医学界新聞

 

【シリーズ】

この先生に会いたい!!


永井恒志さん(金沢医科大学5年)
原まさ子氏(東京女子医科大学教授・膠原病リウマチ痛風センター)に聞く


<なぜ原先生に会いたいのか?>
 一般的に,医学系の大学教員の評価は「インパクトファクター」のように論文などを点数化した形でなされる傾向があり,臨床能力については測りにくく軽視されているように思えます。患者さんは,自分が直接医者にかかるので,主観的ではあっても,その医者がいいか悪いかという評価や判断をされますが,医師自身にはその方法がありません。たいていは論文など研究業績に偏った評価はされるものの,臨床についてはあまりその機会がないと思います。
 しかし僕は,医科大学というのは「臨床」,「研究」,「教育」の3本柱がそろって初めて成り立っているものと思っています。ですから,「この先生の臨床はすごいな」と感じるような,臨床に情熱を注がれている先生に,いつも出会いたいと思っています。そんな中,偶然にも原先生の外来に,朝から晩までつかせていただく機会に恵まれました。そして,最初から最後の患者さんまで,終始一貫して真摯な態度で接しておられる先生の姿をみて,深い感銘を受けました。
 大学教員として,優れた臨床と教育を実践されている原先生に,「良医とは何か」と「今日の医学教育」の2点についてお話をうかがいたいと思いました。

(永井恒志)


医者は疲れを見せてはいけない

永井 初めて先生の外来についた時のことは一生忘れないと思います。朝から晩まで,何十人もの患者さんに一貫して真摯な態度で接しておられて,「疲れないのかな? すごいな!」と……。
 疲れますけどね(笑)。
永井 そうですよね。でも,僕は原先生のような「お医者さん」を初めて見たんです。そしてとても感激しました。本日はまず,先生が,患者さんに向かわれる時に,特に注意していらっしゃる点はどのようなところかをおうかがいしたいと思います。
 医者と患者といっても,人間対人間のつきあいですから,1日何十人も診ていると確かにこちらは疲れてきます。でも,病気を持った患者さんというのは,自分が病気であるということに非常に不安を持っているわけですし,特に私が診ている患者さんは慢性の病気を持った方で,ずっと病人として生活していかなければならない人です。
 外来では,本当に短時間しかお話しできませんが,彼らは何時間も待って,やっと私の前に来て自分の心配なことを一生懸命訴えられるわけです。それをちゃんと聴いてあげないということは,大変失礼なことです。私たちにできることは限られているけれども,少なくとも患者さんの話をよく聴いてあげて,解決にならなくても,少しでもホッとして帰っていただけたらいいなというつもりでいます。
 私が疲れるといっても,健康人が疲れるわけで,彼らの疲れにはまったく及ばないものだと思います。彼らを前にして,自分が疲れを見せてはいけません。
 ですから,本当に医者は自分が心身ともに健康でなければできないなということをよく思います。自分に悩みとか心配事,嫌なことを抱えていたら,それはすぐに出ます。そういうことがないわけではありませんが,やはりできるだけそれは出さないように心がけています。

