医学界新聞

 

【連続座談会】
脳とこころ-21世紀の課題

(3)脳における統合の仕組み


伊藤正男氏
理化学研究所脳科学総合研
究センター所長<司会>
 
藤田道也氏
浜松医科大学名誉教授
<「生体の科学」編集部>
 
金子邦彦氏
東京大学大学院教授・
総合科学研究科
 

土屋 俊氏
千葉大学文学部教授・
行動科学科
 
宮下保司氏
東京大学大学院教授・
医学系研究科
 
谷 淳氏
理化学研究所脳科学
総合研究センター


伊藤〈司会〉 これまで2回にわたって「脳とこころ」の関係を議論してきましたが,今世紀は脳を複雑なシステムとして見直す時期だという感を強くします。脳の複雑なシステムには,脳全体の複雑なシステム構造という見方と,脳がブロックという多くの要素からなる複雑なシステムという見方があります。
 今回は,この両方の立場から脳とこころの問題がどう結びついていくのかを議論していただきたいと思います。

脳で何が起こる?

伊藤 私たちは,こころは脳の中で起こっていることと考えていますが,かってスキナリアン的な行動学ではこころという言葉を使うだけでも叱られましたね。
土屋 その原因は2つあります。こころを想定して説明するのは非科学的だという考えが1つです。もう1つは,当時の科学水準では,細胞・神経レベルでの知見が少なかったため,外的なインプットとアウトプットの間の相関関係としてしか考えられなかったからです。行動学が当初考えていた前提は意味がなくなりましたが,魅力的な点は,脳の内部を参照しないことです。
伊藤 宮下先生は,核磁気共鳴装置(MRI)を使ったヒトの大脳過程の研究で目覚ましい成果をあげられています。いかがですか。
宮下 現在は非常に広い領域が脳研究の対象になっています。例えば,道徳的・倫理的判断の根拠を問うという問題を脳科学の問題として考えることができるか,ということが提起されているわけです。昔のような知・情・意という分類はなくなり,一緒に働くことがわかってきました。
 研究領域が広がってきたのは,MRIにより脳全体の活動を見られることの影響は大きいですが,MRIは非常に限定された生理的なパラメーターを見ているので,本当に見るべきものを見ているのかどうかは大変問題です。本来,赤外域の波長で見なければならないものを,紫外域でしか見えないようなフィルターを通して見ているようなことが起こっているおそれがある。そういう方法論的な制約に関する議論は,これから徹底的に行なわなくてはならないと思います。しかし,そういう方法論的な制約を全部理解した上で先へ進むとすると,経験科学としての神経科学の対象にならない問題はない。何をすればよいのかというプログラムは結構明確に議論され,部分的には共有されるようになっています。
 10年ぐらい前にクリックとコッホが提起したプログラムは,例えば視覚の主観性の問題visual awarenessを最初に研究対象に取り上げるのがよく,それ以上複雑な問題は当面棚上げにしたほうがよいといった内容を含んでいます。また,電気生理にしろMRIにしろ外界の対象を知覚する際に,対象の物理的特性,主観的特性を反映していない脳の領域を除外して,意識の神経機構・対応物Neuronal correlate of consciousnessを捉えようという提案もあります。
 このcorrelateということの意味,意識の必要条件と十分条件の問題が議論されています。ロゴセティスの両眼競合パラダイムや私たちのイメージ想起パラダイムの結果もそうです。意識内容を表現するニューロン活動が大脳高次連合野に存在することが,意識の必要条件であるというところは大体同意していますが,それが十分条件かどうかに関しては議論があります。

ロボットでは何が起こる?
複雑系では何が起こる?

