医学界新聞

 

[連載] 質的研究入門 第19回

事例検討による研究(2)


“Qualitative Research in Health Care”第7章より
:JUSTIN KEEN. TIM PACKWOOD (c)BMJ Publishing Group 1996

大滝純司(北大医学部附属病院総合診療部):監訳
澤田いずみ(札幌医大看護学科/北大医学研究科):訳
藤崎和彦(岐阜大助教授・医学教育開発研究センター):用語翻訳指導


2434号よりつづく

研究課題の設定

 ある1つの漠然とした研究課題がある場合,それを事例検討による研究で分析していくには2つのアプローチがある。まず,研究を開始する段階から具体的な疑問を設定し,それらの疑問の解答を求めてデータを集め分析するのが1つ目のやり方である。
 この方式は,何かと何かを比較する形の結論を求めることが多い。つまり,いくつかの異なる介入を比較したり,介入がなされた場所とそうでない場所を比較したりするのである。その1例として,GP(General Practitioner;家庭医,かかりつけ医)に予算執行権を持たせる制度の導入による影響を調べたGlennersterの研究を紹介しよう。
 この研究では「GPが予算執行権を持ったことによって生じる影響を調べる」という漠然とした課題から,「この新しい制度が医療の効率を高め平等性を保つには,予算執行権の範囲をどのように設定すればよいのか」という具体的な課題が生まれた。そして,GPと診療所の管理者,政府と地方自治体の政策実行責任者を対象に,質的研究方法の1つである半構造化面接(本紙2402号連載(11),第4章参照)が行なわれた。診療に関する経営面の情報などの量的データも集められた(表1)。
 2つ目の方法はもっと幅広いもので,その場でどのようなことが起きているのか,その介入の影響が特徴的に表れていることは何かといった,漠然とした疑問を持つことから始める。そしてその後に,フィールドワークやそのデータの分析などをしながら,疑問を絞り込んでいくものである。このような研究方法は,研究過程の途中で研究課題が浮び上がってくるもので,民族誌的(ethnography)とも呼ばれ,保健・医療政策の影響を調べるのに有用とされている。これは診療の方法と幾分似ている。診療もまた,手探りから始まり,手に入れたデータを基に推論を繰り返しながら,診断を詰めていくからである。
 その例として,NHSにおける医療資源管理について検討する目的で,6か所の病院に試験的に新しい管理方式を導入し,その影響を調査した研究がある。この研究では,特に医療資源の配分や運用について,医師と病院管理者がどのように協力しているかに注目した(表2)。
 はじめの段階では,医療資源管理のどこから手をつけたらよいのかが不明確で,各病院で医師を管理に参加させることが義務づけられていたものの,それをどのようにすれば実現できるのか,実現できたとしてもそれが患者へのケアの改善につながるのか,まったくわからなかった。研究者たちは,それぞれの病院の主要な診療科を選び出し,関係スタッフにインタビューを行ない,会議を観察し,記録を分析した。これらの情報を基に,管理の基本的な構造を表す枠組を作り,それを使って,各病院で管理体制が整備されていく様子を評価することができるようになった。

研究対象事例の選択

 研究対象にする事例の選び方は,事例検討をする上で最も重要な部分である。事例の選び方については,今までにいくつかの理論が開発されているが,優れた研究をみればわかるように,その目的は,研究結果の解釈の間違いをできる限り減らすことにある。調査対象として典型的だと思われる事例,特殊な理論を当てはめることのできる事例,仮説を裏づけたり,その仮説があてはまらない事例などを基準に選ぶ。
 調査対象について,詳しい人から助言を得ることは事例を選ぶ上で重要である。1つの場で得られた結果が,他の場にも当てはまるのを確かめられるような研究デザインにすることもある。いろいろと場を変えても同様の結果が得られれば,それぞれの場の特殊性は結果に影響していないことになり,外的妥当性が高まることになる。

方法の選択

 次の段階では,信頼性と妥当性を考慮して研究方法を選択する。事例検討に限ったことではないが,さまざまな方法を用いて根拠を多角的に示して概念的妥当性を保つことが,最も重要である。それぞれの研究手法の特徴とその使い方は,他の章で取りあげている。また,それらの信頼性と妥当性については第2章(本紙2378,2380号,連載(7)(8))で詳しく述べている。
 症例研究では,調査結果の妥当性を高めるためにトライアンギュレーション(triangulation)を用いることが多い。トライアンギュレーションとは,すべてのデータについて,通常は収集方法も別の他の情報源からのデータで裏づけをとることである。前述したGPの予算執行権に関する研究では,全体構造を描き出すために,面接調査の他に量的なデータも集められた。また,医療資源管理に関する研究では,より多様な質的および量的手法が使われていた。
 単独の方法から得られる情報だけでは,どの方法を使っても,結果の妥当性が低くなってしまう。異なる情報源から異なる方法で集めたさまざまなデータにより,新たな知見が裏づけられれば,その観察結果の妥当性が高まることになる。
 もう1つの方法として,複数の根拠をつなぎ合わせる方法がある。これは,「もしAが起これば次にBが起こると予測されるならば,Aが起きなければBも起こらない」といった手順で,複数の現象を1つずつ結びつけて論証していく方法である。
 例えば,医療資源管理を進めているある医療機関で,病床利用率が増えている科と減っている科があることが量的調査で明らかになったとする。一方,医師が(医療資源管理の推進活動の効果で)病院管理に参加すると病床がより有効に運用されることが面接調査で示されたとする。これらを合わせて考えると,医療資源管理を推進することが病床利用率の改善につながっている可能性が示されたことになる。このような論証の進め方はいつでも使えるものではないが,複雑な状況の下での因果関係を検討する場合に有用なことがある。

