医学界新聞

 

【シリーズ】

この先生に会いたい!!


舛方葉子さん(浜松医科大学5年)
名郷直樹氏(作手村国民健康保健診療所長)を訪ねる


<なぜ名郷先生に会いたいのか?>
 『EBM実践ワークブック』の著者であり,EBMの推進者として知られる名郷先生が,実際にそれをどのように地域の診療現場で実践してらっしゃるのか,以前から関心を持っていました。現在,学生の間にも「EBM」という言葉だけは広まっていますが,それが診療現場で,あるいは1人の医師が成長していく中でどのような意味を持つのかは十分に理解されていませんし,私自身も説明できません。名郷先生がEBMをどう捉えていらっしゃるのか,直接うかがってみたいと思いました。


EBMのメリットとは?

舛方 「問題志向型」という考え方は,おそらく今の私たちにとっては当たり前のものになってきていると思います。何かを行なうのにEvidenceを求めることもまた同様です。そのような過程を総称してEBM(Evidence-Based Medicine)と呼びますが,しかし実際の臨床現場において,すべての先生がEBMを実践なさっているかと言えば,残念ながらまだ経験のみに頼って診療をなさっている先生もいらっしゃいます。BSL(Bed-Side Learning)ではそのような変化が動揺となって現れているように思いますし,それによって学生側が混乱することも少なくありません。また,学生や研修医の多くは,EBMが地域にある第一線の診療現場でどのように実践されているのかを知る機会はほとんどありません。
 そこで,本日は名郷先生ご自身の経験からEBMとはどのようなものか,お話をうかがっていきたいと思います。早速ですが,EBMが診療現場にもたらすメリットとはどのようなものなのでしょうか?
名郷 EBMとは臨床上の問題に対する問題解決の一手法です。それは一般的に次の5つのSTEPからなります。
STEP1 患者の問題の定式化
STEP2 情報の収集
STEP3 批判的吟味
STEP4 患者への適用
STEP5 1から4のステップの評価
 EBMは,これらのプロセスの中で効率的に患者さんが抱える問題を解決していく手法であり,実は,臨床家が「楽をしながら」,「継続して」勉強可能な手法です。まず,これがEBMのメリットだと言えましょう。

EBMで医師の診療はこう変わる

名郷 また,情報収集の一環として,論文を一所懸命読むようになると,論文で扱われている患者さんと目の前の患者さんとは,いったいどこが違うのだろうか,というところに注意するようになります。すると,患者さんから情報を得ることの大切さが強く実感されます。これは,EBMの外にあることではなく,EBMのSTEP1に含まれるものであり,EBMの大切なプロセスです。つまり,医師が患者さんの話をよく聴くようになることも,EBMがもたらすメリットの1つと言えます。
 同時に,医師が患者によく説明するようになるという効用もあります。患者さんによっては,「説明はいい」とか,「薬だけ出しといてくれ」と言われることもあり,現実によく説明するようになったかどうかは,一概には言えませんが,少なくとも説明を試みるようにはなりました。「私はこういうことを勉強して,こういうふうに考えているのですが,いかがでしょうか」と患者さんに示すようになったわけです。まったくわけのわからない中で,「こうしよう,ああしよう」ということではなくなってきます。
 一方,EBMの中に「批判的吟味(STEP3)」というものがあります。これは論文に対して「ここに問題がある,あそこに問題がある」というように読むことだと思われがちですが,EBMを実践している私なりの実感で言えば,実はそのような形で論文を読んでいる自分自身に対して批判的になることこそ,批判的吟味だと考えています。つまり,「これでいいのだろうか」というふうに,自分自身に対し,より厳しいフィードバックをかけるようになる。これも1つの効用です。

