医学界新聞

 

〔座談会〕理学療法の近未来予想図

臨床・教育・研究の立場から


奈良 勲氏
広島大学教授・理学療法学専攻/
日本理学療法士協会長=司会

半田一登氏
九州労災病院
リハビリテーション技師長

鶴見隆正氏
広島県立保健福祉大学教授
理学療法学科

伊東 元氏
茨城県立医療大学教授
理学療法学科


■20世紀を振り返り,21世紀を語る

奈良(司会) 本日は,「理学療法の近未来予想図」と題して,理学療法のさらなる発展に必須の,臨床・研究・教育の一本化に焦点を絞ってお話いただきたいと思います。
 さる5月24-25日に,広島で「第36回日本理学療法学術大会」が開催されました。21世紀最初の年にあたることから,「20世紀を振り返り,21世紀を語る」と題したシンポジウムが企画され,私はシンポ1の座長を務め,他領域の先生方から理学療法及び理学療法士への注文・アドバイスを受けました。またシンポ2では,臨床・教育・研究の3領域に分かれて,それぞれシンポ1と同テーマで議論が展開されました。本日は,各領域の座長にお集まりいただき,21世紀の近未来予想図についてお伺いしたいと思います。
 理学療法士は,1965年に「理学療法士法・作業療法士法」が制定され,スタートしました。それに先立つ1963年,日本で初めての3年制専門学校ができ,理学療法士の教育が開始しました。36年たった現在,社会的ニーズの高まりから養成校が130を超え,現在の1学年定員は5000人近い状態です。その20%が大学における理学療法学を専攻しています。さらにまだ一部ですが,大学院教育も実現しています。
 臨床における理学療法は,当初は整形外科領域の疾患との結びつきが強かったのですが,現在ではあらゆる領域の疾患がその対象になってきました。さらに,わが国では高齢化が進み,これまでの保健・医療・福祉における縦割り式の傾向から,総合化に向いつつあります。これに伴い,理学療法士の活動の場も,これまでは医療機関に限定されていたものが,保健・福祉領域にも広がってきています。
 研究については,その数もさることながら,より科学的な研究が増えていることから,科学としての「理学療法学」に徐々に近づきつつあると思われます。1999年5月に第13回世界理学療法連盟国際学会が日本で開催されたことは,日本の理学療法学のレベルが国際水準に十分到達したという1つの大きな証ではないかと思います。
 このような経緯から,今後,理学療法をどのように発展させ,臨床・教育・研究をどのように統合化すべきかについて,学会のシンポを踏まえてそれぞれのお立場からお話しいただきたいと思います。最初に,「臨床」について,半田さんからお願いします。

臨床における評価と速効性

半田 シンポでは最初に,「臨床」という言葉の定義を考える必要性が指摘されました。今後は現状に適した概念を作り上げていく必要があります。今は,教育と研究以外はすべて「臨床」という言葉でしか言えておらず,そのこと自体が問題ということです。
 これを踏まえて,今後は理学療法における「効果」が問われるのではないかと語られました。さらにシンポジストから,「慢性期あるいは在宅にかかわっていると,効果判定のための評価方法がない」という意見も出されました。医療機関なら「筋力がついた」「歩けた」など確実な言い方で評価できますが,在宅分野における評価方法がなく,それが今,求められているのです。
 「臨床・教育・研究の一本化」という中で,理学療法は,心理・社会的な部分を含めて対応することから,今までの医療と異なった評価法を作る必要があるのではないか,という大きな結論が導かれたと思います。それを確立できれば,これからの理学療法の発展があるということです。
 また,先に公表された医療制度改革案では,患者さんの個人負担が増えつつあります。そうなると,どうしても「即効性」が期待されます。今日受けた理学療法でどこまで治ったのか,それに対していくら払うのかが問われ,今までと同じでは駄目だという指摘がありました。これには私もまったく同感で,将来に向けて,われわれの治療技術の即効性を目標としなければならないと思います。

