医学界新聞

 

 〔連載〕ChatBooth

 「患者役割」から「患者家族役割」へ

 馬庭恭子



 私の退院日の前日(編集室注:馬庭氏はがん患者として,昨年秋より本年春まで抗がん剤化学療法・手術療法のために入院されていました。本紙2426号,2437号参照),80歳になる母が入院した。虫の知らせというか,リンゴをかじっていて,歯が根元から折れた時,なんとなく「母に何かあったのでは?」という思いが走った。
 母は,父が7年前にがんで亡くなってから1人暮らしをしている。さらに,呼吸器疾患があって在宅酸素をしながらの生活である。兄が電話に出た。
 「あれ,おかあちゃんは? 元気なの?」
 「いやー。その……元気じゃないよ。調子くずして,ご飯も作れん,食べるのもしんどいらしくって,ここんとこは食事を運んどる。来週の受診日に,これは1人じゃ行けそうにないよ」
 「そんな,なんで早く言ってくれんかったん?」
 「本人が心配かけるから言うな,言うなと念をおされたし……」
 「……おかあちゃんに替わってよ」
 弱々しい声で,母は
 「いろいろお世話になったね。元気でやってね」と言う。電話からも,その息苦しい様子がわかる。
 今まで彼女は,強気で,なんでも人に頼らない性格だった。それなのに,お別れにも似た言葉を言うではないか。私は具合の悪くなった母を見てはいないのだが,「急がなくては」という訪問看護婦のカンが働いた。
 兄と相談し,交渉がうまい(?)私がかかりつけの病院へ連絡し,入院の運びとなった。翌日,私の退院の喜びもどこかへ飛び,病院から病院へと車を走らせる。
 ベッドに横たわる母はやせていた。医師の説明によると肺炎を起こしており,重篤で,なにがあっても不思議はない状態だという。その日から,私の母への介護生活が始まった。これまでは「患者役割」だった私だが,こんどは患者の「家族役割」だ。
 「神様が,私の人生シナリオを書いているんだったら,ずいぶんタイミングよく配役を決定したものだ。体験は力になることは理解できるが,でも少し休みがあってもいいのではないか」 と,こころで呟く。入院1か月すると,治療の成果が出てきて,低空状態なりにも病状が改善してきた。しかし,MRSAが便から検出されたと説明を受けた時,
 「痰から,MRSAが出る前に家へ連れて帰ろう。在宅へ移行するチャンスは今だ」と,またまた訪問看護婦の動きになった。母は,「最期は家で……」と言っていたこともあって,医師に強く退院を申し出た。
 「もう少し入院させてください,という家族は多いが,早く退院したいという人もめずらしい。介護,大変ですよ……。他のご家族は了解されていますか。8年も診てきたので,患者さんの一番の幸せを考えますが……」。兄夫婦は,
 「もうちょっと,いてもいいんじゃないの。僕らに看れるかな」と,不安な様子である。
 これから介護をしようという家族を眼の前にして,いかに安心させるか。これは,訪問看護婦の役割でもあるのだが,ここでの私は娘として,妹として,家族の一員として,「母を中心に考えよう」という立場で話し合った。そこには,私たちばかりでなく,医師,訪問看護婦,ヘルパーがそろい,スクラムを組んで,具体的な日程調整,役割調整することを考えた。兄夫婦にも笑顔が戻り,そして,母は自分の家に帰った。