伊藤 ロボットにこころが生まれると仮定して,そのシステムのどんな働きがこころに結びつくのでしょう。谷さんはソニーから理研に移られたロボットの第一線研究者ですが,その点はいかがでしょうか。
 私はロボットを使って環境と相互作用させてどんなものが出てくるかを発見し,そこにおもしろい構造が見つかったら,次にそれとこころの対応を取ってみたいと思っています。私が興味を持っている現象学で,フッサールが言う内省的に感じる時間というものと対応が取れないかと考えます。実験で発見した現象が現象学と対応が取れた時に,ロボットの中にこころを見出すことができるのではないか。シリコンや鉄でできているロボットにこころはないと言うけれども,メタファーとしては成立する。私にとってロボットを作るのは,彫刻家が自分のイメージをオブジェに彫り込んでいくように,自分の脳/こころの解釈を形にしていく作業かもしれません。
金子 最初にシステムとして理解するという話がありましたが,それは脳に限る話ではなく,細胞もシグナル伝達系,代謝ネットワーク,遺伝子ネットワークという要素が絡んで,記憶したり応答したりして複雑なシステムを作ります。そのレベルを理解するには個々のシグナル伝達分子でなく,システムとしてどう働くかということに対する一般理論を立てることが必要です。
 その時,脳のどういう面に興味を持つかが問題ですが,私がコンピュータではなくて脳に興味を持つのは,自主性とか自発性を持っているシステムは何なのかということです。最初はどうでもよい部品を集め,その要素が集まった結果として,近似的にモジュール的に見える構造ができたり消えたりするという形で理解できるのではないか。これは,脳に限らず生物システム一般の問題だと思いますが,そこが理論的にもわかりつつあるところで,それをもとに脳を考える段階にきたと思います。

意識と無意識の境目

伊藤 自発性,自主性など脳の特徴と機械論との対比が出てきましたが,哲学の視点から土屋先生に伺いましょう。
土屋 哲学は基本的に脳科学に対して,消費者と生産者の意味があります。わかっている範囲の中でしか考えられないという意味で脳科学が生産した知識の消費者であり,脳科学が何を研究したらいいかという課題を見つけていくという意味で,生産者的な働きをしています。
 脳のマクロ機能とは,脳の活動で記述を受ける行為と言えばよいでしょうか。しかも頭の中で考えるものではなく,他人と殴り合いする場面まで含めた,場合によったらそれの原因になるかもしれないものを含んでいる。そういう脳の機能を考えた時に,もう1度日本語の持つ言葉によるレポートの構造を考え直してもいいのかなと,最近気になり出したのです。
宮下 意識の問題を考える上で,言葉によるレポートが本質的かどうかは意見が分かれますが,どれだけのものが意識に上らず,どれだけのものが上っているのかは,脳の活動と対比してわかるようになりました。
 意識に上ってくる脳の事象は非常に限られていて,それがどういうものかはかなり追い詰めることができる。だから,言葉によるレポートを逆に取っかかりにすることも提案されたわけですが,意外にその境目はデリケートです。そのよい例として,プライミングがあります。意識的な記憶の思い出しと,意識に上るには少し足りないが,行動学的には影響が測れる,つまり刺激としては微妙な差が意識レベルでははっきりした差として表れる境目のことです。昔は純粋に行動学的にしか指標がなかったのですが,今はこの境目の両側でMRIを撮ることができます。現在はまだ決着はついていませんが,そういう微妙な境目が少なくとも脳の活動に照らして議論ができるようになったのはここ3年ぐらいです。神経科学は意識の問題だけでなく,意識に上らない事象とその境目をも攻めているのです。

原始的な自己,何が未知か?