臨床と研究のフィードバック

奈良 「研究」の領域ではいかがでしたか。
伊東 「臨床・教育・教育の一本化」と言っても,現実には難しく,かえって分化している印象を受ける,という指摘がありました。研究とはお金がかかり,特別な人が行なうものという印象を持たれていることも,その現れではないかと思います。それをどう解決していくのかが議論になりました。具体的な中身として,最近広く言われるevidence basedの実践の必要性や,臨床と基礎研究をどのように相互にフィードバックしていけばよいか,さらに臨床の中からどのように研究を行ない得るのか,といった事柄が話し合われました。
 これらは答えが出たわけではなく,多くの宿題を抱えています。もう一度自分たちを見直し,理学療法とはいったい何かを問い直してみるよい時期かなと思います。

将来の教育制度を見据える

奈良 「教育」ではいかがだったでしょう。
鶴見 まずは,理学療法教育の体制と質について話し合われました。現在,大学20校,短大10校,3年制あるいは4年制の専門学校が101校で,毎年約10校ずつ増えてきています。その中で学生あるいは教員の質,教育の方法論も現状のままでよいのか,という点について議論がなされました。
 次に,現在,1学年定数は5000人で,彼らが全員一斉に臨床実習をするには,実習施設をどのように確保するのか,実習教育を臨床現場だけにお任せしてよいのか,という実習教育の質に関する意見の他に,臨床指導者の位置づけとして臨床教授や臨床講師などの身分的な制度を作る必要があるのではないかという話がありました。
 3つめには,「生涯学習」があげられました。これは協会の生涯学習システムプログラムが1997年から実施され,新人教育プログラム,生涯学習基礎プログラム,そして7つの専門理学療法領域が立ち上がって,確実に動いています。今後は,それをいかに効果的に進めるかであり,交通の便の悪い地域の人たちや多様な勤務形態に対応した生涯学習の場を提供できる工夫を望む声もありました。
 理学療法士の教育は,ここ10年で大きく変動していますが,教育制度と質,臨床実習教育,生涯教育の3領域の合体化が,理学療法士の21世紀の近未来に大きく影響すると思います。

よりよい理学療法士を育成する

奈良 基本的には,教育期間は「3年以上」となっていますが,将来的にはすべてが4年制大学になることが理想です。しかし,物理的に厳しいものがあります。
 そのような中で,教育年限を少なくとも4年以上にするという考え方もあると思います。それと,2年前の大綱化に伴い,専門学校卒業者に対する編入制度が導入され単位制になり,単位互換性となったことから,専門学校から4年制大学への編入が可能になりました。そして教育内容が提示され,各養成校の責任の下に自由裁量権が拡大しています。
鶴見 1992年から広島大で4年制教育が開始され,今後はより大学教育が拡大するでしょうが,専門学校における教育には多様性があると思います。4年制大学の体育学部や教育学部などを卒業した人が,「理学療法を学びたい」という時に,時間的にも専門学校のほうが有利ですし,また工学や社会福祉など他領域を学んだ学士入学者が増えることは,現役で入学した学生にとって刺激的な面も多く,専門学校の中で学際教育が萌芽してくるのではないかと思っています。
 現行の大学,短大,専門学校の3教育制度のうち,いずれの制度に定着するかは,それぞれの教育機関が教育理念や目標を明確にし,どのような理学療法士を育成するかに加え,理学療法を受ける国民や保健医療界などの評価によって,おのずと理学療法教育の制度は固まってくると思います。

