医学界新聞

 

NURSING LIBRARY 看護関連 書籍・雑誌紹介


QOLを重視した看護のあり方を追求

糖尿病患者のQOLと看護
河口てる子 編

《書 評》川田智惠子(岡山大医学部教授・保健学科)

 本書は題名のごとく,糖尿病患者の種々の場面,症状,そしてライフステージにおけるQOLを考え,QOLを大事にした看護のあり方を追求しようとした著作である。章によってその「出来」には多少の差があるが,糖尿病の医療に関わっている者ならば誰でも求めているQOLを課題にして果敢に挑戦している。ぜひ一読をお勧めしたい。

両立困難な自己管理の維持とQOLの確保

 糖尿病者が良好なコントロールを維持するには,厳格な食事療法や運動療法がどうしても必要であるということで,ある医療者は「健康のためなら,患者は辛くてもそれらを守るべきだ」と真剣に自己管理の必要性を指導し,あるいは強制し,またある医療者は,「指導はするが,守れないのはわかるから結果は期待しない」と曖昧に対応してきた。自己管理を続けることとQOLを保つことは両立が難しいのである。また,不幸にして糖尿病の合併症を発症した患者にとっては,自己管理の上に合併症によって引き起こされた障害がQOLに影響してくる。

患者・家族も執筆者に

 本書は,実践者,研究者,さらに糖尿病患者・家族が執筆者になっている。
 目次を見ると,「糖尿病をもちながらの生活と患者」,「患者の生活する場と治療の場」,「患者の成長発達段階とQOLの変化」,「治療と合併症の患者のQOLと看護」および「糖尿病患者の求めるQOL」の5部構成になっている。
 第1部の「糖尿病をもちながらの生活と患者」では,患者の生活と心理,および家族や社会と患者のQOLについて考察し,看護職の援助について,例えばコンプライアンスとアドヒアランス,アンドラゴジ-,インフォームド・コンセントなどの理論の解説を織り交ぜて述べている。第5章の「命を慈しむ―――わだち会とともに」は患者会の創設と活動の意義,患者会の主体性とQOLについて書かれているが,この本の患者の執筆者はこの会に所属している方である。
 第2部の「患者の生活する場と治療の場」では,外来と訪問看護を取りあげて,各々の場での看護職の役割について,ケースを紹介しつつ述べている。
 第3部の「患者の成長発達段階とQOLの変化」は,小児期,思春期,壮年期,老年期に分けて,保護者のかかわりの強い年代から,自律・自立の年代を経て,一家の中心の役割を担う年代,そうしてさまざまな喪失を体験する年代への移行をそれぞれの生活の特徴と,自己管理とQOLがどのような関係になっているか描いている。
 第4部の「治療と合併症の患者のQOLと看護」は,食事療法,運動療法,インスリン療法,糖尿病性網膜症,糖尿病性腎症,糖尿病性血管障害,糖尿病性神経障害と患者のQOLについて述べているが,後半の合併症と患者のQOLについての章は少しもの足りないところがあった。
 第5部の「糖尿病患者の求めるQOL」は学ぶところが多かった。「QOLとは,1人の人間が歩んできた生きざまやものの見方,人生観であり,糖尿病患者のQOLは糖尿病を持った人間の疾患,医療,自己管理とその生きざまが密接に結びついて生み出されるその人だけのものである」と述べ,QOLを「よりよい生活をめざす心のあり方」と定義したいと書いている。また他の方は,糖尿病患者のQOLには,患者を取り巻く社会状況,医療・社会保障・福祉システムや教育制度のあり方が深く関わっていると述べている。

患者のQOLを配慮した支援

 本書は,編者および患者自身が述べているごとく,「患者の生活を知り,患者の気持ちに共感しながら一緒に可能な方法を模索する,つまり患者のQOLを配慮した支援をすることが,結局のところ一番大切ではないか」という考え方で貫かれている。
B5判・頁296 定価(本体3,200円+税) 医学書院


看護する心の診断学

感情と看護
人とのかかわりを職業とすることの意味
 武井麻子 著

《書 評》帚木蓬生(作家,精神科医)

