医学界新聞

 

緊急レポート――海外医療事情調査

北米の臨床医学とその研究
ならびに教育プログラムの視察

日野原重明(聖路加看護大学名誉学長)


 私は毎年2-3回,アメリカの医学・医療・看護の実態を理解するために,ボストンを中心として,その他の東部,南部,中部,西部のメディカルセンターを訪問し,各領域の第一人者の専門家との会談を重ねてきた。アメリカにおける上記の実態は,単にアメリカで開かれる学会に出席しても,これらのことを理解し,アメリカが今後10年先には何をめざしているかということを把握することはできない。
 日本の医療はアメリカとは基本的な枠組みが異なり,比較検討には注意を要するが,医学教育や看護教育(医学校や看護大学での学生の教育や,教育病院での卒後研修)にはあまりの差があり,外来や入院医療においても遅れが著しい。
 私は2000年9月に3日間ボストンを訪れたが,本年3月末の2日間はボストン市のメディカルセンターを訪れ,次いで南部に飛び,ヒューストン市のテキサス・メディカルセンターを足かけ2日訪れ,診療・教育・研究の実態に触れることができたので,ここにその印象を報告する。


■ボストン市での視察――
 マネージドケア体制下での医療と医学・看護教育への投資と熱意

3月26日(月)

 【18時30分】成田発
 【同日20時】米国・ボストン空港到着

3月27日(火)

Rabkin教授との再会

 【9時~10時】
 ハーバード大学関連病院のマサチューセッツ総合病院(MGH)で研究中の臨床心理士の堀越勝博士から,米国における臨床心理士と医師との診察や,研究上の共同作業の実態について説明を受けた。
 米国では日本と異なり,臨床医は細かい心理的アプローチを臨床心理士に委ねていることが特徴である。精神科や心療内科においては,臨床心理カウンセラーと臨床医との協働体制がうまく作られている。
 アメリカも日本も同様に,最近はストレスによるうつ病や行動異常者が多いが,少なくとも一回1時間の時間をとってのカウンセリングがなされないと解決できない問題に悩まされ続ける患者が多い。その場合,患者がその家族とともにカウンセリングを繰り返し受けることが,薬物療法以上に必要であることが強調された。

 【10時~11時30分】
 ハーバード大学の有力な教育病院の1つベス・イスラエル・ディーコネス・メディカルセンターにあるC. J. Shapiro医学教育研究センターを訪れ,その責任者であるMitchell Rabkin教授に再会した。
 Rabkin教授は30年以上もの長きにわたってユダヤ系のベス・イスラエル病院長を務め,最後の仕事として,キリスト教の新教の教派の1つを基盤とするディーコネス病院とを合併させて,ベス・イスラエル・ディーコネス・メディカルセンターを発足させた。Rabkin教授は合併後間もなく最高責任者の職を譲り,この研究センターで医学生やレジデントの教育を行ない続けておられる教育熱心な方であり,また今回も,私の2泊3日のボストン滞在中のスケジュールを一手に引き受けてくださった。

驚くべき教育教材-“heptic simulator”

