医学界新聞

 

〔座談会〕

介護保険制度実施後1年半を経て
居宅介護支援業務の課題を探る

小湊純一氏
特定非営利活動法人
ふくし@JMI
新津ふみ子氏<司会>
ケア・コーディネーション
研究所
高野龍昭氏
益美医師会居宅介護支援
事業所・益田市立在宅介護
支援センター くにさき苑
北山達朗氏
七尾市在宅介護支援
センター
ふれあい社協


■介護保険施行前後の変化から

新津〈司会〉 介護保険制度が昨(2000)年4月から施行され,さまざまな問題を内包しながらも順調に動いているようです。現場レベルでは,要介護認定で痴呆の評価が難しいということと,ケアマネジメントがあまりうまく機能していないのではないかといった課題が明らかになりつつあります。特に,ケアマネジメントについては自立支援のための柱として介護支援専門員,いわゆるケアマネジャー(以下,ケアマネ)という資格を設けて行政としては対応しましたが,必ずしも十分に機能しているとは言えません。そこで,本日は「介護支援業務」という新しい職務の内容と課題についてお話しいただきたいと思います。
 今日ここにお集まりいただいたのは,居宅介護支援業務に実際に携わっているベテランで,また,池上直己教授(慶大)と私とで編集させていただいた,『忙しい現場のためのMDS-HC入門』の執筆メンバーの方々でもあります。アセスメント/ケアプラン作成ツールであるMDS方式についてのお話は追々出てくると思いますが,この方式は,医療職には福祉の知識を,福祉職には医療の知識をそれぞれ補うよう意図して作られた,いわゆる多職種間の「共通言語」をめざしたツールで,ここにお集まりの方々は介護支援業務の中で,もちろんMDS方式をお使いです。
 実は,私は看護婦で,今は社会福祉士の資格も持っているのですが,私自身は介護支援専門員ではなく,また,執筆者の1人で看護職のケアマネがご都合で参加されませんので,今日お集まりいただいた全員が福祉畑の現場の方ということになります。そういう意味では,福祉職の方々が医療系のツールと思われているMDS方式をなぜ敢えて使うようになられたのかという興味深いお話もうかがえそうですね。

●MDS方式とは何か?

 MDS,RAPsは,米国のナーシングホームのケアの質向上のために開発されたアセスメント/ケアプラン作成のためのツール。現在では全米でその使用が義務づけられている。MDSというアセスメント表と,18の領域のガイドラインであるRAPsで構成されたマニュアルである。MDSでアセスメントを行なうと,“トリガー”(引き金)という仕掛けで,観察やケアに注意を要する領域(RAPs)が示唆され,そこで検討を深めていくことが効率的なケアプランの作成へとつながる。 MDS,RAPsの在宅版がMDS-HC,CAPsであり,これは施設版と異なり,日本(池上直己慶大教授)を含めた欧米の高齢者福祉・医療・看護の研究者により,必要なアセスメント情報を最小限に凝縮した体系として開発された。チーム介護を担うすべての職種の教材としての有用性も高く評価されている。

