医学界新聞

 

【連続座談会】
脳とこころ-21世紀の課題

(2)こころと脳の要素との関係


伊藤正男氏
理化学研究所脳科学総合研
究センター所長<司会>
 
藤田道也氏
浜松医科大学名誉教授
<「生体の科学」編集部>
 
深井朋樹氏
玉川大学工学部
情報通信工学科教授
 

田中 繁氏
理化学研究所
脳科学総合研究センター
 
榊 佳之氏
東京大学医科学研究所
ゲノム解析センター教授
 
三品昌美氏
東京大学大学院
医学系研究科教授


伊藤〈司会〉 2回目の今日は,「こころと脳の要素との関係」をテーマに,脳内の細胞,シナプス,遺伝子など,現代科学がテーマにしている要素的なものと,こころとはどうつながっているのかという問題に絞って議論していただきます。脳の中に意識を持った細胞があるかどうかは,最近でも議論になり,要素の1つひとつにこころが宿るという考えは噴飯ものだという考えと,そういうレベルでも何かこころの本質的なものが見つかるはずだという期待が今は混在しているように思います。

こころの定義を

 まず,こころの定義が難しいので,最初にそれを伺っておきたいのですが。
伊藤 こころはそもそも定義が難しいので,自然科学の俎上にのせるのは無理だと言われてきました。しかし,むしろ新しい定義を見つけることが,今,科学の大事な目標になってきたと思われます。この連続座談会の目標も結局はそこにあります。
 少なくともこころがあるというのはどういう条件を満たした時かという議論をすると,自分が何をやっているか見ている自意識,生きていることを感じるクオリア,それと自発的な意思です。人間の場合は,これら知・情・意の3面の集合体を,こころとして見ることができます。チンパンジーやサル,ネコにもある種の意識はありますから,ゾウリムシと人間の両端の間を次第に進化してこころも高度になってきたと考えざるを得ません。ではこのあたりを共通の理解にして議論を進めましょう。