■理学療法のめざすもの

理学療法の独自性

奈良 私は,理学療法の起源はヒポクラテスにまでさかのぼると思っています。西洋と東洋で異なりますが,自然のエネルギーを理学療法の治療手段として使うことから派生していると理解しています。
 また,科学の発展とともに薬物療法や外科的治療も発達しました。最初は看護職が医師の診療を援助していました。それが分化して,理学療法士という専門家が養成されるようになってきました。
 その一方,「リハビリテーション」(以下,リハ)という概念が医学と結びつき「リハ医学」となりました。理学療法は従来独自の領域でしたが,この流れからリハとの関連で行なわれるようになってきました。
 それはよいことですが,現在ではあまりにも「理学療法=リハ」となっているのではないか,という問題があります。この中で今後,理学療法はどこまで独自性を出していけるのか,あるいはリハ医療・医学という側面から活躍できるのか,われわれは整理していく必要があると思っています。
半田 奈良会長は「理学療法に関連して『訓練』という言葉を使わないようにしましょう」とおっしゃっていますね。最初は戸惑いもありましたが,これからの理学療法学を考えると,「訓練」という言葉は確かにふさわしくないですね。
 もう1つは,リハという言葉の中に理学療法が埋没してしまっている現状には驚く思いがあります。リハは治療手段でありませんし,そのあたりを整理するところから,われわれの仕事を見直すことが必要です。
 シンポでも試案として示しましたが,例えば,整形外科で「小指を骨折した」という時に,理学療法士だけが関与する分野として,完全に理学療法の立場で考えて,それを学問として系統だてる必要があるでしょう。そこを明確にすることで,研究や教育の方向性がはっきりしてくるだろうと思いますし,ぜひそうなってほしいと思います。

「基礎理学療法学」の展開

奈良 伊東さんは,『理学療法学』誌(日本理学療法士協会発行)の編集長を長い間務められ,研究の動向や質を見てこられました。まだ概念が十分に確立されていないと思いますが,大綱化の中で「基礎理学療法学」という名称が出てきました。医学教育では長年にわたって,大きく基礎系と臨床系の講座がありますが,理学療法学でも一部の大学では,臨床系と基礎系の講座に分けられています。
 今後は,「基礎理学療法学とは何か」をきちんと系統づける必要がありますし,またよい意味で科学としての理学療法学へと進んでいるのかについても,検討すべきです。その際に,自然科学的な発想だけにとらわれず,人間を総合的にとらえるための人文科学,社会科学などの領域とどう関係づけていくのかがキーとなります。特に,保健・医療・福祉という広がりの中では,狭い意味の科学的手法だけでは対応できないと思いますが,いかがでしょうか。
伊東 難しいですね(笑)。理学療法は,今までの考え方では「身体を中心にして考えてみよう」ということで,当然,医学がその基礎にあると思います。しかし「基礎理学療法学」は,決して医学だけを基礎にするのではなく,社会科学や人文科学などの領域と関連づけて捉えていかなくては,障害を持つ人に対応できないのではないか,という共通のコンセンサスができつつあると思います。

シングル・ケース・スタディの重要性

半田 一方で,「シングル・ケース・スタディ」が,なぜ理学療法士の世界で増えていかないのかを検証する必要がありますね。社会学的・自然科学的側面でも,あるいは人間をトータルな存在としてとらえる観点からも,シングル・ケース・スタディは有効な手段だと思いますが,10年前と比較してそれほど学術大会で増えているとは思えません。
 その点で,今の若い世代に向けて,種をまいて育てる,きっかけを与える必要があるのではないかという気がします。
伊東 誤解があるといけませんが,evi‐denceを作る段階でのシングル・ケース・スタディは意図的なもので,コホート的にあるデザインを組んで始めます。それは,教育を受けて身につけることだと思います。ケース・レポートとして,これまで経験した事柄をきちんと整理することが第一だと思います。ケース・レポートの積み重ねで,はじめてケース・スタディがきちんとできるのです。しかし,「シングル・ケースでデザインを組んで研究をしてみましょう」と言っても,これはすんなりいきません。
鶴見 シングル・ケース・スタディについては,臨床現場でのカンファレンスによる1例報告が原点だと思います。例えば「今日のカンファレンスにおける自分にとっての新しいポイント-なぜ変化したのだろう」など,日々の臨床を前向きに取り組む姿勢が,シングル・ケース・スタディにつながってきます。この疑問や発見を,職場のチーフが若い人と一緒に症例報告するようなシステムが大切だと思います。まとめあげたら,『PTジャーナル』誌に投稿して意見交換したり,また1例報告の積み重ねなくして,「evidence」を自前で抽出することはできません。したがって,惰性的なカンファレンスにならないようチーフは留意すべきです。
伊東 現在,「evidence based」という言葉が独り歩きしていて,「根拠に基づく臨床活動」にウエイトがかかりすぎてしまっています。「evidence based」とは,根拠に基づいたevidenceを使う立場だけではなくて,evidenceを作る責任も含まれています。それが行なわれるのは研究と同時に,臨床の場なのです。
 それが,ランダム化比較試験を行なったものを寄せ集めてきて,メタアナリシスをかけることばかりに注目してしまうと,誤解が生じます。そこで濾過された事実だけを使うのではなく,1例でもそこに事実があるという積み重ねがなければ,本当の事実なんて出てきません。それを受けて臨床研究,いわゆる研究を専門としている人間が,デザインから構築していく形の研究もあるでしょう。そのような方法論を,自分たちがどう持つべきかが問題になります。それは教育の責任になりますね。
鶴見 学術大会の演題申込みは1000題ほどあり,そのうち850題前後に審査で絞られ,年々その演題数は増えています。動物を用いた基礎的研究もあれば,電気生理学的な観点からの臨床研究など,実に多彩です。しかし,より発展するためには卒後の研究支援体制の充実が必要です。10-15年と臨床や地域現場での活動を重ねてきた人たちが新しいテーマを持って大学院で学んだり,大学と連携して研究するというシステムができれば,より幅広い研究へと発展すると思います。

