医学界新聞

 

MEDICAL LIBRARY 書評・新刊案内


著者の臨床に対する鮮烈な姿勢の発露

私の精神分裂病論
浜田 晋 著

《書 評》兼本浩祐(愛知医大助教授・精神神経科学)

 精神科医は他科の医師と比べ,「なぜ,私は医師をしているのか,私は何のために患者さんを診ているのか」という問いと直面させられる機会が多い。それは,1つには精神科医が関わる患者が稀ならず自らは治療されることを望んでいないことにも由来するのであろう。また他方では,病棟という組織あるいは外来ですら,組織として機能させるためには,医師-患者関係あるいはスタッフ-患者関係の統制を行なわざるを得ない側面があり,個々の主治医が,管理ということを日々強く意識せざるを得ないことにも関連すると思われる。
 ある人が身体的に苦しんでいる場合,その苦しみを少しでも癒そうと努力することの意味に関して疑いが生ずる余地はあまりない。しかし,そもそも精神科医療は歴史的には患者自身のためにではなく,社会の治安維持のために組織されてきたという側面があり,実際の現在の日常臨床においても,患者自身の治療という目的と,家族,地域社会,ひいては社会全体の安寧という観点が,常に矛盾なく1つの方向を向いているという保証はない。

一貫した姿勢「患者の中へ」

 本書の冒頭近くに叙述されている著者の「球遊び」は,レヴィ=ストロースの人類学の研究を彷彿させる。こちら側の論理を押しつけるでもなく,逆に向こう側の力動に圧倒されて接触を断念するでもない第3の方法としての著者の方法論は今なお,きわめて示唆に富み,また魅力的である。感情移入に基づいて自分自身の感情を投影するでもなく,かといってコミュニケーションの試みを放棄して相手を単なる対象として扱うでもない,この「球遊び」の内にみられる臨床への姿勢は,地域に根づく診療所の開設へとそのまま連続しており,「患者の中へ」とでも言うべき著者のきわめて一貫した姿勢から,必然的に出てきたものだという印象を読者は抱くのである。
 本書における著者の臨床に対する鮮烈な姿勢は,「私はなぜ精神科医をしているのか」という問いを改めて厳しくわれわれに問うものであり,われわれの精神科医としてのアイデンティティを揺るがす問いの前にわれわれを否応なく導いていく。読み終えて平穏ではいられない1冊である。
A5・頁256 定価(本体3,000円+税) 医学書院


多忙な医療人の望みを満たしてくれる検査解説書

臨床検査データブック 2001-2002
高久史麿 監修/黒川 清,他 編集

《書 評》巽 典之(阪市大教授・臨床検査医学)

 Evidence-based Medicine実践において,正しい臨床検査に関する認識が不可欠であることは誰もが否定できない。近年の臨床検査の進歩はすばらしく,毎年新技術を用いた検査法が次々と開発され臨床応用される。これが最新医療に利用され,より新しい治療法が確立される。このような状況の下で,医師のみならず看護婦,技師,そして医療関連業務や新製品開発に関係する方々が,検査の変遷についていくには大変な努力が必要となる。既存の検査学教本はその分厚さの割には記述内容が古いだけでなく,最新医療の変化に対応できていないもどかしさがある。臨床検査の専門職化により,検査室と医師・看護婦との距離は最近とみに拡大しつつある。この時期,多忙な医療人にとって簡潔で時機を得た検査の解説書がぜがひでもほしいものであるが,この望みを満たしてくれるのが『臨床検査データブック2001-2002』である。

重要な検査情報とヒントが満載

 本書の構成をみると,(1)臨床検査の考え方と注意事項,(2)検査計画の進め方,(3)検査各論,(4)疾患と検査,(5)付録:日本人小児の臨床検査基準値,医薬品添付文書情報(臨床検査値への影響)の順となっている。
 (1)の章では,検査法(ベッドサイド検査を含む),基準値,感度・特異度,検体提出法など一般的注意のほか,パニック値,クリティカルパス,保険請求上の注意,遺伝子検査の正しい使い方など,実に実務的な組み立てとなっている。
 (2)の章では,DRG/PPSに基づく初期診療における基本的検査,臓器系統別臨床検査など,日本臨床検査医学会小委員会で検討し完成された検査計画法などを踏まえて解説されている。
 (3)の章では,各検査項目に対して,基準値,測定法,検体の種類と採取必要量,検査に要する日数,デシジョン・レベル(高度,中等度,軽度変化),異常値のでるメカニズム,判読法,検体保存の影響,薬剤の影響,保険請求時の注意の順でまとめられている。中でも「異常値のでるメカニズム」は,医学生にとって異常検査値と病態理論の関係を学ぶのに最適の記述である。
 さらに(4)の章では,日常診療で私どもが遭遇する大半の疾患を選択し,その疾患の診断基準,経過観察のための検査項目とその測定頻度,診断・経過観察上のポイントを示している。
 (5)は,新薬と臨床検査的副作用や有害事象の関係を知るのに役立つ。これら本書の充実した記述から,読者は病態の診断から治療までの全過程における重要な情報とヒントを得ることができるであろう。

