医学界新聞

 

印象記

第10回ヒトレトロウイルス学国際会議

石津明洋(北海道大学大学院医学研究科・病態制御学専攻病態解析学講座分子病理学分野)


はじめに

 ヒトに感染し疾患を発症させるレトロウイルスとして,ヒトT細胞白血病ウイルス(Human T-cell Leukemia Virus:HTLV)とヒト免疫不全ウイルス(Human Immunodeficiency Virus:HIV)が,1980年から1983年にかけて相次いで同定された。これらのウイルスについて,基礎的研究から疫学的研究,臨床的研究に至るまで,国際的に広く学術的意見交換の場を提供することを目的として,国際レトロウイルス学会(The International Retrovirology Association-HTLV and Related Viruses)は,1984年に第1回ヒトレトロウイルス学国際会議(International Conference on Human Retorovirology:HTLV and Related Viruses)を開催した。以後,本会議は2年に1回を原則として開催され(1994年と1995年は続けて開催された),今回で第10回目を迎えた。現在は,HTLVのうち成人T細胞白血病や痙性脊髄麻痺,ブドウ膜炎などの原因ウイルスとして知られるHTLV-Iと,それに関連するHTLV-IIやフォーミーウイルス,内在性レトロウイルスなどが話題の中心となっている。
 今世紀最初の本会議は,University College DublinのWilliam W.Hall博士が会長となり,6月25-29日まで,アイルランド・ダブリン市街のトリニティ・カレッジで行なわれた。トリニティ・カレッジは,1592年にイギリスのエリザベス1世により創設された,由緒と伝統を誇るアイルランドの最高学府である。会議には30を超える世界の国々から約400名が参加し,日本からは第9回会議の会長を務めた鹿児島大学の納光弘教授をはじめ,60名以上が参加した。
 会議に先立ち行なわれた開会式では,Mary McAleeseアイルランド大統領による開催宣言が行なわれ,当日まで大統領が来ると知らされていなかった参加者からは驚きの声が聞かれた。同時に,彼女のレトロウイルス学に対する関心度の深さに,会議全体の緊張感もおのずと高められたようであった。
 会議では,レトロウイルス学の世界的権威の1人であるRobert C. Gallo博士が,「レトロウイルス学の過去・現在・未来」について特別講演を行なったのをはじめとして,8つのセッションにおける104題の基調講演と,5つのテーマのワークショップ,および175題のポスター展示が行なわれた。以下に,その中で特に印象に残ったテーマについて概説する。

基調講演-動物モデル

 レトロウイルスの多くは,限られた宿主にしか感染しない。したがって,ヒトレトロウイルス感染症を研究しようとする際,適当な動物モデルが存在しないことが,病態解析や新しい治療法の開発研究における障壁となっていた。これまでにも実験小動物にヒトレトロウイルスを感染させ,ヒトの病気を再現させる試みは行なわれ,いくつかの成功例が報告されてきたが,特に生命予後が不良であるT細胞白血病を発症するHTLV-I感染小動物モデルは作製されていなかった。今回の会議において初めて,T細胞系腫瘍を発症するHTLV-I遺伝子導入マウスの報告がなされた。
 このマウスは,今回の会議の主管を務めるHall博士の研究室で作製された。Hall博士らは,リンパ球に選択的に遺伝子を発現させることが可能なlckプロモーターの制御下に,HTLV-IおよびHTLV-IIのTaxをコードする遺伝子を組み込んだコンストラクトを,それぞれマウス受精卵に導入して遺伝子改変マウスを作製した。これらのマウスは生後19か月から26か月の長期を経て,ヒトの成人T細胞白血病/リンパ腫に類似したT細胞系腫瘍を発症した。
 講演後の質疑応答で,高齢マウスにおける発病であるため,導入遺伝子に関連しない自然発症の懸念があると指摘されたが,現在までの観察では同年齢の同胞正常マウスに同一の疾患の発症は認められないとの返答であった。今後,頭数を増やして確認する必要があるが,確立された系統として樹立されればHTLV-IならびにHTLV-IIのTaxの細胞腫瘍化が生体内で証明されるのみならず,その機構の解明や新薬の開発などの研究が飛躍的に進む可能性が期待される。