神経回路の可塑性

伊藤 脳の中に,可塑性という要素的な働きがあります。田中先生は,可塑性をもとに,大脳の視覚系の回路網の自己組織性のモデルを作り,大脳のコラム構造ができる過程を理論化し,シミュレーションでも再現しました。そういうアプローチの延長線上のどこにこころが投影できるとお考えですか。
田中 脳の可塑性に興味を持ったのは,これが脳に特徴的な要素に思われたからです。脳では,細胞がシナプス結合してネットワークを作り,お互いにインパルスを送り合って情報処理をしています。この脳の回路と,私たちが通常工学的に用いている回路はいったい何が違うのか。その違いを突き詰めていくと,もしかするとこころも見えてくるかもしれないと思いました。
 そこで最初に,本質的に違うのは可塑性であろうと考えました。電気的回路に可塑性があれば劣化せず,使えば使うほど使いやすくなるはずですが,それは考えにくい。ソフト的にそれを実現することは可能ですが,ハードは劣化するだけでしょう。脳では,ネットワークが能動的に再構築されることもあるし,シナプスの伝達の仕方が情報をよりよく処理できるように変わっていく。そのあたりが工学的な電気回路と脳との違いであろうと考えました。
 可塑性には,記憶学習におけるシナプスの可塑性も,発達期における回路形成としての可塑性も考えられます。最初は記憶学習のそれを理論的に扱いたいと思いましたが,実験でそれを検証しようとした時に途方に暮れてしまう。ニューロンの数は解剖学的にある程度数えることはできても,算定されたニューロンに対して何%ぐらいの数の記憶を埋め込むことができたかは検証不可能だからです。一方,例えば第一次視覚野には眼優位コラムがあったり,方位コラムがあったりして,可塑性によってそういうコラム構造が形成されると考えられていますから,モデルを作って考えた時に,発達の可塑性のほうが理論としては成立し得る。それを実際に数理的に説明できれば,可塑性についての1つの見解が得られるだろうと考え,第一次視覚野を中心にコラム形成の理論の構築を始めました。
 その時の発想として,社会や会社組織における人間の振る舞いをイメージしました。例えば,ある会社員がよく働いたのでその会社の収益があがれば,ボーナスが出ます。よく働いた人はボーナスをもらってさらにがんばるかもしれない。それに対して,あまりがんばらなかった人はボーナスが少ない。場合によっては,がんばったにもかかわらず会社が左前になって,給料を十分もらえずがっかりする。このように社員と,その組織が儲かったか儲からなかったかということが,その後の社員の勤労意欲や,職場における地位に変化を与えるでしょう。シナプスもニューロンという生き物の一部で,決して半導体の中の抵抗やコンデンサーではなく,もう少し合目的に変化するものであろうと考えたのです。
 この考え方は,実はかつて心理学者のヘッブが提唱したシナプスの学習則とかなり似ています。要するにシナプス前側のニューロンとシナプス後側のニューロンが一緒に活動したらその結合が強まるべきである。しかし,シナプス前側のニューロンが活動したが,シナプス後側があまりよく活動しなかった場合には,その結合自体は本来あまり意味がなかったということになり,強くする必要はない。そうすると最終的には,シナプス間の競合によって前側と後側での活動が同時生起したものが生き残って,そうでなかったものはだんだん間引かれていく。会社の組織でも,ある社員がよくがんばって,かつ会社がそれによって発展した時には,彼が将来社長になるかもしれない。そういう発想に基づいてモデルを考えていました。
 また,モデルで考えることはある程度比喩的な表現だったり,生物学的にちゃんと基盤を持ったモデルになっているとは限らない部分も当然あります。そこで,そういったアナロジーの部分もちゃんと詰めるために実験を始めたわけです。
藤田 話が進行する前にお伺いしたいのですが,ニューロン社会における報酬とは何なのでしょうか。
田中 最近,報酬の候補としては,BDNFや数種のニューロトロフィンと呼ばれる物質が出てきています。しかし,その報酬があまねく存在したら競合は起こりません。やはり少量の報酬が適切に分泌されて初めてシナプス間の競合が起こります。ですから,実際の会社の経営でもボーナスをたくさん出せばいいというのではなくて,働きに応じて,それもあまりあげすぎないというのが,会社をうまく回していくコツかもしれないですね。
伊藤 記憶学習の回路網理論は,20世紀に最も成功した仮説ですが,それを延長してその上の段階へあがれるかどうかですね。情動とか意識とか,そういったレベルはまた別の問題があるのではないですか。
田中 シナプスの可塑性は脳の可塑性の一部分であって,おそらくそれ以外のいろいろな可塑性も関与してきます。情報理論的な観点から考えると,情報の圧縮という過程が,海馬とか情動系などで行なっている1つの仕事ではないかと思うのですが,それがシナプスの可塑性にどうつながるかはわからない。私たちは時々刻々いろいろなものを外界から信号としてキャッチしており,その中には個人の生存に重要な情報もあれば,そうでないものもある。どんどん入ってくる情報を全部頭の中に記憶していたら,いくらニューロンがたくさんあってもすぐパンクすることは容易に想像できます。その中で本人の生存に重要性を持つ信号だけを脳が取捨選択して残しておくメカニズムがあるに違いない。その時に情報をいかに圧縮するか。または限られたニューロンで,できるだけ多くの重要な事象を脳の中にとどめていけるかということではないかなと思っています。

