医学界新聞

 

医療従事者・医学生に薦めたい10冊


■加我君孝氏(東京大学教授・耳鼻咽喉科学)

 中国の文学者として著名な林語堂は,「読書のアート」という随筆で,「絶対に読まなくてはならない本というものはないが,人生のある時期は,ぜひ読んでおかなければならない本がある。読書は結婚のようなもので運命によって決まる。誰もが読んでおくべき本に聖書があるが,読むのに適当な年齢がある」という。医学生は社会的な人格を確立する過程の青年前期にあり,この時期に読んでおくのにふさわしい古典がたくさんある。時期が異なると読後感は多いに違ったものになるだろう。筆者の科の病棟は成人から老人の耳や頭頚部癌の患者さんが多い。古典を読む人からミステリーや漫画を楽しむ人までさまざまである。「患者さんは教養豊かであるが,医学生は教養がまだ不足である」と学生にしばしば言っている。

(1)J.M.Gイタール「アヴェロンの野生児」(福村出版):1779年,フランスで野生児が発見された。年齢6-7歳と思われる少年であった。言葉はない。狼に育てられていたという触れ込みでパリに連れてこられた。皇帝ナポレオン3世は2人の医師に診察を依頼した。1人は,サルペトリエール病院の精神科医ピネルで,もう1人は,パリ聾唖学校のイタールである。ピネルは知的障害という診断であった。イタールは引きとって教育した。野生児にマナーを教えるのは困難を極めたが,次第に学習して身につけた。聴覚は正常と考えられ,フランス語の教育を行なった。約4年間熱心に教えたが,ついに話すようにはならなかった。その記録が本書である。なぜ言葉を覚えなかったかは,後世に大きな課題として残した。知的障害というより第1言語を覚えるだけの臨界期を過ぎていたのではないか。
 イタールはその後,難聴児の聴覚言語教育に取り組む。その教育方針はイタリアの女性精神科医モンテソーリに強い影響を与えた。モンテソーリの「教育の鍵は6歳頃までの幼児期にある。この時期に遊びや作業に集中させることを通じて,喜びも味わい,興味を抱くと,その後も自発的な子どもに成長する」という教育論である。わが国でもモンテソーリスクールが目につくようになった。そのルーツは200年前のイタールのこの報告書にある。なおアヴェロンの野生児は,ヌーヴェルヴァーグの映画監督フランソワ・トリフォーによって映画化(「野生の少年」,1969年)され,監督本人がイタールを演じるほどの力の入れようであった。

(2)シェークスピアの作品(新潮文庫,他):最近,ある医師向けの雑誌の見出しに,政治学者で評論家の舛添要一氏が「シェークスピア全集を読んだことのある医師に診てもらいたい」と書いてあった。私にもその気持ちはよくわかる。「そこには同じ人間の営みが書かれ,人間の知恵が凝縮されています。シェークスピア全集を読んで人間がわかっているお医者さんにかかりたい気がする」
 シェークスピアの悲劇は,ちょっとした誤解で大きな悲劇に発展し,主人公とその周囲の人たちの死という結末にいたる,このプロットも引きつけられるが,登場人物が語る「言葉」が人生のさまざまな断面について表現する。その言葉がわれわれを深く考えさせたり,ハッとさせられるので,精神的に刺激される。『ハムレット』の中で進行する悲劇的な状況を,ホレーショが「まったくこの世の中の関節ははずれている」と語るところがある。なんとうまい表現であるか。欧米のリーダー的な人物はシェークスピアをよく読んでおり,スピーチでその一部を引用するという。機知に富んだ台詞が散りばめられているからである。
 「シェークスピア全集を読んだ医師に診てもらいたい」というのは,人生の深淵のわかる医師になってほしいということにつながっている。なお,翻訳は福田恒存訳が私の好みである。

