医学界新聞

 

〔座談会〕

インターネット教育の試み


中山和弘氏
聖路加看護大学助教授
前愛知県立看護大学助教授(

藤井徹也氏
愛知県立看護大学講師

岡本悦司氏
近畿大学医学部講師

箕浦哲嗣氏
愛知県立看護大学講師
<紙上参加>
 
(注)中山和弘氏は,本稿収録後,本年9月1日をもって,
聖路加看護大学に赴任されました。


■インターネット教育:現況と現在に至るまで

「パソコン通信」からスタート

――本日は,インターネットおよびインターネット教育についてご関心,ご造詣も深く,各大学でインターネット教育を積極的に推進されていらっしゃる先生方にお集まりいただき,インターネット教育の現況や課題,また将来の展望についてお伺いしたいと思います。
 まず最初に,自己紹介を兼ねまして,インターネットとの関わりについてお話しいただけますか。
岡本 現在は,近畿大学で公衆衛生学の講師をしておりまして,医学部1年生を対象とした「医療保障学」を担当しております。同時に付属の看護専門学校で「社会福祉」の科目を担当しています。その他には公衆衛生の「学外実習」と,2年生以上に採用している「テュートリアルシステム」も担当しています。
 パソコンとの関わりをお話ししますと,最初に告白しておきますが,コンピュータについては“からっきし”と言ってもよいほど弱いと自らは思っています。何とか使いこなせるようにはなりましたが,それは機器が進歩したからであって,10年ぐらい前にはMS-DOSも満足に扱えませんでしたし,十数年前にアメリカへ留学した時にも,言葉の壁もあって大変苦労をした経験があります。10年ほど前にパソコン通信が始まり,私もニフティに加入しましたが,そこに「掲示板」がありました。それまで教育内容はすべてワープロで作り,印刷した紙で配っていましたが,学生の中に「そのまま自分のワープロでも使いたい」と言う人のためにその掲示板にも載せました。当時は,まだ使っている人も少なく,他の教官から「なぜうちの大学の医療保障の資料がこんなところに載っているのだ?」と問い合わせを受けて,びっくりしたことがありました。
 スタートはそのようなものでしたが,基本的にいくら教員個人が教育方法を改善しようとしても,大学全体の教育体制や設備にかなり左右される面が強いと思います。

「グループディスカッション」と「パソコン教室」の開設

岡本 私の科目も当初は階段教室での講義でしたが,カリキュラム改正によって,机と椅子を自由に移動できる教室に変更になりました。そこで,7-8人ずつのグループを作らせ,テーマを与えて議論させるようにしたわけです。
 次の変化は,99年9月に「パソコン教室」ができたことです。Windows98をLANで繋いだ機械が入り,授業に使いたい場合は,自由に使えるようになりましたので,教室を三たび変更し,授業内容もそれまでのように紙に印刷して配るのではなくホームページに載せて,そこからプリントアウトしても,またファイルの形で家に持ち帰ってもよいようにしました。
 そこで,それまでのグループディスカッションの授業よりは,さらに学生の満足度が高まったと期待して授業評価をしましたが,さほど評価が上がらなかったのには少しがっかりしました。むしろ少し悪くなったということでした(笑)。
 なぜかと考えますと,学生はパソコンとにらめっこしているだけなのです。つまり,単に紙や黒板が画面に変わっただけで,階段教室での一方通行の授業に逆戻りしてしまったわけです。