 Rabkin教授とは約1時間,この研究所で扱う医学生やレジデントの教育教材の内容についての説明を受け,各種のシミュレータを用いてのデモンストレーションを見せてもらった。
 これらの教材を製作したImmersion Medical社の“heptic simulator”と呼ばれる装置「Cath Sim Intra-Venous Training System」は,太い腕のために静脈の出にくい例や,容易に静脈が出る例を画面から選択して,静脈内注射を試み,その技術を解剖学的指導により要領よく教える仕組みである。つまり,患者に負担を与えないで静脈内注射を行なう技術を初心者に体得させるものである。その他に,消化管内視鏡の使い方,気管支鏡の挿入の仕方,直腸直達鏡の使い方を,患者を実験台とせずにシミュレーションで初心者にその技術を修得させるというものもある。
 操作は簡単であるが,非常に精巧に作られているのには感心し,米国にはこのような教育的資源を開発する優れたノウハウを提供するところがあることをうらやましく思った。これは,臨床医師と技師との合同作業による驚くべき新しい教育資源の作品である。“heptics”という言葉は,ギリシア語のhap°ticsps(これはgrasp〈掴む〉,あるいはperceive〈会得する〉という意味を持つ)に由来するという。それでImmersion Medical社の製品を“heptic simulator”と呼ぶということであった。
 静脈内注射に際しては,どのようにして前腕の静脈を発見するか,またそれを見出したら,どの部分を消毒し,どのような角度で静脈内に針先を刺し込み,次いでどのように採血するか。その一連の操作を評価する人が,術後モニタでこれを評価し,このコメントが術者当人にもディスプレイ上の文章や数字から正しく理解できるようになっている。下手に静脈中に針を入れたり,血腫などを作ると,患者は「アー!」と声を発し,技術評価の資料となる。内視鏡も挿入の要領が悪かったり,血腫が作られたりすると,患者は「痛い!」と叫ぶ。初心者に患者の人権を尊重しながら術式を教えるためには,まずシミュレーションを行ない,これを繰り返すことによって,術者の技術が自然と練られるのである。
 そのような説明の後に,この研究所内にある学生のための自己学習室の設備を見学したが,医学生のためによくここまで投資したものだと驚いた。

学生にもよくわかるハーバード大学医学部の経営内容

 Rabkin教授は,ハーバード大学医学部の教育や研究のファンドについて,44頁にもわたる『Harvard Medical School Dean's Report(2000-2001)』を用意されて説明してくださった。
 ハーバード大学医学部の1999-2000年度の収支の予算を見ると,次のごとくである(図AB)。Aの図は収入,Bの図は支出で,年間収入の13%は授業料,連邦政府からの助成金その他が42%,民間からの寄付,研究助成金その他14%,大学の資金からの利子収入の19%などが主なものである。これを見ても,ハーバード大学は私学であるにもかかわらず,学生からの収入は少ないことがわかる。政府からの教育助成金と民間からの教育助成金を合わせると56%になり,このこと1つとっても,アメリカの医科大学が日本と比較してまったく様相を異にすることがわかる。支出に関しては教育費32%,研究・教育費49%,両者を合わせて81%で,これに比して他の事務的経費ははるかに少ない。
 また2000年の時点で,医学部学生(MDのストレートの課程)は734名,MD-Ph.Dコース(4年間の医学部のコースでなく,3年の時に普通の授業は受けず,1年間研究室に在籍してPh.Dの資格を取得し,その後3-4学年のコースに戻る)の学生は134名,Ph.D学生は516名,インターン,レジデント,フェローは6624名,教職は5603名。学内選挙権を有するフルタイムの教官は3211名もの多数に上るという。
 ハーバード大学のJ. B. Martin医学部長の名によるこの年報は,実に詳細かつ簡潔で,大学がいかに経営されているかが学生にもよくわかるように記されている。
 


 

学際的な新研究所群

 次に施設について特記すべきは,以下のごとくである。
 在来の医学部の南キャンパスでの基礎的研究所のいくつかは,北キャンパスに新しく建てられた43万m2の研究用建物に移り,ここで臨床医とPhysician-Scientistと基礎科学者が,学際的な交わりをもつ集団として研究が行なわれるようになるという。この建物には,関連病院内にあったいくつかの研究室がここに移動し,遺伝学,代謝病,分子病理学,神経科学,血管生物学などの研究室がまとまってここで研究が行なわれる。相互間の交流が持てるよう設計されている。また,ここには700席の講堂も作られ,蛋白研究所,科学および細胞生物学・ゲノム適用の治療センター,ワクチン研究所,脳修復および組織再生研究所などが収容されるという。