介護保険施行前後の変化

高野 私は福祉系の大学を卒業後,初めは急性期病院のソーシャルワーカー(以下,SW)を務めていました。患者さんが家に帰った後までフォローできないもどかしさを感じながら,その後老人保健施設やリハビリテーション専門病院のSWを経験しました。5年前から現在の職場にSWとして勤務し,ようやく在宅のフォローまできちんとできる仕事を始めることができたという時に,介護保険制度が始まったという感じです。
 制度が施行され,相談の手法がかなりダイナミックに変わったと思います。今までは相談や調整で済んでいたものが,ケアマネという立場では,コスト管理も念頭に置きながら,どのサービスを効果的に使うかを相談し,その上でサービスを提供しなければなりません。
 私たちは,よく「ニーズ優先」と教えられてきました。たしかにニーズ優先ではあるのですが,一方で当然支給限度額,自己負担,さらに社会資源の充足の度合いといった問題もあって,現実的にはうまくいかない場合もあります。そういうジレンマも感じながら仕事をしています。
小湊 私は養護老人ホームの生活指導員を経て,特別養護老人ホーム(以下,特養)の事務長,副施設長をさせていただいているうちに,社会福祉士としてケアマネの養成に関わるようになりました。
 前職を退職し,あえてNPO法人を立ち上げたのは,あくまで利用者を中心にすべてを進めたかったからです。背景に別の組織等があると,公平中立の立場を貫くのは難しいのですが,NPO法人という形をとったことで,どこの事業所からも,「あそこは公平中立だ」ということをわかっていただけたと思います。
 介護保険制度が導入されて変化した点は,もとから保健・医療・福祉の連携は言われていましたが,それに制度的裏づけができたことです。これは大変よいことだと思いました。
 そういう意味からも,NPO法人を設立して,居宅介護支援業務だけではなく,地域福祉という視点を持って,地域の中で保健・医療・福祉の連携をとることをめざしています。これによって,利用者の満足とそれに関わるスタッフの満足にまで配慮できるような仕事ができるのではないかと思っているところです。幸いなことに,現在は,小さな地域での活動であるためか,病院の医師・看護婦さんから行政まで,うまく役割分担をして,協力し合いながら仕事を進めることができています。
北山 私は,昨年の4月から現在の仕事に従事しており,居宅介護に関わることが多くなってきました。今までの社会福祉協議会(以下,社協)の仕事は,1人の人をどう見守っていくかということが中心でしたが,介護保険制度になってからは,さらにもう一歩踏み込み,その人のケアや自立にどう関わっていくかということが大切になってきました。非常にやり甲斐のある仕事になったと感じています。
 もともと福祉における介護は,なかなか他の分野が入ってこられない部分でしたから,介護保険が施行される前は,福祉の中だけでやってきたというところがあります。それが,制度が始まり,医療などとの連携が言われるようになり,今までには考えられなかった広がりを肌身で感じています。
新津 私は現在の職場で11年間,現場の保健婦さんや,訪問看護ステーションの看護婦さんたちと,ケアマネジメントの理念から実際のやり方までを介護保険とは関係なく勉強してきました。一方,NPO法人「メイアイヘルプユー」を昨年立ち上げて,居宅介護支援事業の第三者評価を行なっています。
 いまの仕事を始めるまでは,新宿区で16年間訪問看護の現場におりまして,当時から,いわゆるケアマネジメントという仕事を,当たり前のようにやっていました。介護保険制度が施行されてシステム化されましたが,考えてみると,以前からも誰かがやっていたわけですね。

施行後の3つの変化

新津 介護保険施行前後でそのケアマネジメントがどう変わったのかが気になりますが,大きな違いは3点ほどあると考えます。
 まず1点は,保険制度にして負担と給付の関係を明確にしたことに伴って,支給限度基準額が設けられ,コスト管理もケアマネに委ねられるようになったこと。
 もう1つは,サービス品目が増えて(在宅ケアでは12品目),選択肢が豊富になったことはよいことなのですが,どうしても給付されるサービス中心の組み立てになってしまい,地域の人たちに参加してもらえなくなった点です。かつては,サービスがなかったこともあって,例えば民生委員や隣家のおばちゃんに見守ってもらっていたのが,今はすぐヘルパーさんにサービスに来てもらえるようになりました。それは権利ですし,安定的なのですが,「その人が地域で生活していくことを支援する」というケアマネジメント本来の考え方からみると,インフォーマルなネットワークをいかにつくるかという重要な点が欠けてきたことが気になります。私が現場で訪問看護をしていた時はサービスがなかったので,そういうことを一生懸命やっていました。それが,地域の方々の理解を得るよい機会でした。
北山 社協の研修の時には,「ケアプランの中にインフォーマルなサービスも組み入れましょう」と話していますが,現場の週間サービス計画表などにはまったく入っていません。結局,介護サービス事業の計画だけで終わってしまい,次は見直しの繰り返しで毎月追われている。つまり,介護給付中心に現場は動いているということです。
高野 よくも悪くも,介護保険制度が始まって,フォーマルなサービスがネットワーク化されることで,地域にもともとあったインフォーマルなネットワークが失われつつあるという現象もあるようです。
新津 もちろん,ヘルパーさんが来たからといって,今までかかわっていた人が来なくなるということではないでしょうが,意識して積極的にインフォーマルなネットワークを取り込んでいく姿勢が必要だと思います。インフォーマルなネットワークを構築するにはかなり時間もかかります。
 3点目の変化は,「自立支援」の理念そのものはよいのですが,現実はサービスがあることで,「セルフケア能力」を高めるという本来の大きな課題を,「やってあげる」というか,要求に応じるケアによって,かえって弱めてしまっているのではないかという点です。私が現場で訪問看護をしていた当時は,本人の力,次に家族の力を高めることが当たり前でした。しかし,介護保険が始まって,そこがおざなりにされている気がします。「社会的介護」はとてもよいことですが,その目標をしっかりと考えなければならないと思っています。
高野 本人の生活や自己決定能力を向上させていくことが本来の仕事だったのに,ケアマネとなると,そこはさておき,サービスを使ってもらうための手続きや,そのための相談に留まってしまいがちです。フォーマルなサービスを使うことによって,その人を「生活させてあげる」という,変な「囲い込み」があるような気がします。せっかく自宅で生活しているのに,ヘルパーさんや訪問看護婦さんが毎日来るということで,地域社会から隔絶されるという弊害も起こっていますね。自分の仕事を見ても,「自己決定能力を高める」というSWの本来の目標を,さておいてしまっているという反省があります。
小湊 だからこそ,ケアマネの試験に合格後の勉強が大切になってくると思います。最低限覚えておかなくてはいけないケースワークの技法ぐらいはわかっていないとまずいですし,その点はいつも意識しながら仕事をしています。
新津 福祉分野のあるベテランの人が,「福祉が充実をすると,家族機能が明らかに異常に崩壊していく」とおっしゃっていますが,一方で,家族機能が崩壊してきているから福祉が必要だという見方もあります。どちらが先か後かという判断は難しいですが,家族機能崩壊の理由の1つに福祉の充実という側面があるかもしれません。