インターネットの力を発揮させる

岡本 そこで,2年目に入った去年から別の工夫を考えました。グループディスカッションの授業評価が高かったのは,授業の半分は7-8人で好きなように議論できることにありましたので,それを取り入れなければいけないと思いました。しかし,パソコン教室で議論するわけにもいきませんので,90分間の前半はテーマを与えて自由に学習する時間にしました。ここでインターネットの力が発揮されるのです。インターネットには検索機能がありますので,簡単にサーチエンジンの使い方を教えて自由に検索させました。
 このパソコン教室は,学生が今どういう画面を見ているかということを,教官がモニターすることができるのです。50人が一斉に「医師過剰」とか「医学教育」というテーマで検索しますと,私も「こういうサイトがあったのか」とちょっとびっくりするようなものを発見してきます。よいサイトがあると液晶プロジェクターに映して,全員に見せるわけです。そして,それだけでは遊びになってしまうので,後半には私が用意した「これだけは知っておけ」というものを講義するようにしました。また,看護専門学校の学生に対しては,自分でホームページを作らせたりしました。
 インターネットというのはどこへ飛んでいくかわからないわけで,「どこへ行ってもかまわない」と言われると,逆に「こういう順路がある」ということを示すガイドブックに対する要望があるということもわかりました。

新設大学に赴任して

中山 インターネットとの出会いということになると私の場合は,まず愛知県立看護大学に赴任する前の大学では,当たり前のように全部屋にインターネットにコネクトするジャックがついていました。93-94年頃のことで,ちょうどWWW(ワールドワイドウェッブ)のブラウザが出て,特にネットスケープ1.1が出て,誰もがインターネットのホームページを気軽に,しかもWindowsで見られる状況になりました。
 しかし,当時は実際にメールのやりとりをする時に,「件名のところに日本語を入れてはいけない」という時代でした。愛知県立看護大学は1994年に新設された大学ですので,「インターネットは入りますね」と赴任する前に訊いたら「その点はよろしくお願いします」と言われました(笑)。
 愛知県立看護大学の情報関連の担当課目は,3年前期必修の「保健医療情報学」と3年後期選択の「保健医療情報処理」ですが,他の保健系の科目を含めて私の授業は3年目から始まるので,赴任してから2年間は授業がありませんでした。「インターネットのことはよろしく」というのは,「2年間かけて大学にインターネットを引いてください」という意味だったわけです(笑)。
 今なら,業者に頼めばすぐ引いてくれますが,当時はまだ業者は大手に限られ,コストも大変かかりました。しかも,県が全面的に応援してくれると思っていましたが,「何のために要るのですか」という状況でした。県庁にも県立大学にも通ってないのに,なぜ看護大学に必要なのかということです。
 一生懸命理由を考え,「医学系ではこういう状況である。海外ではこういう状況である。メールがなければやっていけない」と,多少先走ったことを話したりして苦労しました。

教員より学生の対応が速い

中山 しかしどうにか繋がって,学生に教える段階になりましたが,パソコンの使い方も,インターネットの使い方も教えなければいけないわけです。
 愛知県立看護大学では,「保健医療情報学」は「講義」という課目になっているのに,その半期の中でパソコン教室もやり,インターネットも教えるのは難しいので,とりあえずパソコンを自由に使えるように開放しました。授業では基本的な使い方を教えた後に,簡単なマニュアルを置いて,「あとは自分たちでやりなさい」ということにしました。「ネットサーフィンをしても,メールを出してもかまいません。メールを出す相手がいなければ,返事を書いてあげるから,私に出しなさい」ということから始めました。
 もちろん,インターネットの技術だけではなく,「コンピュータ・リテラシー」や,なぜインターネットが普及してきているのか,という歴史的背景も教えました。
 Windows95が出てからはコンピュータが急激に普及し,まさに嵐のような5年間でしたが,利用面から見れば,教員より学生のほうがはるかに速かったですね(笑)。

インターネットを使って,自己学習を深める

藤井 「インターネットとの出会い」と呼べるかどうかわかりませんが,私の場合は大学院にいた91年頃に,先輩から「これからはペーパーもインターネットから取れる時代が来る」と言われました。これからはそういう時代がくるという予感をこの時に感じました。
 また,インターネットについて個人的に感じたのは,助手の時にはLANが引かれていない大部屋でしたので,1人がモデム回線を使ってしまうと誰も連絡が取れないという大きな問題がありました。
 私は,「基礎看護学」の技術を中心に担当していますが,学生たちが学習していることが,臨床でどのように行なわれているかを確認するためにインターネットを活用できるのではないかと考えています。臨床の人たちのサイトに看護ケアの工夫や効果などの情報が示されていれば,それを確認することで,対象に合った個別的なケアの工夫などを考えることができ,より深い学びにつながると思います。