症例検討会に参加する

 【11時30分~12時30分】
 消化器内科主任教授Dr. Chopraと,学生教育について会談した。Chopra教授は肝臓病を専門とし,『The Health Liver Book-The Patient's Guide to Diagnosis, Treatment and Recovery』(Pocket Books. 2001)の著作を持っている。
 会談の後に,会議室で「教授回診(Firm Chief Round)」と称される,担当のレジデントが,診療録なしのケースレポートの後,学生,レジデントによる討議が教授の下で行なわれるカンファレンスに出席した。珍しい肝ジストマの症例や代謝性肝障害の症例が述べられ,私は循環器を専攻している者として紹介され,意見を求められた。
 私は昔経験したヘモクロマトージスの症例を思い出し,若干の意見を述べた。Rabkin教授は「昔,内分泌を専攻した者として,このような臨床医学のカンファレンスにあなたと共に参加できたことは大変嬉しいことである」と感慨深げに述べておられた。

 【12時45分~13時40分】
 続いてRabkin教授は,プライマリケアと予防医学・臨床疫学を専攻するFletcher教授と,総合内科および臨床疫学の教授であるその夫人と共に私をランチに招待していただき,そのご好意によって,私たちはカンファレンス・ルームの1つで私的に意見を交わすことができた。
 ハーバード大学医学部入学の1学年には,入学するなり,基礎医学の学習と同時に,予防医学や栄養学,行動医学,ならびに臨床疫学のカリキュラムが組んであり,日系三世のInui主任教授の下で,この夫妻が有力な教官として教育に関与されている。このような配置の中での教育的問題をお2人からお聞きすることができた。
 Fletcher女史はW・オスラー教授の伝記にも興味を持っており,私が6月にデューク大学からオスラー講演集の注解書(『Osler's“A Way of Life”and Other Addresses, with Commentary and Annotations』)を出版することを聞いて大変喜ばれた。

 【14時~15時】
 国外でハーバード大学の国際的教育活動を行なう「Harvard Medical International」の責任者D. H. Makadon氏と話した。
 このプロジェクトは,「Practi-Med」と呼ばれ,今日の新しいプライマリケアに重点を置き,各科の専門医10名以上を国外に送り,引受先の医師会とか学会と共同して,3日間の「Practical Medicine」というセミナーをホテルで行なうものである。
 2000年秋のブラジル・サンパウロ市で行なったセミナーが大成功であったので,「このような企画を日本で行なうにはどのようにすべきか,ご意見をお聞きしたい」という申し入れを受けての会見であった。
 私は日本の開業医の実情,および日本向きのプログラムでないと成功しないことを説明するとともに,「経済環境が芳しくない日本の現状では,スポンサー探しに苦労すると思うが,企画の内容が優れているので,帰国後,立案してみたい」と述べた。

CD-ROMで医学の最新情報を得る

 【15時~16時】
 Dr.B.D.Roseと会談した。彼は机の上に,彼の考案した“Up To Date”という名のCD-ROMを置き,ここから最新の各科の信頼度の高い診断治療の文献を即座に出せる教育的商品を私にディスプレイで見せてくれた。今日,EBMが日本にも流行し,インターネットを用いて最新の科学的証拠のある文献探索をする動きが,病院でも,また稀ではあるが開業医も行ない始めているので,それに準じた便利なマニュアルが即座にディスプレイ上に示されることは,非常に有益であることを知ることができた。
 「これは日本の臨床家に大変に向いている」と話すと,「日本語に訳さないと,日本では通用しないのでないか」と彼が言うので,私は日本語に訳さなくても,英語版がそのまま日本の医師にも適用可能であると話した。
 彼はこのアイディアを1989年に思いつき,まずNephrologyから始めて,1992年にはCardiology,1997年にはGastroenterologyというように内容を広め,1999年にはInfectionの章も入れて,内科の全分野にわたる最新の医学情報の収載が完成したと言う。これは4か月ごとに改版されるが,その作業には2600名の専門医が加わり,このプログラムを専任して作成する専門医が16名も参加していると言う。
 これは日本の病院勤務の医師にも開業医にも,EBM的なアプローチとして大いに推薦できる優れた内容だと私は思う。また,これを作成するために,これほどの人材を用いていることは驚異的であると思う。そこで私は,これを普及させるために,本年7月に開かれる「日本医学教育学会」のEBMのセッションで紹介できるように推薦することを約束した。
 Dr. Roseはもともとは腎臓病専門医で,水と電解質に関する大著『Clinical Physiology of Acid-base and Electrolyte Disorders. 5th ed』(McGraw-Hill. 2001)の著者である。
 夜はRabkin教授ご夫妻に夕食に招かれ,食後,いつものように日米の医学交流をもっと密にする方法について語り合った。