(3)エーブ・キュリー「キュリー婦人伝」(白水社):ラジウムを発見し,ノーベル医学生理学賞を受賞したマリー・キュリーの伝記は,娘でピアニストのエーブによって書かれた。キュリー婦人が山のようなピッチブレンドを相手にラジウムを抽出していく努力の過程は,少年少女用の伝記でも知られている。本書はポーランド・ワルシャワの少女時代から思春期のことも書かれている。家庭教師をしたり,失恋したりしながら,ついにパリで勉強する決意をするところは印象深い。ソルボンヌ大学の学生の頃,ピエールと結婚し,一緒に劣悪環境のもとで研究しラジウム発見に至る過程。2人の娘を育て娘に話しかけるその内容。娘が成長して美しく着飾ろうとすると批判めいたことを言うところなど,生き生きと描かれ感動させる。年をとって白内障になり,晩年は白血病で亡くなる。筆者は,教養学部の学生の頃,古本屋で昭和16年出版148刷のこの本をみつけ,一気に読んだ。現在は新装版で,時の熟したロングセラーである。医学部の女子学生には全員読んでおいてもらいたいが,臨床実習に来る女子学生で本書を読んだことのある者は少ない。

(4)ヘレン・ケラー「私の生涯」(角川文庫)(原著『The Story of My Life』,Penguin Books):2歳直前に髄膜炎で失聴・失明し,7歳という言語の脳の可塑性が失われるような年齢で,初めて点字によるサリバン先生の言語教育を受けた。18歳の時にはハーバード大学に合格するまでの能力を身につけるまでに成長した。その点でも奇跡の能力の人である。「私の生涯」という伝記は,晩年の作ではない。22歳の時,ハーバード大学時代に,それまでの人生を振り返って書いたものである。英語版には,サリバン先生と出会って,井戸の水が「water」という字であることを知った,その3か月後から書いたという失文法だらけの手紙がいくつも掲載されており,その改善の過程を知ることができる。「私の生涯」には失文法はない。むしろ聴覚と視覚のない人の,他の感覚を通して認知能力を身につけ,少女時代から思春期へ向って自己を形成していくプロセスは,教えられるところが多い。もし21世紀の現在,失聴して間もないヘレン・ケラーがいたとしたら,人工内耳埋込術で,聴覚をよみがえらせることができるだろう。なお,この4月より,東大先端研のバリアフリー部門に,盲聾で,すでに「ゆびで聴く-盲ろう青年福島智君の記録」(松籟社)で紹介されている福島先生を助教授として迎えている。

(5)宮澤賢治「春と修羅」:賢治は一時,家出をして赤門から本郷3丁目の間の菊坂に下宿し,アルバイトをしながら「注文の多い料理店」をはじめとする童話を書いた。アルバイトとは東大生のノートの謄写用の原紙切りである。花巻に戻ってから,日本女子大の学生であった妹トシは東大分院に入院した。賢治はそのたび,分院に向う坂のそばの旅館に泊まり見舞った。卒後トシは,花巻で肺炎で亡くなった。その悲しみを「けふのうちにとほくへいってしまふわたくしのいもうとよ」ではじまる「永訣の朝」という晩歌で表した。いつ読んでも賢治の悲しみが自分の悲しみのように感じられ胸を打つ。古くは万葉集にも晩歌はあるが,「永訣の朝」は悲しみが深く胸を打つ。病院では,毎日のように同様の悲しみの淵にある患者さんの家族がいる。われわれはそのような場面で,1つひとつの言葉に細心の注意をしたい。

(6)細川宏「詩集病者・花」(現代社):細川宏先生は東大・解剖学の教授で,神経解剖学を専門とされた。胃癌のために44歳で亡くなるまで東大病院に何度も入院し,その間に書かれた詩を,同じく解剖学の中井潤之助先生が中心となって発行されたものである。その詩は,医師でもあった細川先生が末期癌の患者として神経が研ぎ澄まされ,かつ澄んだ心境から臨床医学教育への「根源的な問い」と言えるような内容が多い。私も細川先生に学んだことはない。中井先生からしばしばお話を伺っていた。筆者は一昨年より臨床実習にきた学生とともに毎週,頭頚部癌の患者さんと1時間にわたる対話を行なっている。そのたびに,この遺稿詩集を紹介している。細川先生が亡くなられて34年が過ぎ,今,再び,その詩が東大の医学生を教育している。

