医学界新聞

 

看護随想-新たな世紀を向かえて

 例年にない大雪,寒波襲来の21世紀の幕開けであったが,ようやく日本列島にも春が訪れてきた。
 20世紀最後の年に導入された「介護保険制度」も2年目を迎えることになる。利用者数の伸び悩みが報告されるなど,現場での混乱はまだ続いているようではあるが,本紙では,臨床・在宅の現場および看護教育界で活躍されている50余名の方々に,「新たな世紀を迎えて」をテーマとして自由に執筆いただき,本年初頭より掲載している(4月号で完結)。なお,掲載にあたっては50音順を基準とした。


感染予防対策のシステム構築に参加して

伊藤道子(岩手県立大学看護学部)


 「よい仕事をしたね」
 ある病院長が私におっしゃった。その先生は,退職まであと2か月。本日でお会いできるのは最後と,ご挨拶にうかがった時であった。うれしく思ったのと同時に,その病院の看護婦が努力した成果を,皆を代表していただいた言葉だと思った。
 今,私は非常勤で,複数の病院で感染予防対策をそこの看護職と作りあげている。経験を重ねるうちに,スタッフナース(以下スタッフ)が,「感染予防はちょっとしたコツがいるんですよ」とか「伊藤さんの言っていることがわかりました」など,私の考える感染予防を実践し,患者により安全なケアを提供していることを実感する。やりがいを感じる瞬間であり,このような看護体制には,現場の協力が非常に大きいと感じている。
 常勤であったとしても,病院の全看護を私1人ではカバーできない。スタッフ全員が瞬時に判断して,対策を実施するかどうかが,感染予防対策の分かれ目である。よって,その組織の長所と短所を知り尽くした上,部下を信頼している看護管理者(以下管理者)は,とてもありがたい。このような管理者は,私がその組織に入ることを,スタッフへ十分に動機づけをしており,看護ケアに私が参加観察することを,スタッフが拒絶しない。これは,何を改善すればよりよい看護となるのかを,現場を見て判断する私には,大変な助けとなっている。
 感染予防対策は,私がとやかく言うよりもスタッフに考えてもらうほうが近道である。なぜなら,その対策が実施しやすいかどうかは,直接それを行なう人が最もよく知っているからである。そして,スタッフが感染予防の物品や制度を整備してほしいと結論したら,管理者はそれを実現する。その組織に長年いなくてはわからないキーパーソンや資源を活用し解決する姿勢は,スタッフのやる気と信頼をかきたて,不可能を可能にする。そういう管理者は,管理者になる以前から感染予防以外にもさまざまな看護場面でよりよいものを求めている。感染予防の知識も短時間で獲得し,所属する組織に伸びてきた小さい芽も見逃さず,ともに喜び合える。私の参加観察の時間は短縮できたが,解決のための討論だけは,各病院での方法を見つけるため,時間を要する。管理者と私が対等な立場で討論することで,お互いに納得した方法が見つかる。
 目標はよりよい看護をすること。このように好きなことができるのも,これまで私に教育してくださった先生,諸先輩,私の周囲にいる同僚をはじめ,たくさんの方々の協力があったおかげと感謝している。


看護専門職者として自立できる教育実践を

小野寺杜紀(埼玉県立大学教授・保健医療福祉部)


 「新世紀を迎えて想うこと」と問われても,30年この方看護教育のみに携わり,その時その時の学生気質の変化に対応するだけで精一杯という人生を歩んできたせいか,これといって華々しい夢を語ることができず,誠にふがいない。しかし,看護の教授を通して,ますます意を強くしてきたこと,これからしっかりと基礎看護教育で果たしていきたいと思うことがある。
 それはなんら目新しいことではないが,看護専門職者として自立できる看護婦をきちんと教育していきたいということである。とかく看護は目に見えない実践・応用科学であるととらえられがちである。1人ひとりの患者,家族,地域にいる人々に,看護の知識・技術が活かされて実を結び,看護が目に見えるようになることが重要であり,そのためには,看護に携わる者が確固たる理論,信念を持って看護の実践を展開していくことが求められる。そうしたことを可能にする能力を看護学生に少しでも身につけさせたいと思うのである。
 まずは,自分が何をめざしてやっているかを確認させ,やる気を起こさせること。看護の対象者である人間を生活概念にのっとってしっかり見つめるよう方向づけ,保健・医療・福祉の包括的な考え方ができるようにする。その上で看護のメンタルモデルを理解し,ひいては自分のものにできるようにしていきたいと思う。この心的表象を意味するメンタルモデルがあって,はじめて看護専門職者としての自立の基盤ができるのではと考えている。
 そして最後に何といっても知識欲旺盛,柔軟性に富んだ元気な学生であってほしい。学生自らが自分の生活を楽しむことができれば,そこから活力が生み出され,難しい勉強も「エイヤー」の意気込みでやりおおせよう。いつもニコニコと笑顔を忘れず,情緒面の安定を自分で図れる人になってもらいたいし,そのためには教師自身がモデルとなって助力したいものである。教師が看護のメンタルモデルをしっかりと保持し,その一方で生活をエンジョイすること。そこから学生にとって無形の好ましい風が吹き,影響を及ぼすと思うのだが。