プロフェッショナル確立の意味

奈良 「臨床・教育・研究の一本化」を他の言葉で表せば,専門家としてプロフェッショナリズムをいかに確立していくか,になると思います。その1つの要件として,「どこまで権限が与えられるか」があると思います。
 医師には大きな権限が与えられていますが,理学療法士については,法的には「医師の指示の下に」となります。しかし,ごく一部の国において,開業理学療法士はフリーアクセスで,医師の処方がなくても患者を診ることができる時代になっています。その中で日本では「自営」というフリーな立場で活躍する理学療法士も注目されていますね。
半田 開業権と研究とは,大きな関係があるように思います。開業意欲を持つ人たちは,目標があるので努力します。ところが,今の臨床の人間にとって,その具体的な動機づけが少ない状況にあるように感じます。臨床の場で何によって評価されるのか,それをどう展開するのかは,特に学歴のない世代にとっては意味が感じられないという側面もあるのです。臨床の場にいる多くの人たちは専門学校の卒業生ですが,彼らにどのように研究意欲や学習意欲を見いださせるかは,少し難しいだろうと思っていますが,その中で,開業は1つの大きな動機づけになると思います。
 しかしその前に,理学療法士は理学療法すら業務独占になっていない事実を解決しておくべきです。今後は,業務独占なり,開業権なりの1つの目標を持つことで,若い人たちの学習意欲や研究意欲を高めるという,大きな流れが必要ではないかと思っています。
鶴見 開業については,命にかかわるという医学モデルの中で言えば独立は難しいでしょう。しかし,障害あるいは病気とともに生きる人たちの生活を機能的に高める,あるいは維持するというモデルであれば,可能ではないかと思います。
 地域で生活する障害のある方や老人に関しては介護保険の中で,介護機器や住宅改造に関する支援や,運動機能維持の指導などを,彼らのニーズに迅速かつ柔軟に応えることができる理学療法士が求められています。そこでは,地域活動の各種のマンパワーと連携しながらの自営は広まってくると思います。

