医学界新聞

 

連載(22)  再びアフリカ編……(4)

いまアジアでは-看護職がみたアジア

近藤麻理(兵庫県立看護大・国際地域看護)

E-mail:mari-k@dg7.so-net.ne.jp    


2459号よりつづく

【第22回】住民参加型プロジェクト(3)

なぞの解明に向けて

 ザンビアに到着して2日目のこと,ジョージ地区(都市郊外にあるスラム地域)のヘルスボランティアの人たちから,「太鼓を叩いたり,踊ったり,歌ったりして楽しく活動をしているのよ」という話を聞きました。その様子は何となく想像できるのですが,具体的にどのような人が,どのように集まり,何をしているのだろうかは,「?」でした。考えれば考えるほどなぞは深まるばかり。そんなある日,地区担当の看護婦から,ジョージ地区の住民を対象に,ヘルスセンターの看護婦が予防接種を,ヘルスボランティアの人たちが子どもの体重測定を行なうために地域に出向くので,「同行していいですよ」と連絡が入り,私もついていくことにしました。
 その日は気温が30度を超え,太陽がぎらぎらと照りつける中,看護婦3名と一緒に,密集した家々の間をくぐり抜けるようにして歩いていきました。みんなは息も切らずに,ビニールや生ゴミの散らかっているデコボコの畦道を,さっさと歩いていきます。日頃から車に乗って移動をするため,歩くことを忘れていた私は,30分以上の速歩きにくたくたでした。
 「すぐそこだから,って言っていたのに……」と,愚痴を言っても遅かったのです。ところどころにある小屋からは,音楽が鳴り響いています。その中には,昼間から酒を浴びている男たちがいて,こちらに目を向けます。まして,迷路のようなスラム地域では,よそ者には引き返すことさえできず,皆についていくしかありません。

健診推進のために

 ようやく前方に人だかりが見えてきました。その広場には,大きな声で唄を歌っているヘルスボランティアの若い男女がいて,彼らを取り囲むように大勢の子どもたちが集まってきています。その声に合わせて,50人くらいの子どもたちも,腹の底から声を出して歌います。力強い大きな歌声が熱気の中に響きわたり,広場をコンサート会場に変えていました(写真1)。
 一方で,広場の片隅にある大きな木の下では,子どもたちの体重測定が行なわれていました。子どもをおんぶしたり抱っこしている若い母親たちは,体重や予防接種の有無を記録する黄色の用紙を手にし,幼子の手を引きながらずらりと並んで待っています(写真2)。
 地域に出向いて測定や予防接種を実施していなかった時は,母親たちは病気でもないのに,わざわざ遠いヘルスセンターに行くことを敬遠し,健診率はとても低いものでした。そこでヘルスボランティアたちは,「ヘルスセンターで待っているだけでは何も変わらない」と話し合い,自分たちで地域へ出向くことを決めました。そして,看護婦にも同行してもらい,子どもたちの健康相談や予防接種を実施することにしたのです。「出張ヘルスセンター」とでも言うのでしょうか,これにより,誰の目にも明らかに受診率は上昇したのです。

 

1住民だからこそ考えられること

 ヘルスボランティアは,地域住民の中から選ばれた人が,6週間にもわたる研修を受けてなれるものです。彼らはまた,継続して知識を深めるため,月に1度の勉強会と定例会を設けていました。しかし,彼らのほとんどには定職がなく,しかもヘルスボランティアをどんなに頑張ってみても給与は出ないのです。ときどきですが,「インセンティブ」と呼ばれるちょっとした交通費や,昼食,ジュース,牛乳などが支給されますが,わずかにそれを受け取ることがあるだけです。
 ヘルスボランティアの活動は,ヘルスセンターの看護婦や公衆衛生士などが,その運営を陰で助け,継続した教育を実施していることで順調に維持できているようです。
 ザンビアからの帰国途中,飛行機の中で思い出したことがあります。それは,以前日本のテレビで紹介された,保健婦が地域の公会堂に出かけていって,そこで演ずる寸劇の様子です。その軽快なコントと健康に関するリアルなたとえに,住民はみんな大喜びで夢中になっていました。この地のヘルスボランティアもその時と同じように,どのような楽しいことをすれば住民が関心を持って集まってくれるのか,そして集まったら,どのようにして健康ということを楽しく知ってもらうおうかと考えているのです。それは,彼ら自身が住民の1人だからこそ,常に住民の立場で考えられるのかもしれません。
 誰のための,そして何のための活動なのかを最もよくわかっているのは住民自身であるということを,私はようやく理解できるようになってきたのです。