医学界新聞

 

〔座談会〕

よりよい指導医をめざして
『臨床指導医ガイド』に学ぶ


今井裕一氏<司会>
秋田大学講師・第3内科

吉岡成人氏
市立札幌病院・
内分泌代謝内科医長

大生定義氏
横浜市立市民病院・
神経内科部長

遠藤正之氏
東海大学助教授・
腎/代謝内科


■臨床研修義務化に向けて

「臨床研修義務化」について

今井〈司会〉 本日は「よりよい指導医をめざして」と題しまして,望ましい指導医像を皆さんと一緒に考えてみたいと思います。
 まず本題に入る前に,ご存じのように平成16年度から卒後臨床研修が義務化されます。この問題について,みなさんのご意見をお伺いしたいと思います。
遠藤 わが国では医学部6年間の教育を終え,国家試験に合格すれば医療行為をしてよいことになっていますが,いきなり医療行為を行なうのは非常に危険ですし,国民の皆さんに最低限の医療の質を提供する義務があるということから,研修の義務化の必要性が生じたと理解しています。
大生 今まで,研修は「望ましい」という形になっていたわけですが,医学教育において実践面での不足に関する認識が一般化されていると思います。社会的にも,患者さんからのニーズが高いので,一定の臨床研修を義務化することは大事だと思います。
 2年間の研修内容に関しては,「救急や一般的な疾患を診られるように」という目的でガイドラインが出ているので,患者さんにとっても医師にとっても望ましいことだと思います。また,早い時期に研究を指向する人と臨床を指向する人を分けるきっかけになるかもしれません。
 一方,経済的な保証という問題が今後の課題になるでしょうが,ある程度の公的な保証は当然のことではないかなと受け止めています。ただ,研修する施設の量と質が追いついているかどうか,また教える側の体制が整っているかどうかについてはかなり問題になると思います。
吉岡 臨床研修の義務化の問題は,医師もいわゆるQC(品質管理)が必要だということだと思います。
 一般企業では「社内研修」というものがありますが,医師の場合は卒業するとすぐ医療の現場に出ますので,スタンダードな形で,例えば救急の患者が来た時には,いわゆる「救急のABC」くらいはできるように育てるという考えだと思います。
今井 初期研修の段階からきちんと教育することは望ましいと思います。
 それがベストかどうかはまだ決定できませんが,少なくともベターではあろうと思います。

「専門医」との関係について

今井 ところで,現在,医学界は全体的に専門医指向になっていますが,それとの関係についてどうですか。
大生 各学会の専門医制度は,臨床能力よりも知識,もしくはある部分に偏った特殊な診療方法などを中心にしており,先ほど話題になった,一般的な救急処置や基本的な手技に関しては十分な訓練が行なわれていないのではないでしょうか。その部分をこの臨床研修で履修すれば,専門医になる準備段階として一般医としての資質を整えることができます。そういう観点からもよいことですし,大事だと思います。
 例えば内科学会ですと,「専門医」の前に「認定医」という制度があります。一般的・全体的なことを診る素養を身につけた上で専門医にならないと,いわば「砂上の楼閣」になりますから,そういう過程を経ることは重要だと思います。

「内科認定医」と「内科専門医」

今井 研修医が内科を専攻した場合,どのような研修を積んで専門医,もしくは得意分野を見つけていくのでしょうか。
遠藤 私が研修した虎の門病院の場合は,内科のさまざまなサブスペシャリティを回りました。外科や麻酔科をも回り,その後は自分で選択して興味のある科を回りました。
大生 私たちの時代の聖路加国際病院の内科研修は,4-6か月ぐらいで各科のローテーションを終え,すぐ内科に入っていました。現在はスーパーローテーション方式に近く,他科を回ることが多くなり,内科系の研修が少なくなっています。
今井 3-4年目に内科認定医の資格を取り,その後は自分の希望する分野に進むというお話ですが,内科専門医というのはどういう位置づけと考えていますか。
吉岡 内科認定医よりもさらに専門性が高くなりますが,知識そのものよりも,自分が所属するグループのスタッフに対してマネジメントできる,いわゆるチームリーダーになるような資質を持った人が内科専門医だと思います。
 つまり,適切なコンサルテーションができる内科医であって,場合によっては内科認定医と対峙してもよいと思います。
今井 私も吉岡先生と同感です。内科専門医は指導医であると思います。
吉岡 内科専門医の資格を持っている方は,たいていは他のサブスペシャリティの資格を持っていますよね。
大生 認定医と専門医は医学的知識に関しては,それほど違わなくてもよいのかもしれませんが,いま言われた指導医としての資質が問題になるのではないでしょうか。
 自分が専門とする分野の患者さんだけでなく,患者さん全体を診るということです。私の専門は神経ですが,例えば腎臓に問題があれば,それも一緒に診ていくことができる。そういう総合的な立場に立てることが指導医として大事だと思います。