医者はあきらめてはいけない
常にポジティブな方向に

永井 慢性疾患の場合は,コンスタントにずっと通っていかなければいけませんよね。そうすると,だんだん「治らない」ということに対してくじけてしまって,外来に通うことすら億劫になって,ある意味であきらめてしまうようなところがあるのではないかと思ったのです。ところが,先生の外来を拝見していると,先生は常に患者さんにとっての次のステップを用意していて,次につなげようとなさっている印象を強く持ちました。このあたりは特に配慮されているところですか。
 そうです。事実をそのままに伝えるということは,必ずしも患者さんにとってよいことではありません。「インフォームドコンセント」が強調される時代ですが,患者さんからとらせていただいた情報は,やはり私たちが一定の解釈を加えて与えるべきだと思うのです。データを積み上げて,そのまま「こうだ」と言われても,患者さんは愕然とするだけです。
 そうではなくて,「先月よりはいいわね」とか,「これはちょっとうまくいかなかったけれども,ここをこうしていったらもう少しよくなるんじゃないか」というように,患者さんが前向きになれる材料を見つけ,ポジティブな方向で話をします。患者さんは,絶対にネガティブな方向にしかいきませんので,なるべくポジティブ志向を植えつけるようにするのです。
 そうすると,やはり患者さんもだんだん変わってきます。まず,自分が病気だということを受け入れるところから始めないと,病気に対抗できないわけですよね。特に私の受け持つ膠原病のような病気は,最初に病名を聞いただけで患者さんは「不治の病だ」と愕然としてしまいます。そこから始めるわけですから,この病気はどういうもので,治らないといってもコントロールできるのだということを伝え,「私たちはお手伝いするだけで,病気に立ち向かうのはあなたですよ」ということを受け止めていただかなければなりません。
 初診で病名を告げて,病気の説明をするところからだんだんに受け入れて,元気に通って来てくれている人はたくさんいます。客観的にみると本当に悲惨な状況であっても,患者さんたちは一生懸命なのです。ですから,先に医者があきらめてしまってはどうしようもないのですね。患者さんに,あきらめずに治療を続けてもらうためには,その人がどういう人かをある程度見極めて,ものの言い方や捉え方にも気をつけないといけないとは思っています。

良医は名医でなければならない

永井 「良医とは何か」ということが特に近年盛んに議論されていますが,原先生ご自身は,「良医」とはどのようなものと考えておられますか。
 私の師匠である本間光夫先生(故人,元慶應大学教授・内科)が私に教えてくださったのは,「『あなたにかかって死ぬのならいい』と患者に思わせる医者になりなさい」ということです。1つには,きちんとした医師としての知識と技術が基盤にないとダメでしょうね。もちろんそれは患者さんの信頼を得るためにも必要なことです。患者さんに,「この先生にダメだと言われたらしょうがないな」と思ってもらうためには,医療技術の面がまず第一で,その上で,本当にやさしくて,自分のことをよく考えてくれる人であることでしょうね。ですから,人間的にも信頼してもらえるということと,医師として技術がしっかりしていること,私はこの2つが大事だと思っています。
 名医というのは,技術がしっかりしている医師という意味だと思うのです。ですから,「良医は名医でなければならない」と思うのです。
永井 それを含んでいるということですね。
 もちろん,研究をたくさんして,業績もたくさんあって,病気の原因を発見したり,技術もすごくて,例えば人ができない手術もできるというのも名医と言われますが,そこまで名医である必要はありませんが,技術的にしっかり信頼できて,少なくともアベレージには達していないと良医のベースにはなりません。よく「贋(にせ)医者がいちばんいい医者」と言われます。これは,患者さんにやさしくて,思いやりのある医者ということだと思いますが,これには技術が伴っていないわけですから,それでは良医とは言えないわけです。
永井 両方を兼ね備えてこそ,ということですね。しかし,その一方で実際には特に技術面ばかりが強調されているように思えます。
 そうですね。評価できるのがそちらだけだからでしょうね。でも,患者さんはその2つをはっきり評価しています。

