医学界新聞

 

〔連載〕How to make

クリニカル・エビデンス

-その仮説をいかに証明するか?-

浦島充佳(東京慈恵会医科大学 薬物治療学研究室)


〔第4回〕高木兼寛「脚気病栄養説」(4)

2433号よりつづく

研究の論理は正しいか?

 ある疫学的調査から原因を推論する場合いくつかの尺度があります。まず,その研究方法が評価するに値するかを検討します。評価に値する最良の方法がランダム化二重盲検試験であることは,先に述べた通りです。しかし,そうでなくても原因論を論じることは十分できます。また,米国食品医薬品局(FDA)がランダム化二重盲検試験の重要性を認識したのは,1960年頃のサリドマイド事件からです。
 兼寛の研究ではバイアスの存在について,診察した医師が治療食を開始したことによって診断基準に差ができなかったかという点が問題となります。死亡数に関しては異論の余地はないでしょう。しかし,診断医が食事療法により脚気に特別な注意を払うわけですから,より軽症の脚気でも患者の1人として数えるかもしれませんし,逆に食事療法に対する診断医の「思い」からバイアスを生じるかもしれません。
 また戦艦日進と戦艦春日は陸上生活が長かったことで除外してあります。この2戦艦を結果に入れると,仮説を否定する結果に近づく可能性があるからですが,「薬をきちんと服用していなかった」と同義であり,除外するのには正当な理由です。「乗船時に脚気患者はいなかった」という点も重要です。調査開始時,結果を発生していない,しかし発生し得る人々を対象とすることが肝要で,この点を忘れている論文が時に見受けられます。
 兼寛は「白米ばかりを半年以上食べると脚気になる」という印象を持っていたため,1年の航海期間に固執しました。実際,脚気発生は帰路後半で多くなったので,この判断は正解だったでしょう。しかも,コントロールとした戦艦の航海期間も1年であったことから,今回の大実験はどうしても1年で行なわれるべきでした。そして,結果(脚気)が発生した時点で,その患者を観察対象から外します。なぜなら対象はこれから結果を発生し得る人々でなくてはならないからです。つまり航海中2度3度脚気になっても,その人は1人としてカウントされなくてはなりません。
 どんなにインパクトがある論文でも完璧はあり得ません。100年以上昔という点と社会状況を鑑みると,兼寛の研究はパーフェクトに近く,その後の臨床研究のよいお手本となったことでしょう。

因果関係の強さ

 1884年からの脚気予防食の開始により1885年以降脚気による死亡はなくなり,1887年以降海軍では脚気の発生を完全にみなくなったのです。食事の改善により脚気の発生を完全に抑制できたとすれば,栄養の問題が脚気の発生に必要な原因であると推論できます。もし脚気菌が原因であったとしたら,結核の場合のように栄養を改善しても完全に脚気の発生をみない状況までもちこめなかったのではないでしょうか。現に栄養が改善して脚気以外の疾病も減少しましたが,結核は依然として発生しているではありませんか。すなわち,栄養不良は結核の十分な原因と言えますが,必要な原因ではありません。喫煙と肺癌の関係も同様で,世界中すべての人が喫煙しなくても肺癌はなくなりませんから,喫煙は肺癌の十分な原因であっても必要な原因ではないのです。
 今後の研究方針を立てるとすれば,この研究は海軍という特殊な状況で行なわれたものであり,女性や老人を含めた広い範囲で,しかも陸上で日常生活をしている人々で再現性を確認するべきです。また,今回の研究目的は発生予防にあったので,実際に多人数の脚気患者に高蛋白食療法あるいは麦飯療法を施して,改善をみることも,仮説を証明するうえで強いエビデンスになることでしょう。
 一方,蛋白/炭水化物の比を変え,用量依存性を正確に検討することも大切です。また,今回の研究では,高蛋白食によって脚気だけでなく他の疾病も減少しており,高蛋白食が脚気だけに影響しているわけではありません。すなわち非特異的であることを示しています。よってもう少し具体的に絞り込むことが必要です。例えば麦飯の胚芽のみを白米に加え,他の病気発生はあまり変わらなくても脚気だけはよくなるなどの結果を得るべきでしょう。そしてどんどん絞り込んでビタミンの発見に至れば理想的でありました。
 しかしながら,今から100年以上前の科学レベルを想像してみてください。「栄養の改善により脚気の発生を完全に制圧し得た」という強烈なエビデンスこそが兼寛をして「低蛋白・高炭水化物食が脚気の原因」であると言わしめ,かつ人々を納得せしめた根拠であったと思います。現代においてもこれだけのエビデンスがそろえば原因と結論して十分アクセプトされるでしょう。

コストに見合った治療であったか?

 兼寛の最終目的は脚気の原因を明らかにすること以上に,脚気の発生を予防することでした。兼寛は脚気を予防することにより,1884-1889年の間,123万2416円を節約できたと試算しています。その具体的な根拠は記載されていませんが,脚気をなくしたことによって船員の士気をあげ,日清戦争,日露戦争に勝利したとすれば,計り知れない功績だったのではないでしょうか?
 もちろん人の命はお金に換算することはできません。しかし,ようやく世界の水準に追いつきつつある一方で,いつ戦争に突入してもおかしくない明治時代にあって,医療費を節約することは,日本という国の生命に直結する大切な問題だったことでしょう。戦争勝利の裏舞台には,兼寛の脚気栄養説があったのです。医療費が高騰する現代,再びコスト・エフェクティブ・アナリシスが注目されています。兼寛は何と先見性のある人だったのでしょう!

兼寛vs鴎外
「脚気病栄養説」対「脚気病細菌説」

 今までの「兼寛脚気病栄養説」に関しては兼寛の論文を参考に進めてきましたが,次回は吉村昭著『白い航跡』(講談社)を参考に兼寛「脚気病栄養説」対鴎外「脚気病細菌説」の論争を材料に書き進めていきたいと思います。この著書は兼寛が医学を志すに至った経緯から最期までを人間物語として記しているだけでなく,われわれが常識として知っておくべき,かつての日本医学界の逸話を見事に再現しており,読者の皆さんに強く一読をお勧めする次第です。