連載 MGHのクリニカル・クラークシップ
第20回
[患者列伝その5]ベトナム帰還兵
田中まゆみ(イエール大学ブリッジポート病院・内科小児科レジデント)![]() MGH正面入り口に展示してある昔のMGHの「救急馬車」。前面に“Ambulance”,側面に“Mass General Hospital”と書いてある。御者席にはテディベアが座っているのがご愛敬 |
行き場のない患者
BAL(Bronchoalveolar Lavage)の病理所見は,BOOP(Bronchiolitis obliterans organizing pneumonia)という難しい病名で,ステロイドにより呼吸困難が軽減すると患者は特に入院の必要はなくなった。しかし,退院しても行くところがない。ケースマネジャー(早期退院のために患者に合った受け入れ先を探したり,自宅の受け入れ態勢を整える係)の出番である。退役兵士なので,VA(退役軍人病院)関連施設が最適なのだが,空きがなかった。おりしもマサチューセッツ州では民活政策のもと,州立精神病院を大量閉鎖してしまい,合理的で安上がりの治療を提供するはずの民間精神病院・中間施設も,マネジドケアのもと,どの保険会社も精神科入院・受診を極端に制限したために,倒産・閉鎖が相次ぎ,軽症の精神病患者の行き場がまったくなくなってしまって社会問題化していた。
低所得者用の住宅も絶対的に不足しているので,病気などで職を失い所持金が底をつくと,ホームレスへの道は驚くほど短い。緊急避難先としてホームレスのためのシェルターがあるが,野戦病院のようにベッドが密集して並んでいて潜在結核患者の巣になっているから,ステロイド服用中の患者の退院先としては不適だし,精神的にも,従軍の結果PTSDを発症した患者にふさわしい場所ではない。
なかなか進まない受入先探しに,研修医たちは,毎日,ケースマネジャーに「まだ?」とたずねるのが日課となった。研修医には,病院から,平均在院日数短縮のために早期退院の圧力がかかっているのである。それを達成したからといって給料が変わるわけでもないが,つい,上に忠実な「優秀な」「よい子」を演じてしまう悲しい習性か。もちろん,退院先が見つからない限り無理やり退院はさせられない,という「患者の権利」は熟知しているから,患者の前ではにこにこして失礼のないようにふるまって,ケースマネジャーにだけ矢の催促をするのである。
ケースマネジャーは,そもそも早期退院促進のために存在する職種である。その彼女が,ついにある日,吐き捨てるように言った。「あんたたち研修医ときたら,患者を路上に放り出しても平気なのね」
さすがにそれからは,誰も催促しなくなった。
ホームレスに弁護士
何日かして,結局彼は別の友人の家に引き取られたが,退院する時に「俺の弁護士が言うには,いろんな手当がつくってさ。もう安心だ」と,「自分の弁護士」がいることを誇らしそうに吹聴したので,みんな返答に窮してしまった。ホームレスに弁護士?ところがしばらくして,本当に彼の弁護士からの書類がどっさり届いて,チームリーダーを驚かせたり憤慨させたりした。「この分厚いしちめんどくさい項目全部に,それでなくてもめちゃ忙しい私が記入しなくちゃならないわけ?」
しかし,それに記入して弁護士を助けなかったら,彼はまた友人の家から放り出されてしまうであろう。無収入で病人のホームレス退役兵士のために,弁護士が複雑な制度の迷路から最大限に軍人恩給を引き出すべく陳情書などの手続きを代行してその中から報酬を取り,友人は家賃を取るわけだ。溜め息をつきながら書類を埋めていく彼女に背を向けて,みんなはそれぞれの仕事に散って行った。
(この項つづく)
註:退役兵士の喫煙率は驚くほど高い。軍隊では煙草はタダで支給されるからなのだそうである。全米の公共建物で禁煙が徹底しているのに,退役軍人病院(Veterans Administration Hospital, VA)の中では患者が平気でタバコを吸い,誰もそれを止められない,というのは有名な話である。