多忙にあっても心に余裕を

乙坂佳代(港北医療センター訪問看護ステーション管理者)


 21世紀。歴史的な時を体験できたといえばそうだが,今ひとつ実感がない。訪問看護ステーションの現場では,その前に介護保険導入という「2000年問題」が大きな課題であった。
 8年前の1992年,訪問看護ステーションの制度が創設された時,私は市町村の訪問指導に従事していた。訪問看護ステーションはまだ過渡期だから,もうすこし落ち着いてからかかわろう……そう思っていた矢先の1993年に,現在の訪問看護ステーションが設立,管理者就任の話があった。遠距離通勤を理由にお断りしたのだが,それは過渡期の混乱を生き抜く自信がなかったからである。しかし,半年後には訪問看護の現場に飛び込むこととなり,ステーションもようやく地域での信頼を得られるようになったのだが,安心する間もなく,昨年の介護保険の導入を迎えた。
 昨年は,ステーションで働く看護婦たちがこの混乱を乗り切れるよう,業務整理とともに士気を高めるのが私の役割だった。だがこの時期は自分自身のストレスも大きく,前向きになろうともがき,過渡期の苦しさを味わった1年間でもあった。
 新世紀となった最初の今年1年をどんな年にしたいか。忙しいという文字の通り,心を亡くしたように過ごすのは卒業したい。最近は文具店でレターセットを買うだけで,単なる収集癖で終わっているから,まずは手紙の返事を書くことを心がけよう。
 それから今年の楽しみは新居に移ることだ。安心できる場所を作って家にいることが趣味になるかも。これで仕事とのメリハリを持ってバランスをよくしよう。
 最後に仕事。ステーションの体制整備と業務整理は組織の中での課題である。今年は介護保険への対処を整理して形にしたい。そして地域では「よりよいサービス」を考える機会を作りたい。利用者とサービス事業者,そしてケアマネジャーの三者が分断し,対岸に立って話をしているような昨年の経験が役に立つはずだ。制度に振り回されずにすむよう,皆が何をめざしているのかをもう一度考えたいと思う。
 過渡期の真っただ中で,その現状を吐露した時,ある方が励ましの便りをくださった。ご自身もご多忙にある中でのことで,ますます頑張らなければと気を引き締めた。その時の心づもりで仕事をしよう。そして励ましてくださった方のように,心に余裕のある人物になりたいと思う。


私の描く21世紀の看護系大学の1つの方向

金川克子(石川県立看護大学長)


 筆者は2000年4月に開設した,石川県立看護大学に,大学運営と地域看護学担当者として赴任した1年目に,21世紀を迎えることになりました。
 1952年に日本最初の看護系4年制大学が設立されて,約50年後の大学ではあるが,21世紀の看護系大学作りの最先端に立たされた感もいたします。
 看護系大学のタイプには多様なものがありますが,筆者は,国立大学医学部の中の1学科所属から単科の大学に移り,看護学を主体とした大学作りにギアを入れかえての発進となりました。当大学は人間理解の上に立って専門的な看護が提供できる人材の養成をねらいとしています。学生には早くから地域(社会)の人々の働きぶりや生活の実態に触れるべく,1年次にフィールド実習をとり入れ,全教員が関与する等,工夫を凝らしています。また,教育・研究に加えて,地域に開かれた大学をめざした活動(地域ケア総合センターを付属)として,地域の人々の健康と福祉への貢献や,県内の看護・介護・保健関係者の質的向上に寄与した研修・調査研究等を行なっています。
 これまでの経験を踏まえ,すべり出したばかりの大学の中から,21世紀の看護系大学の1つのありようを描いてみました。
 看護学は人々の健康やQOLの向上に寄与する応用性の高い領域です。したがって,1つには,これらに対応できるよき人材を養成すること。すなわち,人間とその生活の理解を基盤に,的確な看護の実践能力を付与した人材の養成を図りたい。そして,多様な学生が入学できるように門戸が開かれている中で,各々の学生の持つ能力や関心を理解し,ニーズに沿った教育を展開するためには,それにふさわしい教職員,設備・備品,教育プログラム,予算,社会資源とのネットワーク等の充実が必要です。
 2つ目には,看護学に関する研究成果の積み上げと社会への還元を図っていくこと。すなわち,ケアに役立つ理論や技法の開発に通ずるような基礎的研究や応用研究を行ない,実践の場に還元していく。そのためには,日頃から,保健・医療機関や訪問看護ステーション等の実践現場との連携を密にし,解決の必要な問題やニーズを察知していかなければなりません。また,地域の人々が求める問題にも敏感であることが大切と考えます。


高齢社会を健やかに生きる団塊世代の知恵

金城祥教(静岡県立大学教授・看護学部)