「教えること」と「盗むこと」

今井 私が研修病院から大学に戻った時,先輩の医師から「医療は盗んで覚えるものだから,お前には教えない」と言われました。また,私が下級医にすべてを教えていると,「お前のやり方は間違っている。下の者にすべて教えたら,お前が必要とされなくなってしまう」とも言われました。
 私より上の先生方はそういう考え方でやってきたわけですが,もう少し変えていかないと,特に大学は指導法を大きく変えないといけないと常々感じていました。
大生 私が経験した研修は,1年目の研修医は2年目の研修医に,2年目の研修医は3年目の研修医にそれぞれ教えてもらうシステムでした。学年が上で経験があれば,それをすぐ下の人に教えます。「教えることが自分の勉強になる」という考え方でした。
今井 そうなりますと,教える側の意識改革をどうしたらよいかという問題になります。その辺りはいかがでしょうか。
吉岡 例えば実験などでも,最近はマニュアルがあるので,一定のことができるようになります。
 しかし,ある程度のスタンダートな部分は教える姿勢がなければいけないと思います。料理の味つけと違って,医療は「自分だけが持っている」とか,「ここに自分の秘密がある」というものではありませんから,盗むという感覚とは少し違うように思います。
 むしろ盗むべきことは,患者さんに接する態度や病歴記載,プレゼンテーションの要領のよさなどで,スタンダードな部分は教えないといけないと思います。
遠藤 今までは,そのような徒弟制度的なことでよかったかもしれませんが,患者さんの意識や,情報に対する社会の意識が変わっています。
 そういう古いシステムで運営している病院は,必然的に医療や研修医のレベルも低くなるでしょうから,患者さんの評価も低くなり,やがて自然淘汰されると思います。病院のシステムとして,よりよい指導者を作り,その下にモティベーションの高い研修医が集まってアクティブに動くシステムがないと,病院も生き残れない時代になると思います。
今井 新しいシステムを確立して,教える側と教わる研修医側の,両方のレベルを上げることに熱心な研修病院もあります。しかし一方では,そうではなく研修医を受け入れない病院もあって,完全に二極化している状況になっているようです。
大生 やはり医師は勉強し続けないと,能力も知識も落ちる一方です。それを保持し,向上させるためにも,「教える」という行為でしか学んでいけないと思いますので,研修医を受け入れない病院は限られた役割しか果たせなくなっていくと思います。
 医師が自分たちの質を向上させるように活動し,診療していくのが本来の教育病院のあり方であって,それに対しては政府などもお金をかけないといけないでしょう。教育することが医療のレベルも上げるということをよく認識しなければいけないと思います。
今井 大生先生がおっしゃったように,現在のシステムは,指導する側のボランティアで成り立っている面があります。
 研修の義務化と同時に,指導医にもある程度の義務と保障とがないと成り立たないと思いますがいかがでしょうか。
大生 義務化に際しては,指導医に対してそれなりの政策的な手当てをしなければいけませんが,指導医の側もスキルアップを考えなければだめだと思います。

