医学界新聞

 

〔投稿〕 米国家庭医療学見学実習体験記
――――家庭医の高い専門性を知る

寺石俊也(防衛医科大学校・6年)


 2001年8月13-24日の約2週間,米国ペンシルバニア州ピッツバーグ大学メディカルセンター附属シェイディサイド病院にて家庭医療学(Family Medicine)を中心とした病院見学の機会に恵まれました。
 米国での病院見学を考えたり,家庭医療学に興味のある学生の方の参考になればと思い,体験記を書かせていただきます。

 


なぜ家庭医療実習なのか?

 家庭医療学をはじめとするプライマリ・ケアが,日本で注目されはじめたのは最近のことで,学生の方々にとって学習の機会は十分とは言えないかもしれません。私は「家庭医とは何でもできる医者のことだ」,と勝手に決めつけ,それに漠然と憧れていました。しかし,「家庭医はなぜ必要なのか」「家庭医療と内科とはどう違うのか」「どんな医療をすることが家庭医療学なのか」などという疑問点が生じ,家庭医療学の実習をしようと思いました。また,私の通う防衛医科大学校は自衛官の健康管理を担う医官を養成する学校であり,駐屯地においては,時には1人で,科にこだわらない疾患に対処しなければなりません。ですから家庭医療学の勉強は,医官としても必ず役に立つと思ったことも実習希望の大きな要因でした。
 「学生実習を受け入れる診療所医師のネットワーク:PCFMネット
http://www.shonan.ne.jp/~uchiyama/PCFM.html)」(12面に関連記事)には,家庭医学を実践されている先生方が登録されており,その1人である家庭医療学指導者養成プログラムフェローの岡田唯男先生が今回の実習を受け入れてくださいました。偶然にも同じ病院に,家庭医療学レジデントとして防衛医科大学校の卒業生である廣岡伸隆先生も勤務されており,先輩医官の貴重な話が聞けたことは,本当に幸運だったと思います。

専門科として確立している家庭医療

 米国では大学病院や大病院は基本的に外来を持たず,患者はまずプライマリ・ケア医を訪れ,そこで診断・治療されるシステムになっています。開業している小児科医や内科医もプライマリ・ケアを行ないますが,家庭医はその代表とも言え,家庭医療科は1つの専門科となっているのです。
 さて実習の内容ですが,外来見学が多く設けられていました。そこで使用される生の英語は難しく苦戦しました。しかし外来を何度も見学するにつれ,会話の内容も理解できるようになっていきました。それは語学の上達というよりも,むしろ家庭医療学の外来というものを徐々に理解していったからだと思います。やはり次に何をするのか予知不可能な状況での会話よりも,ある程度流れのわかっている状況での会話のほうがスムーズに耳に入ってきます。
 家庭医療学の外来の理解という点では,英語が聞き取れない私のような者に,理解できるまで何度も教えてくださったアメリカ人医師たちには本当に感謝しています。彼らは質問すれば本当に丁寧に教えてくれます。これについて1つのエピソードがありました。ある時どうしても理解できないことを告げると,“I'm sorry”と言われたのには驚きました。それは「ごめんなさい。今は手が離せないので答えられません」という意味ではなく,「私があなたに理解させるまでの技術,知識がなくて申し訳ありません」という意味なのです。日本と米国の医学教育についての考え方の違いを感じました。
 毎日12-13時の間は,家庭医療学の医師たちが集まって,昼食をとりながらレクチャーを聴く時間となっています。レクチャーは他科の医師や学者らも講義し,活発な意見交換が行なわれます。これは卒後教育,また他科やコメディカル・スタッフとの連携に役立っており,実際の臨床の場ですぐにでも応用されることばかりでした。例えば,行動科学の性の問題に関する講義では,患者がsexually activeであった場合,sex partnerが異性か同性かを聞く必要性について話されていました。
 Sickle cell crisisの患者,病棟から逃げ出すI.V.drugの常習者,宗教上の理由で輸血を拒否し続けるHb1.0g/dlの患者,生後1日目で割礼の処置を受ける新生児,advance directive(生前の意思表示)により呼吸装置をはずすことになった重症肺炎の老婦人など,日本ではみる機会の少ない医学的問題に遭遇できました。

国家,人種を超えて共通した家庭医の姿

 しかし最も強く印象に残ったのは,むしろ国家,人種を超えて共通した家庭医の姿でした。例えば,どの国の患者でも,医師が世間話や軽い冗談など言ってくれたほうが話しやすくなるのは同じことです。妊婦の場合だと,いつでも医師に連絡できる状態であると安心できます。ある統計によれば,何らかの症状を訴える人の80%以上は,プライマリ・ケアの段階で治療されるということです。
 また1人の医師が,ある患者の変形性膝関節症も,その人の糖尿病の薬の処方も,そしてその子どもの風邪も一緒に診れば,その患者は,肉体的にも心理的にも楽になります。逆にどのような主訴で来たとしても,ほとんど全員に対し全身身体所見をとっていましたし,「家族の方は,みなさんお元気ですか」という質問をしていました。
 家庭医は,決して1人ですべてをするということではなく,もし専門性の高い病気であると予想されれば,その分野の先生に速やかにコンサルトし,その他にもsupplement medicationや禁煙支援団体の紹介などを行なっていました。家庭医がある妊婦の主治医であった場合,その分娩を受け持ち,そして生まれた子どもの主治医にもなります。
 このようにして家庭医は,世代を超えて家族の医学的情報を蓄積するため,患者に対する情報量は膨大なものとなります。印象的だったのは,ある人が体に問題がないにもかかわらず,半年来ていない,という理由だけで来院していたことでした。患者が「あの薬は効かない」と言うと,医学的裏づけのもとに薬を変えたり,止めたりしていました。つまり医師側が与えるだけの医療ではなく,患者も多く主張し,両者が納得できる結論を見出していくような医療が行なわれていました。ここにあげたのはほんの1例ですが,実習とともに,私が抱いていた疑問は次第に消え,家庭医学の高い専門性に気づくことができました。

刺激となったハウスメイトとの交流

 宿泊施設についてですが,私はインターネットで,内科レジデント1年目の研修医がハウスメイトを募集しているのを見つけ,病院実習する間はそこに滞在させてもらいました。彼はとても明るいnice guyでありましたが,週に1-2回は信仰仲間と聖書を勉強する熱心な信者でもありました。彼の高い信仰心に驚くとともに,1年目のレジデントであっても,週に1-2回のon callを除けば,夕方の5時に帰宅できる米国の研修システムにも驚きました。
 またハウスメイトとしてもう1人,ドイツ医学校の4年生も同居していました。彼は,博士号を早く取るため,夏休みの間ピッツバーグ大学で基礎医学研究をしていました。彼は,平日は夜中の0時過ぎに帰宅し,土日も研究室に通っていました。学生でありながら,「workaholic」な彼には驚きました。同年代の彼らと,医学に限らず文化,思想や将来のことを話し合えたのは,貴重な人生経験になったと思います。
 最後になりましたが,今回の実習を全面的に計画・指導してくださった岡田先生をはじめ,当病院所属の多くの医師,スタッフの方々,また2人のハウスメイトにこの場を借りてお礼申し上げます。