 NHKスペシャルで放映された「脳と心」で最初に取りあげられているテーマが,人間の心の発生(進化)とその所在であった。西洋人にとって心の座は脳にあるという。心(魂)の不滅を願い,人々が死の直後に脳を冷凍保存するという映像には,私自身は違和感を覚えてしまった。果たして人の心や魂は脳に局在するのかという疑問からであり,生物学的(自然科学的)な考え方だけでは「老いの健やかさ」は語れないと思ったからでもあった。
 人間の精神機能をつかさどる脳そのものの老化とは,脳細胞の減少とその神経ネットワークの停滞,消滅が,人それぞれ程度の差はあれ,加齢とともに不可逆的に進んでいくという生物学的な老いである。しかし心理社会的な老いとは,人がどのような社会的存在として生きているのかによって,その健やかさが意味づけされる。生物学的な老いが同程度(同年齢)であったとしても,その健やかさに違いがあることは,社会によく見られる事実である。
 人間の生命の働きを全体論的に捉えるという日本人の考え方は,脳細胞の消滅を補うために,人々のつながりを大事にしていくという知恵を生み出した。つまり,細胞1つひとつが全体としての人間とすると,人と人との間柄が神経ネットワークとして働くように,人間関係を大事にしていったと思われる。人間関係を手段と考える個人主義の西洋人との相違点でもある。老いても健やかに生きる,スピリチュアリティが維持できるという考えである。
 人と人とのつながりということでは,特に沖縄の高齢者の生き方に多く学ぶことができる。沖縄の高齢者は子どもや孫の「健康と幸せ」を祈りながら生活しており,また高齢者を特に大切にするという県民性は,社会的地位や貧富の差などに関係なくすべてのお年寄りが永く生きている(存在する)だけで祝福され,そして長寿をあやかりたいという人々から崇められながら老いを生きている。
 一方,高齢者の自殺が多いのは,「この年になって生きていくのがつらい,申しわけない」と思うからであり,そのような思いをさせている社会があるからであろう。高齢者の自己愛が育つような地域社会,「生きていてもいいよ」という肯定的な老年者観が成熟した地域社会が求められている。
 21世紀の見通しは暗いが,団塊の世代としては,健やかな老いを生きるために,人と人とのつながりを大事にしながら,自らが「老いを生きる」モデルを若い世代へ示しつつ,地域づくりを今から始めたいと思っている。


ケアの時代と重なる八甲田の山々

小山敦代(青森県立保健大学・健康科学部看護学科)


 21世紀が到来しました。何がどう変わるわけでもないのに,なぜかワクワクしませんか?新しい洋服の袖に手を通す時や,未知の土地を旅する時に似たような新しい扉を開けるときめきです。
 私は,関西から青森の地に移り住んで2年目の新春を迎えていますが,神秘的と言えるほどの自然環境の中でワクワクの連続です。その魅力をあげればきりがないのですが,何といってもお気に入りは研究室の窓から毎日仰ぎ見る八甲田連峰です。ご承知のように八甲田山は酸ヶ湯,猿倉,谷地などの温泉がある,海抜およそ800-1000mの広い台地の上に1200-1500m級の山々が連なっていて,その中ほどを荒川が流れ,これを境として便宜上,南八甲田連峰と北八甲田連峰に分けられています。まぶしいほどの青空の中にくっきりと浮かび上がる真っ白な嶺は荘厳さ以外の何ものでもありません。かと思えば,「八甲田山雪中行軍遭難事件」(明治35年1月23-25日にかけて起きた歩兵第5連隊第2大隊210人中197人の凍死事件)が想像できるかのごとく,吹雪の中に姿を消してしまう時もあります。そして雪の下で待ち続ける春が雪解けと同時に一気にやってきて,すぐに緑あふれる夏,鮮やかな紅葉に染まる秋と四季折々の表情の中に限りない魅力を秘めてやみません。
 21世紀は「ケアの時代」と言われます。八甲田大岳,高田大岳,井戸岳,赤倉岳,などの連山からなる八甲田を仰ぎながら,保健・医療・福祉の連携の時代に夢を馳せます。特徴あるそれぞれの岳がしっかり連なり,お互いに影響しあいながら青森の地を大きく抱え込んで守っている。この連なり方こそがケアの時代のありようではないかと。
 ヒューマンケアを担う人材育成をめざして1999年に開学した青森県立保健大学は,健康科学部に看護学科・理学療法学科・社会福祉学科を有しています。私は,この2年間,保健・医療・福祉の連携が「言うは易し,行なうは難し」と,他領域の理解不足の再認識でした。それも場を共有して始めてわかることでした。
 今年は,巳年です。「脱皮しない蛇は死ぬ」という諺がありますが,看護だけの殻に閉じこもるのでなく,脱皮しながら視野を広げてよりよい連なりを作っていきたいものです。雄大な八甲田連峰は,悠然とわが保健大学で育つ学生を見守ってくれているようです。そして私は,新春の八甲田を仰ぎながら,この魅力的な青森の地で「生かされている」と,しみじみ想っています。


