医学界新聞

 

【シリーズ】

この先生に会いたい!!


森 英理さん(横浜市立大学医学部4年)
田中まゆみ氏(イェール大学ブリッジポート病院・内科小児科レジデント)に聞く


<なぜ田中先生に会いたいのか?>

 田中先生のことを知ったきっかけは,最新の単行本『ハーバードの医師づくり-最高の医療はこうして生まれる』のもととなった「週刊医学界新聞」の連載記事(「MGHのクリニカルクラークシップ」)を,姉に薦められて読んだことでした。家族の中にアメリカで医療にたずさわっていた者がいたこともあり,姉も私もアメリカの医学教育に無関心ではいられなかったのです。
 バックナンバーを探し,連載をさかのぼるにつれて夢中になって引き込まれました。
 「『なんだ糖尿病か』『また高血圧ですか』というふうにしか患者を診ることのできない医師を作ってしまったとしたら,それは教育の失敗なのだ」,
 「貧しい人間(学生)に魚を与えるのではなく,漁のやり方を教えよ」……
 「ニューパスウェイ」(註1)の精神が紹介されていますが,一方で,その背景にある身も蓋もない市場原理の下にある現実も克明に描かれているのです。
 アメリカ医療に対し,鋭い眼差しを向ける田中先生にお会いして,日米の医学教育のあり方や,変革が進む医療環境の中でこれからの医師に求められる能力などについて,お話をうかがいたいと思いました。

(森 英理)
  
田中まゆみ氏(写真右)
京大医学部卒,天理よろづ相談所病院,京大大学院を経てMGHおよびダナ・ファーバー癌研究所でリサーチ・フェロー。MGH,他で内科クラークシップ等を経験後,ECFMG認定証を取得。ボストン大大学院で公衆衛生学修士取得。2000年7月よりイェール大学内科・小児科合同プログラム(ブリッジポート病院)で臨床研修を開始。ハードな臨床研修の日々を送りながら,米国の医学教育事情についての執筆活動を続けている。なお,ハーバード大学医学部の臨床教育を本紙にレポートした「MGHのクリニカル・クラークシップ」に加筆し,単行本化した『ハーバードの医師づくり』(医学書院)が今月発行され,早くも話題となっている。

森 英理さん(写真左)
現在,横浜市立大医学部4年生。東大保健学科卒業後,保険会社勤務。家族の死が転機となり医学部進学。学内の「New England Journal of Medicine」誌「Case Record」抄読会,米国人医師の指導によるCase-Based Tutorialなどに参加しつつ「よい臨床医になるには」を模索中。


■なぜハーバードは基本重視なのか

 田中先生のご執筆による単行本『ハーバードの医師づくり』が出版されました。私は,この本のもととなった連載の愛読者だったのですが,それを読んで最も意外だったのは,研究・臨床で高い専門性を誇るハーバード大学医学部(註2)が,そのアカデミックなイメージとは裏腹に,実は非常に臨床医学の基本を重視した教育を行なっているということです。これは臓器別専門診療部門での教育を中心として,ともすれば専門的な知識の伝授に偏りがちな日本の医学教育とは大きく異なるものですね。
田中 ええ。それが「ニューパスウェイ」で最も強調されたところです。

医学教育への厳しい批判

田中 新しい医学教育カリキュラム「ニューパスウェイ」がハーバードに導入される4-5年前でしたか,「アメリカの医学教育はこれでよいのだろうか」ということが,言われた時代がありました。
 「実習中の医学生や病院のレジデントは,安あがりの労働力としてこきつかわれるばかりで,その人権が軽視されたまま長時間労働を強いられる。しかも患者をしっかり診ることができるような教育が十分に受けられないでいる」と,大きな社会問題になったわけです。当時の新聞記事やコラムを見ても,「こういう医学教育で育った医師に,国民が安心してかかれるのか」ということが書かれています。中でも,ハーバードというところは,ご存じのようにアカデミズムの最高峰ですから,批判の的でもあったわけです。