3月28日(水)

老年医療の回診に参加

 【7時30分~8時30分】
 このメディカルセンターの老年医学のJeanne Wei主任教授の回診に参加した。数年前まで老年医学科の主任教授をされていたのは,John W. Rowe教授であったが,マウント・サイナイ医科大学長に招かれたのでここを辞され,女性のWei教授がその後を継いだのである。
 J.W. Rowe教授は,長年マッカーサー財団成功加齢研究に携われた。この財団は,老化に関連する研究を行なっているさまざまな分野の学者を募ってグループを結成し,高齢者の心身の機能を高める条件はどのようなものであるかをテーマとする「新老年学」の学問的基礎を作り上げるための研究に経済的援助を提供した。ここにおいて数十に及ぶ老化に関する個別研究が行なわれ,「上手に加齢を導く(Successful Aging:成功加齢)」ための要因を明らかにする研究を終了した。この研究には1千万ドルという費用が投じられたが,プロジェクトは次の4テーマからなる。
 (1)心身の機能を高く保っている千人の高齢者を8年間研究し,心身の成功加齢につながると思われる要因を判別
 (2)スウェーデン人の双生児数百組を研究し,老化を早める遺伝子を判別
 (3)高齢者がストレスにどのような反応を示すかを実験室で研究
 (4)人間と動物の脳の老化に関する研究
 その10年間にわたる研究の成果が,1998年に出版された『年齢の嘘(“Successful Aging”)』(日経BP社)である。
 私は,(財)ライフ・プランニング・センター(以下:LPC)で昨年9月から,75歳以上の日本の健康老人を対象とする疫学的調査の研究を開始し,道場信孝博士などと協力して「新老人運動」のプロジェクトを進めているが,このアメリカの業績は非常に参考になるように思った。
 Wei教授の回診の後,レジデントやフェローと共に症例についての討議に加わった。彼女は「心臓病学」から「老年病学」に専門を移しており,近著『Aging Well: The complete guide to physical and emotional health』(Wiley)をいただいた。この本は一般人向きに書かれたテキストで,全人的なアプローチを強調しているが,心身・社会面に十分配慮した上で老人のケアを行なうのに非常に役立つ本である。上手に老いて円熟する方法や,上手な死の迎え方など,日本の老年医学が軽視してきた点が強調されて取り上げられている。

不足するナース

 【9時~11時】
 Clifford博士(Registered Nurse)と会見した。彼女はベス・イスラエル病院の元看護部長兼副院長で,当時のRabkin院長のよきパートナーとして長年勤めてこられた。聖路加国際病院が9年前に新築され私が院長となってから,若い看護部長を副院長に抜擢したのは,多分にRabkin院長の人事に倣ってのことであった。Clifford女史はアメリカでいち早くプライマリケア・ナーシングを唱えていた。私は日本にも彼女を2回ほどLPC企画のセミナーに招いており,旧知の間柄であった。
 彼女は現在,ベス・イスラエル・ディーコネス・メディカルセンターの看護教育の責任者でありInstitute of Nursing Health Care Leadershipのプログラムを主宰している。
 リハビリテーション看護の専門家であるM. Phippes女史と,患者学習センターのマネジャーであるP. Folcarelli女史の2人の教育専門ナースが分担して彼女を助けて,このメディカルセンターに新採用ナースの教育プログラムを構築していると聞いた。
 彼女の説明によると,新卒で就職したナースには2か月間は独立して患者を担当させず,その後は,教育能力のあるシニアのナースが1人の新採用ナースにつきっきりで,1年間直接指導するとのことであった。つまり,徹底したプリセプターシップによる教育である。
 この病院は最近アメリカの東部の他の病院同様にナース不足が生じて,ノンプロフェッショナルの高卒の若い女の子を下回りの仕事をするのに雇っていると言う。アメリカの一流の病院の多くは,現在R.N. の資格を有するナースが不足していると言っているが(不足の原因はアメリカでは,コンピュータ・サイエンスの会社のほうが収入もよいため,そちらへの就職希望が増えてナース志願が減ったことによる),それでもレベルの高い臨床ナースは,日本の3倍は優にいるのである。なお,このセンターにはThe Institute of Nursing Health Care Leadershipがあり,以下のような活動がなされている。
 (1)リーダーシップの教育
 (2)看護研究と看護管理
 (3)国際看護(外国から採用したナースの教育と看護専門職がチームを作って外国で教育活動を行なう)
 以上のうち(3)は,外国の医師に対するPracti-Medのプロジェクトに準じるものといえよう。
 以上,ボストンでの非常にタイトな日程で,アメリカ医学や看護学の第一線の様子を見ることができた。25年前,LPCの教育セミナーに講師として招いて以来,常にLPCの活動に援助していただいたRabkin教授の配慮あるスケジュール作りに,私は非常に感謝している。
 以上の見学後,テキサス州ヒューストン市に向かう13時30分発のコンチネンタル・エアライン飛行機に乗った。