ナースのためのインターネット

中山 『ナースのための わかる! 使える! インターネット』(医学書院刊)は,藤井先生のリーダーシップのもとに作られました。アメリカではこの種の本が既に数冊出ていました。しかし,日本では医師・医療関係者向けの本は出ていましたが,ナース向けのものはありませんでした。
 企画の段階では,教科書代わりということも考えましたが,インターネットだけ,あるいはそればかりを中心として教える科目は多くはありませんので,いろいろ考えました。特徴を持たせるためにも,漫然と網羅的にするのを避けました。
 教育という大きな問題もあるでしょうが,現役のナースたちが,のちのちに「ホームページも作ってみようか」というところまで意欲をかき立ててもらう,という目的がありました。ナースが個人で開設しているホームページに関しては,ほぼすべてフォローしていると思います。
岡本 よくこれだけのサイトを探せたものだと感心しました。

■インターネット教育:その展開と課題

インターネットの活用法:「視聴覚教育」について

藤井 私も80人を2つのクラスに分けて担当しています。ところが,レポートを書くための図書を先のクラスが独り占めしてしまうので,後のクラスは必要な図書が常に「貸出中」になってしまうのです。
 これは,「インターネット出版」と関係すると思いますが,何か共通した情報の提供ができるベースを教員側がオープンにしてあげればその問題は解決します。現状では同じ本を2冊買っても,先のクラスが2冊とも持っていってしまいますし,現実的には予算縮小があって,必要な冊数を購入することも難しい状況です。そういう点でインターネットを活用して,必要な情報が得られるようになると,このような問題も解決できると思います。
 それから,技術教育のデモンストレーションはその時だけのものであって,復習のためにもう一度デモンストレーションを見るには,VTRの利用が効果的だと思います。VTRをどこにいてもに自分たちでダウンロードして,自由に見て復習してもらえるようにすることで,疑問点なども考えられ,その内容を次の講義の時にディスカッションに取り入れて学習効果を高めることも期待できます。「基礎看護技術」だけかもしれませんが,そのような形が看護での活用方法として考えられると思います。
岡本 視聴覚的な活用法ですね。
藤井 ええ。また参考文献に関しても,2つのグループに分けた時に,情報の提供として,先のグループだけが優先して差ができる教育ではなく,情報が両方のグループに平等に伝えられるようなベースを教員は絶えず作らなければいけないと思います。
 例えば,大学内のホームページに「基礎看護学」というページを作り,そこに講義に活用できる参考文献を紹介するとよいと思います。この時に,図書館で利用できるものだけでなく,インターネットで活用できる文献を提示しておけば,グループ間の差がなくなるのではないかと思います。
岡本 本ですと,1人しか借りることができませんからね。
藤井 その辺りも考えないと,格差ができてしまい,学生からも苦情は出てきます。

『ER』で生きた医学英語を

岡本 視聴覚教育のお話が出ましたが,私の大学では「医学英語」という科目があります。これは1人の先生ではなく,分担して教えていますが,外国雑誌の論文を読ませる先生が多かったのです。私は少し趣向を変えて,人気のある『ER』のビデオを使ってみました。しかも医学用語が豊富に飛び交う,生の英語のセリフを聞かせました。
 医師国家試験では,「OSCE(Objective Structured Clinical Examination:客観的臨床能力試験)」という実技試験を導入しようとしています。実技試験は身体を動かさなければいけませんから,その教育法の1つとして画像は活用価値があると教えながら思いました。英語を学ぶだけでなしに,学生にとって有意義だったと思います。
中山 「電子教科書」という流れも考えられるのではないでしょうか。教科書がネット上にあるというようになっていれば解決すると思いますが。
岡本 先ほどお話しした「テュートリアルシステム」というのは,専門分野に関係なく全教員が担当するシステムですが,解剖学に関して,本で読んでもわからないような三次元構造がきれいに出てくるサイトがテュートリアルのホームページにリンクされており,「世界にはもうこんな電子教科書が存在するのだ」と感心したこともありました。