類書にない斬新さ

 本書が優れた内容となっているのは,監修者と編集者の企画力,そしてわが国の現代診療の第一線で活躍されている著名な研究者・臨床家が力を込めて執筆された結果であり,類書にはない斬新さに溢れている。このことから本書は,初学者から臨床医,看護婦,技師,研究者,MR,そして事務職の方々までの利用に耐えうるだけの内容を有しており,その有用性と汎用性から各氏が購読されることをぜひお勧めしたい。
B6・頁850 定価(本体4,700円+税) 医学書院


標準的で実践的な腎臓病学の世界的教科書

Massry and Glassock's
Textbook of Nephrology
第4版
 S. G. Massry,R. J. Glassock 編集

《書 評》後藤淳郎(東大大学院助教授・腎臓内科学)

臨床に役立つバランスのある内容

 『Massry and Glassock's Textbook of Nephrology』の第4版が出版された。
 内科学のどの専門分野でもいくつかの教科書が発行されているが,腎臓病学でも編集者名で表わされるかたちですぐにいくつか脳裏に浮かんでくる。
 例えばアメリカのBrenner & Rector,Seldin & Giebisch,Schrier & Gottschalkなどと,イギリスのOxford Textbookがあげられるであろう。それと本書のMassry & Glassockが代表的な腎臓病学のレファレンスブックと言ってよい。いずれも版を重ねている事実はそれぞれに特徴があることを物語っている。
 研究に携わっている者には,最先端の内容を含んで病態生理が詳述されているBrennerは必携であろうが,臨床の問題を解決するにはなかなか結論に到達できないという短所もある。
 Massry & Glassockの特長を一言で言えば,一番臨床志向が強く,臨床に役立つバランスある内容となっていることである。だからといって病態生理の記述が不足しているわけではない。腎臓病学をきちんと理解し,臨床に応用できるためには腎生理・病態生理の理解が前提となる。
 本書では,臨床の問題を解決するのに必要かつ十分な基礎的な内容が理解しやすいように順序だって要領よく記載されている。この点は,一般に理解に骨の折れるとされる酸塩基平衡へのアプローチの章などを参照すれば,ただちに納得がいくであろう。

日常臨床に必要な所見が画像診断で漏れなく

 ほかに目につくのは,最後の数セクションで,血漿交換や腎生検などの臨床的な手技,検査,超音波・CT・MRI・核医学・放射線などの画像診断および腎病理が,それぞれ系統的にまとめられていることである。臨床的な手技には,骨生検査や結石破砕術も述べられているのに感心する。また画像診断では図,写真が豊富で,日常臨床で記憶していなければならない代表的な所見は漏れなく含まれている。この体裁は,本書の第1版から続いており,筆者も適宜参照して画像診断の知識を整理するのに役立つことを実感している。
 腎臓病専門医のみならず,一般内科医,泌尿器科医など,どなたにもその経験のレベルによらず推薦できる,読みやすく,かつ読みごたえのある標準的,実践的な腎臓病学の教科書として,本書の支持者がさらに増えることを期待する。
B5変・頁2,072 \52,320(税別)
Lippincott Williams & Wilkins


一味も二味も違う革命的な精神医学書

看護のための精神医学
中井久夫,山口直彦 著

《書 評》山中康裕(京大大学院教授・心理臨床学,臨床心理士/精神科医)

 本書はこの題名にある通り,その主たる読者対象は精神科看護に携わる人たちである。
 が,評者は,精神科看護者や精神科医はもちろんのこと,臨床心理士や介護福祉士など,精神医療に関わるすべての職種の人たちに,ぜひ一度は読んでほしい1冊だとあえて言いたい。あるいは,精神障害に苦しむ人たちの家族の方々にすら,お勧めできる本だといっても過言ではない。
 従来,そういう類の本は皆無であった。つまりこれは,従来の精神医学教科書とは一味も二味も異なる,まさに革命的な精神医学書であるからだ。