 意識の議論に関して言えば,ロボットは予測するが,予測がうまくいっている間はロボットと環境の間が首尾一貫した関係になってすべてうまく回っています。その時ニューロンの活動にはきれいな流れが見え,予測つかないことが出るとその流れは一時的に滞る。しかし,作動を続けているとまた流れがスムーズになる。その2つの状態間の行き来が意識に関係あると思います。センソリーモータの流れを予測しながら動作していくようなロボットを作ってみると,どんなにロボットが環境を学習しても,予測は大きく外れることがあります。予測が間欠的に外れ,流れが滞るところに,例えばウイリアム・ジェームズが言うような瞬間的自己(momentary self)が見えてくる。もちろん意識もいろいろあって,今いったのは原始的な自己(primitive self),環境的自己(ecological self)といった種類のものです。それ自体は大した意識ではないけれども,それがないとその上にいく自己参照的self referentialな自己のレベルにいけない。
 予測が外れる,つまりトップダウンとボトムアップが合わないといった様子は,脳観測でも見られるのでしょうか。
土屋 外れるというのは予測したことが実現しないわけだから,脳の対応過程はないのでないでしょうか。実現しないのは頭の中で起きているわけではなくて,この世界の中で起きていることでしょう。
 しかし,先読みしてトップダウンで上のほうから予測をかけるわけですね。それで実際の感覚と違うと,そのぶつかり合いに食い違いが出るわけですね。
土屋 予測が外れるというのが頭の中での仕事だと考えれば,今のような説明になると思います。しかし,何でそういうことが起きるかという話としてはそうではない。
 もちろんそれは組み合わせて考えないといけません。しかし,現象としてはそういったところがまず脳の対応過程でどうなっているか見て,あとそれが言葉によるレポートで内省的にそういったところが記憶にエピソードとして残っているかを比較していけばよいのではないですか。
金子 谷さんの言われたことは10年前には当たり前ではなかったのでしょうが,ここ10年くらいの研究でわかってきています。例えば,大自由度の力学系で動いていくと,すごく乱れた状態から,ある時に少数自由度の固まった,ある程度秩序だった状態に落ち,不安定性によって壊れてまた繰り返すというのは,「カオス的遍歴現象」として知られています。今は力学系で自由度が大きい系では一般的に表れる。だから神経系も出ます。
 そうした物理理論だけでは現象学的意識の問題とはつながらないでしょう。
金子 それをつなげるというのがまだ正しい論点になっていないと思う。脳関係をカオス結合系でやってみたという論文が送られてきますが,多くは,「昔やられたことをこういうふうにも解釈できます」と言っているだけで,人間の自然科学の総和として何も進歩していない。脳研究のもどかしい点は,正しい問題をきちんと提起されていないことです。
土屋 すでにわかってしまったことを研究している部分がある。要するに人間がやることについては,それなりに記述が終わってしまっているわけです。
 どうしても理論は20年先に進んでしまう。その後から事実が追っかける。
土屋 20年先というのは。
 理論では先にこういうことになるでしょうというか,先ほどカオス的遍歴の話が出ましたが,それをこれから脳科学で実験的に見つけていこうということになる。
金子 実験科学の苦労はよくわかります。細胞や発生の話で協力しているのですが,理論的にこうというのを実験するのは大変なのはよくわかります。その場合,どういう条件でどういう問題にしたらよいかという設定ができていても,それをやるための苦労はまた10年くらいかかるかもしれない。脳の場合,その設定すらよく見えないという気がします。

理論の予見

伊藤 一番成功したのがヘッブの学習理論で,あれは10年かかって証拠が出てきました。実験する側はそういう予測がほしくてしようがないのです。
金子 具体的にどう実現するかという数学理論は展開していないので不十分です。ただ,それに対する力学系の立場からの理論というのはある程度ここ何年間で進んだのかもしれないなとは思いますが。
 力学系の問題点は勝手に進み過ぎてしまって,他の領域の人にはわからないところにいってしまっている。
金子 力学系は結局勝手に並列に動いていくシステムですね,それでごちゃごちゃに変化したりして,それ自体に論理的過程というものはない。
 一方,論理はある程度シークエンシャル(順序的)に進むものです。逆に言えば,力学系であるしかない神経回路網のようなものから,論理と思わざるを得ないものが生じてしまうのはなぜかというのは,答えるべき理論的な問いだと思う。細胞レベルでもシグナル伝達系などでは,ある程度同じようなことが起こるのですが,そういうものに関しては,力学系の中からあるコントロールするつぼみたいなものが生じてきて,そのボトルネックを経ないと次に進めないという形になっていると予想しています。そこの理論がある程度見えてきたかなというところです。
宮下 60年代を思い出してみると,3つの代表的な理論と実験の接点がありました。1つはヘッブの可塑性の理論,もう1つはニューロンの振る舞いを方程式化したカイヤニエロの理論。その中間に一様構造のネットワークの反響回路の理論があって,現在はそれぞれ評価ははっきりしています。
 ヘッブの概念は,その後の理論と実験の相互作用に大きく貢献しました。カイヤニエロの方程式はたいして役に立たなかった。一様構造ネットワークの反響回路理論は評価は難しい。それ自身が何かの予測的な力があったわけではないが,今でも引用する人はいるという程度ですかね。問題は3つの理論のどこがそんな差となったのか,そして,その差がどれだけ60年代という時代的背景の制約から来ているかということでしょう。そういうことがわかれば,現代の理論と実験との関係ももう少し見通しがよくなると思うのですが。

