医学界新聞

 

〔連続対談〕

日米の現況から進むべき医療の道を探る

内科医と外科医の対話(後編)

2456号よりつづく


黒川 清氏
東海大学医学部長

木村 健氏
アイオワ大学医学部教授


■パブリックへの質の保証

専門医試験(ボード)について

木村 ある時,アイオワ大学から京大に留学しているアメリカの学生が自転車で転んで怪我をしたのです。「膵臓破裂」でした。コンサバティブ・マネジメントで事なきを得ましたが,父親がアイオワ大学関係の人でしたので,事件直後に私に連絡が入り,「救急医のボード(専門医の資格)を持った医師のいる病院を教えてくれ」と言ってきました。
 父親は医学部とは関係ありませんでしたが,「ボードを持っている医師」とパッと口に出すほど,各科の専門医は,アメリカでは社会的にも高い評価を得ており,そのために安心して受診するわけです。
黒川 アメリカでは,どこの大学の出身かとか,どこでトレーニングを受けたか,ということより,「内科のボードを持っている」ことでその人のレベルがわかるから安心です。社会に対して品質保証がなされているから,「専門医」という肩書きに意味があるのです。パブリックのほうも「それなら,余計にお金を払ってもかまわない」と思うわけです。
木村 それが最小限保証された「知価」というものです。
黒川 常に品質を保証されているから,クレディビリティ(信用)がトランスペアレント(透明)で,アカウンタブル(検証可能)です。これは大事なことで,アメリカで「私はこのボードを持っています」と言う時は,医師養成にかかわる人たちが社会に向かってミニマムを保証しているということです。つまり,常にパブリックとキャッチボール,会話をしているからです。どうして,日本でも自分たちで品質管理してパブリックにアピールしないのでしょう。
木村 日本では学会の活動に社会性がないですね。「学会は学問をする人間の集まり」というところがあります。しかし,アメリカでは学会が世間に打って出ます。
 ご存知のように,アメリカではボードを取った人しか学会に入れません。例えば,外科のボードを取るには5年間研修し,試験に合格して初めて外科学会の会員になれるのです。先ほども言いましたように,ボードの試験問題を作るのは日本と同様に学会です。しかし,アメリカは“性悪説”を採っていますので,学会が試験を作り,そこが資格も発行するとなると,内輪の行事になり不正の温床になると考えて,これを避けるため,評価は第3者に委ねます。
 アメリカの大学には,何年かごとにそれぞれのデパートメント(科)を評価するシステムがあり,他科のスタッフあるいは他大学の人にお願いして評価してもらいます。その評価結果に基づく指摘には,期限も切って,きちんと対応しなければなりません。
黒川 混ざっていれば,お互いに共通の言語を持ち,共通の尺度を持つことができるのです。より広い領域の人たちが,お互いによりよいものを創ろうと,開かれた背景と場所で評価し合っているわけです。それがピアレビューの根幹ですし,そうすることで常にパブリックの信頼を得ているのです。だから,パブリックに対しても要求できるし,またパブリックも納得しやすいわけです。

医学教育改善の道:卒後臨床研修義務化について

木村 ところで,今度日本でも卒後臨床研修の義務化が行なわれるようですね。
黒川 はい。私は常々,卒後研修の義務化に際して,2年目の研修医が無医村に4か月行くように提言しています。すると,1つの無医村に2年目の研修医が2-3人行くことになりますから,無医村がなくなります。その上で,胸部外科は何人ということを徐々に決めて,インデックス・ケースはこうすると言えば,国民も政治家も納得します。そうなれば,一般財源から研修の費用を出してくれると思っています。
木村 アメリカで発行している「G7加盟国の医療統計」から日本だけが抜けています。統計の取りようがないのです(笑)。
 例えば外科の研修に関しては,G7のうち6国は,「わが国は3年臨床研修,1年研究」とか,「2年研究」というシステムをそれぞれ採用しています。ところが,日本だけがそれがないのです。それぞれの大学の医局で異なるので,統計の取りようがないのでしょうね。つまり,国全体としての研修のコンセプトがないのです。卒業したら国家試験を受けて,それでもう一人前の医師だと突き放しているわけですから,一種の野放し状態ですね。

