医学界新聞

 

〔連載〕How to make <看護版>

クリニカル・エビデンス

-その仮説をいかに証明するか?-

浦島充佳(東京慈恵会医科大学 臨床研究開発室)


2454号よりつづく

〔第6回〕ディザスターの看護(1)

ディザスター

 ディザスターとは,「自然あるいは人為的ストレスが急に加わることにより社会が崩れ,外部からの援助を必要とする状態」を指します。地震,台風,火山噴火などの自然災害から,原子力発電所事故,飛行機事故,テロリズムなどの自然以外の問題によるものも含まれます。ディザスターの種類によって,現れる疾病に特徴があります。
 また,病気などにより人が人生を終える時,ゆっくりと息を引き取る時,大きな葛藤はあるものの,本人および周囲の者はその死をいずれ受け入れることができます。しかし,ディザスターで突然に不条理な形で多くの犠牲者が出た時はどうでしょう。
 そこで,本連載では今回から3回にわたり,ディザスター時に見られる爆発外傷の特徴と人々のこころの変化について,言及していきたいと思います。

史上最悪のテロ

 2001年9月11日午前8時50分,ボストン発のアメリカン・エア旅客機がニューヨークの象徴でもある世界貿易センター北棟に突入,18分後同じくボストン発のアメリカン・エア旅客機が南棟に突入炎上しました。現実ではありえないようなこの光景は,TVを通して全世界に伝えられました。続いて,アメリカ国防総省にもユナイテッド・エア旅客機が突っ込み,フィラデルフィアでも旅客機が墜落しました。旅客機をハイジャックした上での,世界史上最大の同時テロです。しかも,2つの世界貿易センタービルは,飛行機が突入してからそれぞれ40分後,1時間40分後に,あたかも木造建造物の如く倒壊したのでした。あの110階の摩天楼が,こんなに脆いものかと誰もが思ったことでしょう。そして倒壊に伴い,まるで火山爆発の如き猛烈な灰白色の煙が立ち込め,避難してきた人々も消防隊員も煙をかぶって真っ白な姿となっています。ある消防隊員が,ペットボトルの水で目を洗っているのが印象的でした。現場周辺では,2000人以上の消防士らが動員され,懸命の救出作業が続けられていますが,死亡・不明者は6000人を超えるだろうと考えられています。しかし,ディザスターの特殊性により倒壊前後で犠牲者の運命は生か死の2つに分かれました。
 このようなディザスターにおいては,比較するコントロール・ディザスターがありません。しかし私たちは,1つひとつのディザスターを経時的に深く見つめ直すことにより,そのクリニカル・エビデンスを,将来のディザスター被害者に対する看護へと活かすことができるのです。

オクラホマ爆弾テロ

 1995年4月19日,朝9時2分,オクラホマ・シティにある連邦ビルが,テロリストによって爆破されました。テロリスト2人は硝酸アンモニウムと燃料油を混合した爆弾を作りました。その量は,およそ2800kgと推定されています。この爆弾をレンタ・トラックに積んで連邦ビルの玄関に停車し爆発させたのでした。爆発により連邦ビルはあたかも建てはじめ,建設中のビルをみるかのように激変してしまったのです。
 この事実を知ったビル周辺の9つの病院関係者,医師,ボランティアは直ちに現場に駆けつけ,重症例を多く含む139人もの被害者を1時間以内に病院に収容しました。この時の,ほとんどの死亡が5時間以内であったことを考えると,「医療面での適切な対応があった」と評価できると言えます。瓦礫の下敷きになった犠牲者を探し出すために犬たちが活躍しました。しかし,コンクリートのホコリが舞っている状況では,犬の鼻も役には立ちませんでした。今回のアメリカ多発同時テロでも同様だったでしょう。全部で759人が負傷し,167人が死亡しました。また,83人の生存者がそのまま入院し,509人は外来で治療を受けました。その時間,爆破のあったビルの中には361人が仕事をしており,319人(88%)が負傷し,そのうち19人の子どもを含め163人(45%)が死亡しています。759人中,他は爆破ビルの外で被害に遭っていることになります。
 また,爆発により崩壊した場所では当然ながら死亡率が高く(153/175,87%),一方崩壊が少なかった場所では死亡率が低い(10/186,5%)傾向にありました。隣接する4つのビルでも多くの負傷者がありました。さらに3人が隣接するビルで死亡,1人が路上で死亡しています。この事件では,犠牲者発生が事件のあったビルだけではない点も,注目に値いします。
 一方生存者では,皮膚や筋肉の裂傷,骨折,捻挫,頭部外傷が最も多い負傷の型でした。これらの負傷は爆発によって飛散したガラスや天井・壁の破片によるものです。そして,最もよく使用された薬剤は破傷風ワクチン,抗生剤,鎮痛剤であり,最もよく行なわれた検査はCTとレントゲン写真撮影でした。
 犯人の1人は,その1時間後に黄色のマーキュリーでオクラホマ・シティの80km先を逃走していました。しかし,後部のナンバー・プレートを外していたために,州警察のパトカーに停車を求められ尋問を受け,その時に,耳栓やハンドガン,政府に対する反抗声明文をポケットに所持していたため,あえなく逮捕となっています。もう1人も2日後に逮捕されています。そして1997年に,2人のテロリストに対して「死刑」の判決が言い渡されました。
 オクラホマ爆弾テロから約5年が経っていますが,多くの被害者は聴力低下,不安神経症,うつ状態などで治療を継続しています。カウンセリングを受けている人も6割以上。多くの人は「テロ以前より驚きやすくなった」とインタビューに答えています。このような心的外傷後ストレス障害(PTSD)は,「知っている人が死んだ」ことを聞かされたか,爆弾関係のニュースを見ることと深く関係していました。不必要に生々しい映像を放映するのは考えものです。このような点を考慮に入れて,地域のメンタル・ヘルスは被害者の精神サポートを行なうために,1995年5月15日からハートランド・プログラムを始めました。その報告によれば,被害者の間では明らかに飲酒,喫煙が増えたということです。
 爆弾テロは,ニューヨークの世界貿易センターをかわきりに,スリランカ中央銀行爆破,ロンドン地下駐車場爆破,サウジアラビア,米軍空軍基地爆発の他,イスラエル,エジプトなどでも続いています。日本でテロリズムが発生しないと誰が断言できるでしょうか?
 私たち医療人は,このようなテロリズムに対処できるよう準備するべきと考えます。