■ケアプランが制度化されて見えてきたこと

福祉分野におけるケアプラン

新津 もう1つ特徴的な変化として,看護の世界では看護計画,医療の世界では診療計画というところの「ケアプラン」の存在があります。今まで,目標を立てて計画に沿って医療・看護を進めていくことは病院の中だけで進められていましたが,介護保険が始まって,地域でそれを行なうことが制度化されました。福祉分野では,ケアプランにどう対応していますか。
小湊 かつて私が携わっていた施設では,個別処遇計画,個別処遇方針という個別のケア計画を,援助する側がほとんど一方的に作っていましたが,これは,援助者の計画にすぎませんでした。
 私は,1994年頃に,MDS,RAPs(Minimum Data Set,Resident Assessment Protocols)というものを知り,MDSのアセスメントに基づいて,RAPsを参考にしながら個別の介護計画を作るようになりました。しかし,ただ作っていくだけでは,効果は現れないことがわかり,本人との話し合いなど,スタッフの主体的な関わりが必要だということが見えてきました。MDS方式を使う前は,施設ごとの業務の流れの中に,利用者をあてはめていたわけです。1996年頃から,やればやるほど結果が見えてきて,スタッフも主体的に,本人もお任せでサービスを受けているわけではない,という状況になってきたと思います。
 MDS,RAPsは施設向けのツールですが,この方式の有効性が明らかになったことで,在宅版であるMDS-HC,CAPsが介護保険の居宅介護支援事業にも広く使われるようになったのではないかと思います。
新津 つまり,個人のチャートに目標を書きはするけれども,だいたいは施設のスケジュールの中に合わせていたわけですね。これは,集団の処遇であって,個別ではありません。
小湊 10年ぐらい前までは,食事ひとつとっても,「好き嫌いなく全部食べてください」の時代でした。個人の嗜好に合わせた給食を出そうという動きは,最近のことだと思いますね。
高野 かつては計画があったにしても,現在のような形ではなかったと思います。おそらく福祉分野では,起こっている事象を観察し,判断・分析して,それを文書化して,他の人にもわかるようにした形でケアを提供してきていなかったのだと思います。逆に言えば,記録することを軽視してきたため,普段の観察や分析も深まりません。その場で,いかにその人に満足してもらえるか,喜んでもらえるか,というところで留まっていました。もちろん,そういう点も大事ですが,ケアに関しても,専門性が必要だと感じますね。