脳の物質分子

伊藤 脳の中では,伝達物質,受容体,酵素など多くの分子が働いていて,細胞膜が単なる構造でなく大変な機能を持つこともわかってきました。三品先生は受容体の分子構造の決定をはじめ,この分野で大きな貢献をされましたが,分子生物学とこころの問題はどうつながるのでしょうか。
三品 脳科学と分子生物学の関わりから始めたいと思います。物理学が物質世界を論理的に,要素をもとに記述することに成功した後,一部の研究者は生命を同じ論理で理解する試みを始め,大成功しました。1960年代に遺伝情報の流れがセントラルドグマとして解けた段階で,クリック博士などの先鋭的な学者が脳を分子生物学的手法で論理的に理解しようとする研究を始めました。80年代には遺伝子クローニングにより脳の基本要素の分子的実体の解明が大きく進展し,ご存じのように,京大の沼先生のグループが神経の情報伝達を担う受容体やイオンチャネルを具体的な分子として特定するなど,この分野への日本の貢献はすごく大きかった。90年代になって,利根川先生やカンデル博士などのように,ノックアウトという遺伝子操作の手法を使って,ある分子が欠損したマウスは学習ができるか,情動はどうなるか,そういうことを研究する流れができてきた。もちろん分子と行動の間のメカニズムは大きな謎で,この間はすごく距離がありますが,脳の基本要素である分子と個体レベルの脳機能を結びつけて研究する流れができました。
 私自身は末梢のアセチルコリン受容体の研究の後,中枢のグルタミン酸受容体を手がけ,遺伝子のクローニングとノックアウトにより,実際にNMDA型の受容体をノックアウトすると学習が障害されることを示しました。また,新たに見出したδ2型のグルタミン酸受容体をノックアウトすると小脳の長期抑圧が起こらなくなり,運動学習ができなくなることを示しました。
 学習能力の低下したノックアウトマウスでは,先ほどお話があったシナプスの可塑性も障害されていることから,両者は密接な関係にあるという例が集まってきたのです。ところが,シナプス長期増強が欠損していても学習できる例も出てきた。NMDA受容体の活性化,あるいはグルタミン酸受容体の活性化に続く蛋白リン酸化酵素,転写因子のCREBが記憶学習を支えていることが明確になったのですが,そのメカニズムはブラックボックスのままで,これからの大きな問題です。学習やトレーニングをさせてスパインが増える現象も見つかってきています。シナプスの新たな形成や再編のメカニズムや記憶形成との関係も研究のホットスポットだと思います。
 これらの問題をどう解くかということですが,現在,ゲノムやプロテオームなどの分子の解析技術が進み,中枢のシナプスにある分子がどういうものか,どんどん見つかってきています。問題は,そのような分子がどういう働きをしているかを調べるのは,そうたやすくないということです。つまりうまい機能解析系がないというのが現状で,片端からノックアウトすればわかるかというと,そうではない。そういう段階にいて,いろいろ工夫しておもしろい系を作っているところです。
 脳のシステムを考える時,脳の構造と神経回路が作り出す脳の機能があり,コンピュータのハードとソフトにたとえられますが,脳がコンピュータと違うのは,脳の構造と機能はダイナミックな関係にあって,機能が構造を変えるし,構造が機能を作り出す関係にあることです。そのような変化を可能にする分子があるわけです。NMDA受容体は特定の入力だけを感じ,それをシナプスの生化学反応に変えて伝達効率を変え,場合によっては新たにシナプスを作るように変換する分子です。脳の構造と機能がダイナミックな関係にある分子的な基盤の全容はまだ解明されていませんが,ダイナミックな関係自体が脳の特性を作り出していると思います。
 小脳プルキンエ細胞にだけ発現しているδ2型グルタミン酸受容体のノックアウトマウスの解析からわかってきたのですが,伊藤先生が見出された小脳LTDを欠損したマウスでは,瞬目反射連合学習に障害が起きます。ところが,タイミングをずらしたtraceパラダイムにするとまったく障害は起きない。逆に,海馬大脳皮質に発現しているNMDA受容体の欠損で障害を受ける。つまりタイミングによって脳内で働くシステムが明らかに違うことがノックアウトマウスを比較してわかってきました。従来,瞬目反射の条件づけは小脳の学習に分類されていたのですが,実はタイミングによって他の部位が対応する。分子と回路をもとにして学習行動,あるいは記憶を科学的に定義できるのではないか,というところまできているのではないかと思います。