■21世紀の理学療法士

奈良 日本に理学療法士が登場した当初は,欧米の限られた情報の中だけで行なわれていました。私は先頃,北京を訪問してきました。中国という広大な国土の中では,理学療法あるいはリハの正確な情報が把握しにくいのです。すでに養成校はあっても,理学療法士と作業療法士を一緒に短期間で教えるようなものらしいです。今回は,JICA(国際協力事業団)を通して4年制大学立上げのために北京を訪問したのですが,ちょうど日本で理学療法の教育が始まった40年前の状況が,今の中国の現状かなと思いました。やはり文献や教科書がほとんどないのです。
 このたび医学書院から,『標準理学療法学』と銘打った教科書が出版されました。これを実際に使うかどうかは各教員の自由ですが,少なくとも理学療法士の手によってテキストが整備されてきたことは大変よろこばしいことだと思います。
伊東 私たちの学生時代は,主に医師あるいは欧米人から授業を受けていました。しかし徐々に理学療法士,あるいは理学療法の現場で実績を積まれた方たちが書籍を発行してきています。これは,今の教育・研究・臨床の実績が,教科書あるいは本として著されるようになったことを示しています。今度は,理学療法士が中心になり,足らない分を補完する意味で,他の学際領域も合わせた教育がなされて,実に幅広くなっていくのではないかと思います。
 理学療法領域でも,医学をベースにしながら,その周辺に学際的な心理,社会,地域,保健といった領域の本が出てきました。これからどの本を選ぶのか,どういう教育をするのか,あるいは学生にどういった本を活用して教育するか,つまり臨床でどういう人を育てていくかは,理学療法の本を書かれる方々の責任だと思いますし,ある意味で今後の方向性を決めていくのではないかと思います。

社会へのアプローチ

奈良 教育面,研究面,臨床面が一体化した形で進む過程で,大きく分ければ,学術と社会活動の2つの軸があります。学術活動については,自助努力によるところが大きいですね。ところが職域としては,枠組みが決められています。しかし法的に狭い枠組みが決められていても,社会のニーズに応じて,保健・福祉の領域で活動していくことは今後,さらに必要になってくるのでしょう。
 開業権や自由裁量権となると,他領域の人だけでなく,場合によっては国民全体との関係もあり,社会活動のほうが非常に難しいと思っています。
 21世紀には,理学療法士が社会的にどのような活動を展開すべきかにについて,一言ずつお願いします。
鶴見 小・中学校などの教育の場に,理学療法教育を修めた方が教員として入ることを願っています。21世紀を超高齢社会だと位置づけるなら,算数や国語と同じような教科として,ノーマライゼーションの精神に基づいた教育が必要となります。つまり義務教育の中で高齢社会についての考え方を踏まえた保健・福祉の新しい領域の実践的な教育を理学療法士が行なうことです。
 文部科学省は「補助教員を増やす」計画を策定していますが,この計画が学習能力を高めるだけの増員ではなく,21世紀を担う子どもたちに,障害者や高齢者ケアに限らず,保健・福祉領域の考え方,人にやさしい生活環境の町づくりなどを教える「リハ教育」とでもいう科目を設置し,大学教育を修了した理学療法士がそれを担当することができる教育制度が私の夢ですね。
奈良 特に私は,「セルフ・リハビリテーション」という言葉を提唱しています。これは国民が自らの可能性を開発して,障害の有無にかかわらず,自分の体力・適応能力・QOLなどを自己責任において進めていくことを意味しています。もちろん,自分だけではできないこともありますから,それを可能にするシステムを整えていくことが重要だと思っています。

