医学界新聞

 

今,看護教育に求められるもの

-Fox博士東京医科歯科大学集中講義から

津波古澄子(東京医科歯科大学大学院保健衛生学研究科講師)


はじめに

 「My outlook, both as a teacher and a researcher, has been that of a participant observer of patient-oriented clinical research」と語るRenee C. Fox博士は,ペンシルバニア大(以下ペン大)社会学部名誉教授で,また医療社会学者として,20世紀後半から今日まで「participant observer(参加観察者)」として第一線で活躍されている。
 Fox博士の研究活動は半世紀に及び,米国医療社会に深くかかわってこられた。今回,東医歯大では,博士の「生き証人」としての識見を拝聴することで,21世紀日本の医学,歯学,看護学,医療が直面している全人類的課題を考える1つの糧になるようにと,同氏を招聘し,集中講義を開催した。
 博士は,4月3日-5月3日の1か月間,「The Human Condition of Medical Professionals」(医療専門職に関わる人間としての不可欠な要素)のテーマのもと,講演会,セミナー,研究会などのスケジュールを精力的にこなされた。
 Fox博士は,1928年生まれ。ハーバード大学院にて社会学を修め,1954年同大学でPh. D. 取得。専門は医療社会学で,特に米国の生命倫理の歴史と現状に詳しい。1980年代には,「医学および生物医学・行動科学に関する倫理問題研究のための大統領委員会」のメンバーとして活躍された。
 現在ペン大社会学部アンネンバーグ講座名誉教授ならびに同大バイオエシックス・センター特別研究員のかたわら,「国境なき医師団」の参加観察研究も行なっている。
 Fox博士は看護教育への関心も高く,ペン大看護学部大学院の学位論文指導を20年間続けてこられた。Zane R. Wolf, RN, Ph. D.(著書に『Nurses' Work:The Sacred and the Profane. Pennsylvania Univ. Press, 1988』)ら現在活躍中の多くの看護教育・研究者を指導され,「見えないが,看護婦は私の研究の中にいつもいる」と言う。
 今回のセミナーの中では,看護のテーマは延べ9時間にわたり議論された。その中から看護教育への提言として3つのキーワード,I.参加観察,II.医療の不確実性,III.生命倫理に焦点をあてた。

I.参加観察

 Fox博士は,参加観察による質的研究のあり方,研究者の資質,教育(トレーニング)の仕方などに触れた。グラウンデッド・セオリーで日本でも馴染みの深いAnselm Strauss(『質的研究の基礎-グラウンデッド・セオリーの技法と手順』医学書院刊,1999)とは早くから親交があったという。
 Fox博士は,「グラウンデッド・セオリーで論文を書きたい」という学生に,「まず,セオリーの実践的マニュアルを忘れなさい」と忠告することからスタートする。つまり,「方法論にあまりこだわるな」という意味である。“データに基づく”ことが大事なこの方法は,手法に執着することで大事なデータの意味を見落とすことに陥りかねないからである。
 研究のためのインタビューをする場合に録音に頼ったり,過信しないようにアドバイスする。録音して“後で”考えるのではなく,“今,ここで”rich dataを考えることが大事であり,即時に応答することが求められる。Fox博士は,参加観察者の洗練された人格は決してバイアスにはならないと述べている。「よく『“頭を空にして”データをとりました』という学生がいるが,参加観察で何をみようとするのか“sense of notion”(見解のセンス)が人格からにじみでていなければ,真のデータはとれない」と言う。参加観察する前に,フィールド・ノートをもって,何度も地域に出て観察し,ディスカッションを繰り返す。その経験の中から,深い人間理解と洞察力が養なわれ,思考訓練がなされる。
 参加観察による研究が質的研究の1つの手法として洗練され,深められるためには,豊かな資質を生かせる参加観察者を育むことを優先する看護教育が求められている。
 看護婦は,看護教育の中で,患者中心のアセスメントとともに,家族や地域社会での役割などを含む環境などの背景に目を向けるための訓練も受けている。また,忠実すぎるほど理論と方法も身につけている,と言う。
 人間理解には観察者の資質の他に何が必要なのか。Fox博士は,「複眼的視点が必要」と提言する。巨視-微視,愛着-分離,演繹-帰納など両極を行き来する柔軟性と,両者を同時に見ことのできるセンスである。また,複眼的という意味にはもう1つある。看護学以外の学問の視点と統合して見る「dual vision」(複眼的視野)である。看護学に根をおろしながら社会学や文化人類学の視点を持って現象を掴んだり,哲学的に意味を考えることができる看護教育が必要である。