介護にもエビデンスを

高野 医療界では最近,盛んにEBM(Evidence-Based Medicine)ということが言われていますが,それは私たちの仕事も同じだと思います。根拠に基づいたサービスをきちんと提供しなければなりません。今までのように,その場限りで,その人に合ったケアだけを提供すればよいということではなく,根拠だてを含めて計画を文書化し,その結果も含めて,モニタリングにつなげるような記録を作らなければならないと思います。
小湊 以前と現在を比較するにしても,評価の方法がないのが実態です。計画も記録もないから,良いか悪いかの判断もできません。評価するためには計画が必要だとわかっても,それも慣れていないので,最初は根拠のない計画を作っていましたが,段階を踏んできたという経緯があります。福祉にも根拠が必要です。
高野 その必要性が最も顕著に表れているのは,おそらく痴呆ケアだと思いますね。痴呆のケアは個別性が非常に強く,普遍化されていません。現場でケアの担当者が経験と直感でサービスを提供してきたことが,うまくいったとしてもそれはたまたまでしかなく,分析も記録もきちんとしていなかった。施設内では,別の職員もそこからヒントを得てケアを提供するから,そこの施設だけは非常にレベルが高いけれども,そのノウハウはまったく外に伝わらず,施設の中だけに留まってしまいます。やはり分析や記録,その後のモニタリングが足りないのでしょう。しかし,医療では普遍化されたノウハウを蓄積しようと努力がされてきたと思います。
小湊 やはり何をするにも勉強しなければいけないでしょうね。先日,ケアマネの実務研修を担当した時,看護婦さんがおよそ3分の1ほどいましたので,「看護計画を勉強するのに何年かかりましたか」と尋ねますと,「3年くらい」と言うわけです。現場に出てからまた勉強しなければならないということです。ケアプランも,一朝一夕にできるものではないですから,地道に勉強するというのが今の時期ではないかと思います。

「共通言語」の必要性

―― アセスメントにしろケアプランにしろ「共通言語」という言い方がされますが,福祉の現場では,共通言語を持っていなかったということでしょうか。
高野 確かに福祉の中に共通言語はありませんでした。よくも悪くも職人芸の世界だったわけです。「福祉は人だ。情熱だ」というような言い方で,その個人が持っている資質に尽きてしまいます。
新津 介護保険を契機に,医師,看護婦,PT,OTなどが1つのチームとなり,共通言語がより一層求められているのだと思います。
小湊 見方や聞き方をまず統一していかなくてはいけないということですね。しかし,どのように統一するかは難しい問題ですね。
北山 私たちの地域では,デイサービスやヘルパーさんには,計画は求められていないのが現実です。例えば,ヘルパーさんはその日したことや,その結果の記録を書いておく場合がありますが,自分の感想を書くだけだったりします。計画を立てるという経験がないのです。個人のレベル差もありますので,共通言語化を図るという話になると,個人の見方をうまく調節しなければならない面もあると思います。それでも今後はやはり必要になってくると思います。

ターゲットは「生活障害」

新津 ケアプランは「生活障害」を対象にしていますから,計画を立てること自体も難しいと思います。「生活」は,個別性が強いし,漠然として抽象的だからです。医療の場合,この薬を使えば治療できるという,計画を立てるためのさまざまな知識や方法がある程度はっきりしていて,結果も得られます。ところが「生活障害」となると難しいです。
高野 医療ですとターゲットは明確で,例えば急性期医療であれば,基本的には個体の範囲内ですが,福祉の場合は地域全体だったりします。そうすると,どこにターゲットを絞ってプランを作るかというのは非常に難しい。4-5年前までは,「デスクで書類を書いているより,本人の所へ行ってコミュニケーションを図ってあげなさい」というのが,福祉現場の考え方でした。
新津 この難しい生活障害を包括的にとらえるためには看護の視点だけでは不十分であると気になっていましたが,MDSに出会い,訪問看護からの広がりで計画を立てるようになりました。最初は,生活が困った状況になっている要因や原因がわからなかったのが,MDSを用いることで,60%くらいはわかるようになり,5-6年経つと,頭の中ではっきりするようになりました。計画も立てやすくなって,その通りに実行すると,思ったような効果が現れたので,自信が持てるようになりました。