医学教育は伝承芸術
多くの人から学ぶべき

永井 実際の外来での患者さんとのやりとりでは,その評価というのは現れてくるものなのでしょうか。
 患者さんの口コミは大変なものです。同じ病院の中でも,患者さん同士の情報交換はあります。でも,それも絶対というわけではないと思うのですね。「私にとっていい先生」というかたちで彼らは評価していくわけです。先ほど言ったように,相性が合う,合わないということがありますのでね。
 ですから,業績等でしたらペーパーだけで評価できますが,これはなかなか数字で表すような評価にはならないですね。患者さんでも,医師同士でも,直接その人のやることを見て,知らないと評価できないものですよね。
永井 そのような部分は,患者さんにとって技術と同じくらいに重要なことですよね。しかし,それは医学教育にはほとんど入っていません。
 それはたぶん難しいですよね。言葉で教えることはできないでしょう。
永井 教育の場では,「臨床医は人間としての幅が広いこと,視野が広いことが重要だ」と教わりますが,それでは具体的に何のことを指しているのよくわかりません。ところが,実際に患者さんと話をしていると,同じベッドサイドラーニング(BSL)で回っている学生でも,「話がどんどん広がって,どんどん話したくなる学生」と,「まったく話す気にならない」という学生がいるようで,患者さんはそれをはっきり指摘されます。患者さんの受け止め方は非常に繊細で鋭いと思いますが,その重要な部分が教育の中には入っていないのが残念です。
 おそらくこれは医師としての教育ではないと思うんですね。人間としての教育なので,本来は大学に来る前に親がしなければいけないことではないかと思うんです(笑)。ただ,患者さんに接する時にはどうしなければいけないかということは,昔から「医学教育は伝承芸術だ」と言われているように,マンツーマンで教えていくしかありません。だから,一緒に患者さんを診るとか,外来の勉強をするのだったら,永井さんのように誰かについて,それも偏るから,1人ではなく複数の先生について,患者さんの診方を学ぶことでしょうね。
 私が教育を受けた時には,学生の時にも外来の各教授につきましたし,その教授の周りには上から下まで何人もの先生がついていて,カルテを書いたり,患者さんに説明をしたりしていましたから,その脇についてアナムネ(問診)を取るところから一緒にやらせてもらって,患者の診察やカルテの書き方も一緒にやりました。研修医になれば,教授の周りにいる何人かのいちばん下っ端につくことになるわけですが,その時にはすぐ上の先生が傍にいて,足りないことをいろいろ教えてくれます。それを経て,やっと自分で患者を診ることができるようになるわけです。
 しかし,今は大学病院自体が忙しくなりすぎ,このような教育のプロセスが省略されてしまう傾向にあるので,「外来を見せてほしい」という学生さんや研修医の人が来れば,永井さんと同じように患者さんを一緒に診てもらうようにしています。これは絶対に必要なことです。

人の能力を引き出すのが教育

永井 日本の医学教育は今まさに変革期にあり,各大学でさまざまな試みが一斉にされています。特に女子医大はチュートリアル教育の導入が早かったようですね。そのような最近の動向も踏まえて,医学教育をする側,つまり先生の側からみて日本の医学教育はどうでしょう?
 「日本の大学は教えることはしていても育ててはいない」という言い方をアメリカの方にされたのですが,先生は,その「育てる」ということについてはどのようにお考えですか。
 たぶん,今の日本の教育全体が「教」の部分ばかりではないかと私も思います。理想的なことを言えば,それぞれの人の能力を十分に引き出すのが教育だと思うんですね。教えて学ぶものではなくて,本人が学ぶという気にならないといけないものですから,学ぶ気になるように,それぞれの興味を引き出して,なおかつそれぞれの能力は違うので,能力のないところばかりを,「おまえはここが足りない。ここをやれ」と言うのでは教育ではないと思います。もちろんそこはある程度埋めてもらわなければ困るけれども,伸ばせるところを伸ばしていくとついてくるような気がするのです。しかし,これは,あくまでも本人がやる気を持ち,興味を持つことが前提です。
 それから,その人は知らないかもしれないその人のいいところや能力のあるところを,いかに導いていくかということですね。なるべく本人に悟られないように,ということはあるのですが……。無理やり,鞭を持って「やれ!走れ!」と言われても,これは苦痛以外の何ものでもないわけで,だんだん勉強が嫌になりますよね。

