医学界新聞

 

短期連載

フランスの保健医療の現状 Part 3

重光哲明(国際保健医療観測センター外科・外傷整形外科)


2428号よりつづく

救急医療の提供体制

 今回は,フランスの救急医療体制から話を始めよう。
 フランスの救急症例に対する現在の救急医療システムそのものは,公的セクターに偏重しているとはいえ,多様かつ充実した,整備がなされていると言える。その特色は,病院など定置的治療施設へ後方移送して,そこで重点的根治的処置をするよりは,地域分散的に発症現場や移動中に,つまり発症の最初期に高度に医学的な救急治療を施すことを優先する救急治療体制を採っていることにある。
 例えば,集団緊急災害時(カタストロフ=4人以上の患者の同時発症時)への対応は当然のごとく,軍隊(国)や市民保安隊.(行政)が,後で述べる公的救急隊サービス組織とともに,非常時用の一時的緊急治療施設(野戦病院,前進アンテナユニット)を創設して,応急処置で対応する。その後,優先順位と選択が行なわれ(トリアージュ),入院を必要とする特別な検査や外科的処置が必要ならば,症状に適合した公私の専門科入院施設(公立病院やクリニック)に後方移送(エヴァキュエーション)される。

SAMU,SMUR

 個別の救急患者に対しては,SAMU(救急医療サービス)やSMUR(救急蘇生移動サービス)と呼ばれる,国,地方自治体,社会保険局の財政分担で,公立病院,大学病院センター,疾患別専門救急センター(循環器疾患,脳外傷,薬物中毒,喘息,熱火傷など)との連携による公的救急隊サービス組織がある。それぞれに,救急蘇生に対応した高度な医療機器が重装備され,専門経験豊かな救急蘇生専門医や麻酔士が常時配属されて,現場での救急治療,後方移送の任にあたっている。また,これらの公的サービスに民間開業医団体を含めた公民共同救急指令組織には,電話15番センター(統合救急センター)があり,公民との調整管制にあたっている。
 入院や特別緊急処置を必要としない症例は,開業一般医や開業専門医が地域ごとの当番制をしいて,時間外や休業時の患者の治療コースが選択(一種のトリアージュ)され,無益なたらい回しを避けている。それ以外にも,診療所を持たない民間一般医(最近は精神疾患,心臓循環器内科など疾患別の専門医グループもできている)の往診専門民間企業組織「SOS医師」が都市部で発達しており,軽症だが移動困難な救急症例の在宅往診に応じている。また,民間救急車会社がへき地の小村にまで発達していて,病院救急室までの緊急移送によく利用されている。

■浮かび上がる医療制度の矛盾

公立病院の救急室では

 ところで,昨春のストの舞台となった公立病院の救急室を利用する救急患者をよく調べてみると,70%以上が,特別な救急処置や緊急入院が不必要な患者であり,他の民間などの医療施設の診療時間外や週末に集中している,という統計が明らかにされている。これをみると,今回のストライキの原因が,この連載で簡単に紹介した現行のフランスにおける救急サービスシステムの供給体制の不備にだけある,と考えるのは不十分だろう。むしろ,地域住民の新しい需要や,それに対応した新しい大学病院センター,公立病院の位置や役割,そのありかたが問われているようにみえる。

「ジュペ・バロ法」

 この次第に拡大するフランスの保健医療分野の矛盾に対する改革整備の動きは,歴史や伝統にしばられて重厚すぎる構造や,保健医療従事者の個別的既得権に固執する硬直した既成組織,地域住民や患者の市民意識や公共性欠如のメンタリティに直接に抵触するため,遅々として進んでいない。本格的な政府からの改革法案は,医療費の高騰と従来の公が主導する社会保険財政の膨大な赤字,社会保障制度の危機に直面し,保健医療予算緊縮を意図して,保守政権下に成立した1996年の「ジュペ・バロ法」がある。
 この成立過程で,社会保険改正案が1995年に発表されるや,これに抗議する社会的運動が高揚した。その力をバックに1997年に交替して成立した社会党系左派連立政府でも,この法の大筋は維持されている。その骨子は,従来の19世紀後半のビスマルク以来の社会政策としての政府(公)の保証と労使の妥協に基づく社会保険制度を,社会的混乱を避けるためにあくまで維持する一方,政府の財政的負担,保健医療費を軽減することである。そのためには,非効率や,浪費をでき得る限り減少させなければならない。