■ヒューストン市にて
 テキサス・メディカルセンターの活気ある診療・教育・研究活動

3月28日(水)

全米で最高の評価を受けるAndersonがんセンターを訪れる

 【17時】
 定刻にヒューストン空港着。
 友人に迎えられてヒューストン市のテキサス・メディカルセンターにあるがん専門病院のM. D. Andersonがんセンターを訪れた。そして,J. Mendelsohn院長のもとで,血液と骨移植部で研究している上野直人助教授の出迎えを受け,北米最高の2つの有名ながんセンターの1つであるこの病院を案内していただいた。私はこの病院を3年ぶりに訪れたが,過去30年間,2-3年に1回はこの病院を訪れ,小児科教授をしていた,今は亡きWat Sutow先生を通して,この病院の院長や故Taylor教授と親しくなり,病院経営についても詳しいデータをいただいてきたのであった。
 1000床もあったがん専門病院がまったく新たに改造されて500床となり,メディカルセンターの周囲には,比較的安く泊まれるホテルがあって,患者はそれを利用して,通院でがんの化学療法がなされるようになった。そのために病床が半減したことがよくわかった。
 この病院は,2000年のUS News社の調査では,全米の癌施設中最高の評価を得ている。その名声のために世界各地から患者が集まってくるが,非常にヒューマンな態度で患者の診断治療がなされている。またここでは,徹底した配慮をもってのインフォームド・コンセントにより抗癌剤の薬物の治験がなされている状況を再確認することができた。外来診療の玄関から入ると,中はたいへん豪華で,病院らしくない。ロビーは広くゆったりとしていて,そこに置かれた待合の椅子や調度品も素晴らしい。まるでホテルのような雰囲気で,たくさんの植物や花で院内は美しく飾られていた。
 夕刻の訪問であったので外来患者は少なかったが,この豪華さはどうしてかと聞いたところ,テキサス大学のキャンパスで油田が採掘されたことと,ブッシュ大統領になってから,石油価格が上がった好景気も加わり,それからの収入が建物の改築や研究所の整備のために使われているという。しかし,その収益は人件費には使わないというルールがあるとのことであった。ここには入院の患者のための豪華な特別病室もあり,大家族が来ても,病室に接する広いロビーのような部屋で,家族も一緒に食事ができ,パーティーまで開けるという。患者の食事もホテルのルームサービスと同じようになされ,患者の好みでメニューが用意されている。日本では考えられないサービスである。

オスラーの講演集と注解書を英文で出版

 約2時間の見学の後,友人のMcGovern先生を訪れた。今日,アメリカオスラー協会が立派に成長している陰には,先生の経済的ならびに精神的貢献に絶大なものがあったからである。私は彼とアメリカオスラー協会について話した。
 前述のように,私はオスラーの遺した講演集に詳しく注解を付け,アメリカの医学生が読めるように英文で出版することになったが,これはMcGovern先生のデューク大学出版会への斡旋によることが大きい。私はMcGovern先生に深い感謝を述べた。