カンファレンスの必要性-情報・方針の共有と教育的機能

北山 計画がうまくいかない場合,複数の,しかも異なる職種の方の目を通して総合的に見ることが大切になってくると思います。そういう意味もあって介護保険では多職種のカンファレンスが奨励されていますが,現実にはあまり開かれていません。
新津 看護の世界では,カンファレンスは昔から行なわれており,それが能力を高めていく重要な手段でもあると認識されているようですが,特に在宅の現場にとって,カンファレンスの重要性についてどうお考えですか。
 施設の場合は,病院と同様,援助者が複数ですし,交代しますから,必ず「申し送り」はあります。一方で,各担当者の考え方が違うと,問題が発生しますから,話し合いが必要になってきたのだと思います。訪問看護の場合でも,複数の看護婦さんが利用者の家庭に訪問しますから,情報や方針を共有しなければなりません。また,「どうもあの人のしていることは変ね」と先輩は思っていても,それが伝わらないと後輩が育ちません。自分の職場の評価も落ちるということがわかって,だんだんとカンファレンスが大切になってきたと思います。カンファレンスには教育的な機能も多分にあります。
小湊 医療的な依存度が高い人の場合,だいたい主治医の先生に入っていただいてカンファレンスを行ないますが,社会福祉士としての立場から言いますと,医師や看護婦さんの話を聞くだけでとても勉強になります。カンファレンスは知識を吸収する場でもあるので,行なったほうがよいと思います。利用者本人も参加すれば,なおさらいいです。最初は,「緊張する」と言われますが,いまは「みんなで自分のことを考えてくれるんだな」と思ってもらえるようになりました。
新津 高野さんのところは,機関に系列のサービスがあって,身近にヘルパーさんも訪問看護婦さんもいますが,いかがですか。
高野 私どもの法人内のサービスを使うだけで完結するケースは多くありません。私の居宅介護支援事業所で担当しているのは毎月180ケースほどですが,法人内の事業所は5か所だけなのに,他にも提供票の行き先が30か所くらいあり,むしろ,介護支援事業単独型の小湊さんのところと似ていると思います。
 ただ,カンファレンスについては,まだ小湊さんのところのようにうまく運営はできていません。サービス担当者側に,その意義が認識できていないのが大きいと思います。ヘルパーや訪問看護婦はケアマネに与えられた週間スケジュールに基づいたサービスを時間内にやりこなせばよい,ケアマネも計画を立てて利用者にサービスの時間だけうまく過ごしてもらえればよい,という感覚があります。チームとして機能しきれていない事業者がまだけっこう多く,残念ながら,そういう土壌でカンファレンスを行なおうとしても,その意義から説明しなければならないことがまだあります。
新津 看護職のケアマネも同様だと思います。今までも看護計画を立ててはいるのですが,ケアマネとして書いているわけではありませんし,それを他人と共有することもないわけです。だから,カンファレンスの必要性を感じないのかもしれません。そういう意味で,純粋なSWでケアマネでもある人のほうが,ケアマネジメントを早くやっているし,早く身についていく場合もあります。
北山 社協でも,高野さんのところと同様で,ケアプラン通りにサービスを提供すればそれでいいと任せきりになる心配があります。ただ,状況が変わって念入りな話し合いをしなければならないケースではカンファレンスを開くので,その必要性を感じることができます。実際に,ケースに追われている現場では,どうしても前月の流れそのままで,ケア中心ではなくて計画中心になってしまうことが多いように思います。これは問題だなと私も感じていました。

なぜモニタリングができないか

新津 問題が起きてから対処するのではなく,もう少し早くそれに気づくためにはどうしたらよいでしょうか。
小湊 モニタリングをするためには,カンファレンスを開かないとできないわけです。カンファレンスを開くためにはケアプランがないとできないですし,さらに,ケアプランを作るためにはアセスメントしていないとできない,というように遡っていくのです。アセスメントがなければ,何も説明できません。
新津 その通りです。アセスメントをするために,例えばMDSを用いれば,事前にいくつかの危機要素がトリガーに引っ掛かってきますから,その段階でカンファレンスを開いて,よりよいケア計画を立てるという方策がとれます。この利用者は今は安定しているけれども,将来こういう問題が生じる可能性があるから,カンファレンスをしておいたほうがよいという要望や必要性が判断できれば,行動に結びついていきます。さらに,アセスメントはモニタリングへの動機づけにもなります。
高野 例えば,訪問看護婦さんが週に1回,ヘルパーさんが週3回訪問していたケースで,訪問看護婦がアセスメントしてみると,「今は安定しているが,褥瘡のリスクが結構高い」ということに気がついたとします。しかし,週1回の訪問看護では,1週間前にできた褥瘡しかチェックできません。それを事前に,ヘルパーさんに話をしておけば,週3回継続的な観察ができる。そうすれば,速やかに新しい手だても打てる。そのためには定例化されたカンファレンスだけでなく,随時気軽に情報交換できる体制や関係も必要です。
小湊 確かに,例えば退院するというような変化や,大幅なADL,ニーズの変化でもなければ,随時のカンファレンスは行ないません。通常はサービス開始時や更新時に行ない,それぞれの役割確認をします。在宅のケアプランについて,最初からすべてカンファレンスすることはどう考えても無理ですから,少しずつ増やしていこうという考え方をしたほうがよいと思います。