患者がどこでどう苦しんでいるのかが,くっきりと見えてくる

 その理由は,従来のものが,いわゆる客観的と称して,精神障害者を突き放して,純然たる客体としてのみ記載してきたのに比して,本書には,精神障害者がどこで苦悩し,どういう風に苦しんでいるのか,なぜにああいう症状や行動が出てくるのかが書かれているからである。著者らが長年治療者として関わってこられた体験そのものの中から,患者らの苦しみや悩みにそっと寄り添い,そっと手をさしのべながら,しかし厳然として,大切なことどもをはずしていない。しかもそれらは珠玉のようなことばで書かれており,よって,看護者や治療者が,どこに配慮し,どう関わったらよいのかが,手にとるように書かれているからである。

中井氏の治療観・看護観の全貌が余すところなく

 評者は,本書の前身である,医学書院発行の『系統看護学講座:成人看護・精神疾患患者の看護』(今は残念ながら絶版となっている)の1つの章として中井氏が書いておられた頃から,また,東大出版会から刊行されていた『分裂病の精神病理』シリーズに掲載のいくつかの優れた論文から,氏の,主として分裂病を中心とする精神障害者に対する,優しくかつ厳しい,実にしっかりした視点と,その意味深く人間的な確固たる治療観に感嘆し,かつ深い尊敬のまなざしを向けつつ,篤く注目していた。だから,わたしどもが以前に『心理臨床大事典』(培風館)を編んだ時にも,「臨床心理学のための精神医学総論」に大幅にこれを取りあげ,かつ引用させていただき,読者に大きく注意を喚起した記憶がある。
 このたびの本書は,絶版になったあの書物を骨子に,さらに細かく,また,さらに懇切ていねいに,そうとう大幅に加筆されているので,氏の精神障害全般に対するその治療観と看護観とが,余すところなく書かれているのである。

『マルテの手記』の如く

 本書のどこを取り出しても読む者の目からうろこがおち,患者たちの苦しみは奈辺にあるか,どう関わったらよいかが,実にくっきりと見えてくるのだが,1か所だけ例証してみようか。分裂病の発病(急性精神病状態)の項目からの引用である(一部省略し,一部他の頁から補って評者流に引用してあるが,すべて著者のことばである)。
――全不眠が2-3日つづくと,発病直前の「頭の忙しい状態」はなだれのように崩れて発病するらしい。患者は「なんでもない」と言うかもしれないが,苦痛がないのではなく,苦痛そのものになっているから,苦しいか苦しくないかわからない。
 この時期の「症状」は,聞き出そうとすればいくらでも出てくるのではないかと思われる。患者の語ることに中立的立場で耳を傾けることはよいが,「それからどうなるの?」「なぜそうなるの?」……「矛盾していない?」などと聞くことは患者を困惑させ,妄想型への道をひらくことである。論破しようなどはとんでもない。もしたずねられたら,「自分は経験していない……フシギだね……」という「事実」は伝えてもよく,さらに聞かれると,「えー,うーん,言われてみるとそんな気もするが,まさかとも思うし,さあ……」というような言い方がよい[サリヴァン]。
 「困惑」は,嵐のなかのささやかな一点ではあるが,ときに患者とつながれる一点である。実際患者は深い困惑のなかにあるが,それは,道に迷って途方にくれていて,こころのなかのどこかで救いを求めている。コミュニケーションは楽ではないが,嵐のなかにも束の間の凪(なぎ)はある。風は呼吸をしていて,これでおしまいかと思うとまた家を揺さぶり出すというぐあいらしい。それは風よりももっと唐突であって,突然考えが止まったりするが,せきたてずに少し待つと,また思考が流れ出すものである。
 家の中にいるのではなくて野原の真ん中にいる感じである。つまり自分のほうは丸見え,筒抜けなのに,“相手”のことは全然わからない。世界全体が自分を名指して殺到するようなときさえある。
(本書130-131頁より引用)

 これはまるで,リルケの『マルテの手記』に匹敵するような,実に見事なことば遣いである。しかし,これは文学なのではない。純然たる,実践的な精神医学の書物なのだ。
 読者は,ここだけ読まれただけでも,評者が上に書いたことが誇張でも何でもないことを知られるに十分であると信ずる。実に,待望久しかった書物なのだ。精神障害者の治療や介護に関わる方々,あるいは精神医学に関心のあるむきには,ぜひ読んでいただきたい一書である。
B5・頁316 定価(本体2,800円+税) 医学書院


