健康科学-21世紀のがん研究
第60回日本癌学会開催にあたって
【インタビュー】寺田雅昭第60回日本癌学会会長(国立がんセンター総長)生命科学と健康科学

最初に,先生は本学会のメインテーマを「がん研究新世紀――健康科学の挑戦」とされました。このテーマに込めた先生のお考えをお聞かせください。
寺田 1960年代から始まった分子生物学からゲノム研究が急速に進歩し,また同時期にITが急激に発展し,医療工学,また情報処理などを一変してしまいました。今や21世紀は「生命科学の時代」,「情報科学の時代」と言われています。
しかし,このような分野の発展が,医療の現場に直ちに利用できるわけではありません。研究の進歩や成果が,患者さんの医療や福祉に反映されるためには,しっかりとしたインフラストラクチャーが必要です。さらには倫理や哲学,社会科学など,もっと議論を深めなくてはいけません。
現在,日本では約200万人のがん患者さんが5年生存され,社会復帰されています。その方々が豊かな生活を送るため,QOLや心のケアを研究の対象として考えなければなりません。また「緩和医療」「死というもの」についても本格的な研究が必要です。
このように,「がん研究」とは,1つひとつの研究をさすのではなく,関連するすべてを総合したものであると考えています。そして,生命科学を土台にして,医療工学やIT,さらに倫理学や経済学などを包括したものを「健康科学」と位置づけています。がん研究に携わる者はその目的意識――つまりがん患者さんのためのもの――をはっきりと持つべきではないか,という思いから,このテーマをつけました。
がん研究の最前線
寺田 今年の2月に発表されたヒトゲノム解読は1つの大きなエポックです。今後は遺伝子・ゲノムの正常機能とがんにおける機能など,研究は一気に進むでしょう。誰もが言うことでしょうが,これが最も大きな課題だと思います。もう1つはがん治療では,20-30年ほど前に「がん遺伝子」が発見されましたが,ようやく今,関連する蛋白質の機能を応用した治療薬が臨床応用されるようになりました。C-ERBB-2(HER2)からはハーセプチン,またはABL-BCRの融合遺伝子を標的にした薬も臨床に用いられ始めました。こつこつと地味な基礎的研究から臨床へと大きな成果が生まれつつあるのです。今後ますます期待できる領域です。
現在,「臨床試験はトランスレーショナルリサーチ(探求的臨床研究)の方向で」とよく言われますが,がんの研究もそのような方向でいくのではないでしょうか。また,がん研究におけるregulatory science(規制科学:政策や規制に用いられる科学)も進められると思います。
このように,生命科学の新しい知見を臨床に取り入れて研究を進めていく21世紀のがん研究は,患者さんと研究者が一緒に手を組んでいかないと,成り立たないのではないかと強く感じています。
予防が医療の現場に
寺田 がん研究では,予防の実践に取り組む必要があります。このうち,1次予防について述べますと,がんのハイリスクの方が同定されてそれで終わり,では困ります。最初の遺伝子変異から臨床的ながんとなる間に,長いパスウェイがあります。これを,臨床的に問題となるがんの状態にしないためには,遺伝的にがんになりやすい方や,C型肝炎感染者など,ハイリスクの方たちに対して,なんらかの対策を講じることがより大切になります。そのためにも食事改善や保健食品を含めて化学予防剤(chemopreventive agent)も重要な研究対象になるでしょう。
先日,「医療費が30兆円を超えた」というニュースがありましたが,がんの治療費は約2兆円と,中でも大きな割合を占めています。さらに医療費は今後増えていくことが予想されます。医療費の削減だけでなく,1次予防や検診などの2次予防は,がんの克服そのものに効率がよいはずなのですが,今ひとつ実践にはいたっていません。規則正しい生活や禁煙は,「やってどうなる」という風潮もあります。今後は1人ひとりに科学的な裏づけをもって,なおかつ患者教育に行動科学を組みこんでいくという,積極的な方策が必要です。しかしこれもうまくやらないと,憂鬱な世の中になってしまいますね(笑)。
1次予防だけでなく,早期発見による2次予防についての研究も一層推進すべきであることは,申すまでもありません。予防の実践は,今の保険制度では難しい問題を含みます。しかし,予防外来などは少しずつ始まっていますので,医療者に加えて,カウンセラーなどが専門的な役割を担ってはどうかとも思います。
今学会のハイライト
――今学会のみどころを教えてください。寺田 学会のメインテーマを冠した基調となるパネルディスカッションには,井村裕夫先生,杉村隆先生,豊島久真男先生,坪井栄孝先生の4人に,それぞれの立場からお話いただきます(参照)。
またレクチャーは,ある分野を自ら切り開いた,オリジナリティのある仕事をなさった12人の方々にお願いしています。
シンポジウムは17題で,ゲノムの話題や予防など,種々のテーマで議論していただきます。また腫瘍マーカーへの新たな考察も議論します。生命倫理についても,インフォームド・コンセントのあり方や,手術などで得た生体試料の扱いなど,その方向性が混迷した状況ですので,このあたりの考え方についてもお話いただければと思います。
一方,最近では,病理学が非常に軽んじられているのが現状ですが,これは憂慮すべき問題です。私は医学,特にがん研究の根幹は病理学であると考えていますし,今後の研究の方向性として,病理学で得られたデータを,どうやってゲノムや分子生物学で説明していくか,になると思っています。そこで今回,病理学の行く先を議論していだきます。
この他,がんに対する免疫の実態が徐々にとらえられつつあります。それを利用して,ある特定のグループに対する免疫療法が効果をあげているようです。白血病で,普通の化学療法は効果のない人でも,ミニトランスプラントで効果がある場合があります。そこで今,これを固形がんに応用した治療も始まったところです。
そして市民公開講座「がん克服新世紀/何でもわかる3時間」も同時開催します。
――参加される方々にメッセージを。
寺田 この学会は,基礎から臨床など多様な人が集まるヘテロの集団であってほしいですね。物事が発展するためには,ヘテロという形態が最も強力だからです。
がん研究は目的のある研究です。研究者には自身の興味ある分野を突き進めてほしいのですが,自分たちの研究はがん患者さんのためのものであると念頭に置いていただきたい。この学会が,自分たちがどのような立場にあるかを考える機会になればよいと思っています。
――ありがとうございました。
●第60回日本癌学会 開催案内
きたる9月26-28日の3日間,第60回日本癌学会が,寺田雅昭会長(国立がんセンター総長)のもと,横浜市のパシフィコ横浜において開催される。詳細は下記まで。
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