カンファレンスの効能は

新津 カンファレンスを開くと,利用者との人間関係が築けるし,利用者を幅広く理解することができるかもしれません。情報交換をしながら,利用者のさまざまな生活状況を理解するだけでも意義があります。
小湊 さらに,カンファレンスを通じて,情報のやりとりがうまくできるようになってきます。例えば,ショートステイを利用する場合,事業所のほうから報告が返ってくるようになりましたし,記録もしっかりするようになりましたね。
北山 利用者の病状について,福祉職は頭の中ではわかっていても,言葉に出して言う機会が今まであまりありませんでした。それがカンファレンスを開くことになって,事前に資料作りをしたり,言うべきことを考えたり,とてもよい経験ができます。準備をすることで,利用者の状況を端的にまとめて表現することを学べますし,緊張感を持ってできるという利点もあります。
高野 そうですね。カンファレンスを開くと,各サービス担当者もケアマネも,「開催してよかった」という感想を持ちます。「ヘルパーさんはこんなことを考えて,こんなことをやっていたのですね。私たちもこういうふうに工夫しましょう」という看護婦さんの発言があったり,デイケアのスタッフからも「通所の時は調子がよいのに,家ではそんなにひどい状況なのですね。もう少しケア上の工夫が必要です」という意見が出たりします。ただ,ケアマネが「では,みなさん何か意見はありませんか」と尋ねるだけでは,何も意見が出てきません。職種が違うので何を話せばよいかわからない。だから,ケアマネにはカンファレンスをコーディネートする能力も必要です。

■福祉と医療が出会う時

ギブ・アンド・テイクの関係-連携とは情報のやりとりのこと

北山 社協の場合は,カンファレンスを開くにしても,主治医とのつながりの持ち方から難しさがあります。
 どの時間帯に訪ねればよいかもわからない。以前に1度,緊急の問題が起こり,とにかく電話をかけ,「先生お時間ありますか」と訊きましたら,「いつでもいいですよ」とおっしゃってくださったので,勢いでお訪ねし,お話が聞けたことがあります。行ってみれば,構えるほどのことでもないと気づいたのですが,今まで社協にはそういう土壌がなかったものですから……。
小湊 どの時間帯にうかがえばよいかということは,私も悩みました。そういう時は,例えば婦長さんと連絡をとって,先生のお忙しい時間を聞いておいて,それに合わせて行くようにしました。それでも時間がとれない時は,利用者が通院する時に一緒について行くのもよい方法です。
高野 実際ドクターは多忙ですから,逆に,利用者が困っていることや生活背景を情報提供すると喜ばれます。「なるほど,だからこの人の治療はうまくいかなかったのか」というフィードバックをドクターに与えられるのですね。そういう意味では,言葉は悪いかもしれませんが,ドクターと「ギブ・アンド・テイクの関係」になることが大切だと思います。福祉職のほうからもドクターの治療上の参考になるような情報を提供することができると思います。
小湊 「連携」というのは,正に情報のやりとりのことなのです。宮城県でも,医療との連携をまずメインにおいた研修を行なっています。主治医の意見書にはじまる医療情報を,ケアマネが収集していくわけですから,利用者中心と言っても,主治医の先生は第三者でなくて当事者の1人になるわけです。当事者同士で連携していくのであれば,当然プランは示さなければならないでしょうし,サービス担当者会議に出席できない場合は報告しなくてはならない。もちろん本人の了解の上ですが,毎月どういうサービスを受けているかも報告する義務があります。ドクターから情報をもらうだけでなくて,こちら側からも普段の状況を伝えるという作業をしなければ「連携」とは言えませんよね。
新津 多くのドクターが情報をほしいとおっしゃっています。
高野 情報管理の問題も含めて工夫は必要ですが,同意を得た上での情報開示は,多くのドクターが大喜びです。私のところは,最低でもサービスの週間スケジュールだけはドクターに連絡しておきます。当然,利用者の状況も簡単に文書で伝えています。

