医学界新聞

 

英国における緩和医療の軌跡と現状

-日本のホスピス・緩和ケア運動が学ぶべきもの

加藤恒夫(かとう内科並木通り病院)


2457号よりつづく

【第3回】緩和医療教育開発の過程を追う
-サウザンプトン大学の軌跡(Bee Wee氏へのインタビューから)

はじめに

 本年6月,エジンバラでDoyle氏(2457号に掲載)にお会いした後,緩和ケア推進の視察のためにニューキャスル,ロンドン,ブリストルと回り,旅の最後としてサウザンプトンを訪れた。この訪問は,ブリストル大学緩和医療学科教授(前ロンドン大学緩和医療学科教授)のGoeffrey Hanks氏の勧めによるもので,緩和医療の卒前教育の歴史と実際を学ぶことを目的としていた。
 サウザンプトン大学には,英国緩和医療学会の本部があり,Hanks氏の言葉によると,特に緩和医療の教育過程の開発では世界的に定評を得ている教育機関の1つとのこと。ここに在籍する緩和医療専門医(consultant)のRichard Hillier氏は,彼の古くからの友人であり,25年前(当時は英国全土でホスピスはまだ3か所しかなかった)から,サウザンプトンで緩和医療の実践と教育に携わっている。彼は,英国緩和医療学会およびヨーロッパ緩和ケア学会の初代会長として,また教育の第一人者として,緩和医療関連の重要文書に必ずと言ってよいほど出てくる人物である。
 しかし驚いたことに,これほど歴史のあるサウザンプトン大学には緩和医療の教授ポストがないのである。なぜならば,NHSの要求する教授の条件は「基礎研究を中心とするもの」だからだそうだ。もちろん,医学教育においても研究活動は必要不可欠な問題なのだが,医学界では教育分野の優先順位が低く,教授のポストが与えられないとのこと(そう言われてみれば,ロンドン大学のRichard Michel氏にしてもHanks氏にしてもすべて基礎研究者である)。
 Hillier氏のもとに来て5年になるBee Wee氏(サウザンプトン大学講師:senior lecturer)は,同ホスピスのconsultantであり,教育,実践,研究にと忙しい日々を過ごしておられる。筆者が訪問した当日は,超多忙なHillier氏に代わり,彼女から話を伺うことができた。Hillier氏とは,その後に参加する機会を得た,学年末の学生審査のチームミーティングでお会いできた。

●緩和医療の教育と研究

大学教育と緩和医療の接点の創出

加藤 NHSが,大学に教授ポストの設置を認めていない中で,どうして大学教育のカリキュラムを開発したり,プライマリケアチームのための緩和医療教育コースを開催できたのですか。
Wee それはHillier氏の個人的努力に負うところが大きいと思います。彼は大学に対し,緩和医療教育の開発を一生懸命働きかけてきました。そして,Countess Mountbat‐ten House(以下,CMH:NHSにより運営されている大学病院付属のホスピス)を設立する時,その設置母体を,一般病院ではなく大学病院としました。つまり,大学との協力関係を優先したのです。
 また,あらゆる機会をとらえて緩和医療に関わる教育を実施したり,緩和医療のみではなく他のこと,例えば同僚の論文作成に協力したり,幅広い人間関係を築きあげることに尽力してきました。これが,緩和医療教育を広めていく基盤になったのだと思います。そして,学生教育に積極的であった彼は,多くの同僚の協力を得ること,とりわけ高齢者診療科の同僚の好意が役立ちました。当時,第3学年における高齢者医療教育の時間は4週間でしたが,彼らはそのうちの1週間を緩和医療に振り当ててくれたのです。このようにして緩和医療の教育が開始されました。

