医学界新聞

 

連載(20)  再びアフリカ編……(2)

いまアジアでは-看護職がみたアジア

近藤麻理(兵庫県立看護大・国際地域看護)

E-mail:mari-k@dg7.so-net.ne.jp    


2450号よりつづく

【第20回】住民参加型プロジェクト(1)

 ザンビア共和国はアフリカ南部に位置し,雨量も少なく年平均気温は20度,最高でも24度という気候ですから,「暑い」と思われるアフリカにあって,本当は比較的涼しく,半袖の洋服ばかりを持参するとかなり寒い思いをしなくてはなりません。飛行機上からは,ザンビア南部を流れるザンベジ川がくっきりと見え,そこには世界最大級の「ビクトリアの滝」があります。
 21世紀を迎える新年のビクトリアの滝には,日本人の熟年旅行者が大勢訪れていました。降りしきる水しぶきと霧に濡れながら,話し声も聞こえない轟きの中で,私もその荘厳な景色に圧倒され,言葉もなく立ちつくしました。場所を変えて見下ろすと,そこには虹が幻想的に浮かんでいます。ジャングルと雄大な川と,美しい滝に架かる虹に魅せられて,旅人は遠い国からやって来るのでしょうか。

あやふやな数字に頼るのではなく

 さて,本題に移りましょう。日本を出発する前に,私はザンビア共和国の人口を知るために,さまざまな資料にあたりました。そうしましたら,良心的な資料には「推定」の文字がカッコつきで書かれていますが,結局800-1000万人の間であろうとの推測しかできないのです。首都のルサカ市も「98万人(推定)」とありますが,都市人口は最も流動的であり,正確に捉えることは不可能なようです。ということは,住民の数や実体を把握し難いわけですから,いざプロジェクトを実行する段階となった時に,「大変な苦労を伴うだろう」と想像できました。
 地域医療関係のプロジェクトが開始された場合,ヘルスボランティアなどが住民の1軒々々を訪問します。そこで得られた情報が,実は唯一信頼できるデータと言うことになります。しかしこの場合は,ボランティアの研修から始まり,膨大な時間をかけて,調査するほうもされるほうも大変な労力を必要とします。そして,これは明らかに小規模のプロジェクトに限定された調査方法であると言えるのです。あやふやな数字の上に,さらにこの調査でまた数字を並べていっても,そこにどのような意味を見出せるのでしょう。
 結局,私は悩んだあげくに,今回の調査ではアンケートなどで数字を出すようなものはやめようと考えました。そして,派遣元であるAMDAの担当者の希望でもあったのですが,「住民参加型」のワークショップを開催し,住民組織に関わる人々に,「今後の組織の自立発展と継続可能性」をテーマに,現状分析,問題点の抽出,そしてアクションプラン作成と実行を促すことにしたのです。おそらく最近の現象なのでしょう,「住民参加型」という言葉がプロジェクトの規模を問わず,どの計画書を見てもどこかに書き添えられています。現実的には,特に大規模(資本金)プロジェクトにおいて,住民の意見を聞いて「必要がないから中止にしました」という話は聞いたことがありませんが……。

ワークショップ開催に挑戦

 すべての人々が必要としている援助を行なうことは,現実的にはとても難しく,不可能かもしれません。現地に入った日本人がいなくなり,プロジェクトの期限が切れると,すべてが元に戻ってしまうという状況が現実としてまだ続いています。その反対に,地域に根ざした形で,脈々と続くプロジェクトもあるのです。その失敗と成功の原因を調査し,分析することがこれからは重要なわけです。そのような事例を分析した文献を集めようとしたのですが,そういった情報は,日本ではまったくなきに等しい,あるいは公開されていないのが実態です。
 ある調査に行った時に,「住民参加の状況や継続の可能性を,あなたはどのように計るのですか?」と尋ねられました。
 これには困りました。返答のしようがありませんでした。みんなが困っているから聞くのでしょうが,私だって見つけようとあがいているのです。多分,「計る」という発想から抜け出さない限り,次の方法は見つからないのかもしれません。「数字」をもってして,答えを出さなければ「真理」ではないと信じている限りは,そこにいる住民と,いま生きている時間の共有はできないかもしれません。
 開発問題の研究家であるロバート・チェンバースは,「私たちこそが問題であり,問題解決の鍵は,私たち自身の変化に求められなければならない」(野田直人監訳,「参加型開発と国際協力」,明石書店,2000年)と言い,開発に関わる人たちに,変わるのは私たちのほうなのだと教えてくれています。私はこの言葉を抱いて,大自然の美しいザンビアの地で「住民参加型もどき」のワークショップ開催に挑戦しました。