弱点を克服したハーバード

田中 しかしハーバードの偉大なところは,批判には正面から向き合い,回答するところです。つまり,そこでハーバードの弱点であるプライマリケアを強化し,アカデミックではない,患者中心の基本を重視した医学教育を行なうという明確な方針を打ち出したわけです。それが「ニューパスウェイ」なのです。
 実は,そのような新しい医学教育の実践は,カナダのマクマスター大学や,アメリカの地方都市にある一部の医学部ではすでになされていることでした。むしろ,ハーバードのようにアカデミズムに偏った教育がおかしいということは,誰でもわかることですから。ところが,そのような批判を逆手にとって,自分の弱点である患者中心のプライマリケアという面を強化するために,「ニューパスウェイ」という形で思い切った方針転換を図ったところが,やはりハーバードのすごいところであり,「うまい」点だと思います。「ニューパスウェイ」は一躍有名になり,世界的な医学教育改革の1つのモデルとなったわけですから。これは,ハーバードにとって大きな宣伝にもなりました。

「いくら教えても教えきれない」という教育の危機

 ハーバードのような専門家集団で,なぜそのような大胆な改革が可能だったのでしょうか?
田中 ニューパスウェイの背景には,飛躍的に情報量が増大する医学・医療の進歩に対するアカデミズムの人たちの危機感がありました。教官は「いくら教えても教えきれない」し,学生は「いくら学んでも学びきれない」という教育の危機が訪れつつあることを皆が感じていたのです。
 ある意味で,プライマリケアと比べると,専門医療は楽であるとも言えます。これは,EBM(Evidence-Based Medicine)などを少し勉強すれば,すぐに気づくことです。例えば風邪の症状の患者が飛び込んできた時に,プライマリケアによる鑑別診断はゴマンとあるわけです。そして,その人に対して,どれくらいの期間それが続いているのか,どのような臓器にわたって風邪の症状が出ているのか,患者さんは何を求めてやってきたのかというようなことを,本当に発見しようと思えば非常に時間がかかるし,問診にもテクニックが必要です。ところが専門家は,もうすでに何週間なり何か月間なり別の医師が悩んだ患者,あるいは医師が選別した後で送ってくる患者を診るわけですから,比較的楽なのです。
 しかし,そのある一面では楽なはずの専門家でさえも,情報過多時代には情報を処理しきれなくなってしまった。圧倒的に情報量が多いので,いくら教えても教えきれず,どんなにカリキュラムを増やしても追いつかない。アカデミズムの本家とも言えるハーバードで,カリキュラムがパンクしそうな状況に陥っていたのです。

「ニューパスウェイ」という解決策

田中 しかも,当時の医学教育は「国民が求めているのはこのような教育ではない」という厳しい世間からの批判にさらされていたわけですから,プライマリケア教育を強化しなければならなかった。そのプライマリケア教育における危機感と言ったら,専門家の持つ危機感どころではないわけです。風邪の患者の鑑別診断をすべて教えるとしたら,それこそ難しいわけでしょう。非常にめずらしい,世界に何例もないような骨の病気を一生研究して済むという問題ではないわけですね。
 そこで,「ニューパスウェイ」では情報処理の仕方を教えるということを根幹の1つに据えました。教える内容をものすごく絞り込み,さらに問題解決能力を育成するために,ケース・オリエンテッド(症例に基づく学習・教育)でしか教えない。その代わり,いくらでも裾が広がるように情報検索の仕方を教える。その検索をする時には,ガセネタがたくさんあるので,どうしたら正しい検索ができるかということを教えるようにしたわけです。それが,「ニューパスウェイ」による,「教えても教えても教えきれない」という情報過多時代のジレンマへの解決策だったわけです。
 そのためには,EBMの大家も教授として呼ばなければならなかったし,プライマリケア医が問診や身体診察によってどのように鑑別診断を絞り込んでいくか,という技能教育をカリキュラムに取り入れなければなりませんでした。そこから大きなカリキュラムの再編成がなされたわけです。
 私は,拙著『ハーバードの医師づくり』の中で,「魚を与えるのではなくて,漁の仕方を教える」と表現しましたけれども,結局,1つひとつの情報をいくら教えても教えきれるものでは決してないわけです。というのも,医学の進歩というのは日進月歩ですから,今は誰も知らないその病気の原因が,来年はわかっているかもしれない。今日の常識も明日は覆ることもある。その限界を悟れば,それでは教え方を変えるしかないということになります。「われわれは知らないのだ」と教官が知らないということを認めれば,「どうしたら検索できるのか」というところから問いが始まります。
 つまり,「教官は何もかも知っていて私たちに教えてくれるのではない。教官も来年になれば時代遅れになるかもしれない」という,非常に高い緊張感の中でアカデミズムが動いていて,際限のない繰り返しの中で「現時点での最良の解答に,いかにたどり着くか」という訓練が日々行なわれているわけです。

