医学界新聞

 

 〔連載〕ChatBooth

 気が遠くなるほど気の長い仕事

 栗原知女



 不登校の子どものための家庭教師をしている友人がいる。カウンセリングの学会で,彼が発表した事例には驚かされた。中学校3年終了時から急に「ひきこもり」になったA君。父親とは何も話さない。母親とは最低限必要なことを筆談するだけ。
 家庭教師として初めて訪問した日,ドア越しに声をかけたが,A君は部屋から出てこなかった。2回目には,顔を見せたがすぐに部屋へ戻ってしまったので,置き手紙をして帰った。3回目,30分待たされた後に部屋に入れたが,A君は問いかけにまったく応じず,横向きになって自分の顔を見せない。4回目,何とかA君の生の声を聞きたいと,A君が興味を持っているというパソコンの話をしたが,返事なし。そこで,一計を案じた。25個の数字で遊ぶ「リーチ」ゲームに誘った。必要な数字を言わねばならず,A君は遂に自分の声を出した。
 だがその後も,必要最小限の単語を言ったり,「Yes」「No」のサインを出す程度。他者との関係そのものを拒絶している。まず,信頼してもらえることが大事だと考え,勉強の合い間に自分の体験をネタに雑談をした。反応がなく,「ひとり漫才」のようなむなしさを感じたが,くじけずに2年ほど続けるうち,喜怒哀楽の感情が身体に現れてきた。
 ひきこもりを続けたA君は,まったく通学しなくてもよい通信制の高校を卒業し,選んだ道は,なんと海外留学。
 「自分は高校時代に留学したかったのに,教師の反対に遇ってできなかった」,という家庭教師の体験談に心を動かされたようだ。対抗意識だろうか。友人として気持ちがつながった証拠とも考えられる。会話は成立しなくても,場と時間を共有し続けたことで,A君との間に少しずつ信頼関係が築かれたのではないかと家庭教師は自己分析している。
 気の長い話だ。A君が無事留学へ出発し,家庭教師としてのかかわりを終結するまでにかかった時間は約4年半。A君が断ち切ろうとする人間関係の絆をなんとかつなぎとめるため,手を替え品を替えアプローチし,その積み重ねの気の遠くなるくらいの地道さ。A君は最後まで正面から顔を向かい合わせることなく,完結した文章で会話を交わすこともなかった。
 いまどき,こんな「のんきな」仕事は他に例がないだろう。だからこそ必要とされるのだろう。企業はもちろん,役所や学校,医療や介護の現場でも効率が優先される時代である。早く,たくさん,完璧に,課題を達成することが重視され,ゆっくり,少しずつ,不完全でもいいから関係を積みあげていくことが軽視される。どちらが人間として豊かな生き方であろうか。
 人間を相手にして仕事をしている実務家にとって最も大切なのは,人間の不完全さや弱さを拒否したり批判したりせずに,丸ごと受け止めることではないだろうか。やさしさとは,気の遠くなるくらいの地道さ,ガマン強さなのかもしれないと,短気で移り気な私は深く反省するのだった。