海外との比較について

――先ほど,アメリカのことが話題に出ましたが,海外との比較という点ではいかがでしょうか。
中山 今年の1月にカリフォルニアの大学へ行き,教科書を売っている書籍部に行きました。その中で,専門に関連しているものでは,「環境科学=environmental science」の教科書が目につきました。副題は「Earth as a Living Planet」で,ハードカバーで1万円ぐらいです。綺麗な写真など図表をふんだんに使った環境全般の教科書です。欲しいと思いましたが,重いので帰ってからamazonで買うことにしました。
 Amazonで検索すると,「ハードカバー版」と「ソフトカバー版」の2種類が出てきました。ソフトカバー版というのは普通にありますけれども,あれだけのきれいな図表を使ったものがどうなっているのだろうと疑問に思いました。買ってみたら,厚さも半分ぐらいで,タイトルの上に「学生のためのインターネットを使った」とついているのです。
 中身を見ますと,30テーマの1つひとつに学ぶべき課題が書いてあり,どういう質問に答えられるようになればよいかと,実際に質問がついているのです。そして,インターネットのサイトが紹介されているのです。
岡本 CD-ROMがついているわけではないのですね。
中山 ええ。同じ内容でCD-ROM版も出ていることはわかったのですが,「何を学ぶべきか」ということだけが書いてあるのです。「そのための詳しい材料はインターネットで見なさい」ということです。だから,その分薄くなっているわけです。
 もちろん,ハードカバーのものを買えば写真などが載っていますし,教科書的には内容が増えているのですが,学生向けのものは中身を減らして,インターネットにそれを譲るという発想なのですね。この本については,出版社によってサイトが開設されていて,主な内容と最新のアドレスの提供も行なっています。
岡本 おもしろい出版形態ですね。
中山 調べきれませんでしたが,他にもその類のものは出ているのではないかと思います。材料になるサイトさえ見つけてしまえば,本には学ぶべき課題を載せるだけでよいでしょう。われわれが授業をやろうとするにしても,ポイントだけ押さえて,あとの中身が全部インターネット上にあれば,それを示すだけで済んでしまいます。

「道しるべ」としての教科書

中山 ただ,インターネットだけを見せますと,何が大事で,何を覚えればよいのかがわからないので,レジュメが必要だと思います。その部分を教科書にするということですね。教材がインターネット上にあれば,そうなってもおかしくないと思います。
 教材があふれるようになればなるほど,「道しるべ」となる教科書が必要になるでしょう。その役割は消えないと思いますので,やはり教員が情報を選択し,整理して伝えることが重要になります。そこから逆に,何を見出したらよいのかということを考えるべきでしょう。
岡本 経済面を考えれば,インターネット併用版と完全版の2種類あるとよいでしょう。全員がインターネットを見れるようにして廉価にするのも1つの戦略ですね。
中山 ただ,私が見た書籍部では,ハードカバー版が積まれていましたから,どれだけ使われているのかはわかりません。