進む地域格差

 いくつか具体的な例をあげてみよう。例えば,病院やクリニックなどの入院施設に関しては,地方入院施設庁(ARH)が1996年に創設され,地方ごとの公衆衛生のデータとともに,地域のニーズと医療供給や施設の質と量を新たに調査再評価し,それをもとにした入院施設,医療施設の地理的合理的配分,統廃合の決定実施の権限を与えている。このため,フランスの地方,特にへき地を中心に地域の効率や稼働率の悪い病院や産院の閉鎖,病床削減,医療スタッフ減員が決定され,それに反対する地域住民や自治体の抗議行動が多発している。
 その一方で,首都パリでは,法案成立当時の保守党の首相が自分の地盤の区に,すでに過剰状態にもかかわらず,新たに,超近代的な高度医療の公立病院建設が決定した。最近開院したが,ずさんな計画で運営費や維持管理費がかかりすぎたおかげで,他病院への予算を食いつぶし,地方と首都との不公正,政治決定の不透明さもあって問題にされた。そのほか,例えば,同一疾患患者の複数医療機関への「ハシゴ的」受診で,検査治療重複という医学的むだという観点だけでなく,診療費全体の浪費を避けるため,主治医型一般医への患者の「固定客化」「常連化」に向けた優遇処置を取る方策も実施され始めた。これには,大多数の開業一般医は賛成したが,開業専門医や保険外診療医師などが「患者の医師選択の自由」を主張して反対に立ち上がった。
 また,ヨーロッパでとびぬけた医薬品消費国の汚名を挽回し,高騰する医薬品出費の大幅削減を狙って,ジェネリック薬や代替薬の導入も本格的に実施された。これには,歴史的にも医薬分業で医師に比べてずっと収入の多い開業薬局の薬剤師は減収をおそれている。また,専門新薬に比べジェネリック薬の生産比率が隣接国でも最も低く(5%前後),それで甘い汁を吸っていたフランスの製薬産業は,治験や研究費援助などで関係のある一部の有名専門医を使って,ジェネリック薬の品質の信頼性や,医師の権威の相対的低下などを理由にして,強力な反対のロビー活動を展開している。また,検査データやレントゲン結果は以前から患者のものとしてすべて与えられていたが,新たに患者の権利としての医師のカルテ開示も実施されるようになった。


街の開業薬局
フランスは厳密な医薬分業で,病院外来では薬剤はもらえない。医師の処方箋をもらって民間薬局で購入する
 
開業画像診断施設
レントゲン,超音波,時にはCTスキャナーなどを担当医師の指示で実施するだけでなく,画像診断まで行なう。結果は患者と担当医師に渡される

フランス保健医療の近未来

 さて,フランスの保健医療は,どのような方向に向かおうとしているのだろうか。まず,社会保険制度は,雇用者(経営)側が,被雇用者組織,組合の弱体化と冷戦後の情勢を受けて,形骸化しつつある公主導の19世紀型システムの根本的変更に向けて大攻勢をかけている。このシステムを保証している労使協議からの雇用者側の一方的離脱をちらつかせ,オランダ型の任意加盟民間保険導入などを主張している。この雇用者側の「経済的リベラリズム」に対抗して,現左派政府主流派の「保健医療費のレギュラシオン(制御)」という経済的要請の視点から,さらには医師などの医療側当事者の諸組織や被雇用者側は「保健医療の民主主義」の社会的要請の視点から,ともに政府の権威責任下に保証されている現行システムを何としてでも維持しようとしている。現政府は,全国各地で「保健に関する市民フォーラム(地域討論会)」を積み重ね,地域住民のニーズを聴き取り,市民意識変革を図り,患者と診療側との個別利害対立,経済的要請と医療の内容(質と量)を調整するなど,浪費節減などに努力している(一昨年6月に全国総括集会が開かれ,最終報告が発表された)。