医学界新聞

 

連載(18)  「微笑みの国」タイ……(9)

いまアジアでは-看護職がみたアジア

近藤麻理(兵庫県立看護大・国際地域看護)

E-mail:mari-k@dg7.so-net.ne.jp    


2442号よりつづく

【第18回】1992年の民主化運動

 タイは,1932年より立憲君主制を採用しており,現在はプミポン国王(ラーマ9世)が国家元首です。そして,タイの軍事総兵力は,陸海空合わせて約23万5000人で国王がこれを統帥しています。

学生中心から,一般市民が主体に

 1992年5月17日,タイでは当時のスチンダ首相の辞任要求を求めて,約10万人の市民が反政府集会を開きました。その民主化運動の主導者が,前バンコク知事のチャムロン氏(当時56歳)でした。私は,バンコク知事時代のチャムロン氏の日本語通訳として仕事を受けたことがあります。およそ政治家らしくない角刈りの頭に細い体,そして人を惹きつける正義感にあふれる目が印象的でした。タイの友人に30分間も至近距離にいたことを話すと,バンコクっ子はみんなが彼のファンであるため羨ましがられたものです。
 タイでは,これまでにも1973年の学生革命,1976年の「血の水曜日事件」など,大学を舞台として学生を中心に民主化要求運動が行なわれてきた歴史があります。しかし,20世紀最後の民主化運動となった1992年の辞任要求デモでは,急激な経済成長に育った中産階級層が中心となり,一般市民が運動の主体となったのです。これらは,世界的な民主化の波を受けた市民層の政治意識の高まりを反映したものでしょう。私は,中産階級層が暮らすビジネス街のシーロム通りにあるアパートで,1市民としてこのデモの行方を見守る体験をしたのです。当時の私は,バンコクの私立大学で日本語を教えていましたが,大学の授業はデモによりすべて休講となりました。そして,一部の大学内で行なわれている集会に,学生たちが参加していないことを祈っていたのです。
 集会の翌日,5月18日未明に政府は非常事態宣言を発令,同日チャムロン氏が逮捕され,状況は悪化する一方でした。それでもビジネス街では,平常通りの仕事が行なわれていました。違っていたのは,ロビンソンやセントラルなどのスーパーに並ぶ長蛇の買い物客の姿でした。彼らは,棚に並ぶ食料品を根こそぎ買っていくのです。私も長期戦になるのかもしれないと感じ,遅ればせながらその列に加わりました。気持ちが高揚している自分に気づきます。道行く人々は大声でこのデモの情勢を話し,屋台の主人でさえ政治評論家のようでした。
 軍部が武力介入し,流血の騒ぎになっていることは,タイのTVニュースでは放映されていません。それでも,噂と状況を見てきた市民からの情報は入ります。
 「このあたりは危ないから,夕方からは絶対に外に出ないように」と管理人に言われ,1階のロビーでみんなと落ち着かない夜を迎えました。情報は常に人づてに入ってくるため,1人きりで部屋にいることは,判断を誤り危険であると悟りました。集まった中の1人は,
 「マリ,道を歩いていて銃声が聞こえたら,こんなふうにすぐ伏せるのよ」と言って,床の上で実演してくれます。
 「日本人は平和な世界で生きてきたから,きっと突っ立っているだろうからね」,と心配してくれているのです。

戦い済んで

 民主化運動とはいえ,暴徒と化した群衆もいます。夜には深夜のシーロム通りでの大騒ぎの様子が響いてきます。銃を発砲する乾いた音も時々聞こえ,私は「どうぞ,ここにはやって来ませんように」と心から手を合わせて祈りました。一睡もできないままに夜は明けました。朝もやの中,あたりは静まり返っています。信号機は無惨に破壊され,車はひっくり返され焼け焦げ,角棒や鉄パイプが散乱していました。それだけでも,かなりの人数が破壊に加わったことがわかります。
 「戦争が終わった後の風景とは,こんな感じなのかな」とその時,ぼんやりと思いました。その時には,7年後の自分が実際に紛争直後のコソボに入っていくなどとは,想像もしていませんでした(編集室注:「コソボ」の項は,連載(1)-(7),2000年2-8月に掲載)。
 また,政府がどんなに情報統制しても,衛星放送を通してCNNやBBCのニュースがリアルタイムで流れ,市民が強制連行・逮捕され,血を流し暴力を受けているシーンを放映しています。翌日,一般の人々は朝が来るといつものように活動を始めます。街中のビデオが並ぶ屋台には,昨夜のCNNやBBCニュースのダビングテープが山積みされており,それを買い求める人たちの光景も見られます。
 この数日後のこと。民放テレビの画面に,プミポン国王とスチンダ首相,そして逮捕されていたはずのチャムロン氏の3人が,正装姿で揃って映し出されていました。この民主化運動への武力介入に対し,プミポン国王が国際的な非難の声が高まる中,双方の仲介役として調停を行ない,この騒動は平和的に解決した,とのことでした。
 時代劇でよくある「これにて,一件落着!」の場面を思い出します。そして翌週には,日本語を学ぶ学生たちとも無事に再会できました。やがて人々の笑顔も戻り,国王の人気もますます高くなり,その後も首都バンコクでは高層ビル建築やインフラ整備ラッシュが続き,急激な経済発展を遂げていくのです。