スペシャリストの危機

 一方でハーバード医学部および関連病院は,高度な専門分野の研究センターとしての役割を果たしているわけですが,専門家の教員の間には,プライマリケア重視の教育によって,自分の後継者がいなくなるというような心配はないのでしょうか。
田中 偶然ですが,「ニューパスウェイ」は,その導入当時から起こってきたマネジドケア(註3)の普及というアメリカの医療制度を揺るがした大変革と,ほとんど時を同じくしています。むしろ,「ニューパスウェイ」ではなくて,マネジドケアのほうからスペシャリスト(専門家)の危機はやってきたのです。スペシャリストがスペシャリストとして生きていくことがだんだん難しい時代になりつつあるのは事実でしょうね。
 例えば,今でもリサーチフェローのほとんどは外国人ですし,専門家をどういうふうに育てるかというのは過渡期で大変な時期ですね。マネジドケアが始まった直後は,スペシャリストがあまるので大変だということが喧伝されたのですが,今は逆に患者のスペシャリスト志向が強まっているのです。マネジドケアも,患者(保険の加入者)のその声を無視できず,かなり揺れ動いています。

知識を伝授する教育の終焉

 マネジドケアのほうも,顧客満足という点を意識し出しているということですね。
田中 そうです。しかし,医療制度などは今後もさまざまな混乱があると思いますが,「ニューパスウェイ」が打ち出した「知識を伝授する医学教育から,情報の整理の仕方を教える医学教育へ」という基本的な方向自体は変わらないと思います。個々の情報・知識を教える時代は終わったと思います。今日教えたことも,明日は間違っているかもしれないということです。
 非常に卑近な例で申し訳ないのですが,国家試験の過去問を解いていても,今の基準では完全に間違っている答などがあり,私たちも混乱しています。
田中 混乱したらよいのです。つまり,絶対のものはないということを早い段階で認識するほうが,よい医師になれます。答は1つではないし,変わるかもしれない。教授がすべてを知っているわけではない。教授の知らないこともたくさんあって,間違いも犯す。そういう前提に立って勉強するほうが,はるかによいのです。
 アメリカの医者も,何百,何千もあるガイドラインに振り回されていますが,来年になればそのガイドラインも変わるということを,皆が承知のうえでやっています。また,変わったら勉強し直さなくてはならないという覚悟でやっているに過ぎません。
 例えば,昨(2001)年は「週刊医学界新聞」でもAHA(アメリカ心臓学会)の2000年ガイドラインのことが話題になりました。変わるのだということは皆が知っている,しかし目の前で患者さんが倒れたらどうするのか。つまり,医師としては常に最新の知識や,最新のガイドラインを知っておきたいけれども,誰ひとり,完全にすべてを掌握できる医師など存在するはずがないわけです。不可能を承知の上で,目の前の患者に何ができるかを問いながらいつも勉強しているという意味では,アメリカの医師の自らを律する姿勢は厳しいです。
 私も今,レジデンシー・プログラムの中にいて他のレジデントとともにボード試験(学会が専門医資格認定のために行なう試験)の練習問題を解いたりします。そうすると,教えている講師の先生が「自分も専門医資格更新の試験を受けてきたばかりだ」と言うのですね。結局,教える側も,教わる側も,最先端の医学についていくためには常に学んでいかなくてはならないという意味で,同じ立場にあるわけです。ハーバードの教官といえども,医師免許をリニューアルするためには勉強を続けなければならないわけです。
 日本のように,「教官は何でも知っていて,学生は一方的に教えてもらう」というのは,今日のような科学の進歩の早い時代にあっては,実際にはあり得ないことだと思いますし,おかしな教育のスタイルではないでしょうか。

■日本の医療をどう捉えるか?