還元主義と全体論の循環

伊藤 レセプターが100種類,蛋白質は1,000ファミリー,遺伝子は30億も塩基対があると言われて,まだ見つけなければいけないものがあるのか,それは何だという疑問も起こります。
金子 見えすぎるのではないかという不安はあります。例えば,19世紀に熱力学が誕生した時,もし分子というものを見てしまっていたら,分子を追いかけてしまって,エントロピーという概念に到達できなかったのではないでしょうか。
土屋 80年代から90年代ぐらいに,ある種の還元主義の完成形態が出てきたと見ることができるでしょう。その代表例が意識だった。還元主義の後にくるのは全体論で,力学系みたいに動きを数学的に記述するだけになる。それはこれにもあれにも当てはまるかもしれないということで,人間あるいは動物でもいいですが,ある特殊な生物的な制約を持っているものだけを記述するという保証はない。そういうふうになってしまうと,よく出てくるのは階層構造論みたいなものです。思想史的な特徴は,植物から始まって人間は必ず一番上にくる。基本的には力学系同士は等しいわけで,上下という話は出てこない。
金子 力学系が全体論と言われるけれどもそうではないし,複雑系イコール全体論でもない。熱力学がうまくいったのはマクロとミクロが切れたからです。生物の基本的問題は,ミクロとマクロは切れないで循環しているわけですね。先ほど谷さんが言ったカオス遍歴もその循環の中で出る。
伊藤 統計的力学のようなものですね。
金子 神経回路網のニューロン,熱力学の場合は分子をすべて見なくても,そこから出てくるものを見れば,一応平衡状態は記述できます。意識の問題は明らかにマクロレベルの話です。それが切れてしまうのだったら,最初からマクロな変数を用意してできることがあるかもしれない。しかし,今まで見つけられていないのだから,やはりないのかもしれないし,いろいろな状況証拠からしてその中で切れているとは思えない。先ほど谷さんが言われた首尾一貫した時,つまり,外とうまくできている時はわりと少数自由度で表現されているのは,平衡状態のように切れている状態かもしれないですね。だからマクロレベルである程度生きる。しかし,人間の脳として理解したいのは,それで落ち着いてしまって終わりというのではなく,そこから抜け出すところに自発性があるように見えることです。その仕掛けが基本的な問題ですし,そこではミクロ-マクロ循環がわからないといけないのでしょう。
 均一なものが集まった相互作用でそういう像を見せられているのではないですか。脳はヘテロでいろいろなものがあるから,物理的なミニマリズムに落として説明しようとするとうまくいかない。その時に物理学者がヘテロなものを対象として扱う気になれるかどうかです。
金子 ヘテロなものという場合,その入れ方ですね。脳をすべて入れろと言われたら,おそらく不可能でしょう。