脳の遺伝子

伊藤 榊先生は,知の遺伝子計画を始められ,脳の問題に接近されようとしておられます。
 現在,遺伝子ゲノムの研究が非常に活発になり,個々の遺伝子を超えてその総体であるゲノムをほとんど明らかにできるようになりました。ゲノムは遺伝的設計図で,生命の基本プロセスはすべて書いてあると言われます。知やこころを生み出す私たちの体の仕組みもやはりその設計図が土台になっているわけですから,当然その基本要素はゲノムの上に書かれているはずです。しかし,要素はわかっても,その量的,時間的,空間的問題はまだ解けない。現在,個々の遺伝子が生体の一連の諸反応の中でどんな役割を果たしているのか,1つひとつは詰めていけるのですが,脳の持つ複雑な機能をゲノムで解いている生体の素反応の集合として最後まで詰められるか保証はありません。こういう問題点を知りながらもゲノム研究者の立場から言えば,とりあえず成分の1つひとつをばらばらに引っ張り出すことが大事であり,技術的にこれができる状況が整ってきています。
 ゲノムが規定する要素,素反応と,生体の複雑な表現型との間を関連づける有力な方法は,遺伝学の方法です。精神的な疾患,こころの病気にはもちろん外的要因が大きいのですが,実は遺伝要因と一定の関与があると思われます。このような複雑な病気や表現型の遺伝要因を突き止める方法がゲノム研究の進展とともに見えてきました。これは相関解析という手法です。手短に言えば,遺伝子のタイプ(配列)の個体差が疾患感受性の遺伝要因と関係しており,患者グループと健常者グループ間の遺伝子タイプの偏りを解析して遺伝要因を見つけようというアプローチです。この個人差を示す配列はゲノム中に約300万種類あります。その中にはあらゆる遺伝子の個人差があり,それを猛烈な勢いで分析するテクノロジーも出てきています。脳を構成する要素,素反応をゲノムから記述する新しいタイプの解剖学と,個人差を使った遺伝学的解析,この両刃によって,こころの問題へもアプローチできるのではないかと思います。
伊藤 300万種というのは身体的な違いですか。
 人間のゲノムは30億塩基もあり,そのうちの0.1%が異なっていて,これが個々人の体質や素質と言われるものや,人種差などに関連しています。そういう意味で,知に関与する遺伝子は多分きわめて多様だとは思いますが,手がかりを得ることができるのではないかと思います。
 最近,私は人間とチンパンジーのゲノムの比較をやっています。ヒトとチンパンジーの違いは,ヒトの個体差より1桁多い約3,000万,配列全体の1%ぐらい違います。相当に大きな違いですが,この中に脳の言語能力や自己決定能力などの違いを生み出す遺伝的な変化があるわけです。ヒトとチンパンジーで脳の構成要素がどう違うのかという問題を通して,人間の脳の特質に迫れるのではないかと思っています。もちろんこの問題はゲノムからだけでは解けませんから,今までの脳科学の研究の方々の知識と絡み合わせながら,また次の新しい試みをする時ではないかと思います。
伊藤 しかし,物性論などで分子,原子レベルのことは結構わかっても,なぜ個体に硬い性質が出たり,やわらかい性質が出たりするかというと,なかなかつながらないそうですね。
 そうです。ゲノムで何でも解けるというのはまったくの間違いで,ゲノムだけでは脳の問題を解けないというのは明らかです。しかし,ゲノムの全体が見えて,まだ際限なく先に未知の物質があるというのではなく,これだけの中で考えろということがわかったことは非常に大きいですね。
三品 遺伝的背景は学習行動に強く影響を及ぼすことは,マウスの行動を解析していてもよくわかります。遺伝的背景が非常に大切だというのは,行動解析をする時の共通の認識です。現在,広く使われているノックアウト法は,あまり利口ではない129系統由来のES細胞からマウスが作られ,学習をテストする時には学習能力の高いB6マウス系統などと掛け合わせてから解析しています。そうすると遺伝背景が多様になって問題があるとの指摘を受けています。私たちの研究室では,最近B6マウス系統でかなり効率よくノックアウトができるようになり,きれいな遺伝子的背景で解析できるようになってきました。ヒトの場合はきれいなスタンダードというのは難しいですが,マウスの場合,遺伝子背景,要するにゲノムのゆらぎ,違いというものに対してスタンダードをおいて,そういう違いがどういう影響を及ぼすか解析できるのが1つの大きな分野だと思います。
 シナプスレベルでも,いろいろ調べると,グルタミン酸受容体にしてもシナプスごとにずいぶん発現量の違いがあります。個々のシナプスの個性はずいぶんあるような気がしますね。榊先生が今,ミクロの分子解剖学みたいなことをやっておられるとおっしゃったのですが,シナプス自身に個性があることが見えてきたのですね。
 昔のモデルでは,受容体に伝達物質がきて,イオンを通して信号が伝わるという単純なモデルでしたが,今はその中に要素がたくさん詰まっていて,しかもかなり大きな複合体を作っている。さらに個々のシナプスごとに個性を持っているとなると,脳の多様性と複雑性は実際はものすごくあると思います。単純なシナプスの0-1,on-offのモデルからは,かけ離れたものを見てしまう可能性がある気がします。
 そういうことを考えると呆然となってしまいますが,私たちは間違いなくこれだけの知的活動ができる体に発達するわけですから,そういう意味では間違いなくそこにあり,それが出発点になるのです。ですから,そこは必ず解けるはずだという信念を持って進んでいます。