日本の医学部の問題点

 今の日本では,そうした問題意識を持つ人は少数派ではないかと思います。日本の医学部における最大の問題点はどのようなところにあるとお考えですか?
田中 日本の問題点は,各医学部,あるいは各医局講座が孤立していて,それぞれでカルチャーが大きく異なることにあると思います。カルチャーとは,混ざれば混ざるほどおもしろいものができるものだと思います。ところが日本では,1つの医学部や医局講座のカルチャーが,他の医学部や医局講座のカルチャーと混ざることがない。これは非常に残念です。カルチャーを変えるためには,異分子というか,外からの因子を入れてこないと難しいわけですが,それをどこまでできるかが鍵になると思います。
 システムができる陰には,必ずリーダーシップが必要です。カリスマ性とかリーダーシップを持ったロールモデルの数が一定量ないと,その集団は変わりません。システムの中でどうやってロールモデルを導入してカルチャーを変えていくか。これが日本の医学部には大きな課題でしょう。

医療とはローカルなもの

田中 それと同時に,日本の特殊性を指摘される方もいらっしゃいますが,私はまったくそのとおりだと思うのです。医療というのは非常にローカルなものです。そのローカル性とグローバル・スタンダードとをいかに折り合いをつけるかを常に考える必要があります。日本が特殊だからグローバル・スタンダードを無視するというのはもちろん間違っているわけですが,日本のローカル性を無視してグローバル・スタンダードだけを取り入れても,まったく機能しない。なぜなら医療というのはローカルなわけですから。
 例えば,私が今アメリカでやっている医療を,そのまま日本人の患者さんにあてはめろと言われても,まったくうまくいかないと思います。グローバル・スタンダードを知っている先生たちが,「日本はだめだ」「遅れている」と焦燥感を持つ気持ちもよくわかるのですが,パブリック・ヘルスの観点からは,日本の医療は世界一進んでいるとも言えるのです。最先端の医療をしているはずのアメリカなのに,平均寿命は全世界で20番目程度の低さです。これはどこかが間違っているわけですね。乳児死亡率とか平均寿命などのモノサシで測れば,日本の医療システムは非常に進んでいます。むしろ,「アメリカよ,なぜ日本の真似をしない?」とも言えるわけです(笑)。

単純にはいかない日米比較

田中 ですから,アメリカの医療が進んでいる,日本の医療が進んでいるというような比較は不幸です。なぜ医学の進んでいるアメリカでWHOの基準になるような健康指標がそんなに低いのか。なぜ非常に遅れた医療教育制度で,患者の人権も保障されていないような医療後進国の日本でこんなに高いスタンダードが達成できているのか。そういう視点で医学教育を見直すことも必要かもしれませんね。
 私も「米国に比べて日本は……」と思ってしまうことがよくあるのですが,確かに「医療はローカルなものである」ということは忘れてはならないと思いました。しかし日本の場合,「今のままでよい」ということになってしまうとまずいと思いますが。
田中 もちろん,今のままでよいはずがありません。乳児死亡率が世界一低いからそれでいいのかといえば,患者さんたちはもちろん大変不満に思っておられるわけですから,これを放置してはいけません。自分の赤ちゃんが世界で最も死ぬ可能性が低いということと,自分が抱えている問題や不満は別のものです。また,日米でどちらの患者の満足度が高いかという比較も難しいでしょうね。カルチャーの違いや,マスコミの姿勢,巧妙な医師会のプロパガンダなど,いろいろな要素が関係していると思います。