臨床に貢献できる看護研究を

杉下知子(東京大学大学院医学研究科教授/医学部健康科学・看護学科長)


 医療技術の進歩により,不治の病の生存期間が大幅に延長した。結果として,病気療養者でなおかつ生活者の人口が増大した。他方,高齢人口の増大は加齢に伴う寝たきりや痴呆老人の加速度的増加を促し,医療保障とは別の介護保険制度の誕生に至った。
 このようなわが国の健康問題の急激な変化は,より質の高いケアを,より多くの国民が享受できる体制づくりを促し,看護学の高等教育化を推進した。2000年には,大学院教育が修士課程36校,博士課程11校と著しく増加し,学問を構築する場も整備された。
 2000年7月から始まった日本学術会議第18期の第7部に看護学研究連絡委員会が設立されたことも,学問構築と研究の推進に大いにはずみとなり,強い味方となるであろう。
 それでは,一体どのようにすれば看護学の学問構築が推進されるだろうか。それは,看護学を魅力的な領域と大いにPRし,優秀な人材を集めることと,研究の方法論を開発することと考える。
 前者の1例として,著者の所属する学科では教養学部の学生を対象とする授業科目を2つ開講し,若い学生の発掘に努めている。1つは「看護学の基礎と展開」と題する2単位の講義で,毎年100人前後の1-2年生が受講している。もう1つは「看護実践活動入門」と題して,夏休みに1週間行なう演習形式のセミナーである。このセミナーは,定員15人のところ50人近くが希望するという人気を得ている。
 後者の例としては,方法論を独自に開発する場合と,諸外国や他領域で開発された方法を,わが国の看護実践の中で試みる場合がある。筆者の教室では,カナダ・カルガリー大看護学部家族看護ユニットで開発された,家族アセスメントや介入方法を活用したり,米国・シカゴ大看護学部Feetham博士の開発したFeetham Family Functioning Survey(FFFS)の調査表を活用している。また,独自に開発中のものとして「2次元尺度法による家族機能測定表」や「子育て満足度調査表」がある。
 ほんの1例をここに紹介させていただいたが,大学院を持つ多くの大学の研究室が,若い大学院生と臨床ナースとのチームづくりを率先して行ない,看護の臨床活動に貢献しうる研究活動の花が咲くことを,21世紀の始まりの年の願いごととしたい。


看護・看護学を飛躍させるために

高橋照子(愛知医科大学・看護学部長)


 20世紀最後の10年間で急増した看護系大学は,これから質の向上を求められる時代に入っていくことは確かだろう。大学人に相応しい看護系教員を準備せずにスタートしている看護学教育の大学化の中で,まず何よりも教員1人ひとりが自らの研究者・教育者としての実力をつけなければならない。
 大学の教育者としての実力とは,自らの専門とする領域の研究に従事し,その領域に精通することから培われてくるのだろう。教えるために知識を得るのではなく,自分の専門とする研究成果の一端を,単に研究者としての関心からだけでなく,今日の学生が理解できるように教授することが求められる。その上に,看護学基礎教育では,看護実践者の育成を目的にしているために,教員には実践能力も求められる。
 今日,実践・研究・教育のすべてに精通する教員は,十分にはいない。急激な大学教育化という看護学教育の過渡期的な21世紀初頭に,一番必要なのは,これら実践・研究・教育の緊密な連携,相互に尊重し合い,活かし合い協力し合うことではないだろうか。お互いに批判し合い無視し合う中からは,後退はあっても前進はない。看護学基礎教育に従事するものとして,研究・教育に精進しながら,臨床家の叡智を尊重し協力を得て,看護実践者を育成する教育に関わっていきたいと思っている。
 一方,看護実践の現場では,近年確実にその力を蓄積している。臨床知や暗黙知と言われる経験によって培われた“知”を獲得しているという認識は,看護者に大きな自信を与えている。それを個人のものだけではなく,言語化し看護者が共有し継承できる財産としていくこと,すなわち研究を推進していくことが,看護・看護学にとって急務であろう。そのためには,必然的に研究者養成をめざす博士課程の増設が不可欠になる。
 大学院教育においては,若手の研究者が自由に研究を進められる環境を提供すること,看護学だけではなく学際的な指導者を求め協力を得ることが必要である。看護学の独自性を主張するがあまり,閉鎖的になることだけは避けたい。他領域の研究者たちと対等に論議できる看護研究者が育っていくことが,看護・看護学の発展を大きく飛躍させるのではないだろうか。


看護界が取り組む3つの課題

高野順子(高知医科大学教授・医学部看護学科長)