医療と福祉のルールの違い

高野 福祉と医療では,文書でやりとりするのか,口頭だけで済ますのかというルールの違いがありますね。両方を股に掛けて仕事をするので強く感じるのですが,福祉の世界では口頭だけで済ましてしまうところを,医療の世界では必ず文書でやりとりします。医療と連携しようと思うなら,福祉側もそういう習慣を身につける必要があると思います。実際,文書で連絡すると,必ず次には文書で返事が来て,互いに責任を持って利用者に関わっているんだなということが理解しあえるようになります。文書でやりとりする関係ができると,ドクターから別の利用者を紹介されたり,経営的にも波及効果が生まれます。
新津 やはり,意識をして,ポイントポイントで落ち度なく適切に主治医と連絡をとる必要があるということです。そういう意味でも,ケアプランが重要になってきます。
高野 プランを作って情報交換をしていく上で,特に福祉職に足りないと感じるのは,利用者の状況を言葉で伝える能力と,それを書いて伝える能力だと感じます。その前提の観察・分析の能力も含め,ケアマネもサービス担当者も,トレーニングが今まで足りなかったと思います。

MDSの有効性

北山 その点,MDSは使いやすいですね。あるケアマネが自分なりにアセスメントをとってケアプランを立てていたのですが,利用者の家族と意向が異なってもめたことがありました。家族に納得してもらおうとしても,結局自分の思いだけしか説明ができない。現状の問題を整理しようにも,やったことがなかったのでできなかったのです。そこでMDSを勧めました。
 MDSを使うと,問題のありそうな部分がトリガーに掛かってくるというのが強みです。それをもとに,明確になった問題点に沿って説明すれば,家族の方にもわかりやすい。ケアマネも肯いていました。
 そのトリガーをもう1回見直すことがモニタリングにおける定点観測になります。さらにはそれがケアマネ本人の経験として蓄積されていくことにもなるわけです。
新津 モチベーションを高めるためにも,MDSは役立ちます。要因を明確にしたり,危険性を早く察知することができますし,「改善の可能性」も示唆されるので,それを実行して効果が上がってくるとケアしている側にもやりがいが出てきます。
 状態を観察しているだけではなかなか改善の可能性などは把握できません。例えば,高齢だと,体調不良を年齢のせいだと考えがちですし,一方,60歳くらいだと,「まだ若いから大丈夫」と思ってしまいます。こういう場合は,MDSを使って改善の可能性,あるいは,潜在的な危険性などを明確にし,具体的な対応策を考え,自信を持って実行すればよいのです。
小湊 おっしゃるとおりです。ただ,ガイドラインなどを読んだだけで,マスターできるものではないですから,実際の場面で辞書のように繰り返し繰り返し用いて,慣れていく必要があります。
新津 もちろん個人差はありますが,福祉職は本を読んだり参考にしたりするという訓練が不十分なような気がします。一方,医療は日進月歩ですから,新しいことを知らないと不安になります。だから,学生時代からなけなしのお金で本を買って読むんですね。卒業後も,1冊は専門雑誌を読んでいないとついていけないという感覚があります。技術や知識で競い合うところがある。それが生活障害への対応となると,必ずしも日進月歩ではないので,あまり必要性を感じないというか……。
高野 実際は,福祉の理論やスキルも日進月歩です。ところが誰もその情報を収集して発信したりしないので,日進月歩の情報が見えてこない。そして,現場と研究者の乖離が起こってしまうのです。実際,ソーシャルワークの理論は急速に進んでいますが,現場にそれが活かされているかと言ったら,まったくと言ってもいいほどそうはなっていない。現場と研究者,双方に問題があると思いますね。