言語の問題

宮下 全体論と局在論の間で振り子のように振れてしまうのは宿命ですが,今は回避できると思います。
 よい例は言語の遺伝子の問題です。ヒトという種に特異的な言語能力の基礎となるのは比較的少数の遺伝子だと思います。どんな遺伝子かという問題には必ず解があるはずです。つまりミクロな局在論的解も存在する。しかも最終的には言語能力というマクロな能力に落ち着く。
 遺伝子を片っ端から調べても,マスター遺伝子や転写因子をコードする遺伝子の組み合わせしか出てこないかもしれません。しかし,少なくとも有限の時間内に必ず大枠はわかるはずです。
土屋 広い意味でのコミュニケーションのシステムは,おそらく集団生活をするものは皆持っている。コミュニケーションのシステムの発生を一般的に考えると,われわれが言語を理解しているから,あちらがわれわれの理解する手法でコミュニケーションをしなければ理解できない。向こうからこちらがわからないということになって,それが決定的な話になる。
宮下 ここから先は私の個人的な思い込みがあるので,一般的な説だとは思わないのですが,私は個人的にはシンタックス(文法)に絞ればよく,コミュニケーション一般にしてしまってはだめだと思います。シンタックスがヒトという種に特異的に定義できるかどうかが鍵となる。もしイエスなら植物霊や動物霊にはならない。
 これは言語学の問題なので,私の個人的な思い込みと言ったわけですが,チョムスキー的な意味での「ユニバーサルグラマー」であるかどうかは別として,種に特異的なシンタックスというのは,やはり存在するのではないかと思います。
金子 鳥の鳴き声にも,シンタックスはある程度ありますね。
宮下 それは現在の重要な論点です。霊長類目や哺乳綱におけるシンタックス発生の連続性・不連続性ということをきちんと調べなければいけない。
藤田 言語の発生の進化は非常に新しいことですよね。ところが,遺伝学的な進化からいくと,新しい飛躍的な進化というのは分子レベルでは考えにくい。そのギャップはどのように説明するのですか。
宮下 私が申したのはまさにその点です。よくヒトとチンパンジーが比較されますが,言語能力をきちんと比較することがまず重要です。一方,ゲノム側からはせいぜい500万年の中で,比較的少数の突然変異によってそういう能力が生まれたと考えるのは合理的です。だから,必ずヒトとチンパンジーの言語能力の差を説明しうる遺伝子が見つかる。そして,最終的に分子カスケードとマクロ的言語能力との関連がつくはずです。このような研究プログラムは,古典的な全体論と局在論の対立を越えることを可能にするのではないかというのが私の意見です。

知・情・意の局在

藤田 先ほど「知・情・意の区別がなくなった」という話でしたが。
宮下 私が初めに申し上げたのは,脳の活動場所をみるとそうなるということです。道徳判断をやらせると,従来認知的だという時に活動すると思われていたのと違うところが光る。非常に強い情動に揺さぶられた時に活動する場所です。そうすると道徳判断などという理性的なことをやっている時も,実は情動につながっているということがわかるのです。
土屋 道徳判断は認知的なものとは別のところが活動している,ということではないですか。
宮下 説明が足りませんでした。道徳判断をしている時は,従来の認知的課題で活動する領域も当然活動しているのです。MRIの言葉でいうと,刺激をただ見ているというような低レベルコントロールを基準にすると,そういう認知的領域も含めて広範囲が光る。しかしそれでは,道徳判断の独自性がわからないから,認知的負荷は同程度で,道徳的要素を含まないコントロール課題(高レベルコントロールという)との差を見ると,先ほどお話ししたように情動領域が光る,ということになるわけです。
土屋 必要条件を探しているのですね。
宮下 そうです。私たちが現在MRIでやっているのはある種の引き算で,何かの状態と何かの状態を差し引くことを基本的な方法論にしています。最後に残ったところが認知的,あるいは情動的な課題に応ずるといっても,その前に差し引いていますから,引かれたところに共通の活動がある場合は山ほどあります。この引き算の方法に対する批判もあります。