「ガイドブック」の必要性

岡本 中山先生が「道しるべ」と言われましたが,よい比喩だと思います。例えばすでにこの場所はよく知っており,欲しいのは細かい情報である場合にはガイドブックが必要です。
 私がパソコンを使った授業方法を始めて,最も苦労するのは第1回目の授業です。というのは,個人差が非常に大きいので,それに応じた指導が必要だからです。コンピュータ科と違って医学系や看護系に来る学生は,いわゆる“オタク”的にパソコンを使いこなしている者と,まったくの初心者が混在している場合が多いのです。
 看護専門学校にも医学部にも「医療情報」という科目はあります。入学してすぐに受講できればよいのですが,カリキュラムの都合で,私の授業が先になってしまうこともあり,困ることもあります。
中山 私のところも3年次からでした。それまでは使えない状況でしたので,去年から1年次に「情報処理」を必修にしました。
 今はそれが有効に機能し,全員が使える状態になって3年生になります。情報処理を1年で必修にしているところも多くなったと思いますが,次第にインターネットの中身を教えなくても済む時代が近づきつつあるように思います。
藤井 逆に新入生はかなり使えます。むしろ上級生の問題かもしれませんね(笑)。
岡本 いや,実はそれも大きいでしょう。また,学生だけでなく,教員や医師や看護婦の問題でもあると思います。

■インターネット教育:今後の展望

臨床場面におけるインターネットの活用

藤井 ところで,今日の「教育」というテーマを「学校教育」に限定せず,「臨床場面における教育」まで含めて考えることも大切だと思います。
 臨床で働くためには,常に多くの新しい知識を得ることが必須となります。そのため,各々の施設や団体がセミナーなどを催しています。しかしながら,個人のレベルにあった知識を自分の力で追求しなくてはならないことが少なくないようです。このような時に,インターネットを活用することで,さまざまな場所から知りたい知識を,自分の理解しやすいレベルで検索できます。このことは,自分の時間を有効に活用し,知識を得ることにつながるという利点にもなります。
 また逆に,自分の情報などを他の人たちに発信したい場合には,自分が得た知識を自らのサイトなどで紹介していくとよいと思います。そして,このような活用法が行なわれることで,自らが専門職として積極的に知識を求める姿勢を高めていくことにつながると思います。
岡本 その場合,基本的には個人対個人でしょうが,ウェブサイトで一般に公開すること,つまり会員だけの「チャットルーム」のようにすることもできると思います。
藤井 そうですね。それから,臨床で研究を行なう場合にもインターネットは活用できると思います。
 例えば,文献検索においても,「医学中央雑誌」(www.jamas.gr.jp)などのサイトで必要な文献を探すことができますし,複数の「図書館」のサイトを開けば目的とする書籍の有無を確認できます。
 同時に,自分たちの考えている研究内容について,他の病院のスタッフとインターネットを活用して情報交換することで,共同研究を行なうことも可能になります。その結果,より深い内容の研究ができるのではないかと思います。
 このためには,個人レベルでもよいのですが,まずは「横のつながり」として,各病院のスタッフたちが,「こんなことを疑問に思います」とか,「うちのデータはこうです」などどいう形で情報交換することから始めるとよいと思います。

「コミュニケーション・ツール」としての活用法

藤井 ところで,例えば臨床の看護職の人たちに「看護研究」の指導をしていても,実際には中堅の5年目ぐらいの人が発表するのに,メールで研究に関する疑問を送ってくるのは1年目や2年目のスタッフが代行しているのです。このことは,メールが利用できるスタッフは若い方が多いのが現実で,スタッフ全員が使いこなすためには,もう少し時間がかかるのではないかと思います。
中山 私は全員が電子メールを使えるようにしています。レポートもすべて電子メールで出してもらいますし,それなりに使えるようになりました。
 卒業生の話を聞いてうれしいと思うのは,新人の時にメールで励ましあったということです。同じ学校の出身でも,就職先が異なると会う機会も少ないから,そういう時はメールで自分の悩みや愚痴を延々と書くこともあるそうです。基本はコミュニケーションですが,そういうメール活用があるのはよいと思います。