see one, do one, teach one:
「教えること」は「学ぶこと」

遠藤 私は大学に属していますが,経済的なバックアップという問題と同時に,教官が少ないという問題もあります。
 ある医学教育のワークショップで,タスクフォースの方が「大学には,白衣を着ている人はたくさんいるではないですか」と言っていました。どういうことかと言いますと,研修医そのものも指導医になりうるということなのです。つまり,「see one, do one, teach one」ということで,「先生が下の人に教え,次にその人が同じことを下の者に教える。そういうシステムができあがればスムーズにいくのではないか」というわけです。「1年上の先生が1年下の先生を教える義務を負っている」という共通の認識を持てば動き出すと思います。
今井 「教えながら自分も教わる」。そういうことが今後の臨床医,また臨床指導医としても重要になってきますね。
大生 それが基本になると思います。
吉岡 20年前に私は1年上の先生から,足りないところは2年上の先生から教わっていました。スタッフの先生はほとんど何も教えてくれませんでしたが,それがよかった面もあります。
 1年目の研修医の頃,医局旅行のためスタッフ全員が不在で,350床の病院の内科100床を1人で診ていた時のことです。ちょうど脳出血の患者さんが来院し,挿管して呼吸管理をし,翌日の手術まで診た時に, 「1人でもできるのだな」と実感しました。
 医師が1人で責任を持って仕事をすることも大切だと思います。現在はあまりにもシステムができ過ぎていて,呼べばすぐに誰かが来てくれますが,私が20年前に経験した,眠れない夜を過ごしたというような経験も,成長していく上では大切なことだと思います。
大生 もちろんそのような場面を作ることは大事だと思います。ですから,できるだけ手を下さないで見ているということも大事です。
 しかし,患者さん側の視点もありますから,なかなか難しいですね。そういう意味では,研修医にその場面を上手に経験させるのが指導医の仕事でもあると思います。研修医の熟達度によっても異なりますから,指導医の判断が重要になります。
吉岡 ここまでは安全だけれども,ここからは危険だということを見極めることが大切ですね。

■トラブルの解決方法からEBM指導法まで

看護婦・研修医間でのトラブルの解決方法:「私のところには来てくれない」

今井 ところで,研修医にもバラエティがあって,早くマスターする人もいるし,そうでない人もいると思います。また,臨床研修が義務化になると,研修医間や看護婦さん,コメディカルとの間のトラブルが発生することも十分に考えられます。
 今回,われわれが出版した『臨床指導医ガイド』(医学書院)には,「看護婦・研修医間でのトラブルの解決方法」という章を設けて,いくつかの具体的な状況を設定して皆さんのアドバイスを載せています(資料1参照)。
 そこで,本日はそれを補足する意味においても,先生方の感想をお聞かせいただければと思います。
 最初は,「隣の患者さんには先生が一生懸命来るけど,私のところには来てくれない。いろいろ心配なことがあるが,こちらからは話しにくい」というクレームが患者さんから来た時に,どのように研修医を指導すればよろしいでしょうか。
遠藤 研修医は上の先生たちをよく見ているので,まず上に立つ先生が自ら頻繁に足を運んで,無言のうちに模範を示すしかないと思います。
今井 ただ,そういうことに気がつかないか,あるいは無視しているからこういう事態になるのではないかと思いますが……。
大生 遠藤先生が言われたように,ロールモデルとして自分がきちんと行なっているところを見せるのは大事なことですが,すべて自分たちだけでやっていては育たないと思います。
 トラブルの原因もまたその解決方法も単一ではないと思います。今の話ですと,患者さんの問題と看護婦さんの問題,そしてもちろん研修医の問題,また指導医の問題があると思います。さらには,患者さんのクレームがリーズナブルでない,ニーズが高すぎる場合もあります。
 また,本来は看護婦さんたちがカバーすべきところが足りないということもありますから,指導医は研修医,患者さん,看護婦さんに話をして調整する必要がある場合もあります。また,見せたほうがよいと思えば,見せるべきでしょうし,看護婦さんに言ったほうがよい場合は言う,という形で対応すべきでしょう。
 研修医に話す時には,同じ医師の立場として相手を尊重しながら教育していくことも必要です。研修医の立場を理解して,「どうしてそうなんだろう」という段階から話を進め,間違っているところを少しずつ指摘していくという方法がよいと思います。
 「患者さんはこういうふうに感じているようですが,先生はどう思われますか」というようなことをカルテに書いておくだけでもわかる研修医もいます。
吉岡 大生先生がご指摘のように,クレームがあるのは,医師だけでなく患者さんや看護婦さん,また病院そのものに問題がある場合もあります。
 ところで,「医師がなかなか来てくれない」という患者さんのクレームですが,研修も2-3年目になると,データや画像を見ればほとんどわかると思いがちです。しかし,患者さんが最も欲しているのはタッチング,つまり人とのつながりという人間の基本的な部分です。
 特に入院という環境ではそうでしょう。相手の立場に立って声をかける,そういう普通の社会人の行動をどのように捉えるかという問題だと思います。
 その一方で,患者さんに「確かに先生は忙しいけれども,本当に悪くなった時には来てくれる」ということを理解していただいていれば,それほど大きな不満にはならないと思います。そういう点からも,初期研修で「患者さんと上手にコミュニケーションする時間を持つことが必要だ」ということを認識させることが重要だと思います。
今井 ご意見をまとめますと,遠藤先生はロールモデル,大生先生は相互調整,吉岡先生はタッチング,ということになります。
 私のアイディアは,研修医と看護婦さんのカンファレンスを行ない,研修医には指導的な役割を担ってもらいながら周囲が育てていく,というものです。研修医は常に下のほうに置かれてしまうので,とかくやる気をなくしてしまいがちです。