チュートリアル教育の利点

 医学部の勉強はあまりに覚えることが多すぎます。おそらく,年々増えていて,私の頃よりも永井さんの時代のほうがずっと多くなっていると思います。私も,学生時代は覚えることにキュウキュウとしました。しかし,実際の場に出た時には全部忘れてしまっていたのは,学ぶことが系統だっていないからだと思います。医者になって,患者さんを診た時に初めて,「解剖学をあそこでちゃんと覚えておけばよかった」とわかるのだと思います。
 女子医大のチュートリアルがよいと思うのは,教育が統合的になっていて,例えば1つの病気を勉強する時に,その基礎から臨床までが系統だっていることです。基礎は基礎で勉強してそこで切れてしまうのではなく,生理学,生化学から臨床までいろいろなものを積み上げたかたちで,自分で学ばせるという形をとっています。
 ですから,それぞれが疑問を持って,「あれはどうなっているだろう?」ということをチューターがうまくガイドしながら,間違った方向にいかないように,必要なものは全部揃えてくるようにリードします。自分で考えて資料を探してくるわけですから,よい方法だと思います。手のかかる教育ではありますが,学生は興味を持って学べると思います。
永井 そうですね。基礎をやっている時に臨床をやっていないと,基礎がどう臨床に活かされるかがわからなくて,基礎もつまらなくなってしまうところがあります。
 解剖だって,部分の名称を覚えるだけでは,それが実際どうなるのかはその時点ではわかりません。
永井 ただ覚えているだけで,学生にとっては「らしいね」という感じです。それが臨床にいくと,その重要性がわかります。「この時にはこれが重要。しかし,この場面ではこっちが重要だ」というように,同じ重要でもカテゴリーが違います。それが見えてくるから,「解剖は重要だな」と気づいて,そこで初めて頭に入ります。ですから,チュートリアルのやり方は,僕もとても賛成です。しかし,一方でこの学び方には自学自習に膨大な時間がかかるということを覚悟し,それを前提としてカリキュラムを組まないと,その効果は発揮されないですよね。
 ええ。ですから,自由時間をたくさん与えなければなりません。その結果,女子医大では,系統講義をかなり外しています。これは勇気のいる決断です。教員も学生も不安になりますから。しかし現在,女子医大の系統講義はすごく出席率がよいのですが,他大学では系統講義をやっても学生は出てこないようですね(笑)
 女子医大では,チュートリアルを始めて最初の医師国家試験の時に卒業生の結果がどうなるか心配したのですが,それが非常によかったので自信を得て,それからずっと続いているのです。

○×式勉強の限界

永井 ある内科の教科書を指定して,これを年間3回ひたすら読むことを盛んに奨める先生もいらっしゃいます。しかし,僕は「それは嫌だ」といって聞かなかったのです。おもしろくなかろうが何だろうが読みなさいというやり方をしたら,医学に対する興味が持てなくなってしまうと思ったのです。すると,吸収が悪くなるし,努力する力が出てこなくなる。僕は,あくまでも自分の医学に対するイメージをポジティブな状態に保って,ネガティブになるようなことは絶対に避けたいと思ったんです。
 苦痛ですものね。私も,「試験に受からないと医者にはなれない」という思いだけで(勉強を)やったことがあります(笑)。もちろん,おもしろくなくとも,最低限学ぶべき部分というのは確かにありますが,自ら学習の対象を見出し,意欲的に勉強していく人は,自分でどこまでやらなきゃいけないか,自分には何が足りないかがわかるはずです。そのような姿勢で取り組んだ人と,そうではなく与えられたことだけやった人とでは,本当に患者さんを診る時に差がつきます。
 患者さんを診る時には,「なぜだろう?」とまず思うことが必要なのです。原因がわからない病気に対して,「なぜ起こるのか,どうしたら治るのか」という,それがあるから,その後に研究をしようという気も起こるわけです。あるいは,疾患というものは公式どおりではないですよね。教科書に書いてあるとおりにいく病気なんてそれほどないわけですから,何かにつまずいた時に自分で考えることができずに,どうしたらよいかがわからないようでは,臨床の現場に対応できません。ですから,大学受験も国家試験も○×式ですが,それだけで勉強してしまった人は,○でもない,×でもないという時に非常に困ってしまうわけです。それは大きな弊害だと思います。