 私はカナダ在住中にカナダ100年祭,アメリカ在住中に米国200年祭,日本に帰国後数か月して平成,そして今,新しいミレニアムを迎える機会が与えられた。看護界においても,時代の節目ごとに各国独自の新しい潮流があって,進歩の軌跡を刻んだ。
 世界の看護界では,先進国から発展途上国まで,各社会のニーズに応えるべく多様な看護が展開されている。私は基礎教育・大学院教育を通し,世界の3か国で看護教育を受ける機会に恵まれた。その後アジア看護研修生への教育援助を通し,多様な看護仲間から大きな学びを得た。今では日本の看護事情について,世界の友人へ発信できるようにもなった。21世紀には,WHOがヘルスプロモーションとして提唱した「すべての人に健康」を実現するため,看護の仲間は国境を越えて協働し,顕著な貢献をするであろう。その目標に向かって,日本の看護界が3つの課題に取り組むことを提言したい。
 第1の課題は,新しいカリキュラムへの取り組みである。国際比較看護や国際看護援助等の科目を,必修科目とすることが重要であろう。この国際時代にあって,特に日本は発展途上国が多いアジアの一員として,国境を越えてナースが協働することは,地球市民の健康実現に向け,効果的戦略であると思う。文部省が真剣にヘルスケアにおける国際化を重要なポリシーとするなら,上記科目の実習を可能にする努力も必要であろう。国際看護援助に関しては,多くの潜在教員に私は出会った。しかし,国際援助で活躍したナースの知識と経験が,日本で活かされる場が,現在無に近いと言っても過言ではない。
 看護専門職者に社会的地位が保証された職場の確保が第2の課題である。現在,発展途上国援助で活躍するナースは,ボランティア的存在に置かれ,専門職者としての経済的裏づけや,社会的に承認された妥当な職位が与えられていない。国際看護援助で活動するナースには,専門職者としての社会的地位が早急に確立されなければならない。
 最後に,看護における留学制度(単位互換・国際共同研究)や教育・研究者の交流が,組織的に推進されることを望む。大学は率先して姉妹校との協定に調印し,学生時代からできるだけ多くの国と交流できる仕組みを確立していきたい。過去5年間,私は先進国における短期留学の機会を学生に提供できた。学生が海外に身を置いて,看護学ならびに国際性について得たものは,想像を超えるものであった。
 新しい世紀に,私は多くの世界の人々を日本に招き若者に紹介し,海外に出向き専門職仲間と看護について検討し,理解を深め合いながら,地球市民の健康実現をめざし,世界のナースとパートナーシップを発展させていくことを切に願う。


グローバリゼーションと看護の学際化

田中マキ子(山口県立大学助教授・看護学部)


 グローバリゼーションが進む今日,新世紀を迎え,私たちはどのような方向へ進むことが求められているのだろうか。それはもしかすると,看護学のアイデンティティを一層問われる時代を歩むことであるのかもしれない。
 グローバリゼーションは,確実に医療や看護の世界にも押し寄せている。サービスを中心に,そのありようが時間と空間の関係において変化を見せている。クリティカルパスに見られる効率化・標準化といった治療システムの再編や,施設内医療から地域・在宅医療への変化など,医療が行なわれる場の広がりから指摘することができる。
 このような医療・看護の世界に起こるグローバリゼーションは,何を意味するのであろうか。それはまさしく,医療への帰結であるのと同時に医療を超える看護の世界を構築することであると私は考える。医学と看護学は,医療という共通の土俵を媒介にしている。しかし,この関係には,どこか上下,あるいは内包関係があって,「学」をぶつけあった緊張関係がどの水準まで達しているのか不明確ではないだろうか。
 私は,看護を保健医療社会学の立場から捉えようとするスタンスに立っている。この立場を固持しようと思えば思うほど,1つの「学」の弱さを別の「学」から補おうとしているだけにすぎないのか,などと自問自答する。こんな時,迎合的な緊張関係にごまかされることなく,「学」の「際」を追求することの意味を問い,自分自身を奮い立たせている。
 新世紀はまさに,この「学」の「際」を追求する時代ではないだろうか。看護のアイデンティティを明確にするためにも,あるいは医学に対する看護学の「学」の水準を高めるためにも。この他,多様化し個性化しながらも同質性を持つ人々など,相矛盾するような側面を持ち合わせ,一層複雑化する「人」そして「社会」を理解しつつ,病気になること,あるいは病気を考えなくてはならない今日,医学と看護学の関係のみならず,他の学との関係からも,看護学のあり方を問うことの意義は大きいと考える。
 「学」としてぶつかりあう緊張関係の蓄積の中から生じる,「学」の「際」,あるいは新しい「学」の構築が,21世紀をリードするためにも必要と考える。互いの「学」を磨きながらも多様な学問から,グローバルな視点でもって,人類の健康を維持・強化する医療を,癒しの道を切り拓く看護を考え実践することが,私たちに与えられた21世紀の課題ではないかと考える。


情報化時代における看護の伝承

中山洋子(福島県立医科大学・看護学部長)


