医学界新聞

 

連載 MGHのクリニカル・クラークシップ

第15回

M&M-次はどうすればもっとよくなるか-

田中まゆみ(イエール大学ブリッジポート病院・内科小児科レジデント)


2425号よりつづく

M&MとCPC

 M&Mというのは,米国の子どもなら誰でも知っている,マーブルチョコレートそっくりのキャンディの名前だが,米国の教育病院でM&Mと言えば,M&M(Morbidity and Mortality)Conference,すなわち死亡症例検討会のことである。
 CPC(Clinical Pathological Conference)とどう違うのかというと,CPCでは「診断」に重点が置かれ,その後の経過はつけ足しのようなものであるのに対し,M&Mでは,治療経過に重点が置かれ,「なぜこの患者は死亡したのか,他にやりようはなかったのか」という,内輪の反省会のような趣旨が強い,ということであろうか。
 MGH(マサチューセッツ総合病院)の内科CPCは,毎週木曜日にオキーフェ大講堂で一般公開で開催され,その内容はほぼNew England Journal of Medicineに掲載されている通りである。提示された主訴・現病歴・家族歴・社会歴・検査結果をもとに,招待演者が専門的知識を駆使して鑑別診断を繰り広げるさまは圧巻であり,会場は期待に息をのみ,見事正解であれば賞賛の溜め息で包まれる。「診断学」の生きた教材であり,招待演者の力の見せどころ,またMGH内科のレベルを世界に誇る場でもある。
 一方,内科M&Mは,研修医向けのランチセミナーの一環として,内科会議室で毎週金曜日に開催され,非公開である()。MGHのような高次総合病院では患者の死はいわば日常茶飯事ではあるが,自分の受け持ち患者が死に至った経過を,いま一度振り返ってみて反省点を話し合う,いわば身内だけの検討会であるM&Mは,CPC以上に身につまされ勉強になる。そのためか,あるいはピザの魅力か(なぜかM&Mで供されるランチはいつもピザと決まっていた),会議室は普段にも増して超満員となり,ピザの置いてあるテーブルに鈴なりに座ってもまだ足りず,床に座り込んでピザをほおばりながら聞き入る研修医や医学生も大勢いて,文字通り足の踏み場もないほどだった。

M&Mという「ひのき舞台」

 M&Mは冒頭のケースプレゼンテーション(症例提示)で始まる。これは,その症例を受け持ったチームのチームリーダーが行なうのが普通で,患者の主訴から始まり,簡潔でありながら臨場感あふれる現病歴・既往歴・服薬・アレルギー・家族歴・社会歴・身体所見・検査所見・入院後経過・帰結までを,検査値に至るまですべて暗記した上で提示する。あたかも学会口演のような堂々たるよどみない名調子であり,いつも彼らにケースプレゼンテーションを注意・指導されている立場の医学生は,息をのんで聞き入る。M&Mでのケースプレゼンテーションは仲間内での「ひのき舞台」とも言え,これにあたると誰もが張り切って準備するという。
 張り詰めた空気の中で,“……and the patient died at 10:24:36”と提示が終わると,場内からほうっと溜め息がもれて,次の瞬間には劇場のような大きな拍手が贈られるのが常であった。口笛が鳴ることもあった。
 続いて登場するM&Mの花形は,放射線科と病理の研修医たちである。放射線科研修医は,画像診断を鑑別診断もあげながら述べ,患者の時間的経過に沿って画像の変化を説明していく。病理研修医には外国出身者が多いので訛りのある英語だが,しかし堂々と,生検や剖検の病理標本のスライドを見せながら,的確に所見を述べていく。特に熱心な研修医だと,過去の同じ診断名の症例のスライドも見せて類似点や特異点を整理して述べてくれる。普段から縁の下の力持ちとして大いに内科研修医を助けてくれる彼らには,とりわけ大きな拍手が贈られる。
 内視鏡や手術などが行なわれた場合は担当した専門科からも施行医や執刀医が参加してくれて,術中所見など貴重な生々しい証言をしてくれる。
 最後に,患者の疾患や合併症について,MGH内部や近隣の病院から呼ばれた専門家(CPCで呼ばれる人ほど肩書きはない場合が多いが,M&Mのために駆けつけてくれる教育熱心な人)がごく短い講義をし,この患者の経過についてコメントを述べる。この時の質問の活発さには圧倒される。内科チームの教官も熱心に質問を加わり,「研修医たちに××を使うように言ったのは私だが,使わないほうがよかったと思うか」「もし○○を行なっていたら結果は違っていたと思うか」など,実に率直なやりとりで場内は緊張した熱気で包まれる。