■よりよいケアマネジメントをめざして

ケアマネの指導者がいない

―― 介護保険制度の大きな課題の1つは,玉石混淆のケアマネの資質を向上させることですね。制度的な問題はさることながら,個々が自分たちの実力を底上げしていくことも重要です。レベルアップの具体的な方策をどうお考えですか。
高野 ケアマネジメントの指導者の養成が必要だと思います。ケアマネが玉石混淆だということは,指導者にも言えることです。考えてみると,ケアマネジメントやケースマネジメントが言われ始めて,まだ7-8年です。現状では,指導者が少ないですし,いてもトレーニングをきちんと受けていなかったり,現場の経験がまったくない人が指導をしていることもあります。現場は,これで本当によいのだろうかと不安に思いながら仕事をしているのです。ケアマネの実力アップには,やはり指導者やスーパーバイザーの存在が大切です。
北山 スーパーバイザーがいないと,ケアマネが悩みをもっていくところがありません。サービス事業者は,何でもすべてケアマネに持っていきますし,利用者や家族の悩み,苦情も窓口であるケアマネに集中する。そうやって全部を抱えてしまっているという話を聞くと,スーパーバイザーの必要性を感じますね。
新津 ケアマネは利用者と事業者に挟まれた大変な仕事です。孤独ですし,一方どこまでを仕事としてこなさなければならないのかという問題もあります。その辺りも整理しなければいけないと思います。
小湊 宮城県ではケアマネのアドバイザーを選定する時,ケアマネの指導者に限定せず,各地域の現場で中心的になっている人を選びました。地域の中では,実際に現場でやっている人の意見なので受け入れやすいですし,もともと頼りにしている存在なので不満も出てきません。
北山 石川県でも,介護支援専門員連絡協議会が,同様の仕事をしています。
高野 その必要性は感じていますが,島根県では,やっとそうした動きが始まろうとしているところです。
高野 以前,雑誌「訪問看護と介護」(医学書院発行)の連載の中でも少し書いたのですが,ケアマネは非常に孤独な存在ですから,連絡協議会は必要です。そこで最も大切なのは情報交換でしょう。まず自らの専門性を高めていくような取り組みが必要です。専門職の多くがそれぞれの倫理綱領のようなものを持っていますが,ケアマネにはありません。「ケアマネジメントは営業である」と言われて,それを信じ込んで仕事をしているケアマネも少なからずいるということです。一方で公平中立的なことをやらなければならないという思いから,事業所と利用者の板挟みになってバーンアウトしてしまう人もいます。拠り所となる倫理綱領や仲間が必要だと思いますね。

第三者による能力評価も

北山 能力の評価をすることも必要だと思いますが,誰が評価するのかは問題です。自身にはこれでよいという思い込みがあるので,自己評価には限界があります。やはり第三者が評価をするような機能があったほうが,問題を広い視野から捉えることができますし,資質も上がっていくと思います。介護保険制度を充実させていくには,とても大切なポイントになると思います。
新津 先日,介護支援サービスの第三者評価について講演した後,4人の事業所の方から,「第三者評価を受けるにはどうしたらよいのか」という問い合わせがありました。理由を聞くと,「ケアマネやスタッフはもちろん一生懸命やっているけれど,利用者の声をしっかりとケアマネにも知らせ,さらに質を上げるためには,第三者評価が必要だ」と言うのです。
 もう1人は施設を長いことやってきて,自己評価はしてきたものの,それだけでは不十分さを感じ始めたとおっしゃっていました。個別的に入所者の苦情を聴くオンブズマンも入れてはいるようでしたが,どうしても評価が分かれてしまったりするそうで,スタッフからも第三者の全体的な評価を聞いて,直すべきところは直したいという声が寄せられたようです。
 典型的なものには,病院機能評価機構を利用した時によい経験をしたという動機がきっかけになっている人もいました。病院のスタッフが,マニュアルも含めていろいろ準備し,ディスカッションをして,評価に耐え得るものを作っていく過程に非常に意味があったと言うのです。
 こういったはっきりとした反応を受けて,私は非常に嬉しくなりました。事業者として,第三者評価システムなども利用して,ケアマネ指導者養成もシステムもよいものにしていってほしいですね。
 介護保険制度が施行された昨年4月と現在を比べると大きく状況が変わってきました。ですから私は,『忙しい現場のためのMDS-HC入門』(医学書院)には,利用者によりよい支援をするためには,ケアマネジメントはどうしたらよいかということを中心に書いています。制度施行後約1年半が経過し,このままではいけないという点が見えてきました。同じテーマで3年後に話し合ったらおもしろいかもしれませんね。ぜひ同じメンバーでもう1度座談会を開いて,介護保険制度がどのようになっているか確かめてみたいと思います。
―― ありがとうございました。
(了)