EBMで一番重要なこと

田中 例えばEBMにしても,これがイギリスから始まったというのには意外と深い意味があるのです。イギリスでは国民医療費を節約するために,年間の医療費の総額を予算として決めてしまい,年度末になると抗生物質も使えないというような医療が横行しました。今はその反動で,「こういう証拠があるから使わせてくれ」というようにEBMを使っています。イギリス政府が,ようやく医療費の増額を決めましたが,国民の不満もさることながらその裏にはEBMが少なからず寄与したのです。
 アメリカの例では,マネジドケアは医療費を値切る時にEBMを使いますし,スペシャリストは「スペシャリストが患者さんを診たら,これだけよい結果が出た。やはりスペシャリストは必要なんだ」というようにEBMを使いたがるわけです。
 つまり,EBMを使う人々は,ある意味で自分の使いたいように使っているという側面があります。1人の医師としてEBMに基づいて診療方針を決める時には,そのスタディのバックグラウンドで誰がお金を出しているのか,誰がどういう思惑でその証拠を作りたがったのか,というところまで読まないと,本当に目の前の患者さんの利益になるような方針を決定することはできません。忘れてはならないのは,EBMというのは決して集団医学ではなくて,個々の患者さんから出発すべきものだということです。
 今おっしゃったようなEBMの姿勢,基本的な考え方についても,アメリカの学生や研修医は日々の臨床の中で繰り返し学んでいくということですね。
田中 そうですね。例えば,ある問いを発してそれに対する答を見つけようとしても,「残念ながらそれに関するスタディはない」というのがほとんどの場合なのです。しかし,それを言ってしまうと身も蓋もないので,いちばん近いスタディからできるかぎり証拠を集めたらどうなるのか,というように問いを変えながら,妥協しながら答を見つけていくわけです。これもまた,大きなスタディが発表されるたびに右に揺れたり,左に揺れたりするので,絶対的な基準というものもないわけですね。そういうことを,日々の臨床の中で研修医は知り,悩み,医療を行なっているわけです。

医学生・研修医へのメッセージ

 最後に医学生・研修医の読者にメッセージをお願いします。
田中 どんなに小さな病院にも立派な医師は必ずいます。一方,どんなに大きな組織でもだめなところはだめです。どこで研修したらよいのかなど,自分の進路について悩むことは多いでしょうが,自分がロールモデルとするような医師を探し,その先生がどのように診療をしているのか,医師としてどのように生きているのか,ということを学ぶことが,まず大切だと思います。いちばん大切なことは,施設よりも人から学ぶものだと私は思っています。
 本日はありがとうございました。



(註1)ニューパスウェイ
 ハーバード医学部が1987年より導入した新しいカリキュラム。従来の「知識伝授型」から患者との関係を重視する「問題解決型」へと学習・教育方法を転換した。基礎医学と臨床医学の統合,小人数のテュートリアル形式の学習,学生の自主性の重視などの特徴があり,生涯にわたって学習し続ける習慣を育む。全米の医学教育界に大きなインパクトを与え,その後の医学教育改革の模範となった。
(註2)ハーバード大学医学部
 1782年に創設された,全米で3番目に古い歴史を持つ医学部。世界でも屈指の医学教育・研究機関の1つであり,これまでに14名ものノーベル賞受賞者を輩出している。研究および臨床で幅広い専門領域を網羅しており,教員数は8300人,関連機関は18にのぼる。医学部には約650名の学生が在籍している。U. S. News & World Report誌が毎年行なう,全米の大学・大学院のランク付けでは,医学部は研究重視の医学部とプライマリケア教育重視の医学部と2つに分けて順位づけがなされるが,ハーバード大学医学部は前者の1位を毎年のように独占し,後者でも常に上位にランキングされている(2001年に発表されたランキングでは11位)。
(註3)マネジドケア
 医療コストを減らすために,医療へのアクセスおよび医療サービスの内容を制限する制度。入院,専門医受診を制限する主治医制,検査,治療法等を審査する利用審査などの制限方法がとられる。保険料の安さゆえに米国医療保険の主流となりつつある。