(7)安部公房「第4間氷期」(新潮文庫):安部公房は代表作「砂の女」「燃え尽きた地図」などがある。その作品もタイトル自体もユニークである。「華のある人は心に残るいい題をつける」と言ったのは歌人の佐々木幸綱である。よいタイトルはその人の才能によるが,安部公房はまさにそのような作家である。昭和34年に発表された本書の後半は,「水棲人間」という海中に生きる人間の創出である。まるで現代のクローン人間を予見させるSF作品である。試験管内に各種の臓器を作る研究で驚かせた浅島誠教授(東大・生物学)も本書に強い刺激を受けたとのことである。
 安部は日常性を越えた未来との中間のような世界を繰り広げる。単なるSFと違うところは,現実の陰にひそむ不気味な世界を,医学生物学,自然科学の教養をバックグラウンドにして読者を迷路の中に引きこむ点にある。平成5年に69歳で亡くなったのは残念である。国際的に高い評価を受け,ノーベル文学賞最有力候補であった。一人娘で産婦人科医のねり先生によると,ノーベル賞委員会の食堂にはサミュエル・ベケットと安部公房の写真が飾られているという。ほとんど受賞が決まっていたのに亡くなってしまったため,記念しているというわけである。もう少し長く生きて受賞すると東大医学部卒業生として初の受賞者となるところであった。学生の時は,卒業試験不合格で留年し,2度目の卒業試験も駄目だったのだが,「医者になるつもりではない」と答えたので卒業になった,という逸話がある。しかし,ねり先生によれば,東大医学部卒であることを誇りにしていたそうである。

(8)キューブラー・ロス「死ぬ瞬間-死にゆく人々との対話」(読売新聞社):人間は致死的疾患を告げられた後,順序だった心理段階を経ることを教えてくれた本である。筆者が医学部を卒業したのは昭和46年で,まだターミナルケアやホスピスという言葉も聞き慣れない頃である(本書初版は昭和46年)。その後,東大病院耳鼻咽喉科の研修医として頭頚部癌の多数の患者さんを受け持つことになった。その1人に奈良・明日香村出身の39歳の舌癌末期の患者さんに,「岩ばしる垂水の上のさわらびの萌えいずる春になりにけるかも」のような春の気配が東大病院の外にも訪れている由を伝え,短歌を作ってみないかと勧めた。「この年にしてなお母の恋しきに我亡きあとの幼子哀れ」が残された20篇のうちの1つである。この20篇の短歌は,ロスのがん患者の心理の各段階にほぼ当てはまることがわかった。その後,他の病院でも患者さんが短歌や俳句で心を表現していただいたが,同様の心理の段階を踏むことが多く,ロスの米国の患者だけでなく,おそらく文化や宗教を越えた共通の心理ではないかと思われる。
 1度だけロスに会ったことがある。小柄で物静かな女性の精神科医であった。

(9)宗田一「図説 日本医療文化史」(思文閣出版):図が272もある,どこを開いても吸い込まれるようにおもしろい大著である。歳をとると歴史に興味を持つようになると言うが,4年前の東大創立120周年記念公開講座で「医学部の過去現在未来」の講演を依頼され,勉強しているうちに本書に出会った。古代から近世まで,日本の医学の歴史と発展がよくわかる。中でも幕末から明治にかけての激動の時代の図版は貴重なものが多い。
 筆者は緒方洪庵と北里柴三郎に特別の深い関心がある。洪庵の弟子は,明治の初めに戊辰戦争,箱館戦争で2派に分かれて戦うようになったことは歴史の皮肉とも言える。洪庵は亡くなる1年前に江戸に奥医師して招かれ,医学所の頭取,すなわち東大前史の2代目の医学部長である。その墓は東大近くの駒込・高林寺にある。一方,北里は,東大医学部在学中は30人中後半のグループに属する成績であったが,卒後の国内外における基礎研究,臨床研究,医師会の活動などでの活躍はすばらしく,卒業生の中では最も偉大な1人と筆者は考えている。しかし,今の東大医学生で,北里が同門であることを知っている者は少ない。