教育と研究――予算配分をめぐるジレンマとその克服

加藤 Hillier氏がNHSとして大学病院付属ホスピスを設立されたとのことですが,最近の報告書ですと,NHSは,表面的には英国ホスピス・緩和ケア診療専門家協議会とともに緩和医療教育を推進しているように見えます。実際は研究中心にお金を配分しており,必ずしも緩和医療教育にお金を出しているとは思えないのですが。
Wee その通りです。NHSは治療と研究を主な対象として資金を配分し,大学は研究を中心として活動しています。したがって,教育には多くのお金は回ってきません。
 CMHは,NHSの独立型ホスピスで,25床のベッドを持っています。また同時に,コミュニティケアのチーム,大学病院のホスピタルサポートチームやデイホスピスをも運営しており,入院と在宅とを合わせると1度に150人から180人の患者をケアしています。そしてさまざまな教育コースも運営していますが,これらすべてを150万ポンドの予算で賄っていかなければならないのです。
 私たちは80万人の住民を対象にしていますが,隣にある8床だけの民間独立型ホスピスは,8万人の人口に対して150万ポンドの運営資金を持っています。1/10の人口で同じ予算です。また,チャリティにより運営されているそのホスピスは,資金集収活動のおかげでかなり裕福です。もちろん地域による違いがあり,逆にNHS付属のほうが裕福で,非営利民間ホスピスが苦労しているところもありますが,資金不足が私たちの大問題です。情熱だけでは教育開発のための問題は解決されません。教育スタッフの増員やその給与を獲得しなければいけませんから,どのようにすれば限られた資金が有効に使えるかを考えることに一生懸命になっています。ですから,仕事量は,以前よりずっと増えています。
加藤 そのためには,自分たちの実施している教育の成果を示す必要がありますね。
Wee その通りです。英国では,がんで死亡する70%以上の人たちが自宅で死ぬことを希望しています。しかし,全国調査によると,それが可能な人はわずか27%です。特に,がんの終末期では,緊急事態の発生などによりその望みを叶えることが不可能となることがよくあります。そのような中で,CMHのサービスを受けている人の52%が自宅で亡くなっています。この数値は全国平均の2倍です。自宅で亡くなることができる人たちの割合は,その地域の緩和ケア専門家とプライマリへルスケアチーム〔家庭医(GP)や訪問看護婦など〕の協力関係の指標です。そして,診療の質の高さを示す証拠の1つです。これは,私たちの情熱の証であると言えます。

改革のための問題点発掘――医学教育における質的研究

加藤 CMHでの研究のことについてお伺いします。CMHには研究専門員はいるのですか。
Wee 実は,CMHではまだ研究は行なわれていません。それは,教育を実行最重点項目としてきたからです。研究に関しては大学に依頼しています。ちなみにconsultantである私の仕事は,週5日の勤務日の中で,臨床が2日半,研究1日,残りの1日半が教育に携わることになっていますが,私は,医学教育の代表責任者ですので,すべてのカリキュラムに目を通さなくてはなりません。そのため他の領域の仕事も入ることになり,教育に割り当てられている1日半は,とても負担が重いものになっています。
加藤 教育の改革のためにも研究が必要ですね。現在実践されている教育にどのような効果があるのかを調べることは,次の教育方法を開発するために大変重要なことのように思えるのですが,いかがですか。
Wee 私たちが実施している研究は質的研究が主です。その方法の1つは,離別後の患者さんのご家族を迎え,皆の前でケアを受けていた時の体験を話してもらい,その教育的効果を調べます。多職種(医師,看護婦,OT,学生,など)を一堂に集めて話を聞き,その後,小グループに分かれワークショップをします。この場で学生たちは,ご家族にいろいろ質問します。例えば,誰がケアコーディネートしたか,医師や看護婦が一緒に訪問することで何が変わったか,ケアのあり方をどう感じたかなどについて討議します。私たちは,毎年その学生たちにインタビューをして質的研究を行なっていますが,とてもよい教育効果が出ています。
 また,私たちはそのために,毎年研究費を得ており,過去5年間で2万ポンドを獲得しました。次の課題は,前述の教育手法を,プライマリケアの教育や子どもの健康管理など,他の分野に応用させることです。他の研究は,毎年10組のGPと訪問看護婦を必ずペアで2日間の緩和ケア研修コースに招待します。なぜなら,彼らは一緒に仕事をしているからです。そして,その2か月後に質問表を送り,研修により何が変わったか,何を自分の臨床実践に取り入れたか,などを質問します。これらの調査からとても多くのことを学びました。
加藤 私たちも毎年,学生たちを約10人ずつ緩和ケア施設に招き,1年間の臨床実習を行なっています。2人1組になり,1人の患者さんを受け持ち,月に1度ずつ自宅を訪問し,その後,月に1度ずつセミナーで話し合うのです。これが1年間続きます。
Wee それはおもしろい実験ですね。その評価は比較的簡単です。フォーカスグループを作って,毎年,実習に入る前の人たちと,実習を済ませた後の学生たちを質的に評価するのです。必ず質的評価をすることが重要です。点数で評価すること,つまり量的評価から得られることには限りがあります。患者が自分の受けている医療をどう感じていたか,医学生が医療や教育から何を学んだかなどについては,質的評価でなければわかりません。
 日本には,まだ,医学教育の中に緩和医療教育が根づいていないそうですので,質的評価を通して教育の実態を明らかにしていくことがとても大事に思えます。これから教育開発をしていこうとする場合には,質的研究はとても大切です。

