医学界新聞

 

京大で第4回「臨床と疫学」セミナー開催

診療の質の評価と質向上に関する研究


 さる3月2日,第4回「臨床と疫学」セミナーが京大で開催された。本セミナーは,京大大学院医学系研究科(研究科長=中西重忠氏)が,昨年春に新設された社会健康医学系専攻(議長=福井次矢氏)を中心に行なってきた企画である。今回は,医療科学研究(ヘルス・サービス研究;HSR)をテーマとし,当該領域の若手研究者であるカリフォルニア大ロサンゼルス校総合内科/ヘルス・サービス研究部門助教授のキャロル・マンジオーネ博士とスティーブン・アッシュ博士の2名が招聘された。
 マンジオーネ博士は,このヘルス・サービス研究の定義と特徴,発展の歴史的過程,具体例などを述べた後,彼女自身がこれまで取り組んできた主観的アウトカムを用いた研究,特にビジョンのQOL(VFQ25)測定尺度の開発と実際のヘルス・サービス研究への活用例を説明した。
 一方,アッシュ博士は,米国におけるヘルス・サービス研究者のトレーニングプログラムの紹介に加え,その一分野である質の向上のための研究(Quality Improvement Study)について具体例を交えて解説した。


■ヘルス・サービス研究の重要性

福原俊一氏(京大教授・社会健康医学系専攻)
東 尚宏氏(同博士課程)

 現在,世界的なレベルで,医療の質を確保する動きが急速に広がっている。特に欧米では,診療の質を評価し改善するための科学的研究が盛んに行なわれており,この研究領域を「ヘルス・サービス研究」と呼ぶ。ヘルス・サービス研究を行なう専門家の層も厚くなっている(「American Society of Health Service Research」という学術団体では,医師の研究者だけでも会員は数千人おり,医師以外の多分野の研究者も多数在籍する。URL=http://www.academyhealth.org/)。

日本における研究体制の確立を

 医療の質の評価の対象も医療機関の「構造」(日本でいう看護基準など)から,検査・治療内容(例えば糖尿病なら眼底の検査を一定期間内に行なうべきであるとか,すでにエビデンスが確立した治療を医師が行なっているか,など)の「プロセス」の評価,さらに診療の帰結としての「アウトカム」を用いた医療評価や,主観的なアウトカムとしてのQOLや患者の満足度などにまで踏み込んだアウトカム評価など,診療の質評価と質向上に関する研究が行なわれている。
 これらのヘルス・サービス研究による最新の研究結果は,実際の治療内容の選択においても活用され,医療政策にも反映されている。患者の予後改善や合併症軽減,医療費用削減などのアウトカムに対する効果が得られる治療を厳選しているわけである。ニューヨークでは,心臓外科医に術後死亡率の報告制度が取り入れられ,重症度を考慮した上で成績を評価し,その結果は医療機関へフィードバックされ,質確保のたゆまぬ努力がなされている。
 一方,日本では総合的なアウトカムとして,国民健康指標は平均寿命世界一,乳児死亡率世界最低と良好な成績であるものの,果たしてそれは国民の生活習慣や高い教育水準,衛生状態などに起因するものか,医療水準の高さによるものかは未知数である。なによりも,日本の医療が世界の医療と共通するものかどうかさえ疑問視する声がある。入院日数が諸外国と比べて格段に長いのは有名な事実であるが,また,「検査漬け医療」という言葉にも代表されるように,検査に頼った医療は多数の医師の自覚するところで,OECD統計(OECD Health Data 1998)でもそれを実証するかのように,人口あたりのCT台数,MRI台数は世界一,CTにいたっては2位のアメリカの2倍強の所有台数である。
 この状況が高水準の国民健康指標を維持するのに必要なものなのか,過剰なもので医療資源の無駄遣い,ひいては患者や国民の負担となっているのかを検証するのも,診療の質確保につながると思われる。このような検証を含めて,診療の質向上をめざす研究分野が医療科学研究(ヘルス・サービス研究)である。
 しかし,わが国では,種々の理由でこの研究が困難であった。生命医学研究のみに過大ともいえる価値を置くわが国の医学研究文化と,それにともなう医療科学研究分野の研究者不足(特に臨床疫学・統計学・社会学・行動科学・心理学・経済学等の当該研究に必要な研究者の層の薄さ),これら多分野の研究者の連携不足,そしてデータの得られにくさ(米国では種々のデータ,例えば公的保険や各種国民調査データは公開されている),データセンタ-や研究をコーディネートする専門スタッフなどのインフラの未整備,などが主な理由として挙げられる。
 高齢化社会を世界一の速さで迎えようとするわが国では,限られた医療資源を効率よく配分し,可能な限り最大の効果をあげる研究とそれを反映した政策が急務であることは疑いない。ヘルス・サービス研究の分野においても早急な研究環境の整備と人材の確保が望まれる。


■セミナーに参加して

山崎 新氏(京大・社会健康医学系専攻修士課程)

 私は,現在,公衆衛生や社会医学について学び,また理論疫学分野にて研究を行なっている。
 前回の第3回セミナーでは,米国における医療と公衆衛生の歴史的な背景によるギャップについての講演を聴講した。今回のセミナーでは,米国で発展したヘルス・サービス研究について,マンジオーネ先生とアッシュ先生の講演を聴講した。その中で,HSRは社会的な要請に応えるために,医療と公衆衛生のギャップをなくし,疫学,統計学,その他科学の専門家チームが協働で研究を行なっていく枠組みであることが示された。公衆衛生や社会医学の分野は社会的な関心が高い。特に近年,この分野に対して社会から要請される領域が広がっている。公衆衛生や社会医学が,既存の枠組みの中で社会の要請に対応していくことは難しくなっている。
 私が現在取り組んでいるテーマは2つある。1つは「介護・看病を行なう者のQOL研究」であり,もう1つは「磁場と小児白血病の関連についての研究」である。それらはまったく別の問題意識から研究を行なっているものであるが,共に「現象」を明らかにするということで,「疫学」という同じ方法論を使う。
 しかし,HSRの視点から考えると,要因と結果の関連だけでは研究として十分ではない。前者の研究では,介護・看病を行なう者は直接医療を受けることはない。しかし,介護・看病を受けている者が,質あるいはコストの高い医療を受ければ,介護・看病を行なう者の負担感を小さくする効果があるかもしれない。また,後者の研究では,この関係の有無を示すだけでなく,もし仮に関係があった場合,磁場曝露を制御するための費用と効果をどのように考えるのか,トレードオフの問題,あるいは経済的な効果を含めた社会的な費用と効果を含めて考えていくことが必要だ。

ニーズの高まる公衆衛生・社会医学研究

 既存の枠組みを超え,統計学者,社会学者,その他さまざまな分野の専門家との協働により研究していくことで,政策の方向性を示すことが必要だ。1つの研究テーマについて時間,場所,対象者を変え,多くの研究を蓄積していくことにより一般化していけば,それらの研究から得られた結果は,健康政策に,さらには経済政策にも影響を及ぼしていくことになる。
 HSRは,公衆衛生や社会医学の研究範囲が拡大している中で,健康に関連した研究の枠組みを示している。また,HSR全体として統合性があり,政策に影響を及ぼすような研究の方向性を示している。このような考え方に大変新鮮なものを感じた。
 今後,自らの研究テーマの位置づけをはっきりさせ,社会的な要請の中で,意義のある研究を行なっていくために,この分野の講義を受講したいと思っている。