医学界新聞

 

 連載

「WHOがん疼痛救済プログラム」とともに歩み続けて

 武田文和
 (埼玉県健康づくり事業団総合健診監・埼玉医科大学客員教授・前埼玉県立がんセンター総長)


〔第29回(最終回)〕
西太平洋地域でのプログラム展開-(3)

2436号よりつづく

WHO西太平洋地域ワークショップ

 これまで2回にわたり,西太平洋地域の多くの国々におけるWHOがん疼痛救済プログラムへの関心の高さを紹介してきた。WPRO(WHO西太平洋地域事務局)に派遣されてパプアニューギニアのプログラム策定協力担当のWHOコンサルタントとして,首都ポートモレスビーに滞在中の私をソロモン諸島の当局者が訪ねてきて情報収集するなど,南太平洋諸島の国々もこのプログラムに関心を寄せはじめている。プログラム進展状況は国ごとにさまざまで,政権交代が多い国では遅れがちである。
 こうした中で,WPROは地域内の発展途上国の参加を求めて,「がん疼痛治療の教育の強化と緩和ケアの専門性の確立」を主題とした「西太平洋地域シンポジウム」を計画し,私の定年退職前に日本で開催したいと打診してきた。そこで,WPROの担当官Dr. Han Tieruと協力して,私と埼玉県立がんセンター職員が開催地の世話役を担当し,1998年3月に大宮市の大宮ソニックシティで,計4日間にわたる地域ワークショップを開催した(写真)。
 ワークショップには,カンボジア,フィジー,韓国,ラオス,モンゴルなど11か国から,政府に選任された指導的立場の若手の医師や看護職が,自国の現状と問題点を携えて出席し,日本,オーストラリア,カナダ,米国の専門家を交えて討議を行なった。モルヒネ使用に対する医療上,経済上,規制上,社会文化上の阻害因子が各国共通の問題であった。出席者は,世界の現存知識を共有し,自国の状況に合わせた改善策を検討した。また,教育カリキュラム案も作成しつつ,政策的,教育的な取組みへの地域内連携の強化を合意した。
 帰国した出席者の一部からは,ワークショップで持ち帰った知識と方策とを,自国内で披露しても反応がないとの情報を寄せてきた。この思いは,18年前にWHOの会議から帰国直後の私が日本国内で体験したことと同じであった(連載第11回,1999年9月6日付,2353号参照)。その時に私を応援してくれたのは欧米の仲間たちであった。そこで今度は,私から声援を送る時だと,ワークショップ後の現在も西大平洋地域の仲間たちへの協力を続けている。


「がん疼痛治療の教育の強化と緩和ケアの専門性の確立に関するWHO西太平洋地域シンポジウム」出席者の記念撮影(1998年3月23日,大宮ソニックシティにて)。前列中央がST Han地域事務局長(当時)

エピローグ-改善の余地が大きい日本

 WHOがん疼痛救済プログラムは,日本に大きな影響を及ぼした。1987年に始まった厚生省での末期医療のケアのあり方の検討以来,国による治療成績向上策がとられた。グローバルスタンダードである「WHO方式がん疼痛治療法」では,経口モルヒネが主役を果たすことから,医療用麻薬の規制簡素化,極量の削除,国による講習会の開催,投与法マニュアルの作成なども行なわれた。そして,全国規模の学会での討議,地方規模あるいは病院内規模の研究会活動も盛んになっていった。
 その結果として,やがてすぐれた治療成績をあげる医師が増え,治療成績は確かに向上した。しかし,全国的にみると使用量はまだまだ不十分である。これは教育的な取組みが遅れたことが一因であったが,現在では卒後研修の機会がいろいろ設けられ,卒前教育でも取組み始めるようになってきた。1998年現在,全国の80の医学部のうち,60%ががん疼痛治療を講義しており,看護教育機関では90%以上が講義している。しかし,現存の薬理学教科書には健常な生体へのモルヒネ投与時の薬理作用のみが記述されており,内科学教科書にはモルヒネが中毒学の章でのみ記述され,持続性の痛みに対して適切に使ったモルヒネの特性には触れていないことが多い。改訂を急ぐべき点である。
 一方,モルヒネを使い始めた医師が,モルヒネへの恐怖感が心に残っているためか,不十分量処方にとどめているのをみかける。モルヒネを使いたくないと思っている医師も未だに多い。必要な薬と知識とが用意されている日本では,適応がある痛みに対し,モルヒネを必要十分量処方しない医師が障壁となり,痛みに苦しむがん患者のモルヒネの有用性へのアクセスを妨げている。そのためにも,すぐれた成績をあげるようになった医師は,治療に難渋したケースや新しい知識への挑戦を報告するだけでなく,簡潔な治療内容で痛みから解放された多くのケースについても報告し,他の医師を刺激していただきたい。有用な治療法を活用しない医師は許しがたいというのが痛み治療における倫理である。この理解が広がってこそ,日本での「すべてのがん患者の痛みからの解放」が実現する。
 院内全体ですぐれた除痛率をあげている病院も増えている。そうした病院の多くでは,病院長が見識ある指導力を発揮して,各科の医師と看護婦による痛みへの取組みを推進させている。その結果,患者のQOLが向上し,職員の精神衛生にも好影響があり,来院患者数の増加や平均在院日数の短縮にもつながってくる。すべての病院長がこうした利点も理解し,指導力を発揮するようお願いしたい。
 日本人の3人に1人の死因ががんであり,21世紀には「2人に1人」に近づくと予測されている。医療従事者自身も,将来がん疼痛に襲われる確率が高いのである。それも踏まえて,誰でもどこでも実施できるWHO方式治療法が全国津々浦々で行なえるようにしなければならない。現在の日本では,医療用モルヒネ年間消費量が,がん患者が持つ需要の数分の1を満たしているにすぎない。このような状況の改善が,医師の義務であると「WHOプログラム」は説いてきた。すでに日本の行政当局は,医療用モルヒネ消費量の大幅な増加に対応する供給体制を構築して21世紀に備えている。
 多くの医療職の方々から,私の活動にご支援をいただき,日本麻酔科学会からは社会賞を授与された。この連載へのご批評も,直接・間接的にいただいた。2年にわたる長い間のご愛読に感謝しつつ,連載を終わりたい。
(了)

1999年1月(2320号)から始まりました本連載は,今回をもって終了となります。長期にわたるご愛読,ありがとうございました。
「週刊医学界新聞」編集室