なぜ日本には天才が生まれないか

 私も偉そうなことは言えないのですが,日本で天才的な人が生まれないのは,そうやって自分でものを考えて追究していると落ちこぼれちゃうからだと思います。
永井 試験勉強では「もう,このへんにしておかないと……」と,ある意味でセーブをかけなくてはいけないですものね。
 昔,天才と言われたような人は,好きなことをずっとやっていたために,特殊な能力を持っていて,他のことは全部抜け落ちていたとしても,やっていける。今の教育はそのようなチャンスを潰している,本当に能力のある人をつぶしている可能性があると感じています。確かに底辺を上げはしましたが,上を切っちゃっているのです。悪平等だと私は思っています。

医学部は職業訓練学校
プロをめざす意識を持て

永井 こういう状況の中で,学生としては医学に対してどういう姿勢で臨むべきか。先生はどう思われますか。医学に限らないかもしれませんが,特に医者になるにあたって,どういうことを重視してやっていくのがいいでしょうか。今は,試験至上主義の傾向がありますが。
 必要最低限の枠というものをもっと明確にして,かつ少なくすればよいと思います。医師として絶対に持っていなくてはならない技術というものがあるわけです。それを学生時代に学ぶ必要は絶対にあります。そこをクリアしないことには,さっき言ったような良医にもなれないわけです。
 自分はどういう医者になりたいのかを明確にすることも大事ですが,まずは「自分は医者になりたいのだ」という意識をしっかりもつことと,そのために必要な勉強(何の勉強をどのくらいしなければいけないかということは,教師がちゃんと明示しなければいけないことだと思いますが)をしなければなりません。そこをクリアしたかどうかを調べるのが試験なので,それは評価と必要となるのはやむを得ないでしょう。
 私は,医学部は職業訓練学校だと考えています。プロを育てるところです。例えば他学部だったら,その学部を出てから何になるかを決めるわけでしょう? 医学部は,そこに入った途端に医者以外の道は何もないんです。途中でやめたら何のつぶしもきかないのですから。もう一度入り直せば別ですが,他に転換はきかないです。医者になるためだけの学部ですから,その覚悟は持たないといけないと思います。「成績がいいから医学部に行こう」という,そういうバカな考えはやめてほしい(笑)。
 頭のよさは要らないんです。必要最低限度というのはありますが,はっきり言ってクリエイティブな仕事ではないんですよ。クリエイティブな仕事をしたいと思えば,別の学部に行ったほうがいいでしょうね。まずは,“人間の修理工”なんだというところから始まります。その上に医学の研究をするという道もあり,そこはクリエイティブな部分ですが,自分のベースがどこにあるかは,しっかりと認識しておく必要があります。頭がよければなれるような仕事では,決してありません。

失敗を恐れずに好きなことを選べ

永井 最後の質問なのですが,上級生になると進路を決めなければいけなくて,けっこう皆,考えて悩んでいるんですが,先生から医学生に対して,進路についてはこういうふうに考えたらいいということがありましたらアドバイスをお願いします。
 私は,一生やる仕事なのですから,自分が興味を持ったり,好きだなと思うことを選べばよいのではないかと思います。それがわからない間は,いろいろ見て回ってもよいと思うのです。
 好きでないと努力するのが苦痛になります。諸般の事情で制約を受ける人もいると思いますが,目先の利害にとらわれないで,まずはやりたいことをやって,たとえそれが違ったと思っても,5年や10年は取り返しがつきます。そこからもう1回別の科にいくなり何なりしても遅くはないです。
永井 いろいろな社会的な条件や制約があり,悩む人も多いです。例えば,経済的なことを考えたり,学閥や将来性のようなものについても学生は敏感です。
 なるほど。しかし,それは考えないほうがよいです。医療の世界は閉鎖的で,大学の医局員は上から下まで全部単一と思われがちですが,仮にそのような中にあっても,一生懸命やって,成果を出していけば,評価は得られると思います。医療といえどもやはり競争社会です。「あの人はうちの大学の卒業生じゃないから」なんて言われることはあり得ません。
永井 今後医師としての質が問われる時代になってくると,どこを出たとか,そういう力関係でやっていたら,やっていけなくなるということでしょうか。本人の能力を最重視するというかたちになるということですか。
 そうなっていくし,すでに,どこの大学でも新しい血を入れようという努力をしています。これまで日本では,あまりあちこち変わるのを好まなかったけれども,今は,キャリアの中にはどういうところを歩いてきて,何をしてきたかということが含まれる時代になりつつあると思います。ですから,「あそこの大学はこれがすごく進んでいるから,そこで勉強をしたい」と思えば,国の内外を問わず出ていけばよいと思います。卒業間近の人たちは特に,まだ若いんだから,今しかできないと思うことをやってほしい。失敗しても取り返しのつかないようなことにはならないと思うんですよ。今,若い人がちょっと臆病になっているような気がします。