●研修医に注意・助言する際のポイント

(1)気がついた時点で個人的に指摘・指導する
(2)宴会の席でこれまでの行動について説教しない
(3)放置していて陰口を言わない
(4)問題のある症例は,いっしょにベッドサイドに行き相談する
(5)研修医の出したオーダーは,危険な過ち以外は勝手に変更しない
(6)10分以内のコメントとする
(『臨床指導医ガイド』より)

「リーダーシップ」を育てる

大生 問題はリーダーシップの育成ですね。
吉岡 看護婦さんはシフトが変わるごとに患者さんについて情報交換しますが,その中に医師はほとんど入っていけません。研修医が看護婦さんの申し送りのリーダーと10分程度話をするだけでもコミュニケーションはよくなると思います。私が研修医の頃はそうでしたが,最近は行なわれていませんね。看護婦さんは看護婦さんたちで仕事をし,一方医師は医師で,朝からコンピュータに向かってデータを打ち込むだけで,一緒の時は点滴の時くらいです。やはりコミュニケーションが少ないからではないでしょうか。
遠藤 カルテを共有化すればいいですね。
大生 それも1つの方法ですね。
今井 要するに,学年が上の人は下に教えると同時に,コメディカルの人にも教えていくシステムが今後は重要になってくるのでしょうね。
大生 その一方ではコメディカルの方から教えてもらうことも重要になってくるでしょう。自分以外の人はみな先生という気持ちにならないといけないと思います。
今井 「訊くことを恥ずかしがらない」ことも大切です。「知らない」ということもはっきり言えないとだめですね。
吉岡 最初は「わからない」と,きちんと言わないといけませんね。
遠藤 最近,若い医師は,自分の仕事ではないと思っているからでしょうか,検査室に足を運ばないですね。
 少し前に「HUS」かなと思い,「破砕赤血球はなかったですか」と検査室でスライドを見せてもらったら,「ここに来るのは先生ぐらいです」と言われました。医師は,検査室やコメディカルの人たちと離れてしまっています。一緒にやっているという意識を持ってもらうようにしたほうがいいと思いますね。
大生 指導医がそういうことをしてみせたり,一緒に連れて行くことは大事です。診察の仕方を教えるよりも,もっと大事かもしれませんね。
吉岡 病院の中で医師は医療のごく一部門しか携わっていないわけですが,回りの人たちとのコミュニケーションをよくすれば,回りの人たちの協力が得られるのでやりやすくなります。
 遠藤先生がおっしゃるように,検査室でも協力してもらえることがたくさんあります。病院の中で,他の分野の人たちともコミュニケーションをよくすることは,社会人としての基本だと思います。

「責任は自分がとる」

今井 そういう意味でも,指導医がそれぞれの組織で,どのような役割を担っていけばよいのでしょうか。
大生 指導医が他科との連絡をきちんとやって見せることも大事だと思います。それから,責任は自分がとるという姿勢を見せ,かつ実行することが必要です。
 医師ですからもちろん当事者責任はありますが,「先生にもし何か問題が起こったら,一緒になって責任をとるから」と常々言っておいて,その上で日々の診療をやらせていくようにしないといけないと思います。そうしませんと育ちませんし,また不安に感じると思います。これは,今後臨床研修を実施する際には大変重要なことです。もちろん医療事故などが起こる可能性があると思いますが,「その時には,指導医は研修医の後ろ楯になる」ということを明言して研修してもらうようにすることが不可欠です。研修医は非常に孤独ですから,こういうことも大事に考えていかなければいけないと思います。