■新しい時代を担う医師の養成

次世代のために

黒川 そういう点では,医師を育てる側に,コンセプトもなければフィロソフィもありません。さらには社会に対する責任感もありませんし,また社会も今まではそれを要求してこなかったのです。そして,大学の先生方は,今私たちが話しているような,アメリカの現状はなるべく聞きたくないのです。彼らにとっては「雑音」だと思います。
 やはり,パブリックに伝えなければならないし,それには新聞などのマスメディアがもっと書かなければだめだと思います。そうでないと,将来,世界に胸を張れるような人が出ません。次世代を担っていく若い医師がかわいそうです。世界に出ていった時に気後れもするし,実力でもおくれをとってしまうでしょう。そしてさらには,その人たちに診てもらわなければならない日本人もかわいそうです。
 例えば,最近は新聞紙上でも,報酬や日常生活も含めて研修医の状況が頻繁に報道されていますが,こういうことをもっとメディアは社会に知らせるべきです。そうすることによって,現実をパブリックと共有しなければいけないでしょう。
 現在,医学教育についてさまざまなことが言われていますが,そのプロダクト,つまり教育した結果である学生や教員を評価できないから意味がありません。「うちはよい教育をしています」「よいカリキュラムを作りました」とか,「クラークシップをやっています」と言ったところで仕方がありません。やはり,皆さんが「うちのプロダクトを見てください」と見せない限り意味がないですね。それをやって初めて教育の成果を共有できるのです。混ざらないところにはプロなど決して育成できません。
 「何ごとも内輪でやっていたら腐る」と木村先生がおっしゃったけれども,まさに腐り切っています。大学教育も行政も政治や企業も同じです。20世紀は何とかごまかしてきましたが,21世紀は乗り切れるはずはありません。私たちの時代はそれで済みましたが,このグローバリゼーションの時代には困るのです。
 私が若い人たちをアメリカに留学させているのは,若いうちにより広い世界や本物を見せることで,自分のターゲットとするものの選択肢が増えるからです。東大にいた時も,よくアメリカから教員を呼んできてラウンドしたのですが,そうしているとアメリカへ行って臨床をやろうという人が出てきます。彼らが成長して,「内科のボードを取りました」などと言ってくるとうれしいですよ。そして,その人が帰ってきた時にラウンドをしてもらうのです。また,スタッフとして雇うにしても,レベルがわかっているから安心です。

「学位制度」について

木村 日本の医学教育を変えようと思ったら,どこを攻めればよいのでしょうか。
黒川 厚生労働省はある程度海外の事情を知っているので,変えたいと思っています。しかし,結局は大学病院が強いからうまくいっていません。
 日本には,医学博士という制度がありますが,それを与えるのは大学教授の権限なのです。つまり文部科学省です。そのために,皆こぞって入局するのです。もしも,今後は医学博士など要らないとなれば,大学には残らず,かなりの人が外へ出ると思います。しかし現状では,博士号を取らないと病院の部長や大学講師になれないので,大学に籍を置くわけです。そして,それだけが現在の権威の拠り所ですから,教授や文部科学省は手放したくないのです。ところが,学位制度があるのは日本とドイツ,ドイツ系のヨーロッパのわずかの国だけです。これはドイツの「ハビリタシオン」という制度を採り入れたからですが,ドイツ自体がこの制度を廃止しました。
 しかし,日本ではそれが話題にもなりません。いかに世界からずれているかということです。「日本の常識は,世界の非常識だ」ということを,日本の自称「リーダー」が知らないところに,日本の悲劇がありますね。
 大学の先生は「研究をしている」と言います。しかし,研究をテニスにたとえてみると,ウインブルドンのレベルと趣味や健康のためのテニスとはまったく異なるのに,それをすべて「研究」と称してごまかしていることも多いわけです。
 しかも,人口比で言えば,今日本は世界で最も多く研究に国が投資しています。アメリカより上位にいますが,そのアウトカムも一番か,というととんでもない話です。旧態依然とした大学にいくら研究費を投資しても,公共事業と同じで完全な無駄遣いです。

“競争原理”が欠如した社会

木村 おっしゃる通りです。私は外科医ですので,悪いところがあれば切って治すのが仕事ですから(笑)。
黒川 先生のいらした頃から,日本人の基本的なものの考え方は変っていないようですね。
木村 そうですね。この15年間変っていませんね。
黒川 一歩でも踏み出すことが大事です。
木村 そうするためには,まずは「競争原理の導入」でしょうか。
 しかし,日本は「和の国」だから,アメリカと同じような競争社会にすると,社会構造の土台がグチャグチャになってしまうのではないでしょうか。日本はお互いに助け合って,困る人が出ないようにしよう,落ちこぼれがないようにしようという社会です。そういうところに,いきなり「今日から競争原理を取り込みます」と言っても,どうしても形だけのことになるでしょうね。
 アメリカでは落ちこぼれたその日から,ホームレスになろうが何になろうが誰もかまってくれません。日本では,そういうことはできないでしょう。日本のパブリックが許さないですよ。アメリカでは「落ちこぼれるのは本人が悪い」ということになりますが,日本では「そこまで非情になっていいのか」ということになるでしょう。
 本当の競争社会では,必ずホームレス,つまり敗者が出るような仕組みになっているのです。負けたものに対しては,水に溺れる犬を上から叩くようなことをする,そういう社会です。そこまでしないと,本当の競争にならないと信じているのです。
 野茂だって,イチローだって,タイガー・ウッズだって,何百万人の中から出てきてトップに立っているわけで,全員が彼らと同じと思うのは間違いです。
黒川 皆がなれないとしても,なれる人にはよい社会ですよね。
木村 競うチャンスは平等に与えられているのですから,出身大学がどこであっても,人種が何であっても,国籍がどこであっても関係ありません。
黒川 そうですね。私もアメリカに15年間いましたが,出身大学を訊かれたことは一度もありませんでした。その代わり,「あなたは,何なさっているのですか?」と訊かれました。そして,それに対してそれなりのリスペクトを払うわけです。