II.医療の不確実性

 Fox博士の数ある文献の中で,長く読み続けられているものに,『Medical Uncertainty』1)2)(1957,2000)がある。
 アメリカの社会における「医療の不確実性」は,医学文献の中で大きなテーマであり,また,社会医療学のモチーフである。「医療の不確実性」について,最初に言及したのは,Talcott Parsons(1951)である。Fox博士の研究には,社会学者である彼の「不確実性」の視座が大きく影響している,と述べている。
 今回のセミナーでも,医学生,歯学生,看護学生の「Training for Uncertainty」(不確実性への訓練)*について言及している。
 学生は,日進月歩の医療の世界で,入学と同時に周囲の期待や自己の体験を通して,専門家としての“社会化”がスタートする。医学を学ぶ学生が専門家として社会化していくプロセスに焦点をあてたFox博士の研究は興味深い。目に見えなかった医学生の“社会化”の過程を研究し,医学教育への提言をした功績は大きい。
 Fox博士は,押し寄せる膨大な医学情報を前に圧倒される学生の,ある種の「不確実性」の体験と対処の仕方に注目している。
 それは,医学そのものに内在する不確実性の部分から来るものと,学生個人の知識,スキル,態度の不確実性から来るものがあると指摘する。知識の限界には,科目による差異があり,例えば解剖学より薬学,また産婦人科より精神医学に不確実性の要素が高い。そのため教科によって,未知なるもの,予期せぬことの起こりうる可能性を含めた教授法の工夫が示唆される。個人差はあれ,スキルの学習でも同じことが言える。Fox博士は臨床体験の不確実性について,熟達した教師との出会いが大きいことを指摘する。(*Fox博士の論文では,「学生は,はじめ個人的な学問的な限界と,現代医学そのものの限界を混同しているが,次第にそれに対処することを学んでいく。これは,不確実性が1つの特徴になっている医療文化への学生の社会化〔つまりその環境への適応〕の特徴」と記述されている)

III.生命倫理

 Fox博士は,邦訳『臓器交換社会』(森下直貴・他訳,青木書店刊1999)にあるように,バイオエシックスの課題に長年取り組んでいる。博士は「生命倫理学者」ではなく,医療社会学の視点で生命倫理を考えている。それぞれの学問領域に立脚しながら,生命倫理を捉えていき,“対話”を続けることが,生命倫理学の本質を極める上で大切で,対話の場が必要なことを強調する。さらに,看護への提言として,「医療現場で起こる出来事,例えば遺伝子診断における倫理的意思決定やそれに伴う看護行為の選択など,目前のことだけにとらわれるのではなく,その中で何が問われているのかを考える過程が大事である」としている。また,現象の向こう側にある生死に関する価値観,人間の生活,幸福とは,などが問われており,文化的差異を含めてその根っこの部分を熟慮することを提言している。例えば,臓器の提供について,アメリカ社会では“gift of life”(生命の贈り物)の考え方があり,他者への提供また他者からの受理に対する肯定的な気持ちがある。しかし,文化によっては,「他者」という考え方や受容の違いから来る臓器移植への関心が異なってくるだろう。
 Fox博士は,「遺伝子治療や臓器提供など,生命倫理に関することは必ずしもアメリカなど他国から輸入することではなく,それぞれの文化圏の中から自ずと起こってくる問題である」と指摘する。
 「“Bio・ethics”は,文化の中で“死”の意味,“生命”の意味,“生きること”の意味を問うことからくる倫理的問題である」と説明する。看護教育における生命倫理の授業のプログラムの必要性が言われる中,示唆に富む言葉であった。

参考文献
1)Fox R.C.: Training for Uncertainty. in Merton R.K.et al(eds). The Student-Physician; Introductory Studies in the Sociology of Medical Education. Harvard University Press, Cambridge, MA, pp207-241, 1957
2)Fox R.C.: Medical Uncertainty Revisited. in Albrecht G.L.et al(eds). Handbook of Social Studies in Health and Medicine. SAGE Publications, London, pp409-425, 2000

編集部注:Fox博士の講演の一部は,雑誌「看護研究」34巻5号(2001年10月号)「看護の質的研究のためのインタビューをめぐる諸問題」(仮)として掲載される。