研修医の評価について

今井 最後になりますが,臨床研修の評価という重要な問題があります。評価のフィードバックという点も含めて,この問題に関してはいかがでしょうか。
遠藤 研修医がどの程度成長しているかを,指導医が適切に評価するシステムが重要です。さらにもっと重要なことは,指導医が独りよがりで評価している可能性もありますので,自分へのフィードバックとして,広く多くの先生方から指導医を評価するシステムも必要だと思います。この問題に関しては,大生先生がお詳しいと聞いておりますが。
大生 多くの病院で「研修医評価表」というものがありますが,「指導医評価表」というものはあまりきちんと機能していないようです。それから,そもそも誰が読むのだろうかということから,本当のことを書かないことも多いです。
 しかし,もちろんしないよりしたほうがよいと思います。現在所属している病院では,最近新しく指導医の評価表のシートができました。「ローテーション前にオリエンテーションをしているか」「診察を教えてくれたか」「検査の読み方を教えてくれたか」「文献の引き方を教えてくれたか」というように16項目ぐらい作ってフィードバックするようにしています。
 指導医たち,すなわちローテーション担当科の先生方の受け止め方もあると思いますが,グループを作って検討するなど,有効にフィードバックする方法も考えたほうがよいと思います。研修医と指導医間の双方向を持ったフィードバックを行なっていけば,お互いに成長していくことになるし,問題点も見えてくると思います。

指導医とEBM

吉岡 文献の引き方というのは,EBMとの関連でということですか。
大生 「文献検索の方法を教えられたか」,もしくは「評価方法を教えてもらったか」とかいうことを書いておけば,指導医としてはそれをしなければいけないと感じるでしょう。
吉岡 指導医はEBMを応用できる,EBMを基礎として教える,ということが必須な条件ですか。
大生 自分の話している内容がどこから出てきているかということを明らかにし,自分の経験からだったら自分の経験からだと言えばいいわけです。その辺りを研修医に意識させるということは大事な教育の1つだと思いますけどね。
吉岡 以前,私たちのところをローテーション中の研修医が担当していた患者さんの中に,糖尿病で自律神経障害の症状が強くて,心臓の伝導障害のある方がいました。
 その方が入院の上,精査することになった時,「それは,アミロイドーシスじゃないの?」と最初に言ってしまったのです。最終診断はアミロイドーシスでした。私は個人的な経験で,入院時にアミロイドーシスだと思ったのですが,診断を裏づけるエビデンス,例えばアミロイドーシスはでどれぐらいの確率で,どのような身体所見があるかはあまりよくわかっていません。ですから,いきなりアミロイドーシスと言わないで,「こういう文献を調べたら」と言ってあげたほうが,研修医にはよかったのかもしれない,と思うのですが……。
大生 私はどちらでもよいと思います。そういうことで経験が大事であることが研修医にインプットされるわけですから。
 しかし,自分がある程度正解がわかっていれば,最初から言わないで,わからない「不思議の国」にいるような過程を経験させて診断に到達させる楽しみもよいと思います。先生がパッと言ったことに対する驚きも,大事なことですから。
吉岡 彼女は評価表にはそういうふうに書いていましたね。「人の話を聞いただけでアミロイドーシスなんて,私のわからない病気が出てくるのはすごい」と(笑)。
今井 「EBM」に関しては,『臨床指導医ガイド』でも1章を設けています(資料2参照)。
 要するに,指導医は研修医に教える,また研修医が学生に教える,そういう教え方の流れが1つある。さらには,それぞれを双方向に評価する。そういう形が理想的であって,さらにお互いが一緒に勉強していくということが,これからの研修医と指導医の関係ではないかということですね。
吉岡 指導医は研修医から元気をもらうわけですから,相手が元気に仕事をしてくれないとこちらは元気になれないという意見があります。研修医が疲れていると私たちも疲れてしまいます。ですから,なるべく元気な医学部卒業生,初期研修医が増えてほしいですね。
大生 繰り返しになりますが,付け加えておくならば,義務化に際して「何を教えなければいけないか」というガイドラインが明示され,「指導医がどの程度それを行なったのか」という双方向の評価をきちんと出すことが本来の姿だと思います。経済的なこと以外にも,そういうことをしてもらいたいと思います。
今井 日本内科学会から,今年7月に,『内科臨床教育指導マニュアル』が出版される予定です。『臨床指導医ガイド』と合わせて読んでいただくとより効果的になると思います。
 先生方,本日はお忙しいところをどうもありがとうございました。
(了)