神経回路の動態

伊藤 シナプスに始まって,化学物質,遺伝子と辿ってきましたが,脳の中にもう1つあるのは機能的な要素です。振動とか同期とか,ダイナミックに動いている脳の働きの上の要素というのがあります。こういう問題を理論の立場で考えてこられた深井先生にお聞きしましょう。
深井 今ここにAIBOがあったとします。動いている時には光ダイオードが点灯し,止まっている時にはついていなかったとしましょう。でも誰もAIBOに意識があるとは思わないし,その光ダイオードが意識の中枢だとは考えない。仮に,人間が覚醒している時ずっと活動しているニューロンがあったとして,それがなければ意識はないということが実験的に明らかになっても,そのニューロンが覚醒状態を表しているとは言えないと思うわけです。そういう状況を考えますと,こころの発生とか,存在の問題はとりあえず置いておいて,サイエンスがもともと自然をより単純な方法で記述することで発展してきた学問であることに徹したいと思います。つまり,こころの機能面だけを取り出して回路レベルから探ることが,私のできる最大限のことです。
 結論から言いますと,こころの機能をとらえる見方として,同期によるニューロン群の機能的結合というのが意識の座を担うニューロンという考えの対局としてあるのではないだろうかと思っています。同期という考えは昔からあったと思いますが,ジンガーたちが視覚情報処理で部分と全体をどうまとめるかという結びつけ問題を提起したことで,本格的に出てきました(Gray CM et al:Nature 338:334-337, 1989)。
 例えば,視覚野のV1野あたりのニューロンをとると,1つひとつのニューロンの受容野は狭いですから,1個のニューロンは視覚的対象の一部分にしか応答していない。そのようなニューロン群を用いて,複数の視覚対象が存在する中で,個々の物体をまとまりのある全体としてどう認識するかという問題を考える時,ジンガーは,その物体のいろいろな性質に反応するニューロンが同期して活動していることで全体が認識できると考えました。ジンガーは特にγ波と呼ばれる40Hzぐらいの周波数の振動が,結びつけ問題に関係しているとしています。私も同期が物体の認知それ自体に関与しているかもしれないと考え,同期の問題に入ったのですが,いろいろな実験の結果を調べてみると,視覚対象の最初の基本的な表現を作るのに,必ずしもそういった同期が必要だという証拠はないように思われます。視覚野を離れて運動野とか,いろいろな大脳皮質領野でもそういった同期の観察報告はあるのですが,γ波が出てくるのは動物が自分の行動とか周囲の状況にattentiveな状態の時に限られる場合が多く,従ってそういう同期は,上位の中枢から周辺領野に向かって発せられるトップダウン信号に関係しているのではないかと考えるようになりました。
