医学界新聞

 

印象記

第19回国際法医遺伝学会議

池淵 淳(鳥取大学医学部法医学)


はじめに

 国際法医遺伝学会議(International Congress of International Society for Forensic Genetics)は,国際法医遺伝学会(International Society for Forensic Genetics:ISFG)が主催する2年に1度の世界会議で,1965年に第1回の会議が開催されて以来,すでに19回を数える。
 1999年にサンフランシスコ,1997年にオスロ,1995年にサンチャゴ・デ・コンポステラ,1993年にベニス,1991年にマインツで開催されており,今世紀最初の本国際会議は,ウエストファーレン条約が締結された地として有名な独・ミュンスターのミュンスターランド・コングレスセンターにおいて,Bernd Brinkmann教授(ミュンスター大)のもと,さる8月28日-9月1日に開催された。世界41か国から約500人の登録があり,日本からは滋賀医科大学の西克治教授をはじめ,30人が参加した。
 学会における特別講演数は6題,ワークショップは5セッション11演題,口頭発表は52演題,ポスター発表は195演題にのぼった。最近の日本国内で多く見られる,数ばかりを優先した短時間の発表時間と,質疑応答があるかないかの学会とは異なり,世界レベルの質の高い演題がISFG Scientific Commiteeにより厳選され,発表時間およびそれに対する活発な討論時間が十分に設けてある,全員が一堂に会してすべての発表を聴くことができる有意義な国際会議であった。その中で特に印象に残ったテーマを中心に概説したい。

国際法医血液遺伝学会から国際法医遺伝学会へ

 「人間の全遺伝情報を解読するヒトゲノム計画:解読終了」というニュースが,2000年6月26日(米東部標準時間)に全世界をかけめぐった。そして,この1年前の1999年のサンフランシスコでの本会議で,学会の名称が国際法医血液遺伝学会(International Society for Forensic Haemogenetics:ISFH)から,国際法医遺伝学会へ変更された。ISFGは,DNA鑑定・検査のもっとも権威のある学会であり,ガイドラインやマニュアルを全世界に提言している。

遺伝子解読から機能解明へ

 2000年という区切りに宣言された人間の全遺伝子の解読までを第1期とするなら,遺伝子の機能を解明して革新的な医療技術や遺伝子産業へと発展するこれからの生命科学を,第2期と位置づけることができるであろう。1人の人間は,数万種のタンパク質をコードする遺伝情報を持っている。遺伝子の機能を個人別に解明していけば体質の違いも,疾病の原因も特定できる。予防も診断も治療も個人別に対応できる「オーダーメード医療」が視野に入ってきた。
 ヒトゲノム計画で,日米欧を中心とする国際チームが解読したのは,研究に参加した各国が匿名を条件に了解を得た複数の人間から採取した染色体で,その数はわずか200人にすぎない。それを断片に分けて分析した結果が今回の解読であり,データ全体としては人間1人分になっているが,各部分は人種や性別が違う人間の遺伝情報が無作為に並んだものである。
 ISFGに課せられている重要課題は,DNA鑑定・検査のガイドラインやマニュアルに関わる(1)SNP(Single Nucleotide Polymorphism)の解析,(2)民族・国別のデータベース化である。
 また半導体チップと似た手法で製造されるDNAチップは,診断に威力を発揮し,今回のISFGでもサンチャゴ・デ・コンポステラ大学のCarracedo教授を中心とするグループから発表された。多数のSNPを1つのDNAマイクロアレイで解析するこの方法は,爆発的に普及するものと予想される。
 さらにISFGには,英語・ドイツ語・スペイン/イタリア語・日本語の各言語別ワーキンググループがあり,DNA型判定の技術的品質管理,技術・鑑定技能の均一化,データベースの各国共有化,親子鑑定ガイドラインの作成についての討議がなされている。特に親子鑑定については,日本全体でわずか年間約200件の鑑定数であるのに対し,独・ハンブルク大学だけでも毎年,年間900件,独・ミュンスター大学でも500件と,欧米での件数の多さから,このガイドライン作成の重要性が理解できる。

薬物代謝酵素の毒理遺伝学

 薬物代謝酵素の遺伝子型に関して,ヘルシンキ大学Sajantila教授のグループは,Pharmacogenetics in Forensic Medicineの報告の中で,薬物代謝酵素遺伝子CYPのSNP-typingは重要であり,「genotyping検査は,unknown deathの場合の死因究明のための“molecular autopsy”である」という新しい概念を提唱し,今後のこの分野の重要性が認識された。
 筆者ら鳥取大学を中心とするグループも,薬物代謝酵素遺伝子のうち,特に基質特異性の高いCYP2C19に注目しSNPを調べ,中毒作用発現リスクの判定について報告した。「CYPの遺伝子多型による酵素活性の減弱や消失は,解毒的代謝の遅延および薬効の過剰発現の強さを決定する最も重要な因子であり,薬物代謝酵素遺伝子のSNP-typingは,中毒学的診断に今後きわめて有用なツールになる」と結び,聴衆の反響を呼んだ。さらに,今回の発表と質議応答を通じて,この分野における最先端の到達点が明らかとなり,今後の私どもの研究を進展させる上で,この上ない貴重な情報を得ることができた。また,今後の研究方針を決定する上でのきわめて重要な討議に参加できたことは大変有意義であった。

おわりに

 日本の法医遺伝学の研究は,多くの先達がその優れた研究成果を報告し,日本国内のみならず世界の当該研究分野への発展に対し,先駆的・革新的に貢献してきた。1996年に箱根で開催したISFH国際シンポジウムも,その1つである。
 かつての神聖ローマ帝国の領主司教が住んでいたバロック様式の壮麗な城館Residenzschlossが,今でも大学校舎として使用されている伝統あるミュンスター大学は現在,先端医療分野で特に有名である。今回,Brinkmann教授を会長とした本国際会議は,時と場所を得て大成功であった,と筆者は確信している。
 次回第20回ISFGは,2003年に仏・ボルドーで開催されることが決定した。新たな世紀を迎えてのISFGが,今後さらなる発展を遂げることを切望する。
 最後に,本国際会議出席にあたり,多大なご援助をいただいた金原一郎記念医学医療振興財団に厚く御礼を申し上げます。