医学界新聞

 

連載(26)  南米ボリビアにて

いまアジアでは-看護職がみたアジア

近藤麻理(兵庫県立看護大・国際地域看護)

E-mail:mari-k@dg7.so-net.ne.jp    


前回,2475号

【第26回】ボリビアでの救急救命研修(1)

 2001年3月,私はAMDAから,南米ボリビア共和国(以下,ボリビア)で行なわれている救急救命に関する研修調査のため,同国へ1週間派遣されました。
 ボリビアの首都ラ・パス(法律上はスクレが首都)は,世界で一番高い所に位置する首都であり,標高3650mは富士山頂よりも高地です。そして,その息苦しく感じられる酸素の薄い場所から,標高437mの第2の都市サンタ・クルスへと移動しました。酸素が濃く感じられるサンタ・クルスは,気候も穏やかでボリビアの商業や文化の中心でもあります。しかし国内情勢は,クーデターや高いインフレが長期間続き,現在も不安定な状況のようです。空港に迎えに来た現地AMDAのスタッフは,農作物の不作と苦しい経済状況が続いているため,「支部の運営も大変だ」と話していました。

アメリカから始まったATLS

 ATLS(Advanced Trauma Life Support)とは,「重症外傷患者の初期治療で,特別な器具や機械を必要としない基本的外傷処置手技」(『救急レジデントマニュアル』,医学書院刊より)のことですが,ボリビアでは,このATLSという上級救急救命研修コースを,AMDAボリビア支部が支援していたのです。
 私は,現地で実際にこのコースを見るまで知らなかったのですが,ATLS協会の本部はアメリカ合衆国にあり,正式名称は「Institute of Prehospital Emergency Medicine」。主に医師を対象として「救急救命医の養成」をしている組織です。そしてこのコースはアメリカだけではなく,イギリス,オーストラリア,イスラエル,アイルランド,南アフリカ,シンガポール,アルゼンチンなどでも実施されています。
 この協会は,1976年に家族で飛行機事故(妻は即死)に遭ったアメリカ人の外科医が,自分と子ども3人が受けた地域での医療,特に外科治療のレベルの低さに触発され,1978年にこのATLSのプロトタイプを考案,1979年にアメリカ外科学会外傷委員会が正式に教育プログラムとして認定,1980年より研修として実施したという経緯があるようです。なお,現在アメリカ全土では年間750回のコースが実施され,約1万3000名の医師が受講しているとのこと。
 ボリビアでは300名近い医師が,この協会のATLSコースをすでに受講していました。しかし,この研修はあくまでも医師だけを対象としたものです。そのため,広く救急救命に携わる人材を対象とする「PHTLS」(Prehospital Trauma Life Support)という病院搬送前救急救命コースを,2000年度から実施することにしました。そこで,その効果について研修内容を含めて確認すべく,現地に赴き調査するために派遣されたのです。

高度救命から,実践的で身近な内容へ

 ボリビアなど多くの国々では,交通事故などで外傷を負っても,病院に患者が搬送されるまでに時間がかかり,助かるはずなのに救えなかったというケースが多くあります。
 そのためPHTLS研修は,病院に搬送され医師から救命処置を受ける前の状態,つまり事故の現場に一番最初に駆けつけた救急隊員(救命に携わる人)たちへ研修を行なうことで,救命率は向上する,そのことが重要なのだ,という発想から始まりました。
 この研修を受講できる人は,医師,看護職などの医療職にある人だけではなく,救急隊員,消防士,警察官,また一般の市民も参加が可能です。そして,ここを修了した人には,「認定救急救命士」の資格が与えられます。そして次の段階として,彼らは「PHTLS研修インストラクター資格」の受講者となり,このコースを修了すると,「認定インストラクター」として無償ですが,PHTLS研修での指導が可能となるのです。

救命率の向上をめざして

 今までのATLSコースは医師を対象とし,病院の中での救急の技術を磨くことに重きが置かれていました。しかし今後は,このPHTLS研修を1次救急の基本として,ボリビアで普及させ,病院に搬送されるまでに救命がなされるよう,「まっ先に救急救命に携わる人が,つまり地域の住民が自分たち自身の命を守る」という発想の転換にきているのだ,と言えるでしょう。その研修は,写真をごらんになるとわかると思いますが,実際の交通事故を想定した現実的で実践的な内容で,ただ講義を聞いたり,演習を見学しているというようなコースではありません。自分で走り,動き,汗を流しながら繰り返し身体で覚えるという内容の訓練なのです。
 この研修で,具体的にどのような訓練がされていたのかについては,次号でお伝えしようと思います。