将来へのきっかけをつかむ

永井 自分の適性がどの方向にあるか,を見定めるにはどうしたらよいでしょうか?
 学生の間にいろいろ回りますよね。その時に,自分がもしこの科を選んだらどういう仕事をするのか,どういう環境に自分が置かれるのかということはイメージできますよね。それにプラスして,「適性はどうかわからないけれどもやりたい」と思ってることがあると思うんです。例えば私は,なるべく人間を丸ごと全部診られる科に行きたいと思っていたんです。すると内科か,一般外科かと考えました。
 外科の「切った貼った」は好きなのですが(笑),体力を考えると,ずっと続けるにはしんどいかなと思って,それで内科に行こうと決めたんです。内科の中の何をやろうかと思った時に,最初に教えてくださった本間教授の講義がおもしろくて,とても興味を引出すように教えてくれたことと,学生と研修医時代に教えてくださった安倍達先生(現在埼玉医大総合医療センター名誉所長,埼玉医科大学名誉教授)の影響が大きかったですね。
 安倍先生は,自分の病院だけではなく,他の病院に興味深い症例の患者さんがいると連れて行ってくださったり,同級生何人かで抄読会をやってくださったり,外来を見せてくださったりして,私はそこで学びながら「膠原病はおもしろいな」と思ったのです。研究室で実験をやっているところも見せていただいたりもして,そういうきっかけがありましたね。
永井 学生も,なるべく多くそういう場を経験できるように,自分からもいろいろアプローチしていくことが重要ですね。
 そうですね。最近は,永井さんをはじめ,学外から見にきてくれたり,女子医大の卒業生の中でも,夏休み期間に見にくる人がいます。それで入るとは限らないけれども,興味を持って来てくれるのはすごく嬉しいです。自分の興味がどこにあるか見出すためにも,ぜひ,学生のみなさんには,他の大学や病院にも見学実習に行かれることをお勧めします。
永井 本日はお忙しい中,ありがとうございました。




 永井恒志さん
金沢医科大学5年生。大学入学以前より教育学に関心を持つ。入学後は自らの経験を通じ医学教育に関し積極的な発言と活動を行なっている。全国規模のメーリングリスト「ともに医学を学ぶ医師と医学生のためのメーリングリスト」(東海大6年 市村公一氏主催,本紙2409,2446号参照)でも積極的に発言を行なうほか,第9回日米保健医療シンポジウム学生セッションでは副総括と広報部長を務めた。「『あなたはこの先生に診てもらえて本当に運がよい』と言われる医師になりたいですね」と将来の夢を語る


原まさ子氏
1969年慶大医学部卒。69-77年同大附属病院内科助手。77-79年英国Kennedy Institute of Rheumatology,Immunology Divisionに留学。79-91年防衛医大第1内科講師。91-96年東京女子医大附属膠原病リウマチ痛風センターおよび青山病院助教授。96年より同教授。専門分野は内科,リウマチ科,膠原病の臨床とその免疫学的検討。日本リウマチ学会,日本臨床免疫学会等,各学会で評議員を務める。大学教授として教育・研究にあたると同時に,優れた臨床家として知られ,患者からは絶大な信頼を寄せられている