医学界新聞

 

連載(21)  再びアフリカ編……(3)

いまアジアでは-看護職がみたアジア

近藤麻理(兵庫県立看護大・国際地域看護)

E-mail:mari-k@dg7.so-net.ne.jp    


2454号よりつづく

【第21回】住民参加型プロジェクト(2)

プロジェクト実施のための調査

 ザンビア共和国の首都ルサカ市郊外では,4年にわたりプライマリ・ヘルスケア・プロジェクトが実施されていました。そのプロジェクトの目的は,「住民参加を得ながら,低所得者地域に暮らす人々の健康を改善する」というものです。
 このパイロット地区では,プロジェクト期間中にコミュニティ・ヘルスワーカーなど3つの住民組織が形成され,ようやくその活動が定着してきた時期に,「住民組織の自立発展と継続可能性」についての調査に入ったのです。

現地スタッフをファシリテーターにスカウト

 調査は,主に住民組織の代表や支援団体とのインタビューで行ないました。また今回は,現地でのワークショップを3日間開催することにしていましたので,調査の段階でファシリテーターのできる人材発掘も行なうことになりました。国際NGOである「サルベーション・アーミー」と,「ケア」の現地スタッフたちからは,抜群のマネジメント能力を有し,人を惹きつける魅力が感じられました。
 そこで,そのうちの2人をワークショップのファシリテーターとしてスカウトし,対象地域の核となるヘルスセンターの看護婦,公衆衛生士,栄養士の3名,そして住民組織の代表1名の合計6名にお願いすることにしました。ファシリテーターとの事前の打ち合わせの会議では,彼ら自身が日頃から感じている住民組織の自立について語り合うことができ,ファシリテーターが企画・運営をすべて担うことにしました。
 ワークショップのテーマは,「住民組織の自立と継続について」とし,各住民組織から2-3名を選んでもらい合計で30名近くが参加しました。1週間前には,ファシリテーターに教材や資料を自主的に作成してもらうために,理由は何も言わず3色の画用紙と,はさみ,3色のマジックを配布しました。
 会場は,市内でも居住区域から歩いて1時間半の場所にある「サルベーション・アーミー」の研修室です。当日は朝早くから,いつも見慣れているはずの女性たちが,髪をきれいに結い上げたり,3つ編みに飾ったりと,よそいきの服装,装いでやって来ました。男性もいつもと違って,ジャケットを羽織り,靴もピカピカに磨いていたりするのです。でも,その姿は堂々としており,「組織の代表」として出席しているという自負が感じられました。
 ワークショップの基本は,自分たちの暮らす地域の中で実施すること,だとも言われています。しかし,彼らにとって日常と違うこの場所と空間は,相互の組織間のよい刺激になり,またリフレッシュして活動に戻れるきっかけとなったのでした。

みんなの心が1つに

 私はワークショップ開催までに,ファシリテーターへの事前の準備物品提供と,参加者に集中してもらうための清潔で明るい環境の会場選び,そして軽いコーヒータイム用の飲み物と美味しくて満腹になるまで食べられる昼食のために奔走した数日を思い出しました。もちろん,そこには私1人ではなくAMDAザンビアのスタッフがいつも行動をともにし,力を貸してくれているという背景はあります。
 ワークショップ最終日となった3日目は,アクションプランを作る時間が中途半端に終わってしまいました。しかしいつの間にか,「1週間後までに,それぞれの組織がこの3日間で学んだことを持ち帰り,仲間に説明した上で,アクションプランを作成し,発表もしよう」という話が成立していました。みんなの心が1つになって,このワークショップが創られていったのだと,1人ひとりが思えるようになっていたのです。ある種呆気にとられたのは,私1人でした。と言うのも,私は1週間後の午後には,飛行機でこのザンビアを飛び立ち,帰国することになっていたからです。
 彼らは,私の範疇からはとうに離れたところで,いえ,最初から彼らは自分たちのために,自分たちで考え行動していたのだとわかりました。

私の思惑を超えて

 数か月後,そのザンビアからファシリテーターを務めた2人が日本で研修をすべく来日しましたが,彼らから,「あのワークショップ以来,みんなけっこう真剣に自立を考えるようになったんだよ」と聞かされました。そして,ファシリテーターの1人は,「あのワークショップで,色画用紙を使って視覚的に図や絵にして見せることを知ったの。それからは他の研修時に必ず使っている」と話していました。
 ファシリテーター同士が学び合うという,思わぬ副産物を生み出しながら,人間のやる気は,当初の「住民組織の調査をする」という私のちっぽけな思惑をはるかに超えていることを知りました。
 住民のエンパワーメントを,私はザンビアで,遅ればせながら学ぶこととなったのです。