●資料1:看護婦・研修医間でのトラブルの解決方法

Q1:3年目くらいの研修医のA先生は,患者さんのところにあまり行きません。「隣の患者さんには別の主治医が朝と夕に来ていろいろ話をしてくれるのに,私の先生はなかなか来てくれないし話を良く聞いてくれない。いろいろ心配なことがあるが,こちらから話しにくい」と患者さんから不満の声があがっていますが,○○先生はA先生の指導医ですから,なにかいい方法を考えてください。

遠藤 研修医時代は良くても悪くても指導医を見本として医師としての振る舞いを身につける人が多いように思います。したがって,指導医自ら患者のベッドサイドへ足を運んで模範を示すべきでしょう。
大生 総論として,病院という多くの人がかかわる仕事のやり方や組織人としての常識についての教育の欠如があるのではないかと思っています。医師である以前の社会人としての初期教育あるいは継続的な教育がなされていないことがまず問題と思います。また,先輩がどのように診療にあたっているかで,かなり研修医も影響を受けます。良いモデルになることと問題点を口に出して冷静に話し合うことが大切と考えています。
 受け持ち医に熱意がなければ,まず一般論として患者-医師関係の基本はコミュニケーションであることや患者との話し合いは受け持ち医の当然の職務であることは告げます。診断・鑑別診断の上での問診の重要性も話して,ただの精神論や感情論にならないようにすることが大切です。しかし,こういったクレームを出す患者にも一定の問題があることがあるので,その点を斟酌して,担当医を全面的に責めることはもちろんできません。また,看護婦が自分たちの仕事ではないという態度で,患者の話を良く聞かないこともその一因であることもあるので看護側にも協力を求めます。
吉岡 3年目にもなると,医師としての仕事もほぼスタイルが定着し,患者さんのベッドサイドにいってもさほど情報が得られないことが多い現実を知っているのでしょう。もっとも,医師が患者のベッドサイドに行くことで,患者さんからの信頼が得られるようになり,医師-患者関係を円滑にする基本だという事実,患者は医師を待っているのだという現実を認識していないからだとも思えます。私が,指導医でしたら,彼の代わりに患者さんのベッドサイドにいって,彼の代わりに,患者さんの訴えをしっかりとチャーティングしてみます。もちろん,医師がこないので心配だと患者さんがいっていることも記載します。
今井 研修医が,コミュニケーション法をよく知らないことが要因と思われます。研修医が何かコンプレックスを感じている場合(自分に自信をなくしている場合)か,もともと自分だけの世界で生きてきた場合が多いかもしれません。いずれの場合でも,ある程度の訓練をする必要があります。その研修医が患者の病状・病態解説をすることを目的として約30分程度の看護婦と研修医のカンファランスを企画させます(看護婦から研修医に依頼させます)。その質疑応答のなかで,今後の問題点を話し合い解決するように仕向けます。「医師にはコメディカルへの指導的な役割(命令的ではなく)もあること」を研修医に自覚させるプログラムを実行することが有用です。そのなかで,研修医自身が問題点を感じて修正するようにします。

Q2:看護婦が患者さんの訴えを,主治医であるB研修医に伝えると,「頭が痛いなら,この薬を出しておくので飲ませておいてください」というだけで,実際自分で患者さんの所へいって話を聞いたり診察をしたりしません。危ない態度なので何とか上手く指導してください。

Q3:研修医のC先生は,朝と夕で大きく治療方針を変更します。どのような理由で変更したのかがわかれば納得できますが,看護婦への説明が不十分で指示が徹底されません。こんな態度はなおりませんか?

――このような場合,あなたが指導医ならどうしますか?