 21世紀最初の正月は,駅伝の実況中継を見ることから始まった。すべての力を出し切って走り抜いてきたランナーが,必死になって次のランナーへとタスキをつなごうとする光景に胸を熱くしながら,20世紀から21世紀へと移り変わっていく中で,看護界では何をタスキに託して走り,何を次の世代に引き継いでいくのであろうかと想いを馳せた。
 20世紀後半を生きた私が,まず思い出すのは,1960年代の病院ストや「ニッパチ闘争」である。それは,看護婦である前に生活する人間であるということの主張であり,看護婦不足による過酷な労働条件の改善は,看護の質をあげることにつながっていた。労働運動に身を捧げた先輩から渡されたタスキを受けて,団塊の世代の私たち新人看護婦は,70年代に,病院組織の近代化をめざして走った。家族的な雰囲気を持つ総婦長の看護管理のあり方を批判し,合理的な運営のための組織改革を迫ったこともあった。ベッド数が増加し,医療が巨大産業化した80年代は,患者のQOLに目が向けられ,看護婦の現任教育が求められた時代であった。院内教育,職能団体の研修会等,看護婦の資質をあげることによって看護の質の向上が図られた。
 そして戦後50年。気がついてみれば医療は高度化・複雑化の一途をたどり,わが国は高齢社会に向けて保健・医療・福祉のめざましい変革を余儀なくされていた。90年代に入って,堰を切ったように看護系大学が次々と立ち上がり,教育の場へ看護の人材が投入された。20世紀末,看護は量の問題から質の問題へとタスキが渡された。
 科学が飛躍的に進歩し,技術革新によって医療現場を大きく変えた20世紀。次なる21世紀は情報化時代。科学は情報ネットワークを持つ人間に活用されることによってさらなる進歩を遂げていく。人が人をケアするという業を引き継いできた看護にも技術革新が起こり,看護職の役割変化は時代の趨勢と言えよう。しかしながら,科学が発達すればするほど,人間は「こころ=情」に渇きを覚えていく。看護職にとっての情報化時代は,人間の「情」に「報いて」走ることであり,モノ化するヒトの「人間回復」が,21世紀の看護職のタスキに託された課題であるように思う。情緒・感情・心情・人情など,人間の“情”を背負い続けてきた看護の伝統は,時代を超えて引き継がれていくであろう。
 20世紀を代表する哲学者と言われているハイデガーは,人間の存在を「Dasein」とし,「Sein」とは区別した。21世紀においても,私たちは人間が人間であること,すなわち,人間としての存在の意味を問い続けることになるではないだろうか。


より自然でより安心のできるお産の提供を

成田 伸(広島大学助教授・医学部保健学科)


 大学を卒業し助産婦として働き出してから,今春で20周年。遅々として変わらないようでいたお産の現場に今確かな変化のきざしが訪れようとしています。
 20年前のお産の現場は,計画分娩真っ盛り。予定日前に入院し,長時間分娩台上で点滴し,仰臥位のまさに産み上げるお産でした。お産の安全性が高まった反面,過度の医療介入による弊害も目につきました。分娩数もまだ多く,分娩室に勤務したたった半年で100例を超えるお産を介助させていただきました。お産の多かったあの時代,助産婦の技は会陰保護にあると多くのお産関係者は思っていた気がします。
 今,私は広島の地で,助産学教育に携わって6年目です。私を取り巻くお産の現場は徐々に変化しています。まずお産が静かになりました。声高な呼吸法の声,励まし,時に叫び声や怒声が飛び交い賑やかだった児娩出の瞬間が,産婦の呼吸音と助産婦のなだめるような微かな声だけで,産声が高らかに産婦の耳に届きます。
 批判されてきた分娩台上でのお産も,背部に傾斜がつき座位のお産に近づいています。昨年は初めて側臥位のお産に同席させていただきました。呼吸法も努責法も型にこだわらない産婦自身の呼吸に近いより自然なものになりつつあります。この地のお産は夫のみならず,家族総出での付き添い出産であり,たくさんの温かい手と声が産婦を支えています。もちろんすべてのお産がそうではありませんし,まだ十分とは言えません。しかし,20年前にケアをし尽くせないお産の介助に不完全燃焼していた私が,「こうなってほしい」と念じていたものに着々と近づきつつあります。しかも今起こっているより自然で安楽なお産への変化は,ただただ自然を求める医療介入を拒否するお産ではなく,最先端の医療に大きく支えられているのです。
 これらの変化は,助産婦だけではなく産科に働く看護婦,看護学生や助産学生,産科医,小児科医,バースエデュケーターやメディア関係者,そしてお産する産婦とその家族の努力と願いが作ってきたものです。
 今学生に伝えたい助産婦の技は,産婦と家族の希望を的確につかみ,そしてそれを尊重し,長い陣痛に寄り添い,その人なりのお産をともに作り上げていくのに必要な「援助の技術」です。これからお産を迎える家族すべてに,より自然でより安心のあるお産を提供していけるように,皆様とともに頑張っていきたいと考えております。