ワークショップ-免疫

 現在,HTLV-Iの最大の感染経路は母子感染である。生後早期に感染が成立するため,宿主の免疫系は感染細胞に対して不応性になり,そのため,長期の潜伏期を経て感染T細胞の腫瘍化が起こると考えられている。一方,同じHTLV-Iの感染者の中に痙性脊髄麻痺を発病する患者群があるが,その発症機序として,脊髄における感染細胞に対するアレルギー反応が想定されている。すなわち,脊髄に潜伏するHTLV-I感染細胞が,何らかの機序で不応性の解除された宿主免疫細胞に攻撃されることにより,周囲組織にも障害を引き起こすというストーリーである。
 当初,脊髄に存在する感染細胞はCD4陽性T細胞で,これを攻撃するのはCD8陽性のTax特異的細胞傷害性T細胞(Cytotoxic T Cell:CTL)であるという図式が描かれたが,近年複数の研究施設からCD8陽性T細胞もHTLV-Iに感染しているとの実験事実が提示され,痙性脊髄麻痺の発症機序については,未だ混沌としているのが現状である。同時に,CD8陽性のTax特異的CTLが存在することも,多くの研究者らにより支持されている。
 東京医科歯科大学の神奈木真里教授は,このTax特異的CTLの生体内での働きについて,興味深い実験結果を提示した。神奈木教授らのグループは,HTLV-I感染不死化ラットT細胞株を同系ヌードラットに移植するとT細胞系腫瘍を発症するが,免疫系の保たれた同系ラットへの移植では腫瘍は発生しないことから,このラットの免疫系にはHTLV-I感染細胞を除去する細胞が存在すると考えた。実際,このラットの脾細胞からCD8陽性のTax特異的CTLを誘導することが可能であった。さらに,このCD8陽性Tax特異的CTLをヌードラットに養子移入することで,HTLV-I感染不死化ラットT細胞株を移植した際のT細胞系腫瘍の発生を抑制することに成功した。このことは,CD8陽性Tax特異的CTLが,生体内でHTLV-I感染細胞の除去に関与していることを実証し,Taxを標的としたワクチンや養子免疫療法が,成人T細胞白血病の新しい予防法,または治療法となる可能性を示唆する意義深い結果と考えられる。

基調講演-内在性レトロウイルス

 レトロウイルスにはHTLVやHIVのようにヒトからヒトに感染するものの他に,人類の進化の過程でゲノムの中に内在化したと考えられるものも存在する。そのような内在性レトロウイルスはヒトゲノムの約1%を占めると言われるが,その生物学的意義については不明である。ヒト疾患との因果関係が明らかでないため,研究テーマとしては扱いづらく,これまでは関心を持つ研究者も多くなかった。
 今回の会議でもセッションの会場は小会場であったが,予想に反して多数の参加者があり,席につけない者もいたようであった。近年,いくつかの内在性レトロウイルスは発現し,病気との関連性が認められたとの報告もなされていることから,興味を持つ研究者が急速に増加している印象を受けた。
 討論の際,現在は内在性レトロウイルスの発現が何らかの疾患の病因として働いている可能性に注目が集まっているが,人類の長い進化の過程で淘汰されずに残った遺伝子であるからには,生体にとって何らかのベネフィットがあるに違いないというディスカッションがあった。著者にとっては目からうろこが落ちる問題提起であり,今後の研究に生かしたい。

おわりに

 本会議のような国際会議では,各国の研究者たちと情報交換を行なうことも重要である。今回の第10回会議は,どのセッションでも今まで以上に盛んなディスカッションが展開され,十分な情報交換が行なえたとの評判であった。確かに,会議全体に学術的な集中力とともに,親密な雰囲気が感じられた。Hall博士をはじめとする役員の方々の繊細な心遣いにあふれた会議運営に負うところが大きいものと推察する。
 また,連日の会議終了後,会場以外での情報交換も盛んに行なわれたようであった。なにしろアイルランドといえば「ギネス」である。会場となったトリニティ・カレッジ周辺のパブでは,名札をつけたままの参加者が,ギネスのワン・パイント・グラスを傾けながら,会議の時間内では終わらなかったディスカッションの続きをしている光景が印象的であった。
 最後になりましたが,今回私に本会議参加のための助成を与えてくださった金原一郎記念医学医療振興財団に感謝の意を表します。