“good doctor”になるために

黒川 例えば,医学部を卒業したら,「開業して,よいお医者さんになりたい」という希望を持つ。それでいいわけです。
 ところが,日本では皆が大学の教授になりたいと思っています。私の娘はファミリーメディスンをやりたいと言って,現在,米国でレジデントをしていますが,非常に忙しいですね。「大変だね」と言ったら,「それはそうよ。私は“good doctor”になりたいのだから」と当たり前のように言います。そういう価値観を持つようになったのは,おそらく,大学にいる時から周りにそういう人たちをたくさん見ているからです。そして周りの人たちも,そういう医師たちを育てようと考えているからです。
木村 “good doctor,better doctor”をめざす,育てるということですね。ベストというのはいない。ベターなドクターになれば,収入も多くなります。プロの世界ですから,自分より打率の低い人の年俸が自分より多いはずはありません。
 アメリカの医学界は,どちらかというと日本の相撲の社会に似てると言っていいでしょう。横綱になるのは,出身も年齢も関係ありませんからね。

「グローバリゼーション」の中の「スタンダード」

木村 日本の「和の社会」には,それなりによいところがあります。収入も財産もない者に対しては,生活保護という制度で生存権を保護していますが,アメリカでは生活保護を受けている人が私立病院で「診てくれ」と言っても,「あなたは市民病院で診てもらいなさい」と言われることもあります。そういう非情なところがあります。
黒川 その代わり,セイフティネット(安全網)はありますね。
木村 ええ,セイフティネットはあります。しかしどういうわけか,日本のメディアは,アメリカ社会にセイフティネットがあることをあまり報道しませんね。「アメリカでは,貧乏人は放り出される」と言う極端な報道だけですね。
黒川 しかも,セイフティネットに携わっている医師のクオリティは,日本よりはるかに上ですね。
 もちろん,国によって歴史があり,文化があり,価値観があるわけですが,アメリカはたかだか300年の歴史しかない国です。しかも,「多くが移民である」国です。移民というのは,もともと自分の国では幸福ではなかった人たちですから,常に上昇志向があるわけですね。「何か新しいことをしよう」というパイオニア・スピリットを持って常に変えてきたわけです。そしてその中から,多民族国家としてお互いに共通の価値観を医療,教育,研究,金融,ビジネスなどに見出して,皆にとってよいもの,より普遍的な価値のあるものを作ってきたわけです。
 しかし,「普遍的価値観や共通の価値観を持つ必要がないもの」,例えばお葬式のやり方などは,現在でもそれぞれ独自の方式でやっています。現代のように,グローバリゼーションの結果,世界が狭くなると,そのようにして築いてきた普遍性の高いアメリカのシステムが,世界中に共通の価値を与える可能性が最も高いと思うのです。
木村 そうですね。
黒川 単にそれだけの話であって,私は何も「アメリカがすべてよい」と言っているわけではないのです。
 世界中がグローバル・スタンダードに向かっている時に,「日本の医学教育や医師の教育は,日本流でよい」と言っても,それでは日本のパブリックが納得しないでしょう。21世紀は,そういう時代なのです。
 私は日本の大学はあと10年で潰れるとさえ思っています。なぜかと言うと,より優れた人たちは世界のトップの大学をめざすでしょうからね。すでにMIT(マサチューセッツ工科大学)のシラバスは,インターネットを通してすべて無料でダウンロードできます。私はうちの大学の先生たちに,「MITのシラバスよりもよい内容のマテリアルを作る自信がないのなら,作らなくてもよい」と言っています。「それよりも,MITのシラバスなどをいかに学生たちに伝えるか,それが先生たちのスキルの問題です」と言っているのです。