3月29日(木)

よく記載されている診療録

 【7時30分~11時】
 テキサス・メディカルセンターを訪問。
 ここには,M. D. Andersonがんセンターの他,テキサス小児病院,聖ルカ病院,メソジスト病院,Ben Tamb総合病院,Texas Heart研究所,テキサス大学歯科大学病院,Hermann病院診断センター病院,精神衛生・精神障害テキサス部門,Baylor医科大学のドヴェッキー記念館などがある。これらを総称してテキサス・メディカルセンターと呼び,テキサス大学医学部とバイロー医科大学,テキサス大学歯学部がこれに参与する。この中のHermann病院は400床を持つ総合病院であるが,この病院のCardiology部門を見学した。
 17床の心臓外科手術患者用のICUと7床の回復床があり,3名のレジデントと3名のインターンが配置され,その上にフェローやアテンディングの上級医がいる。毎日20例の心臓手術と15例の大動脈瘤手術が行なわれると言う。
 心筋梗塞患者は,CCUに入院するのは2日間だけで,そのあと回復室に移り,平均1週間で退院とのこと。心臓外科医は手術日と翌日の患者のケアにあたり,以後のケアは循環器内科医によってなされ,外科医は専ら手術に専念ということで,外科,内科が融合して働いている。
 忙しい中でのインターンやレジデントの診療録上の記述はどうかと思って記録を見せてもらったが,system reviewは詳しく書かれ,全身のチェックがよく行なわれるように指導されている。研修医は1人の患者を診て,その後すぐに記録を書くように教育されているが,レジデントの指導役のフェローまたはアテンディング上級医のチャートへの記載も,診察ごとに10-20行詳しく要領よく記載されている。これは3,4年前から政府がデイ・ケア(公的老人保険)のためのレジデントの給料をだしているが,指導医にはノルマが課せられており,診察後のコメントを詳しく書くことが政府から強制されているという裏話も聞いた。
 アメリカの心臓センターでは,冠動脈再建処置は濃厚に行なわれているが,最近は再建術を行なった患者の冠動脈の再狭窄が30%あったのが,レジデントがβ線で冠動脈内を先に照射しておくと5%に減少しているとのことである。

充実したID部門の研究

 次いでThe Institute of Molecular Medicine for the Prevention of Human Diseasesを見学した。ここは「人間のいのちをもっと長く,かつ充実したものとなすための医学を実現するための研究を行なう施設である」と説明されている。院長のFerid Murad教授は67歳の時,NO2の研究で1998年にノーベル医学・生理学賞を得た方であるとのことであった。
 ここはID部門を研究する目的で,初代のM. D. Low所長が8千平方フィートの広さのスペースで設計されたもので,現在は分子生物学の研究者H. J. Muller-Eberhard博士が所長である。現在10のプロジェクトのうち3部門の研究,すなわち(1)免疫および自己免疫疾患,(2)循環器疾患の研究,(3)遺伝子コーピングの研究などである。
 案内していただいた藤瀬研一助教授の,アポトーシスに関する研究室も見学した。日本から留学している研究者はNIHやその他からの研究費の助成があっても,その中から助手の給料や自分が研究する上の諸費用を出さなければならないことが多く,なかなか苦労のあることが窺い知れる。
 なお臨床側の研究者には,この研究所で研究をしつつ,一方では臨床の場に出てアテンディング医としての責任を果たすことが要請されているが,彼の話では,病室でのレジデント指導の義務は1年の中で3か月,外来クリニックは週1回,毎回約10人の外来患者を診察することが義務化されているという。

 以上,私は北米の医学教育と研究と診療のメッカと言われるボストン市のハーバード大学関連施設,ここではマネージドケアのために病院経営のむずかしい地域と,経済的には恵まれているテキサス・メディカルセンターを短期間とはいえ訪問した。この間に得た情報は貴重なものだったことを感謝している。日本の医学・医療研究,診療体制の改良には何をおいてもそのシステムを改革しなければならず,旧態依然とした研究・教育・診療システムでは「労多くして功少ない」ことを痛感する。

(おわり)