医学界新聞

 

〔連載〕How to make

クリニカル・エビデンス

-その仮説をいかに証明するか?-

浦島充佳(東京慈恵会医科大学 薬物治療学研究室)


〔第2回〕高木兼寛「脚気病栄養説」(2)

2429号よりつづく

臨床を観る目

 私は「臨床の目」とは観察し「気づく」ことだと思います。イギリスの開業医コナン・ドイルの書いた探偵シャーロック・ホームズは実に鋭い観察眼を持っていて,ちょっと観察しただけでたちどころに相手の職業などを当ててしまいます。このような推理はとてもおもしろく,インスピレーションも大切なのですが,この段階はあくまで主観であって,間違った思い込みはかえって病気を新たに作り出してしまうかもしれません。
 しかし,臨床家の仮説は疫学という論理と統計学という手法とによって,より客観的なものとなるのです。

最初の試み

 兼寛は海軍病院に入院した脚気患者10名を5名ずつに分け,それぞれに蛋白の比率を増やした新しい食事と従来の食事を与え評価しました。前者では5人中5人が完治し退院,後者では4人が略治退院し1人に肺疾患の悪化をみています。はじめてのランダム化臨床試験は1948年の「結核に対するストレプトマイシンの効果判定」とされていますが,兼寛の行なった研究は,臨床試験の原型と言ってもよいのではないでしょうか。

海軍で多発する脚気

 兼寛は1883年,海軍軍医長に昇進。その後1882年より10か月の航海を終えて帰港した戦艦龍驤に,これまで以上の脚気の発生(275人中71名が脚気に罹患,死亡数25名)をみたため,調査委員会を組むように要請されます。確かにその年,他の戦艦15隻では1000人あたりの脚気発生数が平均19人でしたから,龍驤での脚気の発生数は明らかに多かったと言えます。さらに監獄囚人,兵学校生徒,機関学校生徒で脚気の発生率が高く,逆に軍楽隊,水雷局,軍医主計生徒で少ない傾向にありました。兼寛が最も注目したのは,脚気に罹患する者は下士卒に最も多く,脚気によって死亡する者は下士卒のみだった点です。
 それでは下士卒と士官で何が違うのでしょうか? 実は当時,船員は身分によって食事の蛋白と炭水化物の比率が決まっていました(下士卒=1対28,生徒=1対25,准士官=1対20,士官=1対20)。

後ろ向き臨床研究

 1883年11月に発足したこの委員会は,5か月間に79回会議を行ない,1万を超える質問と解答,疾患に関する6つの表,食事に関する32の表を作成するなど,その調査は本格的なものでした。船員の脚気発生の原因となりえる因子を多数列挙して詳細に検討しており,これは後ろ向き臨床研究と言えます。この研究に限っては,海軍の乗船業務は閉鎖された環境であり,食事も一定のものを摂るため,臨床研究をするには相当な好条件であったと言えます。
 臨床研究は,病気発生などの結果が発生する前に研究を始めるか否かで前向きか後ろ向きを分けます。さらに結果を軸に考えるか,原因を軸に考えるかで,コホート研究かケース・コントロール研究かに分かれます。
 例えば脚気と診断された患者の食事を調査し,脚気を発生しなかった人のそれと比較した場合はケース・コントロール研究になりますし,低蛋白・高炭水化物食を摂った人に発生した脚気患者人数と,摂らなかった人のそれを比較する場合にはコホート研究です。しばしば,コホート研究は前向きでケース・コントロール研究は後ろ向きと理解している人がいますが,それぞれの組み合わせ(4通り)が存在します。

脚気予防食の開始

 兼寛は自分の仮説を証明するため龍驤と同一航路をとる戦艦筑波で新しい食事療法の導入を嘆願し,この提案が拡大されて1883年11月より海軍すべてで脚気に対する食事療法を開始することになったのです。
 従来の船員の蛋白・炭水化物の比が1対28であったものを,1884年より1対20にしました。1対15を目標としていた兼寛としては,まだ納得のいく食事内容ではなかっただろうと想像しますが,最初の効果は十分でした。

戦艦従来の食餌
脚気/全体
新しい食餌
脚気/全体
龍驤
筑波
富士山
浅間
清輝
天城
攝津
肇敏
磐木
電電
扶桑
比叡
161/278
33/262
303/852
60/257
22/132
15/127
55/220
48/158
18/89
14/73
74/324
71/275
102/294
19/291
85/598
16/259
1/128
0/131
15/197
70/170
5/91
6/69
7/348
28/272

 読者の皆さんは上の表をもって「脚気は感染症である」とする学説を否定して,「脚気は低蛋白・高炭水化物の食事摂取により発生する」と結論できますか? それぞれの立場で意見を考えてみてください。