看護職の飛躍

新美三由紀(国立がんセンター研究所・JCOGデータセンター)


 2000年はまさにCRC(臨床試験コーディネーター)/リサーチナースが大幅に増えた年だった。1995年に初めてリサーチナースについて「看護学雑誌」で紹介した時の状況を考えると,やっと日本の臨床試験も欧米並みに発展するスタートラインに立てたのだ,と感無量の思いである。
 さて,21世紀。今からが本番である。看護婦(士)であった私たちが,今後看護の職域を越えて,新しい看護職の専門性をどう確立していけるのか。
 今,臨床試験の分野で働く看護職はCRC/リサーチナース,データマネージャー,モニター,監査担当者などさまざまである。ある者は病院,ある者は研究所や企業と活動の場を広げ,新しい領域に戸惑いながらも徐々に基盤を作りつつある。私たちの調査では,CRCの半数以上は看護婦(士)免許を持ち,臨床経験も5-10年という人が多い。欧米でも,これらの職種が看護職から自然発生的に生まれたように,わが国でも看護職に寄せられる期待は大きい。
 私自身,看護職であることが活かされた経験を何度も持つ。研究計画書作成においてエンドポイントを決める時,よりハードで(信頼性の高い)かつ患者さんの状態をよく反映できる(妥当性のある)指標を選択する必要があるが,ここでは臨床試験方法論や統計学の知識とともに,臨床経験は重要であった。また,監査担当者として施設訪問監査に出かけた際,カルテから必要な情報を得るということにおいても,看護婦としての知識と経験が活かされた。
 近年,看護職が選択できる仕事の範囲は非常に広がってきている。もちろん,「臨床現場で看護業務を行なうことこそ看護婦(士)である」という意見を否定するつもりはない。しかし,看護学科(看護学校)に入ったから看護婦にならなくてはいけないという制約はないし,臨床看護婦として働いた後,一般企業に入ることも可能である。ただし,そこでは「看護職」であることを活かすことはできても,優遇されるわけではない。他職種の人たちと肩を並べるには,看護以外の勉強もしなければならないし,不得意な分野の勉強もしなければならないという,厳しさも伴う世界であることを私たちは今,身を持って実感している。
 今改めて,そんな看護職の飛躍の可能性を秘めた教育を与えてくれた先輩諸氏に感謝し,「看護が好き」という気持ちを持ち続けてこの分野でがんばりたい,と新しい世紀の幕開けに思った。


「大切に思う心」と「大切にされる体験」

堀内園子(東京都立保健科学大学・保健科学部)


 学生時代に「看護の可能性」を教えられ,その可能性に胸躍らせる一方で,社会で捉えられている看護は,「優しければ誰でもできる」「お色気職業(?)」等,私が学んでいるものとだいぶ異なっていると感じていました。大体,看護職=女性,医師=男性という図式で2つの職種は反発したり,恋に落ちなきゃいけないような発想も腑に落ちませんでした。
 そして今,21世紀の幕開けに私が感じているのは,看護職が自分の役割や可能性を社会にアピールし,社会の中での位置づけを確かなものにしようと動き,成果が少しずつ出始めているというものです。書物などで「看護」を著わす人も増え,看護職が起業する動きもあります。長年,臨床一筋だった私の母も,痴呆老人のグループホームを開始しました。
 1つの枠の中だけで,ひたすらもがいているだけのスタイルから,ライセンスを活用して枠を飛び出し,あるいは枠を広げるように主体的に動く時代になってきたのではないでしょうか?
 こうした看護職の動きが,社会の変化を揺るがし,社会全体が看護を味わう時代になるのかもしれません。
 でも,その分看護の「質」に対する要求も高くなり,それに応えるシステム作りや後輩の育成が課題となってくるでしょう。
 看護界は,時に後輩の育成に対して必要以上に厳しく,臨床実習で,学生が先輩に絞られて泣くものという方程式が成り立っていることもあります。しかしこれからは,先輩看護職のすばらしい技術や,看護の対象となる人々との出会いに感動の涙を流してもらいたいと思うのです。相手を大切に思う心が看護の起動力になるのだから,自分が誰かに大切にされる体験を持つことは重要です。
 後輩だけでなく,看護職みんなが自分を大切にされる体験を重ねられるような,ソフト・ハード面の充実を促すことも課題かもしれません。ハイテク医療技術に囲まれながら,人間本来の持つ感性を活かした温かいケアを展開できる。そんな21世紀の看護の扉が,これから開かれることを心から願い,そして自分もそれに向けて動けたら,と思っています。


社会人としての感性に磨きを

村本淳子(三重県立看護大学教授・看護学部)