エビデンスを患者さんへ適用する

舛方 地域医療のように,患者さんの病気だけでなく生活全体をとりまくものすべてを考えて診療を行なっていく時に,EBMのSTEP4(患者への適用)などはどのように考えていけばよいのでしょうか。
名郷 まず,わたしたちの外来にいらっしゃる患者さんはきわめて多様だという特徴があります。専門病院のように「この病気のこの部分について専門医療を受けたい」という単一なものではなくて,例えば高血圧の人でも,薬を飲みたい人から飲みたくない人まで,血圧が180でも心配しない人から,130でも心配する人まで,大酒飲みからまったく飲まない人まで,太った人から痩せた人までというように,幅広いバリエーションの中で対応していかなければなりません。そのことを考えると,実は,ある論文がそのまま現実に役に立つとは,考えられません。
 よく冗談のように言いますが,「論文を読んで唯一明らかになったことは,どうしていいかは論文を読んでも決してわからないということだった」と。明確な答えというのはない場合が多い。例えば,高血圧に降圧薬が有効だという論文には,「30%しか脳卒中は減らない」とか,「治療必要数は33人だ」とか,「放っておいても90%は大丈夫だ」ということが書いてあるわけです。そうなると,患者さんにいくら有効だと言われている薬でも,「飲んだほうがいいのか悪いのか,ようわからんなぁ」というのがスタート地点になります。そして,実際にすることは薬を投与するかしないかという,ゼロか1かでしかないわけです。そこの「あいだ」は何がなんだかわからないもので決まってしまっているのです。
 この「あいだ」を説明するにあたって,昔はどうしても治療する方向の説明に引っ張られていたということがあると思います。「高血圧は危険ですよ」とか,「放っておいちゃだめですよ」という説明ばかりして,どうしても患者は薬を飲んだほうがよいということにもっていったということがある。もちろん一部そのような説明も必要ですが,このEBMの一連のプロセスの中で重視するようになったのは,その一方で,「平均70歳で上の血圧が170mmHg以上の人を5年間放っておいたって9割ぐらいの人は脳卒中にはならないのですよ」という部分も,きちんと伝えたほうがよいということです。もう少し端的に言えば,「放っておいたら脳卒中になってしまうから,薬を飲まなきゃだめじゃない!」などとは,決して言ってはいけないのです。

EBMは「患者に始まり,患者に終わる」

名郷 ただ,どういうふうに説明して,どちらにしたらよいのかというのは,1人ひとり個別の患者さんの顔色を見ながら,いろいろな話をしながら,患者さんの価値観や考え方を重視しながら決めなくてはなりません。これが,EBMの考え方であり,EBMが「患者に始まり,患者に終わる」と言われるゆえんでもあります。
舛方 経験的に1人ひとりの患者さんを診てきて,何年も医師をやっている中でEBM的な方法論に至ったのですか?
名郷 そうですね。やはりたくさんの患者を診る中で,「本当にこんなことでよいのだろうか?」というような疑問がスタートでした。それは,EBM以前のことで,薬を一所懸命出しながら「これでいいのだろうか?」と。最初は,論文を読んで「30%も脳卒中が減るのだ」というふうに理解したわけです。「そうだ。治療すればよいのだ」という方向にいきかけたところが,批判的吟味というかたちで論文をがっちり読むと,反面「実は投薬をしなくてもこんなに大丈夫だ」ということもわかるわけです。特に慢性疾患ではそのようなケースが多い。このようなことに気づいた時に,自分の診療のスタイルは大きく変わりました。「ああ,これはもう薬を出している場合ではないな」と……。

「医師は常に治療をしないという選択肢を持つべきだ」

舛方 私たちは学校で,この疾患にはこの薬というように習いますし,病棟でもそのように考えてしまいます。投薬をしないということは,すごく消極的な治療という感じがしてしまいます。
名郷 そう,これは消極的な治療です。ただ,医師は常に「治療しない」という選択肢を持たなくてはなりません。なぜかというと,あらゆる医療的な介入は「害」となる可能性があるからです。薬だけではなく,診察するという行為も,人を裸にして腹を触ったりするわけですから,何がしかの害を及ぼす可能性があります。まったく害のない医療というのは,基本的にはないと思うべきです。そして,その害を上まわるだけのメリットがあるかどうかという点について,非常に厳しく考えなくてはなりません。それがEBMの大きなコンセプトの1つです。
 私たちは,このことを「Do no harm(害をなすなかれ)」という言葉で標語のように繰り返し語るようにしています。せめて害のないことをしようではないかと。無批判にいろいろなことをやってしまうと,単なる害になってしまうかもしれない。だから,消極的であるということを尊重しよう,治療しないという選択も重視しようというのが,EBMによってもたらされた考え方の大きな変化ですね。

EBMの限界とは?

