医学界新聞

 

連載(24)  閑話休題

いまアジアでは-看護職がみたアジア

近藤麻理(兵庫県立看護大・国際地域看護)

E-mail:mari-k@dg7.so-net.ne.jp    


2466号よりつづく

【第24回】遠い世界の出来事からの脱出

 この連載を始めてから2年が過ぎようとしています。「いまアジアでは-看護職がみたアジア」の第1回目は,2000年の正月を迎えたコソボ自治州の地で書きました。そして2年後の今,日本の暖かな部屋の中で,おいしい食事に囲まれて原稿を書いています。時々,あれは夢だったのではないかと思うことがあります。世界中で起きているあらゆる出来事が,日本で暮らしていると遠い話のように感じてしまうのは,きっと私だけではないのでしょう。テレビや新聞などでは,毎日情報があふれているにもかかわらずです。

ポスターに映る日本人女性

 コソボ自治州では,当時,毎日会議の行なわれたUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の事務所の階段を2階に昇ったところに,ある日本人女性が映っているUNHCR宣伝のポスターが貼られていました。そして,世界中から集まっている国際機関や,NGOの鳴り物入りのリーダーたちは,口をそろえて「彼女はとてもすばらしい! 本気で難民問題に取り組んでいる」と話してくれました。それはまるで,彼女と同じ日本から来ているのだから,誇りを持って仕事をしてよいのだと,励ましてくれているようでした。彼女の名前は,緒方貞子さん。
 国際機関等で仕事をする日本人は,他の国々に比べると圧倒的に少ないのです。しかし,外国にいると「緒方さんに憧れて,この世界に入りました」と言う20代後半から30代の日本人女性に多く出会います。ロールモデルとなる,あるいは憧れるような人物が存在することは,その活動がより活力を維持し,継続するために必要であると思います。ですから,世界に広く目を向けた看護職がごく身近に数多く存在していれば,きっと若い世代へのよい刺激になるはずです。

現地の看護職を支援するという役割

 緒方さんは,看護にも決して無関係ではありません。2001年6月にデンマークのコペンハーゲンで開催されたICN(国際看護婦協会)大会において,「ICN保健・人権大賞」を受賞されました。その時のメッセージで,
 「世界の看護に期待することは,難民を助ける現地の看護婦を支援してくださることである。現地の看護職が力をつけるような支援が望ましい」と話されています。
 学者でありながら,世界の現場を歩くことを大切にしてきた方だからこそ,このような現地の看護職を大切にした言葉が出てくるのだと思いました。外国から支援のために訪れた看護職が,現地で努力している看護職を押しのけて直接手を出すことに,かねてから疑問を持っていた私は,この言葉を聞いてすっきりしたのです。しかし,現場では次のような声をさまざまな立場の人たちから聞きました。
 「せっかく私たちは日本から来ているのだから,日本の優れた看護を彼らに見せないと……。医師の診療介助を私たちが積極的に行なっていくべき……」
 「でも,統計を取ったり,資材の調達をしたり,会計やプロジェクトの立案をしたり,報告書を書いたり,看護ではない雑用をやらされている……」
 施設内での看護経験の長い人は,現地において医師の診療介助業務を望む傾向があるようです。あるいは,それが看護本来の仕事だと無意識に信じ込んでいるのかもしれません。

メディアに左右されない現場主義

 外国への医療支援は,人道援助の中では世論にとって最もよくわかりやすく,そして見えやすいためなのか,特にメディアの注目を集めます。地道に,そして長期にわたり行なわれている医療支援プロジェクトは多くあります。しかし,ニュース性がないことは掲載できないし,ステレオタイプな表現だとわかっていても,読者のわかりやすさを重視して,従来の報道の仕方を変えることは難しいと,マスコミ関係者は説明します。
 ニューヨークで起きた悲劇(2001年9月11日に起きた同時多発テロ事件)について,私はテレビや新聞など人の目を通した報道でしか知りません。しかし,この事件で日本も例外なく組み込まれていることを多くの人々が自覚し,皮肉にも世界が近くなったように感じたと言えそうです。
 私は,観光客が激減したというマンハッタンのタイムズスクエアで,2002年のカウントダウンを祝おうと思っています。そして,現実を自分の身体で理解する,緒方さんの言う現場主義をこれからも大切にしていこうと思うのです。
(2001年12月25日脱稿)

コソボの空爆で破壊された戦車の残骸と,そこでいつも遊ぶ若者たち