医学界新聞

 

 〔連載〕ChatBooth

 心配する権利

 加納佳代子



 いつも中庭でランニングをしている白髪の患者さんが,外来の受付カウンターの前で,事務員の女性に何かを訴えている。事務員は何を言われているかわからず,とにかく聞いている。横に病棟職員がいて,「ねっ,この人だとわからないでしょ。別の人に言ったほうがいいと思うよ。院長とか……ほら,あの人とか」なんて話しかけている。あの人と指さされた通りがかりの私は,「じゃあ私の部屋で話を聞きましょう」と看護部長室まで導いた。職員は,「じゃ,この人に気がすむまで話してね」と言いおき,病棟に戻っていった。この患者は,精神科病棟に長く入院しているが,病棟の中で筋の通らないことが起こると激怒するタイプである。彼はその時,こんな話をしてくれた。
 「ブチョウさん,あたしはどんなにみんなのことを心配しているのかってこと,知ってほしいんですよ。病棟のみんなと仲よく暮らしたいんだ。それから,世話好きっていうか,みんなの世話ができるとうれしいんですよ。
 昨晩だって,あたしの前でAさんが急に倒れちゃって,顔から血が出てんですよ。これは大変だって思ったから,すぐに知らせに行ったんだ。あたしが見ていたんだからその様子だって言わなきゃなんないでしょ。だのに職員は,『ちょっとあっちに行っててくれ』って,それはないだろ。見ていたのはあたしなんだ。そりゃあね,みんなあわてていたから,あんな言い方したんだろうし,後で謝ってくれたけど。
 でもね,やっぱり悲しいよ。患者がそんな心配しちゃあいけないのかい。あたしは15の時からクリーニング屋に勤めて,いつだってお客さんに頭下げてたよ。こう言っちゃあなんだが,あたしらは病院にとってのお客じゃないのかい。別に,頭下げてほしいってわけじゃない。でも,店のモンがお客さんに,『あっちに行ってくれ』って言うかい。みんな客だよ。みんな仲間だよ。心配したいんだよ。患者だからって言うんだろけどさ,入院してりゃそう呼ばれるもんなんだ。だからいいよ患者でも。でもさ,あたしらここで暮らすお客だよ。わかってくれたよな,ブチョウさん。忙しいのに,あたしのことで手間取らしちゃって悪かったね」
 私は彼に謝った。そして,病棟に行って職員たちを集めて彼の話をした。そして最後にこう言った。
 「職員には心配する義務がある。患者さんには『心配する権利』がある」と。
 老人病棟に,ずっと家に閉じこもっていた女性が入院した。
 「もう30年も声を聞いたことはない……」と年老いた母親が言う。看護婦たちは,どうにかして彼女の声を聞きたいといろいろ試みた。ようやく小さな声で,「ジュース代ください……120円……」とだけ,毎日のおやつの時間に言えるようになり,看護婦たちは順番ながら彼女の声を聞けることを喜んでいた。
 でも,看護婦たちはその2つの言葉しか聞けなかったのだが,病棟の中でいつも患者さんや職員をいたわってくれるある患者さんが,「ボク,ありがとうって言われたよ」と言う。
 「ボクも声が聞きたいな,と思って手紙渡したんだ。そしたら『ありがとう』って,かわいい声だった……」
 病棟という小さな社会を,一番よく見ているのはここで暮らす方々。私たちはほんの少し,それを垣間見させてもらっているだけ。