 20世紀最後の数年間,看護は臨床現場・教育ともに長い間蓄積したエネルギーが一挙に噴出し,社会や周辺領域の注目を集め,そのままの勢いで新世紀に突入したという感じです。
 新世紀はさらに情報化が急速に進み,看護を取りまく環境も大きく変化し,IT革命の波も看護の世界に考えられないような勢いで入り込んでくるでしょう。
 しかし一方で,社会が新世紀に求めるものはますますの「人」のやさしさとぬくもりです。したがって看護は,情報科学・情報技術を効果的に必要箇所に駆使しつつ,基本的には看護の原点に立ち返り,本当の意味で「人が人にケアする」時代になります。そしてより人間の温かさ,ぬくもり,人を感じることができる,人と密接したところに存在する専門職になっていくと思います。 看護の世界を特別視し,看護の世界でしか通用しないような狭い視野で考えるのではなく,その時代・その社会とさらに密接な関係を持ちながら存在していくこととなるでしょう。
 そしてこれからはEBN(Evidence-Based Nursing)が求められ,ますます「看護を科学する」ことに力を注ぐことになります。その時看護の背景にある自然・文化・民族・習慣などを,十分に考慮した上での科学にしていかない限り,真に看護を科学することにはなり得ないと思います。
 また専門職としての看護者には,その人を総合的にとらえる訓練された「看護アセスメント能力」と研ぎ澄まされたすばやい「看護判断能力」が求められます。そのための教育は,質の高い看護基礎教育と卒業後の継続教育,生涯教育によって学習していくことが必要となります。さらにこれからの看護を取りまく医療環境は,前にも増して多職種の人々との協働作業となるでしょう。それぞれの職種の専門性がスムーズに十分に発揮され,チームとして運営されるためにも,私たち看護者のマネジメント能力が一層必要となります。
 そのため私たちには,関連領域との協調と学習によって,常に柔軟な,そして型破りと思えるような大胆な発想と臨機応変な態度が必要になるでしょう。
 このようなことを考えると,21世紀の看護者は看護の学習はもちろんのこと,看護一筋ではなく多分野の学問,さらには幅広い社会体験を通して,一社会人としての感性にもますます磨きをかけていくことが重要となります。そのためには趣味や遊びや恋愛,などなどに積極的に,かつ精神的ゆとりを持って取り組んでいくことも大切になるでしょう。


未来予想図「宇宙ステーションホスピタル」

渡邉順子(名古屋大学助教授・医学部保健学科)


 窓から見える桜が妙に鮮やかです。ひと昔前の地球より,宇宙の生活空間は季節感にあふれています。
 ずっと嫁に介護されてきたTさんは,徘徊と拒食が激しくなって家族の手に負えなくなっています。自宅の風呂場で転倒して寝たきりとなったKさんは,褥瘡の再発を繰り返しています。そんな2人がこの宇宙ステーションホスピタルに入院してきたのは昨日のことでした。
 大学院で,ケースマネジメントを専攻した担当ナースのYさんは,ステーション勤務は3年目になります。ステーションホスピタルには医師はもちろん,検査や放射線技師,そして,リハビリの専門家たちもいません。医療技術の急激な進歩は新たな医療システムを構築し,医療事故は死語になりました。
 まだ新世紀医療に慣れない患者さんや家族たちは,ステーションホスピタルへの入院が決まると必ず不安そうに尋ねます。
 「そこには,ナースはいるんですよね?」
 「はい,もちろんです。患者さんお1人に専属ナースが3名保証されます」
 「それはよかった!人間味のない病院は地球だけでたくさんだったから……」
 入院するとまず,患者さんは診断ユニットに入り「治療メニュー」を選びます。地球にいる家族とともにメディカルロボから治療メニューの説明を受けた後,「仮想治療」を体験します。
 次に,患者さんは専属ナースとともに豊富な「ナーシングリスト」から「オリジナルナーシングメニュー」を作ります。仮想ケア体験はまだ開発途上のため,専属ナースから地球の家族とともに「オリジナルナーシングメニュー」の説明を受けます。ケースによっては,その「ケアレシピ」を地球用に院外処方してもらって即日退院は可能です。
 入院中,患者さんの要求はなんでも満たされます。宇宙空間では,身体的な苦痛が皆無になりました。ナースたちは生きいきとからだのケアを完璧にこなしつつ,こころのケアも思う存分できて,満ち足りています。20世紀後半に培われた「看護学」がまさに花開いているようです。これからは「宇宙看護学」が必要だと言わんばかりに。
 1週間の宇宙滞在から帰ったTさんとKさんたちは,再び元気な頃と同じように家族と楽しく暮らし始めたようです。
 そんな様子を宇宙から眺めながら,Yさんはそっとつぶやきました。
 「これでヒトナースとしての仕事はすべて終わったわ」
 20××年師走,開発したばかりの「ナースロボ」たちが静かに納品されていました。
 ……夢の後,21世紀の看護って何? ふと,冬空を見あげてしまいました。

 本特別編集「看護随想」は,昨年末から本年初頭にかけて,各先生方からいただきました原稿をもとに構成。本年1月看護号(1月29日付,2422号)より順次掲載し,次回看護号(4月30日付,2435号)まで続きます。
「週刊医学界新聞」編集室