創発とは

 人工脳の中に神経回路からなる力学系が相互作用して,何か思わぬものが出る。大事なことは,最初出た時は思わぬことだけれども,後から解析してそれが説明できれば研究としては一番美しいわけです。
土屋 それは考えが同じになるだけじゃないですか。実は思わぬことだと思っても,私が間違っていたという話になるのではないですかね。
 創発というのはレベルアップのことです。1つ上のレベルが出て,後から考えたらそのレベルが何でできたか説明できたら,すばらしいのではないでしょうか。
土屋 ロボットが一段上の立場になって,自分の昔を振り返って,「こういうふうにして次のレベルに到達した」というのなら,確かに理解だと思うけれど,それを作った人がするのでは意味がないでしょう。
 ロボットは人工物ですから作った人の意図がもちろん入る。でも動かしてみると,意図以上のプラスαが創発する。作った人はそれを見て,その理屈を理解し,それを組み入れた上でさらなるロボットを作ってまた動かす。そしてそこに新たな創発を見ることができるなら,ロボットと設計者の間の繰り返しのプロセスは創造的と言え,これが構成論的認知アプローチの醍醐味だと思います。
伊藤 複雑系の問題に含まれていますね。
金子 たぶん谷さんの立場は,神経回路網を使って,どちらかというともとは硬い論理システムを,柔らかくしたらどうなるかということだと思います。しかし論理的に見えるプログラムやシステムは,むしろ後で生じてくることで,もっと下のレベルでごちゃごちゃしたダイナミクスがあって,それがある程度少数自由度のマクロな記述ができた瞬間にはプログラムが生成され,それで動いているように見える。しかし,それは少数の上のレベルで記述されている時だけで,それが下のレベルにいってしまうことがある。
 そうすると上のレベルのプログラムで見ている人にとっては,そこから外れた思わぬことに見えるというのが本当の姿なのではないか。このシナリオは脳ではまだできていませんが,細胞分化などではできつつあります。そういう考え方で脳の問題もアプローチできるかなとは思います。

自己を見る系

伊藤 今日のテーマは,複雑なシステムからなぜ意識,自己,アイネスへの統合が起こるかということですが,脳の中の各ブロックが複雑なニューロン集団です。それがどうして1つにまとまるのでしょうか。
藤田 知・情・意というのは別のブロックに分けられるのでしょうか。
伊藤 一応局在論で,違うところに表現されているというのが伝統的な考えです。
 整合性(consistency)が取れるということが自己の一番の基本だと思います。機能主義の立場からは,ある合理的な行動をとるには,環境も含めた中で首尾一貫した位相のそろった状態(coherent)になれることが要求される。しかしそれだけでなく,逆にそれが崩れて非合理的になることが双方的に存在しないといけない。その2つの状態があって,首尾一貫して動いているものに自己を感じるのではないでしょうか。
土屋 整合性がとれたというのはどういう意味なのですか。
 スキーマにはまった動きをしているという感じです。逆はばらばらですね。
藤田 整合性のとれない状態がロボットにあるのですか。
 そういう研究は,複雑系で以前から行なわれています。
金子 整合性のとれた少数自由度とインコヒーレントな多自由度状態を行き来するという以上の何かがあるのではないかな。
 それをメタレベルで見るということが大事なのですが,まだうまくできません。
金子 そういうことを行なっている力学系があって,その力学系自身を見る力学系が自己参照している構造が必要なのでしょうが,まだよくわかっていない。
 原始的な自己のところで,自己参照というのはどうやって出てくるのかわからない。上のレベルに自己参照する系が勝手に創発する様子が作れたらそれで満足です。
土屋 自己の統一という話からいうと,あまり難しく考える必要はないと感じます。整合性というのは,原始的なレベルでの個体として崩壊しないで生活していることが保証されれば,それでもういいと思います。
 脳科学などを考えるからつい難しくなるので,ただみんなが生活しているだけで十分自己は保証される。むしろそのように考えるほうが,ある意味で人間のさまざまな能力を示している。身体のどこに責任があるのか,どこに原因があるのかという形で説明しようとする方法はむしろ非整合的です。あまり意識,意識と言わない方が自然科学ができると言えないでしょうか。
 粘菌の世界で大事なのは,メタなレベルができて,これが下のレベルに作用することによって整合性が自律的に壊れる。外のノイズで壊れるのではなくて,メタのレベルがあって,それがある時突然自己みたいなものを意識してしまって,下のレベルに働きかける。それで整合性が壊れるのでないか。
土屋 そのようにして破綻する生活の局面はどんな場合でしょう。例えば,何かものすごく一生懸命考えすぎて,どぶに落ちてしまった哲学者というのは何となくわかる。しかし,それは単に注意力が散漫だっただけではないか。その時に脳のどこかが不必要に活動していただけではないでしょうか。だから別にメタのレベルでものを考えなかったからといって,それが高度にかつ高次に活動したからというわけではないでしょう。
 例えばテニスでサーブをする時に,うまくいっている時に,「あっ,うまくいっているな」と思った途端に崩れるというのがあるじゃないですか。メタのレベルが下のレベルに働きかけて崩れていくというのは,そういった感じです。
土屋 逆にそうであるとすると,メタのレベルを持つことは生活にとって不利益になるわけですか。
 だけど,壊れたところに,もしかしたらその断片にはおもしろい新しい振る舞いが出るかもしれません。
土屋 つまり自分のフォームについてもう1回検討し直して,さらに上手になるということですか。
 そうです。そこに変な動きが出て,それがもしかしたら新しい試行になって前に進めるかもしれない。いわゆる内部ノイズですね。それがメタレベルで,上と下の相互作用でそういうものが出てくるのではないでしょうか。

