結しているという。

紛争処理もCureからCareへ

 最近のRisk Managementの一貫としての医療事故分析は,「事故は必ず起きる」ことを教えてくれる。今後いくら医療者主導のRisk Managementが充実しても,事故は必ず起きる。その場合に必要なのは,「事故は起きる」ということを前提としたConflict Managementの思想であり,最近の医療社会学の文脈で言えばRisk Communicationの思想である。
 これまでRisk Managementだけに頼っていたものを,患者側の苦情申し立てを受けて行なうConflict Managementを補完的に導入する。これにより初めて,医療事故の予防回復のシステムとして完結するというものである。前者(Risk Management)によってできる限り医療事故を減らし,しかしやむなく生じた医療事故については,後者(Conflict Management)によってできるだけ当事者-患者側だけではなく医療者も含む-の思いを受け止める。まさに,患者・医療者の総体としてのQOLを高める試みである。
 医療がいまcureからcareに向かっているように,事故という不幸な,しかも取り返しがつかない事態に傷ついた人々をcareするシステム,それがConflict Managementなのである。

医療者と法律家の共同実践で応えたい

 本書はこのように,医療者にも法律家にも重い提言をしている。これに応えるのは,2大プロフェッション如何である。しかし医療者・法律家は,この問いかけの論理は理解しても,体ではなかなかわかりにくいと思う。
 そこで必要なのは,本書を受けて,具体的に病院内に訓練を受けたコンプレイント・マネジャーや医療コミュニケーター(私案)を置いて,患者側(と医療者)の苦情処理を実際にやってみるという試みである。医療者と,著者や評者を含む紛争解決を研究実践する者との共同実践である。そこで実際に医療者が,患者側が何を求め,これをどう受け止めるかを経験することによって,患者・医療者関係が飛躍的に改善されることを実感できる。評者はすでにこのような取り組みの腹案を有しているが,与えられた字数を超えたので,この紹介は別の機会としたい。
-和田・前田氏から,賽は投げられたのである。
和田仁孝,前田正一著 A5判・頁200 定価 2,200円+税 医学書院