幸福や生きがいを生み出す

半田 これは私の個人的テーマでもありますが,日本理学療法士協会として,日本社会に存在する障害者や高齢者に対する差別意識に対する変革の姿勢を見せてほしいと思っています。これまでも,高校入試には合格しても障害を理由に入学させないなど,いろいろなことがあり,許せない話です。また,現在の高齢者の置かれている社会的環境についても,われわれは怒りを持って変えていく必要があると思います。
 それともう1つ,非常に抽象的な言い方ですが,理学療法は便利さを与えるものではなく,その延長線上に「幸せ」を見据えたものでありたいのです。臨床の場でいうと,便利さだけでは,決して幸せにはなっていません。理学療法を受けたその先に,幸せや生きがいを見つけるには何が必要なのだろうかと,探究していく目をぜひ持っていきたいと思います。これは人生の中で部分的なものであっても,幸せにつながっていけば,仕事を通じた最上の喜びになるのではないかと思います。
 その前に,21世紀は特に障害者や高齢者に対する差別的な意識を,少しでも解消する方向に進めたいと思っています。
奈良 日本理学療法士協会長としての立場から言えば,国の保健・福祉政策について提言し,実践することが,本来の活動の中心になるべきだと思います。なかなか難しいのですが,いろいろな機会を作る必要があると思っています。21世紀は,社会的な活動という視点から何をどう展開していくかがきわめて重要だと思います。
伊東 研究の役割とは「evidence based」――根拠を作ること,それを使って活動すること,そしてもう1つは,それを伝えていくことです。コクランは「作ること」,「使うこと」,「伝える」という3本柱を出しましたが,このうち,社会的な活動は「伝える」という部分ではないでしょうか。他の職種の人,同じ医療・保健・福祉分野の人たち,また行政関係者,そしてこれを利用するすべての人たちに,伝えていく必要があると思います。
 「evidence」とは,自分たちが作り,使っているものを伝えていく役割もあるのだから,それを拠り所としていかなくてはいけません。そして,臨床,教育,研究のどの場所にいようが,また,その3つが一緒になっている場もあるかもしれませんが,それぞれに希望があり,またなすべきことがあると思います。
 それから,改めて「理学療法のめざすところは何か」を考えてみたいですね。よく言われるように,既存の障害をだけを対象にするのでなく,そこには障害の予防も含まれています。例えば「交通事故をなくす」という方向性も,今後進めてはどうかということです。また日本では大きな問題になっていませんが,戦争や貧困によっても多くの障害が起きています。自分たちの知識で,できるだけ障害をなくすような 活動について考えていかなければいけないでしょう。
 そう考えると,「理学療法のめざすところは何か」をもっと広げてよいのではないでしょうか。その目標に向かって,一体何をすればよいかを,近いうちに詰めていかなければいけない状況になってきたと思います。

拡大する理学療法士の活躍の場

鶴見 理学療法のめざすところは,人を中心にその生活を支えていくことです。介護保険が実施されて2年目となりますが,2月現在で,要支援から介護度5と認定された方は約252万人おられ,彼らの運動機能や生活再建に向けた理学療法が今後ますます拡大すると思います。医療現場から高齢社会の地域生活を支える中心的な職種として活躍することが,われわれの責務の1つでしょう。
 さらに,健康増進を軸にした「健康日本21」,あるいは「エンゼルプラン」における障害児デイ・サービス,ノーマライゼーションの7か年戦略などの新しい政策に,理学療法士はもっと積極的に対応する必要があります。
 今は理学療法士の8割が病院に勤めています。しかし最新の「理学療法白書」(日本理学療法士協会発行)では,着実に地域の保健・福祉領域に携っている者が増えており,非常に心強い状況です。2004年には病院の分類が一般病棟と療養型の2つになります。そうなると医療の場は狭くなっていきます。その一方で,地域の中でフットワークが利き,生活に密着し,心理・社会学の素養を有して,医学をベースに持った理学療法士がますます増えてくるのではないかと思います。
奈良 学術大会は,日本理学療法士学会の「士」を取って「日本理学療法学術大会」となりました。これは,今後,学際領域との共同研究がますます必要になることを見据えて,理学療法士だけが理学療法学,理学療法の発展に尽くすだけでなく,いろいろな方々と協力していこうと,広がりが出てきました。そういう面から見ても,21世紀の初頭に学術大会がオープン化されたことは意義深いと思います。
 本日は皆さんに貴重なご意見と夢を語っていただきました。私自身は理学療法士になって33年になりますが,もうしばらく働き続けたいと思います。理学療法士としてのアイデンティティを自分自身の中で模索して,いろいろな意見を戦わせる中で,より確固たる,より大きなアイデンティティが生まれてきます。理学療法を必要とする方々に少しでもお役に立てる時にこそ,われわれの存在価値が評価されるのです。そのことを忘れずに,情熱を持って皆様とともに21世紀もチャレンジし続けましょう。
 本日はありがとうございました。
(了)