日常生活の中のインターネット

――学生の日常生活で,インターネットがどの程度の比重を持っているのでしょうか。先生方の学生時代と比較して,いかがでしょう。
中山 愛知県立看護大学の例ですと,郊外にあって,しかも最寄り駅も遠いものですから,授業時間が空いたりしても学内にいざるを得ません。
 以前はサークル室にたむろすることもあったかもしれませんが,それもないので,多くの学生がコンピュータ教室にいますね。たまり場になっています。コンピュータが48台ありますが,昼休みはほとんど埋まっています。
岡本 インターネット・カフェみたいになっているのですね(笑)。
中山 そうですね。やっていることはメールが多いです。携帯とは別に,インターネットのメールもチェックしているのです。
 それから,ホームページもいろいろ見ていますね。生活全般にわたるホームページや料理のレシピ,アイドルのホームページなどで,勉強に関わるものはあまり見ていないかもしれませんが。
岡本 学生が昼休みにたむろするのは,図書館よりもむしろパソコンの部屋ですか。
中山 そういうことになります。心理学の先生が,「メンタル・ヘルス」について調査されて,「大学の中で,あなたの心が最も安らぐ所はどこですか」と聞くと,「コンピュータ教室」という回答がトップだったそうです。
藤井 うちの大学は付属病院が学校の隣になく,学生は身ひとつで実習病院に行って実習を受けなければいけないのですが,実習をやっていれば当然疑問が出てきます。
 大学が隣にあれば,昼休みにでも図書館に戻って勉強して,再チャレンジもできるのですが,それができません。このような時に,教員が自分の担当する病棟で必要な情報のサイトを作り,端末を病院の休憩室などにおいて,インターネットを活用して学生が情報を得る方法もよいのではないかと思います。
 同時に,病院で指導している教員と学内にいる教員との間の情報交換にも活用できると思います。現在はむしろこのような活用方法が必要な時代になってきています。その面では,今後,看護教育の中でインターネットがさらに活用されていくような気がします。

インターネットを通して発信する

岡本 話を整理しますと,1つは「読むこと,情報を得る」ということです。これは比較的簡単で,パソコンを立ち上げてブラウザを開いたり,アドレスをタイプすれば得られます。次がメールで,特定の人と手紙をやり取りする。しかし,最も難しいのは,自分のホームページを作ること,つまり「こちらから情報を発信する」ことです。
 国民性ということが問題になるでしょうが,日本人は携帯電話が非常に普及していて,会話などを楽しむことは得意なのでしょうが,外に発信するということは不得手ではないでしょうか。人口に対するホームページの割合が,日本は少ないという話を聞いたことがあります。
中山 不特定多数に対して情報を発信するのは,日本人にはつらい行為だと思います。1対1だと普段はおとなしい子でも,「こんなに長い文章を書いているのか」ということがありますが,大勢の人の前ではどうでしょうか。カリフォルニアの先生も,「日本人の学生はメールだと長い話をしてくる」と言っていました。おっしゃるように国民性,文化の問題になるのでしょう。アメリカなどは,小さい頃から自分の感情を表現することを訓練されて育っているから,自分で表現するのは当たり前なのではないでしょうか。
 教員がリードするといっても,そういう文化には育っていないので,おのずから限度があるでしょう。必ずホームページを作らせている大学もありますから,それはそれで進んではいくのでしょう。若い世代がどれくらい変わっていくかということを考えると,間違いなく変わっていくでしょう。
 ナースのホームページを見ても,多くは若い人たちですね。看護学生でも18歳,19歳くらいの人が開設しているホームページはたくさんあります。中学・高校の授業で教えている学校もありますから,そのまますぐにできるという場合もあるでしょう。

