医学界新聞

 

連載 MGHのクリニカル・クラークシップ

第16回

[患者列伝その1]遠来の客

田中まゆみ(イエール大学ブリッジポート病院・内科小児科レジデント)


2429号よりつづく

 ある日の朝7時前,病棟で医学生や研修医が回診前の患者診察に忙殺されている最中に,当直明けの研修医が救急外来(ER)からビーパーで呼ばれて飛んでいった。当直研修医と日勤研修医のちょうど境目にあたる時間帯で,どちらが入院患者を引き受けるかでときどきもめることもある微妙な時刻であったが,彼女は疲れも見せず応じたのであった。そして回診開始後しばらくして戻ってきて,何か手短かにチームリーダーに報告した後,そのままいつものようにチームの回診に加わった。10時半からの教官回診では,その,朝の緊急入院患者が「本日の症例」として取りあげられ,その日のハイライトとなった。
 患者は,プエルトリコからの30代の女性であった。前日の夜,プエルトリコの某病院から自己退院して飛行機に乗り,ボストンのローガン国際空港に到着するやタクシーの運転手に「MGHへ」と指示して,MGH(マサチューセッツ総合病院)のER受付にたどりついたのであった。
 われわれを驚かせたのは,彼女がERに飛び込んだ時,点滴や膀胱カテーテルを付けたままであったということだった。「自己退院」と患者は主張するが,逃亡(脱走?)に近いものだったに違いない。飛行機会社がこんな患者の搭乗を許可するはずもなく,彼女はコートやショールでこれらの医療装備を隠し通したのであった。
 彼女はプエルトリコで腎臓病末期との診断を受け,透析を開始されたばかりであった。原因は何か,治療法は他にないのかなどの説明がまったく不十分であったため,納得できずにボストンの親戚に相談し,MGHで診てもらおうということになったらしい。ERでの腎機能の数値は確かに異常だったが,症状もあいまいで情報があまりにも不足していた。ただ,患者の必死にすがるようなまなざしを見れば,彼女のMGHにかける期待は痛いほど伝わってきた。教官は,入院させた研修医に「よくやった」と声をかけてほめ,患者や,駆けつけてきたボストンの親戚には優しく話しかけて安心させ,チームには「この患者さんにできるだけのことをしようじゃないか」と檄を飛ばしたのであった。
 MGHの名声を慕って海外からやってくる患者のすべてが大金持ちというわけではない。逆に,貧しい国々から,親類を頼って,一縷の望みにすがってERにとびこんでくる外国人も多い()。それにしても「この患者ほど劇的なのは初めて」,とチームリーダーも言っていた。自分自身,中東からの移民の子である彼は,「めちゃ頭がいいなあ」とこの手口(?)に呆れていた。「片道の飛行機代とタクシー代だけでMGHに入院できることがバレたら,大変なことになるぜ」


:米国では,救急医療・分娩法によって,救急外来を受診した重症患者や分娩患者は患者の支払い能力に関係なく診察・応急処置(患者の容態の安定を見届けるか,不安定なら入院させるか)しなければならない法的責任が病院にはある