レベルの違う問題がある

金子 脳研究では,やはりまだ正しい問題が提起されていない気がします。
 今の場合も全体がまとまる集団の動きが作れるだけだったら,それは細胞集団を集めて何が起こるか,粘菌でとひとまとまりになるのはどうしてかという問題で解いたほうがよい問題です。脳を対象とするのだから,単なる細胞集団の問題では解けない問題を設定しないとおもしろくない。
土屋 知覚のレベルなら解けるでしょうが,言語はどうですか。
金子 言語の場合に,マクロレベルで何かボトルネック的なダイナミクスが生じることで,プログラムとしてしか見えないような論理的な過程が生じることはなぜかということが最初の問題です。これは手が届くでしょう。もう1つは,谷さんがおっしゃる,「自分というものが生じる仕掛けは何か」という問題です。それには本質的ブレイクスルーが必要ではないでしょうか。
土屋 今もローゼンタールの二段階説は,それなりに論理的な破綻はしていないという形で定式化されているから,メタといったら必ず問題が生ずるということにならないことはわかってはいるのです。しかし,それがどう実現しているかについては難しいですね。
藤田 脳機能の統合性を保つ機構ですね。それが代謝系に見られるフィードバックみたいな単純なものではなく,別にそういう統合性を保つためのシステムがあるとして,そういうことがわかれば精神疾患などの解明に大変な重要性があると思うのですが,そういう統合性を保つためのシステムというのは考えられているのでしょうか。
伊藤 40Hz波というのがそれで大騒動になりました。視床から40Hzの波が出て脳中を同期させる。それで同期したところがつながって,例えば赤いリンゴが落ちてくると,「赤い」と,「丸いリンゴ」と,「落ちる」と,別々のところで情報処理をするでしょう。それが何で瞬間につながるのかというと,40Hz波で同期するのだという説が出て世界中で大騒ぎしました。
藤田 それをコントロールするさらに高次のシステムは考えられないのですか。
宮下 たぶん抽象的なレベルでは,ローゼンタールの引用以上のことは言えないと思います。脳科学の立場では,本当に自己参照の問題を「視覚の主観性/意識」の問題に先立って問題にしなければならない理由があるかは疑問ですね。そもそも,視覚の主観性に未知のことがたくさん残っていますから,自己参照までいってしまうと,わからないものの上にさらにわからないものを積むだけになります。
 ただ,自己意識の問題を考えることによって「視覚の主観性/意識」を考えていた時には,見えなかった問題が出てくるという議論を哲学者から出してくだされば,「オーッ,そういうことか」と言って集まる人はいくらでもいると思います。
土屋 それは基本的にはクオリアとかの話で,一時一部の人を集めた。また,現象学者の言うことを聞いてみると,あれだけたくさん論文が出てきても,脳科学の方はあまり群がってこないのだから,あまり上手な表現にはなっていないと思う。
 私自身は現象学は基本的に嫌いだという姿勢で二十数年間哲学をやってきたのですが,われわれに新しいことを知らせるという,それを実現している人間のメカニズムは何であるかという経験的な探究のきっかけになってきませんでした。それはそれで哲学の中で考えなければいけない問題ですが,哲学者の端くれとしては消費者が出てきたことは大変うれしいと思います。
宮下 マクロ的な脳機能はいくつかの問題のレベルに分かれます。例えば,視覚の主観性/意識の問題を考える上では,1つは,まず40Hz同期のように,ある種の結合問題(binding problem)を解く原理が本当にあるのかないのか,をはっきりさせなければいけなません。
 さらに,マクロのブロックレベルの問題として,視覚的意識の内容を表現するような領域がもし同定できるとして,それに対して別の部位からの信号が内容自体とは別のレベルで影響を与えるかどうかを考えないといけない。現在の脳科学は,腹側視覚路系の側頭葉に流れてくるほうが,基本的には内容を表現する情報を担っていると考える。それに対して頭頂葉からの信号が選択的注意のフィルタみたいなものを与えていることがわかっているが,意識に関わる情報処理に関しても何かを付け加えているのだろうか。もしイエスとすると,具体的に何をやっているのだろうか。このプロセスが壊れると側頭葉内には本来の意識内容の情報が表現されているにもかかわらず,その情報が意識に上ってこなくなる患者さんの例が報告されている。このプロセスは,必ずしも先ほどの40Hzの細胞間相互作用レベルの問題に還元できないかもしれない。そういういくつかのレベルの問題があって,それを解かないといけない。