●医学教育において重視すべきこと

一般医療の中の緩和医療教育

加藤 Doyle氏は,最近の学生たちは,高度医療,臓器移植,遺伝子治療など,卒前教育の中で学ばなければならないことが多くなりすぎているために,卒前にいくら教えても,緩和医療から興味が薄れてしまう,外科や救急医療などの華々しい分野に目を奪われがちだと言っています。また,これからの卒前の緩和医療教育は,コミュニケーションの方法や患者の身になって考えることに重点をおき,技術面では情報を与えるのみでよいのではないかとも指摘されていますが,この点についてはどのように思われますか。
Wee 彼はエジンバラで活動し,私はサウザンプトンにいます。まったく異なった環境です。この点を前提においてお話しする必要があります。しかし,彼の意見には賛成できません。第1に,資格を得るまでに学ばなければならないことは患者に対する態度です。緩和医療においても,まず,学ぶべきものは知識ではないことは確かですが。CMHでは学生たちの負担をできるだけ減らすようにカリキュラムを開発しています。しかし,彼らは相当量の基礎的知識を学ばなければなりません。
 第2に大切なことは,卒後すぐの医師は移植などの高度医療を学ぶ必要はないということです。もちろん,それを知っておくべきではありますが,若い医師が学ばなければならないことは,どのような医師になるかであり,まさにこの時こそが,緩和医療を学ぶ最適の時期なのです。
 サウザンプトン大学では,まず,倫理的問題は緩和医療とは別の領域で教えます。コミュニケーションスキルも,別のコースで教えます。第2学年には,死にゆく人たちに対するケアのあり方を,1日かけて教えます。これは,Hillier氏が担当します。また,その年度には膵臓がんの対処方法について,ケースカンファレンスを行ないます。3年次にはCMHで1週間のsmall group teachingが行なわれます。その間,1日中というわけではありません。しかし,この1週間に彼らは,緩和医療に注意を集中することができます。また,第4年次には,研究コースが設けてあり,最大6人の学生が研究プロジェクトを実行します。
 第5年次には,緩和医療を最大5週間,選択的に学習できます。この時期は外科学を学習し始める時期です。彼らが,医療のいろいろな臨床の場面で,緩和医療の技術と知識を応用できるように計画しています。それは,他の医療分野(例えば外科学や内科学)と独立して別に教えられるというよりも,それぞれの領域の中に組み込まれて教えられるように計画されています。つまり,大腸閉塞などといった外科のさまざまな場面に際して,どのように緩和的アプローチが応用できるかを学ぶのです。
 問題なのは,5年を経て医師資格を得た後です。資格取得後の研修期間にこそブラックホールがあるのです。この研修期間ではまだ緩和医療は教えられるようには計画されておりませんから,医師になりたての彼らは,緩和医療の実践の必要性を意識しなくなるのです。
 次いで,専門医としてのトレーニングに入ってからの過程では,私たちは,あらゆる領域の人たちを緩和医療のコースに招待します。例えば,GPとしての訓練中の医師たちは,必ずこのコースに参加しなければなりません。そして,慢性疼痛の緩和方法やコミュニケーションスキルなどを実際に習得するのです。