(『臨床指導医ガイド』より抜粋)


●資料2:「Evidence-Based Medicineの基本と実際」

遠藤 まず大生先生は臨床疫学の修士を独学で取られ,先端のEBMについてお詳しいので簡単にご説明願えますか。
大生 EBMは科学的根拠に基づく医療(医学)と言われていますが,この言葉がでる前は「臨床疫学」と言われていました。
 まず1938年にPaul JRという人が米国臨床検査学会でClinical Epidemiology(臨床疫学)と題する講演を行ないました。臨床的疾患の理解に疫学を利用することをそう呼んだわけですが,医療が始まるかなり前からこういう考え方はあったはずです。
吉岡 当時の疫学は,具体的にどういうものを指したのですか。
大生 病気になった人が何人いたか,どういう原因で起こったとかいうことだと思います。もちろん患者さんをじっくり診てそこに真実があるはずだという考え方は前からありました。ただ1964年にFeinsteinがリウマチ熱の疫学研究を発表し,そのペーパーがEBMの始まりと書いている本が多いです。
吉岡 何が新しかったのですか。
大生 疫学的研究を臨床疾患で臨床の場面でやったことが新しかったようです。
 その後1991年にClinical Epidemiologyに代わりEvidence-based Medicineという言葉をGuyatt先生が初めて使いました。これは貧血の患者さんに関してどうやって検査をすすめていくかということを書いた簡単なペーパーでした。次いでSackettが書いた『Evidence-based Medicine』という本が話題になり,改訂版も出ています。
 何をEBMと言うかは難しい問題ですが,私は3要素すなわちリサーチ・エビデンス(research evidence)とクリニカル・エキスパティーズ(clinical expertise)にペイシェント・プレファランス(patient preferences)をうまく合わせていくことが大事だと思います。それを「三位一体の医療」と言っています。文献のデータを患者さんに個別化したり,患者さんから出たデータを一般化して他の患者さんにも応用したり,個別と一般を行なったり来たりしているのが臨床の場面で,私はこれがEBMだと思っています。
吉岡 クリニカル・エキスパティーズ(臨床的学識)というのは,具体的にどういうことですか。
大生 いろいろあると思いますが,直感もそうですし,診察の技術,そういうこともあると思います。
 患者さんの価値観と選好を仮に患者さん固有のものとすれば,それらの状況を診療にどう組み込んでいくかという方法論,これも臨床的な学識だと思います。患者さんがこう思っていることをどう説得するとか,患者さんがこうしたいと言っていることを実際に薬で実現してあげる,あるいは行動で実現してあげる方法もそうです。あるいはエビデンスを患者さんに伝える方法です。これらも「臨床的学識」に含まれていると考えています。
吉岡 臨床疫学やEBMのテキストを読むと難解な日本語が多いですね,この臨床的学識というのもわかりづらいですね。
大生 臨床的側面とか臨床的技能と知識,そういう言葉にしてもいいのかもしれませんね。とにかく医者が関与していろんなことをやれる範囲のことだと思います。