「日本異質論」の澎湃が

黒川 アジア人は現在地球の人口の6割です。そのうち半分の国のリーダーにはイギリスで教育を受けた人が多いのです。パキスタンの医師は経済的な事情から高価な医療機器が購入できないから,検査ができないことはあっても,非常に高い臨床能力を持っています。つまり,アングロサクソンの価値観を理解しているのです。
 そして中国や韓国,台湾,ベトナム,タイなどのリーダーにはアメリカで教育を受けた人が多いですね。一方,日本では,民間企業や官庁のリーダーは,日本の大学を卒業した人たちばかりですから,今言ったようなアジアの価値観が理解できなくなっているのです。これはおそろしいことだと思います。
木村 「日本異質論」が澎湃してくる可能性を秘めています。
黒川 「日本が異質だ」と世界の人が思い始めているでしょうね。今は,日本が世界有数の経済大国だからつき合っているだけだと思います。
 私は今年のダボス会議に行ってきましたが,そこで話を聞いていて,「日本がおかしいということを,世界中のリーダーが知っている」ということを実感しました。「どうすればよいのかということがわかっていても,日本にはできないだろう。その理由も世界中の人が知っています。しかし,日本は世界で2番目のGDPを持っていて,これが壊れるととばっちりを食うから困る」,それだけのことです。それがなければ,日本なんかとつき合いたくないというのが彼らの本音ではないか。私はそんな印象を受けました。
 世界の人々が,そのように日本の問題を知ってしまっているのに,日本のリーダーだけがそういう認識を持っていない。かつまた,それをパブリックにばれないようにしているのです。これは非常に危険な状態だと思います。

「社会性のある医師」の育成を

木村 日本には残念ながら,先生のおっしゃるように社会性のある医師が少ないですね。
 私は先日,日本胸部外科学会認定施設長の皆さんがお集まりの会で,「施設のマネジメントの話をしてくれ」と頼まれました。私はそこで,医学教育,医療から大学病院の問題までを含めて1時間話しました。その時の印象を率直に申しますと,日本では医学と社会の間に大きな乖離があると感じました。今,アメリカの医師の間では,経営学コースを受講するのがファッショナブルになっています。経営を考えずには手術もできない時代になりつつあります。これまでの医師は医学関係のヨコ書きの本ばかり読んで,それだけで「私は医師だから金勘定のことは……」と言っていれば,それで通用してきたわけです。そういう年代の人がマネジメントを押しつけられて仕方なくなさっているのですから,先生がおっしゃるように10年もすれば日本の医療機関や教育機関は潰れるかもしれませんね。
黒川 気のきいた人は誰も来なくなると思いますよ。
木村 もっと問題であるのは,皆さんが「私が現役の間は大丈夫だよ」と思っていらっしゃることですね。
黒川 そうやって先延ばししているのです。しかし,重要なことは,それでは次の世代が困るということです。彼らは,次世代の世界とのパートナーになっていく人たちです。だから,私は焦っているのです。
木村 AAMC(Association of American Medical College)が,先ごろアメリカの医学部の助手・講師・助教授・教授・各科の部長のサラリーを各科別に分けて公表しました。あまりパーフェクトなものではありませんが,それを,ある機会に日本の医師たちにスライドで見てもらったところ,先生方は大変なショックを受けたようです。例えば,胸部外科の分野で言えば,医学部を卒業して7年の研修を終え1人前の外科医になると,1つの大転換期がきて,それまでの研修医時代の4万ドルの年俸が一気に5倍に跳ね上がり,20万ドルになるのです。
黒川 その代わり,高等学校を出てから15年間も働き詰めですものね。そう考えると,「それだけのものが待っているからがんばれる」ということもあるでしょうね。
木村 胸部外科や小児外科の教授の年俸は最高で1億円を超えています。イチローまではいきませんが……(笑)。
 医師がイチローほどのサラリーを貰ったら,あちこちから袋叩きにあうでしょう。
黒川 個人的な話になりますが,私がこの年になって最も悔やまれることは,アメリカのフォーマルな臨床のトレーニングを受けなかったことです。
 日本で7年やってから向こうへ行って,最初は研究から始めまして,取得できる資格はすべて受験する機会を与えていただき,それを受け取得しました。その意味では「アメリカは非常にフェアだな」と実体験で感じましたが,もし,もう1度人生をやり直せるものならば,やはりフォーマルなレジデンシー・トレーニングを受けたいですね。
 アメリカの大学か,オックスフォード,もしくはケンブリッジで学んで,その後にアメリカの医学部に行きたいですね。そしてフォーマルなレジデントの研修を受けたい。それだけが今にして悔やまれることです。特に,現在の日本医療事情・医学教育の状況を見ていますと,つくづくそう思います。
 本日は,日米の医療のあり方を軸に,今後の医療のあり方について,示唆に富んだお話をいただき,ありがとうございました。
(本対談の続編を明春に掲載予定)