分析するための枠組

 データを集めながら,それを分析するための枠組も作りあげていかなければならない。そうすることで,調査結果の解釈も深まることになる。この分析の枠組作りにも,いくつかの方法がある。GPの予算執行権に関する研究では,既知の経済学の理論から作られた仮説を検証する形に,データが整理された。医療資源管理の研究では,仮説を立てるのに適した理論がなかったため,得られたデータを整理し評価するための新たな枠組を,研究を進めながら作らねばならなかった。その枠組は,データに無理に当てはめたのではなく,データを繰り返し検討する中から生まれたものである(表3)。
 最終段階では,その研究で明らかになったことについて,何らかの判断を下さなければならないという難問が研究者を待ち受けている。事例検討では,そこから得られる結果ができるだけ確かなものとなるように計画を立て実施するのだが,その結果を解釈する際にはどうしても何らかの価値判断を加えなければならない。ある介入の価値については,その関係者の中でさえも多様な意見があり得るだろうし,同じ結果から違う結論が出ることもしばしばある。
 研究結果のどの範囲までを,1つの解釈にまとめられるかは,研究によってさまざまに異なる。意見が多岐にわたること自体が重要な意味を持つ場合もあるために,意見の相違については必ず研究報告に盛り込まねばならない。しかし,政策決定に役立つ情報を提供するには,その政策が成功したか失敗したかについて,包括的に判定しなければならないこともある。医療資源管理についての研究で言えば,その管理を実施する価値があるかどうかを,政策責任者やNHSに示す必要があったのである。

結論

 医療職が取り組まねばならない諸問題は複雑であり,政策責任者も学者も臨床医も,保健・医療分野での介入の価値を判断するのに事例検討が役に立つと考えるようになっている中で,このような研究は今後もますます活用されるだろう。事例検討を通じて,医療職のあり方にかかわる具体的な,あるいは政策的な疑問に迫ろうとする時,特に,物事がどのような経緯をたどるのか,そしてなぜそうなるのかを知ろうとする場合に,質的研究方法が役立つのである。
(連載了)



表1 GPの予算執行権に関する事例検討による研究の概要
●質的研究手法と量的研究手法を組み合わせた
●予算執行権がある場合とない場合の活動を比較した
●診療に従事している主要スタッフに面接した
●政策の実行責任者へ面接した
●研究の結果:政府が事前にこの政策について設定した目的は達成され,患者を選択する上での問題(cream skimming;いいとこ取り)は,懸念されたより少なかった。

表2 資源管理の評価
●6つの病院には教育病院とそれ以外の病院を含めた
●主要な診療科に焦点を当てた:一般外科と一般内科
●質的研究手法と量的研究手法を組み合わせた
●情報源である関係者に調査が影響を与えないように配慮した
●質的手法としては面接,会議の非参与観察,記念資料の分析を行なった
●今回の評価では,管理方式が大きく変わっていたものの,患者のケアが改善した形跡はほとんどみられなかった

表3 分析するための枠組:医療資源管理に関する相互に関連している5つの要素
●組織の各層で行なわれる,関係者による医療資源管理への取り組み
●医療資源管理に関する権限の委譲
●医療資源管理の目的を達成するための専門分野を超えた協力
●管理の基礎構造,特に組織の構造と情報提供の仕組み
●それぞれの場で医療資源管理方法を考える上での焦点の明確さ

●お知らせならびにお詫び

 本連載は「Qualitative Reserch in Health Care」(Catherine Pope,Nicholas Mays編集,BMJ Publishing Group発行,1996)を翻訳したものです。今回をもちまして連載を終了しますが,諸事情により不定期連載となり,翻訳者ならびに読者の方々にはご迷惑をおかけいたしました。
 なお,同書は昨年第2版が発行され,今夏の出版に向け作業を進めています。本連載に関してのご意見・問合せは下記まで。
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「週刊医学界新聞」編集室(担当:藤巻)