 こころの機能はいろいろあると思いますが,今興味を持っているのは,どうやって目的志向の情報表現を作ったらよいかということです。視覚野にしても,他のどのような感覚野にしても,外界の刺激情報をありのままとらえる能力がなければいけませんが,かなり早い段階で自分の目的に合った情報表現を作っているのではないかと思われます。注意というのはその1つの端的な現れだと思います。そこに同期が関係あるとすれば,一体どうやって同期による入力情報の選択や切り出しが行なわれているのか。また,こころには,外界や自分のモデルを生成する作用があるはずで,そのモデルに合わせて外界の事象や自己の行動の結果に対する予想を作ると思われますが,この過程にも同期が関係するかもしれません。実際,予測可能な事象に対しては,同期発火により「予想」が表現されていることを示唆する実験もあります。このような同期現象は「ユニタリー事象」という呼称で知られ,高次脳機能と同期の関連を示す興味ある実験結果で,私も注目しています。
 またfMRIなどの実験結果を調べると,トップダウン信号の出所として前頭葉があげられていますが,最近は頭頂葉に関する報告もかなりあるようです。その辺の神経回路をモデル化する試みを通して,そういったトップダウン信号の本質がわかってこないかと思っています。
 前頭葉機能にしろ,頭頂葉機能にしろ,脳というのはひょっとすると独立したエージェントとして働くプロセスがたくさんあって,それらが何らかの規則や目的によって統括されながら活性化され,まとまった総体として働くものなのかもしれません。前頭葉を研究している人の中には,前頭葉機能の重要な働きは,実は抑制であるという人がいますが,状況にふさわしくないエージェントを押さえ込んでおく必要があるのかもしれません。
 私はこの考えに対し,次のような視点から興味があります。一連の行動を見た時に,それは協調と選択の連続(の繰り返し)である,少なくとも一面ではそのように位置づけることができるのではないかと思います。協調というのは,例えば何かある選択肢を与えられた時に,何も選び取っていない状況を意味し,次に来る選択に備えて動物が準備している時には,1つひとつの選択肢を残しながら,どの1つにもあまり加担しない状況ができている必要があるように思います。そのような状態の神経回路レベルでの動的表現が,実はそれぞれの選択肢をコーディングしているニューロンになり,ニューロングループ間の同期と関係しているのではいかと想像しています。
 つまり同期は,一種の協調状態と解釈できないこともない。そこへ刺激なり,動機づけが現れると,特定のニューロン群がより強く活動することで協調状態を抜け出し,それにより初めて選択がなされる。もう少しはっきり言うと,この選択に伴って同期から発火率への情報表現の変化が起こっているのではないかと考えています。
 最後に1つ,自分自身でもモデルを考えてみたいし,またこういうことを実験する人にも考えていただきたいと思うのは,こころの機能の定量的記述ということです。定量化というのは,物質科学を発展させてきた基本的な柱の1つだと思いますから,こころの機能も定量化できないだろうかと考えるのです。例えば複数の選択肢が与えられた時に,どういう確率でそれぞれの選択肢を選んでいく必要があるのかという問題には,最適な数学的解を与えることができるでしょう。では実際の動物の行動ではどうなるのか,選択の確率の表現は神経活動のどこに担われるのか。そのあたりがとりあえず次の一歩として取りかかれそうな問題だろうと思っています。