「コンピュータの授業」はやがてなくなる

岡本 私は,英語とコンピュータに関しては,やがて大学で科目として教えることはなくなると思います。ちょうど,「病理学」の授業はあっても,顕微鏡の使い方の授業はないのと同じです。それほど技術的に難しいことではありませんから。
 ただ,先ほど話題になりましたが,むしろ教員の側が研究業績を発表するにしても,教材を作るにしても,インターネット上から発信していかないといけないと思います。「publish or perish」と言いますが,論文とか著書の形で出さなければ駄目ですね。学生のほうは間もなく,放っておいても自然にパソコンを使える時代になると思います。むしろ教員の側が,いかに情報を発信すればよいのか,という問題に直面すると思いますし,現にそうかもしれません。
中山 インプットして,加工し,整理して外にアウトプットすることが教育者としての仕事でしょう。アウトプットの部分で,限られたところにしか発信しないのは,方法がこれだけある現代においては,もったいないですね。とにかくいろいろなところに登録して,検索可能な状況を作ることが重要になってくるでしょうね。著作権やプライバシーの問題もありますが。

生涯教育とインターネット

――先ほど,臨床場面におけるインターネットの活用というお話が出ましたが,観点を変えて,生涯教育に関してはいかがでしょうか。
藤井 大学院の社会人教育や通信教育は,看護の世界でも自らの幅を広げていくために必要なことではないかと思います。このような時に,臨床の方がインターネットを使っての大学院の通信教育を受けて学位を取ることが可能になればとてもよいと思います。卒後教育の中でも臨床の人を対象にするのなら,そういうものを活用した大学院の構想は今後重要になってくると思います。
岡本 それはすべてに関して言えると思います。例えば大学院へ行き直したいと思っても,仕事を辞めなければいけないのは大変なことですので,一般の人にもあてはまると思います。インターネットのすごいところは,キャンパスまで足を運ばなくてもよいというところです。
藤井 それが一番大きいですね。
岡本 かつて図書館にしか資料がなかった時代には,図書館に行かなければ資料を探せなかったのですが,今や「British Medical Journal(www.bmj.com)」や「Journal of American Medical Association(jama.amaassn.org)」のように,インターネットで検索できるようになれば,その必要もなくなります。極端に言えば,アマゾンの奥地にいても学位が取れるということになりますから,大きな財産になります。
藤井 そうですね。

今後の展望

――最後に,今後の展望に関して,ご意見をお聞かせいただけますか。
藤井 多くの看護関係者が,早い時期にインターネットを自らの目的にあった方法で活用できるようになればよいと思います。
岡本 インターネットが出現した初期には,紙の本はやがて消滅するという見方もありましたが,その一方で,コンピュータ化で「ペーパーレス」どころか,逆に紙の消費量が増えたという現象もあります。
 私自身も学生時代にボロボロになるまで読み込んだ教科書は今も大切に残しています。試験前に必死ですべらせたマーカーの色,講義中に走り書きした余白の書き込み,手垢の汚れ……。スイッチを切った瞬間に消えてしまうコンピュータ画面では代わり得ない思い出なのです。
 インターネット時代においては,細かい数値や資料を満載した教科書の必要性は薄れていくでしょう。しかし,何十年か後に書棚から取り出した時,しみじみと懐かしさが蘇える……。そのような教科書の必要性は決してなくならないと思います。
中山 アメリカの大学院教育をリードするJohns Hopkins大学は,すでにインターネットを通して大学院を開講し始めました。遠隔教育といわれるものですが,テキストなども一般に公開されているわけです。とにかく,アメリカでは教材を多く公開していることに驚かされます。カリフォルニアで見た大学のクラスルームの多くには,人文社会科学系であってもパソコンがたくさん置かれていて,インターネットが活用されていることが実感できました。
 国内で教材になるものを求めて,キーワードで検索しても,図書の出版情報や雑誌の目次と授業のシラバスばかりで,内容が見られないものばかりヒットします。せっかく自分が得た知識や技術など,情報はなるべく多くの人に公開して共有すればよいのにと思います。これはもちろん教員が作成した講義ノートや資料に限ったことではなく,例えば新人ナースが感じていることの中にある新たな発見や,経験豊富なナースが築いてきた知識や情報,あるいは“勘”といったものなどが広く共有化されていかないというのはもったいないと思います。そこから学ぶ人はたくさんいると思います。そうしないと,さらにアメリカに遅れをとっていくことでしょう。
 公開した後のその情報をめぐってのコミュニケーションも重要だと思います。それも同じインターネットを使って,メールでもチャットでも掲示板でもよいわけですし,直接会って話をするというのでも,その方法は相互にやりやすい方法を選択すればよいのだと思います。
 私自身,授業で使うために,「ナースがインターネットを使うとどのようなメリットがあるのか」ということを知ってもらう目的でリンク集を中心としたサイトを作ったのですが,やはりせっかくだからと公開しました。「ナースに役立つ種類のサイトとは?」というタイトルでURLはhttp://nursecat.aichi-nurs.ac.jpです。その中ではまた,もともとの専門である保健社会学の視点からも幅広く情報を提供していければと思っています。多くの方々に見ていただいて,意見や感想などいただければと思います。
 サイトを立ち上げて初めてわかったのですが,やはり反応がないと不安なものです。どう思われているのだろうか……と。なるべく訪れたサイトには足跡を残したほうが情報発信している人の支えになると思います。コミュニケーションと支え合いについてあらためて学べるのも,インターネットのよいところでしょう。
――本日は,お忙しいところをどうもありがとうございました。




