医学界新聞

 

 〔連載〕ChatBooth

 患者中心の医療とは

 栗原知女



 抗がん剤の夜間投与(クロノテラピー)の現場を取材した。
 H医師は,アメリカのレジデント方式を用い,都内の複数の病院施設と看護婦のマンパワーを借りて治療を行なっている。多くは1泊2日の形式で,患者は夜に入院し,個室で就寝中に抗がん剤および吐き気などの副作用を抑える薬物の点滴を受ける。翌朝になると,ある人は会社へ,またある人は家庭へと戻り,普段どおりの生活を続ける。地方から出てきて,昼間は「グルメツアー」を楽しんで帰る人もいる。
 2つの病院の看護婦から話を聞いた。
 下町の病院のA看護婦は開口一番,
 「最初は体を壊されるかと思った」 と嘆いた。2人夜勤体制のところへ,まったく経験しなかった新しい仕事が加わったのだから無理もない。しかもH医師のやり方は,患者の容態に合わせてきめ細かく薬の量も種類もオーダーメードで変えていくために,よけいに手間がかかる。
 だが,A看護婦は患者と触れ合ううちに考え方が変わってきた。
 「昼間はそれぞれの生活を楽しんでいる患者さんがすばらしい。私は自分の人生を本当に楽しんでいるだろうかと考えさせられました」 と語る。患者の多くは末期がんであり,クロノテラピーで延命はできても,完治は難しい。
 限りある命の最後の短い期間を自分らしく輝かす姿にA看護婦は感動を覚えたのだ。私はA看護婦の中に,「患者から学ぼうとする姿勢」を見てとり,うれしく思った。
 一方,都心の病院のB看護婦は,H医師に対して批判的であった。
 夜間はヒューマンエラーを招きやすい。本来患者が安静にすべき時間帯の治療はリスクが大きい。一時的にはよくなっても,苦痛を伴う末期は必ずやってくる。「わらにもすがる思い」で,最後の手段に賭けた患者の失望は大き過ぎる……との理由からである。彼女は,
 「患者さんにとってよくない」 という言葉を繰り返した。
 私は,聞いているうちにふと疑問が湧いた。確かに,看護婦は患者の「代弁者」として重要な役割を果たすが,患者といっても十人十色のはず。多様な個性や価値観があっても当然ではないか。もしも私が,彼女の患者になったらと想像してみると,なんとも窮屈な気分がした。
 B看護婦が,「患者さんにとって……」と十把ひとからげにして言う中に,そう簡単には入れてほしくない。病気は治してほしいが,よくも悪くもこの個性的な性格はいじってほしくないのだ。
 H医師は,患者とダイレクトにコミュニケーションをとり,告知はもちろん,がんの進行状況を逐一報告し,今後の治療方針についてともに話し合う。患者の自己責任と自立をベースにした,まさに「患者中心の医療」である。
 「患者にとって“よかれ”の医療」は,「患者中心の医療」とは似て非なるものである。「患者」というレッテルを貼る前に,それぞれが異なる個性を持った1人の人間であることを,医療に携わる人はどうか忘れないでほしいと思う。