脳の未知の要素

伊藤 今日の討論のテーマとして「新奇な要素はまだあるのか」というのを掲げたのですが,この点を議論してみましょう。
 科学研究にはexplorationとexploitationの2つがある。こころの問題を考える時,今持っている手がかりを徹底的に究めるべきか,まったく新しいものを探索する必要があるのか迷います。MITのミンスキーが昨年筑波へ来たので議論したのですが,私が「脳の中にはまだ未知の要素がいっぱいあるのだから,そういうのを見つけないで脳のモデルなどはできない」と言ったら,彼は「いや,もうみんなわかっていて,これ以上新しいものは出てこない。自分に200台のコンピュータをよこせば,それを並列につないで脳と同じものを作ってみせる」と言うのです。そういう両方の考え方があるのですが,どうでしょうか。
田中 正直なところ,基本的なメカニズムはかなり出尽くしている印象はあります。最近「nature」誌や「Science」誌に発表された“すごい研究”というのを見ると,そう言えばこんなアイデアは昔あったなというところがあります。もちろん分子の世界になると,今までに見たことのない物質かもしれませんが,機能的には前から考えられていた役者が出てきたという印象があるんです。
 こころの問題になると,要素ももちろん大事ですが,それが最終的にどのように共同して現れるかということが重要です。私はいつもこころの問題という時に思い浮かぶのが,メーテルリンクの『アリの生活』という,細かにアリの生態が書かれている名著です。アリ1匹1匹にこころがあるような感じはしないけれど,アリの集団としては何か高度なことをやっているように見える。ある場合には個々のアリが利他的な行動を取り,その結果としてアリの一群を保存するような複雑で組織的な行動が見られる。それでは誰かが指示しているのか,ボスがいるのかというと,どうもそうではないらしい。
 この考え方は,コラムの形成を論じる時の自己組織性に通じるものがある。自己組織化というのは,たとえて言うならばメダカの学校であってスズメの学校ではない。誰かがチーチーパッパやっているのではなく,誰が生徒か先生かわからないメダカの学校風に秩序が形成される。水族館などで魚を見ていると突然ワーッと向きを変えて泳いだりしますが,あれは誰かが号令をかけたのかというと,たぶんそうではないですね。そういう全体として協調して行動するというのを今後いかに説明するか。
 今後どうやって要素を全体に組みあげていくか。その時に自己組織性という考え方をどう取り入れていくか。シナプスの可塑性も,神経活動のsynchronizationについても,シンガーたちも前から提唱している自己組織性が1つのキーワードになるのではないかと思います。私が神経科学に貢献できるところはそのあたりで,自己組織性という観点から要素がいかに全体に影響していくか,そして,集団的な挙動の出現というところに話を持っていければ,もしかするとこころらしきものが垣間見えるかもしれないな,と考えています。
藤田 今の議論はハードウェアとソフトウェアのどちらを重視しているのですか。
田中 脳の話に関しては,ハード,ソフトという分け方は難しいと思います。電気回路だったらきちんと分けられるのですが,どちらともつかないファームウェアみたいなものではないでしょうか。
藤田 チンパンジーとヒトの知的発達の差異というのは遺伝子なのでしょうか。
 私は,基本的なところは,間違いなく遺伝子だと思います。もちろんチンパンジーのアイちゃんの子どもが生まれてずっと教育すれば人間と同じ知的活動ができていくかというと,それはあるところまでは進むかもしれませんが,限界があると思います。ゲノムが,ハードの面をあるところである程度決めている。
藤田 それはまだ発見されていない遺伝子があるということなのでしょうか。
 進化ですから突然まったく新しい遺伝子が生まれるということは少ないと思いますが,かなりドラスティックに変わった遺伝子がヒトにはあるのではないか,さらにそういったものを見つけたところからいろいろな新しいことへ突っ込めるのではないかと思っています。
伊藤 三品先生,orphan受容体などはたくさんあるけれど,人間に独特な受容体というのはあり得るとお思いですか。それとも量だけの問題でしょうか。
三品 生き物はけっこうたくましいところがあって,たまたま増えた受容体をうまく使おうと新しい機能を生み出してくるケースは十分あり得ると思います。基本構造としては新しくなくても,新しい機能を生み出すというケースがある気はしますね。