●インターネット教育の試み

箕浦哲嗣(愛知県立看護大学講師)

 私が初めてインターネットに接しましたのは1994年でした。「これで世界が1つに繋がっているのだから,英語では定冠詞が付いて“the Internet”というのだ」と聞くにおよび,「なんと素晴らしい,便利ものなのだ」と胸を躍らせたものです。ただ,これほどまでに発達するとは夢にも思いませんでした。
 教育するための道具としてのインターネット,特にWWWの活用法については,座談会の中でも話題にのぼっていますが,“電子図書館”的な役割は多分にあると思います。しかしながら,紙芝居のような教科書の代替としてのWWW活用には限界があるようにも思います。
 なぜなら,教員が発信するのは「教える」ための補助道具であり,学生たちが求めているものは「理解するため・覚えるため」の道具であると感じるからです。ここにギャップがあると思うのです。
 本学では2年前,母性看護学の先生方とともにWWWブラウザで操作可能なCAI教材を作りました。5分野全452問が分野ごとにランダムに出題され,○か×を選択すると次画面で正答と次の問題が出題される,というフリーのCGIスクリプトにちょっとだけ改造を施したシステムです。所要時間や正答率がその場で確認でき成績ランキング表示もされますので,達成感・満足感を与えるゲーム性を兼ね備えた教材であると,学生たちには好評のようです。
 教員側から一方通行的に提供する媒体は,授業中ならすぐフォローできますが,学生が空き時間に自己学習したりトレーニングしたりする場合には,自ら進んで容易に利用でき,かつ学生を満足させる工夫が必要ではないかと思います。たとえ相手がサーバー機に仕組まれたプログラムだとしても,双方向通信と申しましょうか,レスポンスが与えられて初めて教育になるのでしょうから。将来発展してくるであろうオンライン教育にも不可欠な要素だと考えます。
 また,看護大学では実技技術が必要であったり,3次元物体の形状を理解する必要があったりしますから,2次元画面だけではなかなか伝えられないことが多いです。
 本文中,岡本先生の解剖学に関するお話の中で,人体の断層形状データを自由に取り出せる“The Visible Human Project(R)”のサイトのことだと思われる部分がありますが,これなどは十分「理解を助ける」ための道具になると思います。私も少々お手伝いさせていただいておりますが,現在この形状情報に生体の堅さ柔らかさ情報を付加し,触感までも体験可能にしようという“Sensible Human Project”という研究も進んでいます。
 今後とも,ますます発展・普及するであろうインターネットを使って,様々な教育アプローチを試みたいと考えております。