医学界新聞

 

フォーレンジック・ナーシングとは何か
――その出会いと日本の看護への応用を考える

米山奈奈子(東海大学健康科学部)


AKKとの出会い

 私は現在,教員の傍ら1986年に設立された「アディクション問題を考える会(以下,AKK)」という市民団体の代表をしている。「アディクション」とは,嗜癖を意味し,自分でやめようとしてもやめられない行動プロセスや人間関係などを含む。代表的な例は,アルコールや薬物依存,摂食障害,ギャンブル依存症などである。なお,近年社会問題化している虐待や暴力(いわゆる,ドメスティック・バイオレンス)の問題もこの範疇に含まれる。AKKは,こうした問題に関して一般市民の啓発を目的とした講演会を開催したり,また会員による電話相談やミーティング(自助グループ)活動などを展開している。
 私がアディクション問題と出会ったのは,保健婦として都内の保健所に勤務している時だった。当時の私は,アディクション問題に関する知識も技術も未熟で,とにかく勉強しなければと焦っていた。アルコール依存症の家族である目前の来談者に,保健婦としてどう対応したらよいかを学ぶのに必死だった。その時にAKKという団体を知り,当時夜間に開催されていた連続講座に参加しはじめた。そこで実践的な知識を得るとともに,多くの回復者本人および家族と出会うことができ,私の世界は広がっていった。そして,アディクション問題に隠れた,夫などからのドメスティック・バイオレンスの被害者となっている女性たちの問題も知り得た。その後,市民団体の仲間たちと,そうした女性のための避難施設(シェルター)を立ち上げていった。
 1980年代には,精神病院においてアルコール専門病棟が増設され,都内の保健所においても酒害相談が設置されはじめた時代で,「アルコール依存症は精神科疾患である」ことが知られるようになった時期でもある。しかし,AKK事務所に寄せられる相談の中には,いまだに「地元の保健所に相談したが,取り合ってもらえなかった」「子どもの虐待のことで相談したら,ひどいことを言われて傷ついた」など,相談体制の整備については地域差や疑問を感じる場合が決して少なくない。

フォーレンジック・ナーシングとの出会い

 そうして,私は精神看護を教える教員になった。現在私は,看護教育の中で人間関係やアディクション問題に触れることにしている。しつこいくらいに,学生に畳みかけているというのが正直なところだ。看護職が患者や疾病理解のためのみならず,ストレスの高い現場でアルコールや薬物乱用,そして人間関係の嗜癖,あるいは燃え尽き症候群に陥らないために,こうした知識は必要不可欠だと思うからである。そんな時,私はある団体を知った。「国際フォーレンジック看護協会」という,1992年にアメリカで設立され,2000年12月現在会員数が世界で1900人余の組織である。
 では,「フォーレンジック看護」(フォーレンジック・ナーシング)とは何か。簡単に言うと,「法医学」の看護版である。ただ,対象は主に生きている人間であること,犯罪などの(法律に関係する)被害者および加害者両方のケアを含むところが「法医学」とは異なる。レイプ,ドメスティック・バイオレンス,傷害事件などでの証拠採取および被害者ケアであり,そして精神障害などで犯罪者となった加害者(日本では「触法患者」と呼ばれる)のケア,患者や被害者のための法廷での証人活動をも含んでいる。欧米では証人活動を専門に行なう看護職も存在すると聞く。
 2000年10月に,カナダで行なわれた国際フォーレンジック看護協会の第7回学術集会に,私は日本人として初めて参加する機会を得た。そこで私は,多くの「仲間たち」と出会って驚喜した。カナダで女性のためのシェルターを作った看護婦,アメリカの大学でフォーレンジック・ナーシングの教育プログラムを立ち上げた看護教員,サウジアラビアの企業で働く看護婦,メキシコの警察で働く看護職など……。彼女たちは,それぞれの国や地域での先駆者であり,看護という仕事を通して新しい社会構築をめざす挑戦者でもあった。

2000年10月にカナダで開かれた「国際フォーレンジック看護協会」学術集会にて。左より,ジェイミー同協会長,筆者,キンバリー同協会秘書

日本では

 日本でも,実は規模は小さいが同様の動きがある。2000年11月に「女性の安全と健康のための支援教育センター」という,市民組織のNPO(特定非営利団体)が法人化のための設立集会を開いた。この団体は,さまざまな分野で,被害にあった女性たちへの支援者を養成し,ネットワークを広めていくことを目的としている。北米では,SANE(セクシャル・アソールト・ナース・イグザミナー;性暴力被害支援看護婦)と呼ばれる性暴力被害者を支援する専門看護婦の養成プログラムを組んでいるが,その体系的な養成講座も今回初めて日本で行なわれた。私はそこで,日本のSANEの立場としてかかわったが,その場では全国から参加した看護職25名の仲間たちと出会うことができた。北米で始まったSANEはFNE(フォーレンジック・ナース・イグザミナー)に含まれるのだが(注:名称としてはSANEが先に開発されたが,FNEとして統一すべきだという議論がある),日本では適当な訳語がなく,また両者ともにまだ普及していないという事情がある。しかし,アディクション問題から始まってフォーレンジック・ナーシングにたどり着いた私は今,確かに「新しい看護ムーブメントの手応え」を感じている。

フォーレンジック・ナーシングとヘルスプロモーション

 こうしたことから私は,21世紀には「フォーレンジック・ナーシング」という用語を広めていきたいと考えている。もしかすると将来,より適当な訳語が見つかるかもしれないが,キーワードは「人権擁護」「アドボカシー」。そして,いささか飛躍するかもしれないが「ヘルスプロモーション」である。先のカナダの集会で,私はイギリスの報告を聞いて大変驚いた。イギリスでは,司法精神科病棟(触法患者のみの精神科病棟)ですら,拘束はほとんど行なわていないとのこと。加えて入院患者を対象に,入院環境の満足度調査を行なっているという内容であった。その結果は,おおむね満足というもので,患者の人権が守られ,看護職が患者のアドボケイトであるということが当たり前に認識されているのである。一方で,日本の触法患者のアメニティはどうなっているのかを考えてみると,入院中は当らず障ずの場合が多いのではないだろうか。では医療刑務所の中ではどうだろうか。また,精神科だけではなく一般科においても,看護者は患者のアドボケイトとして存在できているだろうか……。
 私があえて「ヘルスプロモーション」という用語を述べたのには理由がある。私は保健婦活動によって,「地域における普通の人々の暮らし」から多くのことを学んできた。健康はもちろん保健婦だけが作るのではなく,住民自ら,そしてさまざまな職種の人たちが自分の専門性を活かし,連携して作りあげていくものである。法律の専門家も,教育者も,あるいは政治家も政策策定といった形で「まちの人々の健康」を作っていく必要がある。もちろん,私たちのAKKも民間団体として,アディクション問題からヘルスプロモーションにかかわっていると言えるだろう。
 さらに,多くの場(分野)でヘルスプロモーションを展開していくためには,看護職が施設内にとどまっていてはいけないのではないか(もちろん,これはすべての看護職が施設内外両方で働くべき,ということを意味するのではない)。さらに,看護を取り巻く周辺状況では何が起こっているのかなど,社会の動きに関心を寄せることも重要となるのではないだろうか。
 フォーレンジック・ナーシングでは,法律家や警察との連携が不可欠になる。他職種との連携に応えられる看護職となるためには,21世紀はさらに,看護職の自立と独立が問われる時代になるだろうと,私は考えている。