情動の意味

三品 記憶学習についてもう少し言いますと,人間は,いろいろな情報があったところで,取捨選択しています。この情報を記憶として残すか残さないかという記憶形成の調節を追求していくことによって,情動を科学的に追求できるのではないか。好きなものは覚えますが,嫌なものは覚えない。情動は,そういう意味では,記憶の上流にあるのではないかと思います。
 脳の認知機能は,外界の情報を処理しますが,もう1つ大事な情報として,体の内部の情報があります。脳は,血糖値とか体の内部情報もモニターして,さまざまな反応を生み出しています。体内の情報と過去の記憶,経験と,生命の長い歴史で刻み込まれた情報とが情動を生み出していて,それが記憶を制御している可能性がある。情動はそういう形でアプローチできるのではないかと考えています。
伊藤 薬理学でよく引き合いに出されるのは,セロトニンとうつ病との関係です。セロトニンという物質と躁うつ状態というこころの問題を直結して考えることが多い。ドーパミンと,衝動や動機も直結してやってしまう。それらはこころそのものではない,躁うつや動機や,そういったこころの働きを制御している物質だという感じですね。物質とこころに,こういう非常に密接な関係があるところがおもしろいです。そうかといってセロトニンに憂うつな感情があるというわけにもいきません。関係があることは言えますが,なかなかその2つをつなげることができない。何かつなぐメカニズムがないといけないのでしょうね。
三品 精神分裂病は統合失調症に名称を変更されますが,その治療薬D2ブロッカーが見つかって,こころの病を改善するという,社会に大きな貢献をしました。どのようにして働くかという問題になると,ドーパミンのブロッカーやセロトニン再吸収阻害薬の抗うつ剤にしても,薬を飲んだ途端に直接の作用自体はすぐ現れます。シナプス伝達を修飾するという機能はすぐ出てきますが,実際の抗うつ作用や抗分裂病作用は,1-2週間遅れて出てきます。単にシナプス伝達を変えることが直接病を治すということではなさそうです。薬を投与することによっていろいろな変化が脳の中に起こり,その総合的な結果として改善されている。こころの状態と薬物との距離をどうやって詰めていくかは大きな問題だと思います。伊藤先生がおっしゃったように,こころと思われるような状態も,物質的な基盤があるということをサポートしているのではないでしょうか。
藤田 先ほど三品先生が,ある情報を記憶として残すかどうかの調節が情動の1つの役割だと指摘されました。そのメカニズムについて何かアイデアをお持ちですか。
三品 そのサイエンスはこれからだと思います。例えば扁桃体自身でいろいろな修飾を与えた時に記憶が影響を受けるか,そこを調べていくことは理論的には可能だと思いますね。
伊藤 McGaugh(Science, 287:248-251,2000)の説では,非常に強いストレスにさらされるとノルアドレナリンのレベルが上がってきて,そのため扁桃体の可塑性が強まると言います。

こころを再構成できるか

三品 人間の環境で育てられないと人間の脳にならないとよく言います。では他の動物を人間の環境で育てたら人間になるかと言うと,そうではない。脳のキャパシティは遺伝子が決めている。われわれが使っているのは脳のキャパシティのほんの一部かもしれません。
 私は,コンピュータを200台つなげても人間の脳とは違うのではないかと思います。生物は瞬時に対応できるシステムを作ってきた。ただ単に空調の効いた部屋に座っていくらでも時間を使って正解を出そうというコンピュータの思想とは違います。
 人間は生き物ですから,長い歴史が遺伝子に刻まれていると思う。それが基本的な生きる喜び,美しい音楽がわかるとか,絵がすばらしいとか,生命の営みが根源的な喜びであるとか,生きる力を作っている。だから,情報処理とか,そういうものだけで必ずしも人のこころが理解できるのではなく,生物的なシステムも大事ですね。
深井 私も,200台コンピュータをつなげたとしても,やはり脳はできないと思います。機械でこころの機能をまねて作る気になれば,似ているものはいくらでも作り出せると思いますが,それはこころを作り出すこととは違います。
伊藤 最終的に,こころというものはどのようにとらえることができるのでしょうか。これがこころです,とは言えないものなのか,そのあたりの科学的なものの考え方が間違っているのか,このように物質対こころのような対比を考えてしまうのが間違っているのか。ロボットを進化させるとか,ロボットに生涯学習させるとか,いろいろなことが言われていますが,本当にロボットに意識が出てきたらそういう議論に終止符が打たれるかもしれませんね。
 今まで見つけ出した要素をもとにして脳を合成できるのか,脳を合成できたらそれは意識を持つだろうか,という疑問がありますが,これは正月の夢にしましょうか。
 今日はどうもありがとうございました。
(了)

 この座談会は,雑誌『生体の科学』で企画された「連続座談会:脳とこころ-21世紀の課題」のうち,「(2)こころと脳の要素との関係」を医学界新聞編集室で再構成したものです。
 なお,全3回の全文は同誌第53巻1号に掲載されます。
[週刊医学界新聞編集室]

連続座談会
脳とこころ-21世紀の課題

(1)脳とこころをいかに結ぶか
(第2472号に掲載)
(2)こころと脳の要素との関係
(3)脳における統合の仕組み
(第2474号に掲載)