この患者の死を次に生かす

 明らかにミスとは言えないが,予想以上に容態の変化が速くて後手に回ってしまった場合など,本音が飛び交い,時には辛らつな意見も出る。「この場合には□□をしたほうがよかったかもしれないと思う」などという専門家からのコメントが出ると,ほとんど研修医のうめき声が聞こえるほどである。
 しかし,ただでさえ患者が死亡して落ち込んでいる研修医たちをさらに追い詰めて責めるようなことはしない。あくまでも建設的に,「どこをどうしたらよかったのか」と,「この患者の死を次に生かす」前向きな結論で締めくくられる。MGHを含め多くの教育病院では,内科だけでなく,外科など各科がそれぞれM&Mを行ない,死亡症例の反省としている。
 最近は,生検やMRIなどで生前診断がついている場合がほとんどなため,遺族が(不審死でもない限り)剖検を拒否する場合が増えてきており,どの教育病院でも剖検数が減ってきている。そのため,死亡例でも生前の生検標本だけでM&Mをしたり,退院症例について生検の病理標本などを使って経過の検討を行なうM&Mも増えてきている。“……and the patient was discharged to a rehabilitation center”で終わる,めでたしめでたしのM&Mというわけである。もちろん,途中で何かしら予期しなかった「問題」が起こり,何らかの反省材料を提供してくれるような症例が選ばれるわけであるが。

死亡症例の検討に注がれる情熱

 M&Mはいわば総括の場であるが,実は医学生や研修医たちは毎日,受け持ち患者の画像診断や生検診断については放射線科や病理に熱心に出向いて結果の説明を受けることを繰り返している。正式な報告が口述録音されたりタイプされて書面で届くまで何日か待つような悠長なことは臨床現場では許されない。その日に撮った画像検査の結果はその日のうちに聞きに行くのが鉄則で,MRIであろうと胸の写真1枚であろうと,必ず放射線科医を追いかけ回して口頭でフィルム所見を教えてもらい,その日のカルテに記入する。
 生検の標本は,横着して結果を電話で聞こうとしても「まあ,見においで」と言われるので仕方なく遠い病理棟まで行くと,ほとんどの場合病理医が「よく来た」とばかり双頭顕微鏡で同じスライドを見ながら詳しく説明してくれる。それをメモしてカルテに記入するのである。
 入院費がべらぼうに高い米国では「検査結果待ち」で何日も入院するような無駄は保険会社が許さず,患者も即刻結果を知るのは当然の権利という態度であるが,その陰には結果を求めて病院中を駈け回る研修医の涙ぐましい苦労と,決して結果を待たせない,おそろしく勤勉な放射線科医(研修医も教官も含めて,いつ訪ねてもほとんど一刻も休まずマイク片手に読影の口述録音をしている)や病理医(時間のかかる検体の切り出しや処理,標本読みを毎日夜遅くまでしている)の存在があるのである。
 何よりも,皆が心底結果を知りたがっていることも事実で,その熱心さもすごい。例えば,急死した患者の剖検が今日の夕方行なわれるという連絡が入ると,当直明けでくたくたのはずの研修医がちゃんと病理の部屋に姿を見せており,見回すとチームのほとんどが来ているのであった。そういうわけだから,M&Mの内容は担当チームの皆は先刻ご存じなのである。
 にもかかわらず,皆で症例を共有するために改めてまとめて提示し,徹底的に議論する。「なぜこういう経過をたどったのか」「どこかで違ったやり方をすれば結果は違っていただろうか」結論は,どちらに転んでも苦い。もし助けられたとすると,未熟なために患者を死なせたことになるし,もし避けられない死であったとしても,安堵とともに敗北感が残るからだ。毎週毎週M&Mの準備に費やされている時間と注がれている情熱を思うと,その迫力にはただただ圧倒される。

教育病院の真骨頂

 非公開の場で医者同士が本音をぶつけながら経過を振り返って学んでいくM&Mは,医療のグレイゾーンを少しでも解明しようとする真摯な取り組みと言える。若い研修医たちに,時には苦い思いも味あわせ,しかし教官も同じ土俵で批判を甘んじて受けながら,現場の反省を積み重ねていくM&Mこそが,教育病院の真骨頂と言えるかもしれない。若手を育てるという使命感がなければ,このような場はなかなか成立しないであろうから。
 そして実は,若手を教えると言いながら,ベテラン教官たちもしっかり学んでいるのである。いわば研修医をダシにして,病院全体の医療の質があがっているわけである。
 M&Mをどうして公開しないのか,とはときどき投げかけられる疑問である。患者遺族の立場からすれば,医者は何か隠しているのではないか,失敗を知られたくないのではないか,と勘ぐるのは当然だろうと思われる。診断がつかずに,あるいは予期せぬ形で死亡した場合,すべて医療の失敗なのだとする極端な立場も成立するからだ。
 患者が医療に対してそのような非現実的な期待を肥大化させているようなら,不幸な誤解は避けられまい。それに対しては,医療者は,あくまでも謙虚に誠実に,医療の限界・不確実性を訴え続けるしかない。医学,ましてや医療は全能ではないし,医者は万能ではない。いわんや未熟な研修医をや。その真摯な姿勢が伝われば,M&Mを公開しても誤解は生じないだろう。医師と遺族がM&Mを共有できるようになれば,真に成熟した患者-医師関係と言えるのかもしれない。

:M&Mの討議内容は“peer-review protected(専門家同士の討議内容に関する法的保護)”とされ,医療過誤訴訟などの証拠とされないことが法律で保証され,非公開にすることで医師同士が本音で話し合うことを奨励している。昨年,ABCテレビが米国の臨床教育病院の第1位にランクされたジョンズ・ホプキンズ病院のドキュメンタリーシリーズを放映したが,番組第1回の冒頭に外科M&Mの様子を放映し,全米医療界の度肝を抜いた