待ち望まれていた発刊

標準理学療法学〈専門分野 全8巻〉
理学療法研究法

奈良 勲 監修/内山 靖 編集

《書 評》新谷和文(榛名荘病院)

PTにとって研究とは何か

 病院に勤務する理学療法士として,本書を評したいと思う。そもそも理学療法士にとって研究とはどのような意味を持つだろうか。
 それは,各人によって異なるが,編者は「研究によって得られた成果を固有の領域に応用するとともに,研究を通して身につけられた問題解決能力や論理性・表現能力の向上によって,日頃の臨床や教育に貢献するため」と述べている。とすると,研究とは,ある特別の研究者や,大学の教官だけが行なうものではなく,理学療法士なら誰もが(臨床の理学療法士こそ)行なわなければいけないだろう。かといって簡単に行なえるものでもない。そこでお勧めするのが本書である。本書は執筆者24人すべてが理学療法士であり,それぞれに実績のある方たちである。執筆者全員が理学療法士というのも1つの意義を持つものと思われる。
 本書の内容を紹介すると,第1章では理学療法士が研究を行なうことの意義・目的が書かれ,また理学療法士の本質を指摘する内容もあり,非常に重要な部分である。第2章ではテーマの発見の仕方,理学療法をとりまく学際領域,研究・実験の計画について書かれ,問題意識を持つこと・研究の準備段階の重要性が述べられている。また実例を提示しての研究は参考になる部分が多いと思う。
 第3章では統計について解説がなされ,第4章では文献の探し方・批判的読み方,文献カードの作成法が書かれている。第5章では卒業研究の意義・手順等が書かれ,第6章ではスライド・ポスターの具体的作成法から発表時の細かい注意点・質疑応答の心得など書かれ参考になった。第7章では症例研究論文の構成などが書かれ,第8章では論文の作成・発表の指導などが書かれ,研究指導者にも役立つであろう。
 以上のように研究に必要なものはすべて網羅されている。また付録として研究費の助成と申請法,留学の手続き,インターネットの利用法などたくさんの情報があり,必要に応じて参考にするとよいだろう。

研究心がふつふつとわき出てくる好書

 理学療法研究を取り巻く実状を見ると,理学療法士学会での演題数増加,世界理学療法学会開催,また大学院の設置などめざましいものがある。こうした背景とは別に理学療法研究に関する文献は皆無といってもよい状況にあり,本書の発刊は待ち望まれていたものと思われる。
 本書は一読することで,研究心がふつふつとわき出てくる好書である。研究とは編者が述べるように,その過程を通して自分を磨く手段である。ぜひとも多くの方が,本書を片手に研究に研鑽されることを願う次第である。
B5・頁288 定価(本体4,700円+税) 医学書院


なお一層充実した日本の眼科医療のために

医療従事者のための眼科学
日本眼科医会 監修/井上治郎,他 著

《書 評》馬詰良比古(馬詰眼科)

 近年,眼科医療の進歩にはめざましいものがある。われわれ眼科専門医が日々の研鑽を積むことは当然であるが,その進歩を多くの患者さんの幸福につなげるためには,眼科医療従事者すべての,たゆまぬ努力が必要である。

眼科研修医にも必要な項目

 しかしながら,新しい医療技術に目を向けるあまり,基本的な知識・技術を軽視することはないだろうか。本書はわれわれ眼科医とともに眼科医療に従事するOMA(Ophthalmic Medical Assistant),ORT(視能訓練士),看護婦を対象としたものだが,眼科医自身にも熟読をお勧めする。それによって現在行なわれている診療を改革することが可能となるであろう。今何が眼科医療従事者に求められているのか,必要最小限度の知識を得ることができる。
 眼科医療従事者とその心がまえ,受付と問診の項では,医療管理者が自らその手本を示し,従事者を指導・教育すべき事柄が述べられている。とかく忘れがちなことである。特に経験の少ない眼科研修医には学んでもらいたい項目である。後の項目は眼科としての基本的な視器の構造,検査,疾患などであるが,これらの項を十分に理解した医療従事者がわれわれ眼科医の仕事を補助してくれたならば,心強い限りである。
 本書を眼科医とその医療従事者が共有する知識の基本書として活用されたならば,日本の眼科医療のなお一層の充実を望めるであろう。
 最後に,執筆された4氏のご苦労に心より感謝するものである。そして1978年以来医療従事者教育の充実を図り,多くの講習会などを主催されてきた,日本眼科医会,地方眼科医会の今後の活躍に期待する。
B5・頁208 定価(本体3,200円+税) 医学書院