十分条件とは

土屋 脳を理解することによって,よりよく人間のこころを理解するためには,脳科学の発見が必要条件の発見であるとか,脳内のできごとが対応しているとだけ言っていたのではいけない気がします。
宮下 その通りだと思います。十分条件を与える方法論は限られているが,ないわけではありません。1つは脳疾患の患者さんをみることであり,もう1つは脳に外から外乱を与えることです。後者の方法としては薬物の作用が古典的ですが,その他にも磁気刺激(transcranial magnetic stimulation;TMS)などがあります。
 例えば,言語システムに外から外乱を与えることはできます。今お話しした磁気刺激TMSは連発刺激をやると怖いと日本では思われていますが,日本以外ではそう思っていないですね。日本でも,二発刺激はやります。刺激部位が的確でタイミングがよければ,誤反応は出ないけれど反応時間は延びる。縮むこともある。もちろんもっとよい方法が出てくる可能性はいくらもあります。
金子 本当の十分条件を満たすためには,外から与えることによって,その人が持っていなかったことを思わせてしまうことが必要ですね。
宮下 それができるわけですよ。
土屋 それはたくさんあります。ただ,それが十分条件を与えているのかどうか難しいですね。例えば薬でやったとするでしょう。それは薬があったので可能になりましたという話ですから。
宮下 なるほど。薬のことについてはどこかできちんと議論したほうがいいですね。
伊藤 今日は脳とこころの関係を複雑なシステムとして科学的に考えるとどうなのかということを議論していただきました。
 いろいろな角度から,魅力的な考察が進む間に,あっという間に時間が過ぎてしまいました。どうもありがとうございました。

 この座談会は,雑誌『生体の科学』で企画された「連続座談会:脳とこころ-21世紀の課題」のうち,「(3)脳における統合の仕組み」を医学界新聞編集室で再構成したものです。
 なお,全3回の全文は同誌第53巻1号に掲載されます。
[週刊医学界新聞編集室]

連続座談会
脳とこころ-21世紀の課題

(1)脳とこころをいかに結ぶか
(第2472号に掲載)
(2)こころと脳の要素との関係
(第2473号に掲載)
(3)脳における統合の仕組み