(10)聖典(新約・旧約聖書,小乗・大乗仏教の経典,コーラン,いずれも岩波文庫):これらはぜひ,医学生なら目を通しておくべきである。「生命には限りがある」ことの不安や悲しみが,人間が宗教を創造した契機になったのではないか。聖典は「言葉」により人間に働きかける,その言葉は論理であり,思索への世界ガイドでもある。
 われわれが宗教の重要性に直面するのは,海外留学している時が多い。米国の場合はさまざまな宗教の人がおり,それぞれ新年も年中行事も違う。それぞれの宗教に熱心である。筆者の場合,特に好きなのは小乗仏教の「法句経」である。大乗仏教では,宮沢賢治が帰依した法華経の宇宙の世界に驚かされた。


■山本保博氏(日本医科大学教授・救急医学)

(1)Goodman & Gilman「The Pharmacological Basis of Therapeutics, 9th edition」(McGraw-Hill)
(2)クローニン「クローニン全集8 城砦」(三笠書房)
(3)ケン・アリベック「バイオハザード」(二見書房)
(4)キューブラー・ロス「死ぬ瞬間」「続・死ぬ瞬間」(読売新聞社)
(5)シャリーン・マクラム「いつか還るときは」(ハヤカワ文庫)
(6)梅原猛「隠された十字架」(新潮文庫)
(7)ピーター・ワトスン「まやかしの風景画」(ハヤカワ文庫)
(8)朝日新聞日曜版編集部編「世界名画の旅1-5巻」(朝日新聞出版局)
(9)平山郁夫「時を超える旅」(朝日出版社)
(10)リタ・カーター「脳と心の地形図」(原書房)

 最近の若い学生諸君は,本を買う喜びを知らない。インターネットやコピーで間に合わせてしまうからである。まず,本屋に行くことを薦める。棚に並んでいる目あての本の触感,重さ,表紙の感じ,周囲の本との相違,これらは行かなければわからない。本を買う習慣がつくと,一目ぼれの本を含めて1回に5-6冊買っても無駄とは感じない。ところが数か月,忙しさにかまけて横着していると,そのまとめ買いがもったいなくてできなくなってしまう。
 本を買うことの好きな私なので,学生諸君に読んでもらいたい本はいくらでもある。しかし,10冊という制限から,推薦書を3分類し,医学,人生観,趣味から上記した。
 医学関係では,Goodman & Gilmanを座右の書としてもらいたい。薬理学的基礎から,まれな疾患・中毒まで,応用範囲は広い。基礎の教科書で9版にもなっているのは,この本の他にはないだろう。
 人生も60歳に手の届くところまできている自分を振り返り,「なぜ医の道に」と自問すると,医学部時代にクローニンの「城砦」を読んで,「医学を志すということはこういうことなんだ」と確信したことを憶えている。
 趣味は多く持つことを薦める。私は,絵を描いたり,鑑賞したりすることが大好きだ。描くことも楽しいし,飾って観ることも楽しい。まず鑑賞の手引きとして,「世界名画の旅」を薦める。これは,朝日新聞の日曜版に毎週連載されていたものをまとめたものだが,絵だけではなく文章もすばらしい。この本を読むと,美術館に行って本物を観たくなる。
 欧米の絵画を鑑賞する上で,キリスト教への理解は欠かせない。表面的な図像の中にイエス・キリストの心が隠されている。ピーター・ワトスンは,幾何学的知識から絵画を解説している。一読を薦めたい。