医学界新聞

 

連載(15)  ベトナムが抱える問題…(2)

いまアジアでは-看護職がみたアジア

近藤麻理(兵庫県立看護大・国際地域看護)

E-mail:mari-k@dg7.so-net.ne.jp    


2430号よりつづく

■自助・自立する戦争禍の子どもたち

私たちは「戦争を知らない子どもたち」なのか

 1970年代に「戦争を知らない子どもたち」という唄が流行ったのを覚えている方は多いと思います。現在の日本の社会を支えている40代,50代の人たち,そして戦後の高度経済成長期の日本を謳歌してきた日本人は,本当に「戦争を知らない」のでしょうか。確かに実体験としての「戦争」を知る人は少ないはずです。しかし1960年代,アジアではベトナム戦争が激化しており,日本でも「ベトナム戦争反対」を掲げる集会も多く開かれていました。そのベトナム戦争は,1969年に米軍が撤退し,1975年4月30日にようやくサイゴン陥落を迎え,南ベトナム軍の「無条件降伏」により終わりを告げます。そしてその後には,「ボートピープル」と呼ばれる80万人近い難民の流出が国際問題化しました。そのベトナムは,1978年にカンボジアへの軍事介入を行ない,それは1989年の14万人にもおよぶ兵士の撤退まで続きました。そして,1986年には「ドイモイ(刷新)」政策が提唱され,市場経済の開放化から一定の経済効果はあげたものの,今なお国の混迷は続いていると言えます。
 このような歴史的大変動の一部始終を,メディアを通して私たちが見ること,知ることは容易にできました。もちろん今も,世界のどこかで緊迫した状態は続き,解決の糸口もつかめないままの国も存在します。しかし,私たちはどれほどの関心を持って,ニュースにはならないこれらの国における普通の人々の生活,本当の生きる姿に目を向けてきたでしょうか。「戦争を知らない」と,見るべきものを見てはいなかった,とは言えないでしょうか。冒頭の唄を歌った彼らは,「戦争を知らないのだから,その戦争に目を向けよう」とメッセージしていたように思えます。

戦いがもたらしたもの

 カンボジアからの兵士撤退により,軍の仕事も家族も失なった50代の男性は,路上で生活するようになり,やがて麻薬を使用,その結果,注射器の使い回しのためにエイズに感染してしまいました。穏やかな笑顔で自分の半生を話すこの男性は,すべてを悟ったかのように,そして諦めているかにも見えます。深い皺が刻み込まれた横顔には,ベトナムの抱えてきた戦争の歴史が滲んでいるようです。
 一方で,ベトナム戦争による孤児と,その後のボートピープル流出によって親を失った子どもたちは,路上に暮らす「ストリートチルドレン」として成長しました。家族を知らず,教育を受ける機会もなく,そのために文字を読むことすらできない彼らに回る仕事は少なく,路上で暮らす過酷さと理不尽な境遇に,ほとんどの子どもたちが麻薬を常習するようになったとしても何の不思議もないでしょう。
 現地NGOに顔を出すようになった20歳になったばかりの精悍な青年は,靴磨きをしながら生きています。そして,その1日の収入は,夜には「白い粉」に変わるのですが,食事は同じ仲間が余ったものを分けてくれるから「大丈夫」と言います。親の愛情を知らず,家もなく20年間暮らしてきたこの青年は,エイズに感染しています。ご多分に漏れず注射針を共有していたためです。

「自分の家」があるから

 現在の彼は,ベトナムの現地NGO等の活動によって,「なぜ自分がエイズに感染したか」「どんな病気なのか」「どうすれば人に感染させないのか」を知っています。そして,彼は同じような青年たちと出会うこと,正直な気持ちを語り合うことをこのNGOの場で経験したのです。この現地NGOの活動拠点は,麻薬と売買春の最も激しい地域の中心に構えられています。だから誰でも気軽にその場所を訪問することができるのです。
 「ここは家のようだ。みんながいる。だから,ここに来てしまう」
 彼らのほとんどは注射針を受け取りに来るだけではなく,仲間と会えること,そしてそこで活動しているスタッフに会うために「家」にやって来ます。そこに彼らの本当の目的があるかのように。
 「私は,売春と麻薬から2年前に抜けだし,今はここで仕事をしています」 と,女性カウンセラーは堂々と胸を張って自分の過去と現在の活動を話してくれました。自分たちの境遇を心から理解してくれる存在がそこにいるからこそ,彼らは安心して「家」に近づくことができるのです。

誰のための「ホンモノ」の活動

 私がそこで強く感じたのは,「自立支援」「麻薬撲滅」「売買春反対」「感染予防教育」などといった空々しい外からのかかわりではなく,同じ仲間たちからの本物の愛情でした。こういう「ホンモノ」の活動をする現地の人たちの存在を知ることで,私は「今までの活動を謙虚に振り返る必要がある」と反省しました。誰のための活動なのか,そしてなぜそれが起きたのかを見きわめなければなりません。ベトナムだけではなく,インドシナ半島全体のエイズの現状を捉えようとすると,その国の社会が抱える問題にぶつかり,最後は戦争の時代へと遡ることになってしまうのです。そして,今,突きつけられている目前のエイズ問題は,その社会の表面に現れた現象のたった1つの出来事にすぎないことがわかります。
 冒頭の歌の歌詞にもありますが,「平和の唄を口ずさむ」ことはたやすいかもしれません。でも,それを自分のこととして考え,実行することは本当に難しいことです。2000年11月には,ベトナム戦争以降初めて,アメリカ大統領がベトナムを正式訪問しました。その日はちょうど,ホーチミン市でのFASID(国際開発高等教育機関)主催のエイズマネジメント研修(前号,2430号参照)終了の日であり,エイズの問題は想像よりも深くベトナム戦争とかかわっているという現実に打ちのめされている時でした。急激に感染者が増加しているこのインドシナ半島で,どんなすばらしい解決策があるというのでしょうか。
 HIV/AIDS感染者増加が社会問題化し,ようやくベトナム政府は日本を含めた諸外国からの援助を本腰を入れて受け入れようとしています。アジアの大地で地道に活動を続けてきた人たちを支えていけるような援助の姿を,自分のこととしてじっくり検討する必要がありそうです。