コミュニケーションスキル

加藤 外科学との関係がとても緊密であることはわかりましたが,腫瘍学との関係はいかがですか。
Wee とてもよい関係にあると言えます。腫瘍学は生物学的介入(biological interven‐tion)などの狭い領域から教育を始めますので,すべての学生が参加する緩和医療のコースを準備し,私たちも関与します。例えば,乳がんのコースの中では女性の心理や性的問題にも触れますし,疼痛緩和も教えます。このように,できるだけ多くの医学教育の分野に私たちの影響が広げられるように工夫をしています。
加藤 最もパートナーシップを組みやすい分野から始め,ついで,少しずつ関与できる領域を広げていったということですね。それを聞いて,私はとても安心しました。なぜなら,あなたたちほどに洗練された方法ではありませんが,私たちが実践をしてます「岡山緩和ケアモデル」(次回で詳しく報告)で,同じような方法を採用しているからです。
 ところで,臨床倫理(clinical ethics)の問題や,コミュニケーションスキルなどは,どのように教えているのですか。
Wee コミュニケーションスキルは,緩和ケアのみに特別な領域ではありません。さまざまな人たちが関与します。外科や,腫瘍学,精神科,プライマリケアの領域などでは,この問題をとても重視しており,ビデオなどを使って教育しております。「悪い情報を伝えること」(breaking bad news)は,主として外科医や腫瘍学の領域が担当していますし,GPは,一般的で洗練されたコミュニケーションスキルを持つよう訓練されています。彼らの教育コースの立案と運営は,私たちが担当しているのです。
 ここ,サウザンプトンでは,第1学年からたくさんの科学教育を始めますが,同様に臨床教育も開始し,診療の実際を教えます。1学年が6グループに分かれ,専門医やGPに割り当てられます。そこでまず問診,とりわけ病歴の取り方から学習を開始します。患者さんのところに行き,直接に話をするのです。1年に16.5日の実習があります。
 しかし,この時期の学生は,難しい臨床決定について議論することがまだ無理ですから,患者に同意してもらうことや,個人情報を守秘することがどれほど大切であるかを学びます。第2学年でも,そのような研修をさらに繰り返します。私は,この分野やコミュニケーションスキルの開発を担当しています。

ホスピスの教育チーム

Wee CMHには30人の教育スタッフがいます。彼らは大学の職員ですが,教育プログラムの運営費は寄付により賄われています。ここが大切な点です。寄付がなければ教育コースの運営やコーディネートは不可能です。
 構成員は,緩和医療の専門医が3人,専門医の訓練中の医師が3人,緩和ケア専門看護婦,ソーシャルワーカー,OT,PT,チャプレン,臨床現場の調整係(clinical coordinator)としての事務関連職員などです。彼らのうち,大学の臨床に携わっているのは医師のみで,他の職員は直接大学の臨床に関わるわけではありませんが,いつも教育ばかりしているのではなく,ここで臨床もしてます。そしてそれぞれの立場より,例えばデイホスピス,ソーシャルワーカー,チャプレンの立場から実例を話したり,問題提起をします。昨年はこの地域で,さまざまな医療職を対象に12回のコースを開催し,180名が受講しました。
加藤 最後になりますが,Teaching Net‐workについて教えてください。
Wee それは,私たちが2年前に設立した,非常にルーズな組織です。いろいろな所に,いろいろな才能を持った人たちがいるもので,彼らの中には,とてもすばらしい教育能力を持った人も存在します。これらの人たちは地域の大切な資源です。その力を借りないでおくのは資源の浪費です。そこで,彼らを登録させてもらい,必要な時に,得意な領域で,教育に携わってもらうのです。これは今開発中のプロジェクトで,今後にその働きが期待されているものです。
加藤 本日は,お忙しい中をありがとうございました。
(インタビュー:2001年6月25日)

会見を終えて

 「教育は情熱抜きに語ることはできない」と,これほどに実感させられたことは,未だかつてなかった。世界で,最も緩和ケア教育が充実した国の1つである英国のその歴史が,1個人の情熱と努力から始まったという事実は,実に感慨深いものがある。もちろん,数多くの緩和医療の先駆者たちが協力してこそ,この歴史が作られてきたのは確かな事実であろう。しかし,英国緩和医療学会の本部が,その歴史の開始以来,サウザンプトンに置かれ続けていることは,Hillier氏の栄誉をたたえるものであると言っても過言ではない。
 しかし,彼は,日本ではあまり知られていない。本人も,「日本からは客が来たことがないし,呼ばれたこともない」と言う。この事実に,日本の緩和医療関係者の問題意識に偏りがあるように思えるのは私だけだろうか。毎年,緩和医療の専門家と呼ばれている人たちが,数多く英国から招聘されているにもかかわらず,緩和医療の教育を専門とする人たちが来日したとは聞かない。それはすなわち,緩和医療教育が,日本ではあまり顧みられていない1つの証左ではないだろうか。
 最後に,私は常づね,「大学は地域社会のニーズに応える教育と研究を行ない,地域社会とともに発展すべきである」と考えている(むろん,中には研究を中心とした大学院大学も必要なことは当然だが)。そのような意味では,サウザンプトン大学の緩和医療は,地域の持てるさまざまな機能を,洗練された方法でコーディネートし,緩和医療を通じて医療そのものを改革し,その結果,地域社会をも徐々に洗練させているように思えた。