EBMと医療判断

今井 EBMで言われている医療判断学やインターネットの利用,科学的な評価というのは,どういう位置づけですか。
大生 判断学はエビデンスをある計算式に入れ込んで,それで患者さんにわかりやすく示すという,エビデンスと患者さんとをつなぐ方法です。インターネットの利用は,この場は主にエビデンスを集めてくることです。評価というのは学識のところに入るかもしれません。先ほども言いましたが,患者さんに判断してもらうために,どうわかりやすく情報を伝えるか,患者さんとエビデンスとの関係をフレンドリーにし,患者さんの意思を生かすように,さらに医師が臨床的な技術に振り替えてやることです。
 今井先生が「医療判断学」と言われましたが,「medical decision making」の訳だと思います。京大の福井次矢先生は「判断は評価で,決断は選択だ」と言っておられます。Medical decision makingには両方が含まれていると思います。ただ仕組みとしてのEBMは,提示と評価だけだと思いますが,それに人間としてのさまざまな選択,好みが入って,決断になるわけです。
吉岡 患者さんの価値観は大切だと思いますが,日本人の場合は結構おまかせしますが多く,何が何でもよければやってくださいという方が多いと思います。結局はエビデンスやクリニカル・エキスパティーズを全部越えて,最終的に患者さんの判断が優先してしまえば,エビデンスがうまく利用できないということにはなりませんか。
大生 なりかねませんが,だから必要がないというものでもないと思います。これからの課題だと思いますが,患者さんによくわかってもらうということがエビデンスを提示するうえで重要なので,そういう情報を提供するということ自体が最終的な判断を変えていくと思います。次の段階では,患者さんの価値観や検査の危険性の判断などを合わせて,実際の計算にのせれば,それなりの結論を出すことができる。そこで,患者さんはそれを受け入れるかどうかというところまでいけると思います。
 注意しなければならないのは,出てきた結論は最終的な決断ではないということです。計算で出てきた結論と実際の患者さんをどう治療するかということはまた別だと考えないといけないのです。EBMはあくまでも道具として利用するもので,決して医師の思考に置き変わるものではないし,医師は楽になるのではなくて,かえって複雑になります。しかし,これまで頭の中でゴチャゴチャして,正しいか正しくないかわからないけれども信じてくれればいいよと言っていたことが,白日のもとにさらされていく。患者さんにとってはやはりよいことだと思いますし,医師にとってもよいと思います。 EBMの指導法と意義
今井 指導医が研修医にEBMをどのように教えたらよいのでしょうか。
大生 特別なEBMのレクチャーをする必要はないと思います。実際の臨床で起こった問題に対して文献を検索して,批判的に吟味していく。あるいは適切な二次資料を『Best Evidence』や『Cochrane』から引用してきて,それに対してディスカッションするのもよいと思います。また,臨床研修の場でしたら,指導医が利用する方法をよく見せることが大事だと思います。
 それから吉岡先生が言われたように,文献をよく吟味するという姿勢を見せることもよいと思います。ただ,誰がEBMの専門家ということではないので,診療場面で診察の所見を教えたり,検査データの解釈を教えたりするのと同じレベルで扱っていくべきで,特別扱いをするのが一番よくないと思います。
遠藤 文献の吟味についてですが,EBMと言ってもその時点でのベストであって,やがて変わる可能性は十分にあります。その辺りもよく理解しておく必要があります。
大生 それはそうです。今あるものの中でどうかということです。それから,Sackettの本にも書いてありますが,その通りにやらなければいけないというものでもありません。この判断はこのエビデンスに基づいたものではなくて,自分の信念に基づいたものだとか,経験に基づいたものだということを明示して診療すればよいのです。ですから,EBMはすべての診療をカバーするような手法でもありません。非常に大事な手法だという認識でよいと思います。
吉岡 エビデンスはすべて統計処理されたデータですね。統計学的に有意差がある。それが臨床的にも有効であるかという目で見なければだめだと思います。統計学にまどわされるのではなく,確固たる臨床的スタンスを持ちながら,統計を利用するという立場にならないといけないと思います。統計的に有意だといっても臨床的には有意ではないというのがたくさんありますよね。
大生 それはまさに,臨床疫学のイントロダクションに書かれていることです。統計で有意と言いますが,数さえ増えればだいたい有意になってくることが多いです。だけど,それが本当に意味のあるものかどうかということは,よく考えなければならない。どんな意味が臨床的にあるのか,患者さんのために意味があるのか,社会のために意味があるのか,経済的にどうなのかということも考えていかなければいけないと思います。ですからEBMには,臨床のセンス・臨床能力が問われているわけです。決して臨床能力を代替するようなものでなく,判断を代わりにしてもらうものでもありません。臨床家の臨床能力が磨かれれば磨かれるだけ,上手にEBMが利用できる,そういうものです。
今井 指導医,研修医,患者,あるいはコメディカルという臨床場面の共通言語となりうるのがEBMという考え方で,さまざまなデータについてディスカッションしていくことができるということですね。
大生 その通りです。全員をつなぐ共通言語になりうると思いますし,特に患者さんの考え方や行動を変えていくための,よい道具になりうると思います。
今井 今後のEBMの定着という問題に関しては,どう思いますか。
大生 EBMは患者さんとのコミュニケーションのツールになると思いますから,定着すると思います。ただ使う側にも,こういう結果になったからその通りにしなければならないというものではないということも定着してくると思います。個別化を明確にした診療が進んでいくと思います。
 もう1つEBMの大事なところは,何を指標にするかということです。QOLを指標にするのなら,QOLのスケールももう少し定量的,普遍的,あるいは誰もが納得できるような形になっていくと思います。また,臨床研究もそういうスケールを用いたものがどんどん出てくると思います。患者さんにとって自分の命が長いだけではなく,もっと違う大事なものがあるということになれば,それも意識せざるをえません。遺伝子研究が進むところまでいき,だいたい先が見えるようになってくれば,自分はこう生きたいとなってくるわけで,EBMは患者さんの選択を助けるものになると思います。だから定着すると思います。
(『臨床指導医ガイド』より抜粋)