舛方 なるほど,EBMの有用性というものがよくわかってきました。では,逆に問題点や限界としてはどういったものがあげられますか。
名郷 限界ということで言えば,やはり「結局はよくわからない」というところへ放り出されてしまうことです。最終的に,患者さんにどのような医療を提供すべきかということは,どんな本を読んでも,どんな論文にも書いていない。そういうところで,どれだけ自分が踏みとどまれるか(笑)。しっかり決断できるか。そこには頼るものはなく,患者さんや家族と向き合って,時には地域と向き合うなかで決めていくより他はないのです。それが限界と言えば限界であるし,地道な患者本意の医療という意味では,実はEBMのすばらしいところでもあるのです。

私たちはなぜ勉強するのか?

舛方 今,全国のいろいろな大学でProblem-Based Learning(PBL)やテュートリアルといった勉強方法が取られたり,あるいは自主的にケーススタディをしている学生が増えていて,それはEBMの普及に関連した動きだと思うのですが,そのような学習に取り組んでいる学生たちにアドバイスや学習のポイントなどありましたら教えてください。
名郷 私たちが,なぜ勉強するか,なぜ学ぶのかと言えば,やはり患者さんによくなってもらいたいという目的があるからです。だから,自分自身の知識が増えたとか,自分自身がよく理解できるようになったということの先に,患者がよくなるかどうかという視点を常に持つこと。これが大切だと思います。
 ただ,一所懸命論文を読んでも,「ああ,お役に立てないなぁ」なんていうことはよくあることです。「患者さんがよくなるために自分は勉強しているのだ」ということが大前提としてあるわけですが,その反面,いくら一所懸命勉強してもひょっとしたらお役に立てないかもしれないという負の可能性を,いつもはらみながら医療をやっているのだということも知っておいていただきたい。
 あとは,本当に「自分はこう考えたのだけど,これでいいのだろうか?」というふうに,常にフィードバックすることも大切です。何か勉強して,「この疾患については,こう治療すればいいんだ。わかった!」なんて思った時に,同時に「あれ?本当にこれでわかったのだろうか?」というふうにね。
 その時に,PBLの非常によいところは,1人の具体的な患者像があって,この患者さんにとってよいのだろうか,悪いだろうかというふうに考えると,そういう批判がしやすいというところです。知識だけの情報では,有効な治療があった時に,その治療を受け入れない患者さんがいると,「なぜこの患者さんは受け入れないのだろう?」というところで終わってしまうかもしれない。一方で,患者のプロブレムから入ると,実はこの人は前に薬の副作用で痛い目にあったことがあって,薬が非常に嫌いな人であったなんていう情報が入って,その人が薬を飲まないことも含めて,どうしたらよいかを吟味できるわけです。常に「その患者さんがよくなるかどうか」という観点からフィードバックしやすいから,PBLは学習手法として非常に有効です。1人の具体的な患者さんを思い浮かべることによって,リアルな臨床能力のトレーニングができるのです。
舛方 医師としての能力を鍛える上で非常に有効なわけですね。
名郷 そうです。むしろ,それ以外に臨床医学を学ぶ方法はないのかもしれません。いつまでたってもPBLをせずに何かの臨床能力が身につくということはないだろうというのが,私の考えです。具体的な患者像を描かない限り,臨床能力を鍛えることなどできない。「こんな顔をして,こんな背丈で,こんな体格で,こんな好みを持っていて」というようなことを想像できるような状況で学ばなければ,なかなかリアルな勉強にはなりません。
舛方 EBMに関心を持つ医学生・研修医によいメッセージをいただけたと思います。本日はありがとうございました。




 舛方葉子さん
現在,浜松医科大学5年生。競技スキー部に所属し各種大会で優勝,asics/ATOMIC学生オピニオンを経験する(National Ranking collegeの部第9位)一方,第9回日米保健医療シンポジウム学生セッションではパネリストとして参加するなど,幅広い活動を展開。また宇宙環境医学会,宇宙生物科学会へ積極的に参加し,宇宙医学を志す。夢は「“宇宙”という国境のない世界で,国際協力や平和に貢献していくこと」


名郷直樹氏
1961年名古屋生まれ。86年自治医大卒。名古屋第2赤十字病院研修医(他科ローテート,腹部一般外科)を経て,88年より作手村国民健康保険診療所でへき地診療所医療に従事。この頃,EBMのバイブルと言われるサケット著『Clinical Epidemiology 2nd ed. 1991』に出会う。92年自治医大地域医療学,循環器疾患の疫学研究,Evidence-Based Medicineを学ぶ。95年作手村国民健康保険診療所所長。広範な問題を抱えた患者を対象とする地域医療の現場でEBMを実践する。主な著書に『EBM実践ワークブック―よりよい治療をめざして』(南江堂)がある