 精神科医になって丸23年である。患者とのつきあいをのぞくと,一番やりとりが多かったのは看護職だったと改めて気づく。
 この4半世紀で精神科医療は大きく変わった。おしなべてそれは進歩だったと言える。ところが看護の世界を眺めると,停滞はおろか退化しているのではないかという気がする。

「詰所看護婦」に成り下がった

 確かに各地に看護大学が新設され,受持ち看護制になり,看護診断や看護過程などの手順も導入された。しかし看護婦(士)が患者と接する時間は確実に減り,私の勤める病院でも,患者に尻向けて,パソコンを前に指ばかり動かして記録の作成に精を出している姿が目につく。代わりに患者の中で立ち働いているのは,看護助手や介護士,作業療法士,臨床心理士,薬剤師である。仕事の最もおいしいところを他職種に奪われ,看護職はおしなべて詰所看護婦(士)に成り下がってしまった観がある。
 この現象が精神科だけかというとそうでもないらしい。糖尿病で総合病院の内科に入院した知人は,初日に受持ち看護婦の自己紹介を受けたきり,1週間後の退院まで看護婦から話しかけられなかったとぼやいた。看護婦不足かと思って詰所をのぞくと,そこにはうじゃうじゃたむろしていたそうである。
 私の母校の大学病院でも検温が全廃されて久しい。唯一心療内科だけに残っている。とはいえ1日1回の測定だから,まっすぐな青線が伸びているだけである。体温測定こそまたとない患者との対話の機会であり,体調観察の好機なのに,惜しいことこの上ない。

看護診断の前にやるべきこと

 最近の看護職がバイブルのようにあがめている「看護診断」の教科書を見て,仰天した。ハイリスクやペアレンティング,コーピングといった片仮名の氾濫と訳語の生硬さも噴飯ものだが,1つの疾患に診断が12や13もつく煩雑さ,それに対する治療的側面の記述の貧困さは目を覆うばかりである。例えば,抑うつの項の看護目標には,「信頼関係を築く」とか「抑うつの感情を緩和する」など,いとも簡単な言挙げがなされている。しかしこれを実行するには,どれほど深い看護技術の修練が必要か。詰所看護婦(士)では20年30年たっても身につかないことだけは確かである。
 看護診断や看護過程を導入するなら,それに見合う分,患者を看護する側の心理の深化も当然要請されなければなるまい。

看護の内と外をあますところなく描写

 武井麻子著『感情と看護』は,その空白の部分,未開拓の領域に初めて鍬を入れた待望の書である。そこでは,看護過程で生じるさまざまな心の動きは無論のこと,看護に対する当事者が抱くイメージと世間のそれとの落差,看護職の集団としての構造と軋みなど,看護の内と外があますところなく描出され,解析される。
 さらに,看護職やソーシャルワーカー,保母や調理師,大学教官など,人とのかかわりを職業としてこられた著者のさまざまな経験が縦横に織り込まれて,説得力に彩りを添える。
 私は本書で,日常何気なく使っているケアが「思いやること」「関心を示すこと」であり,ケアリングが「何かを大事に思うこと」「人が何かにつなぎとめられていること」であると,初めて教えられた。まさしくこれこそ「看護」の本質を衝く言葉である。現在ほとんどの病院が採用し,現場を席巻しているSOAP形式の記録法によって,看護婦(士)の感情が行き場を失っているという指摘も,大いにうなずける。また,看護婦(士)を自縄自縛している「受容」や「共感」の功罪については,さもありなんと思う。

死にゆくもの同士のつながりの場として

 確かに看護の場は戦場である。弾丸が頭上を飛び交い,足元は泥でぬかるむ。しかし,いずれ死にゆく身が,同じように死にゆく人々と数瞬の光り輝くつながりを持つ,支え合うかけがいのない場である。そこで働けることこそ生まれ甲斐があるというものである。
 この本は,詰所看護婦(士)に自らの土俵に立ち戻っていく勇気を与え,人を援助したいすべての人に,人間として成長していくための知恵と指針を提示してくれる。
A5判・頁280 定価(本体2,400円+税) 医学書院