医学界新聞

 

【連続座談会】

脳を育む(3)成人・老年期

伊藤正男氏理化学研究所
脳科学総合研究
センター所長
西道隆臣氏理化学研究所脳科学総合研究
センター・神経蛋白制御研究
チ-ム・チームリーダー
御子柴克彦氏東京大学教授
医科学研究所
神庭重信氏山梨医科大学教授
精神神経医学
下仲順子氏文京女子大学教授
人間学部
石川春律氏群馬大学教授・解剖学
(『生体の科学』編集委員)


伊藤<司会> 成人期には,脳の能力は安定しているように見えますが,実は,社会や職場,あるいは家庭の中で絶えず生涯学習が続いています。また高齢者になって,生活のスタイルを変える場合が普通になってきました。人の一生は脳を育む営みの連続とも言えます。今回は,高齢者の知能,情動の問題から,アルツハイマー病,神経細胞の増殖,移植などの問題を俎上に論じていただきましょう。

結晶性知能と流動性知能

伊藤 「高齢者は弱者である」という従来の概念は変わってきました。具体的にどのような点でしょうか。
下仲 平成12年の厚生省の『厚生白書』では,高齢者は弱者ではないことをキャッチフレーズにあげ,これからは健康な高齢者が増えると謳っています。私は東京都老人総合研究所で長年高齢者の,まさに健康な高齢者の正常な老化,特に心理面について調べてきました。今までは,すべての能力が高齢期では,加齢ととも悪くなる,negativeなdeclineと言われていました。
 しかし,高齢化社会になって老人が多くなり,長生きで元気な人が増えてくると,単一な生物学的な曲線では心理学的曲線は説明できなくなってきました。老年心理学者の反省も込めて,これまでの結果の見直しが研究されてきました。最近では高齢になっても維持される能力,あるいは正常老化として落ちる能力,といったさまざまな側面から高齢化が研究されています。そこで,知能というのは,高齢になっても落ちないことが結論づけられました。
伊藤 知能にもいろいろありますよね。
下仲 一般的には「結晶性知能」と「流動性知能」に大別します。結晶性知能は,教育や社会的な訓練といった経験を通して育まれるもので,常識や判断力,理解力など今まで習得した知識や経験の積み重ねから育まれる能力です。ピークは60歳くらいで,それから少しずつ落ちますが,例えば80歳代になって25歳の人と同じレベルに落ちるという程度で,知能の低下とは違います。経験をもとにした豊かな知能,言い換えると賢さ,知恵の源になる能力です。
 流動性知能は,新しいものを学習したり,新しい環境に適応する能力です。結晶性知能と異なり,学校教育や社会経験は役に立ちません。この能力は,加齢とともに脳の器質的な障害にも影響されると言われます。この能力には,生まれつきの得手,不得手が作用します。この能力は30歳代がピークで,成人期以降まで続きますがほぼ60歳頃から低下します。その程度は,結晶性知能よりは速いです。高齢になってコンピュータを習うのが大変なのは,流動性知能を使っているからです。
 しかし,流動性知能が落ちても,補完作用として,結晶性知能が補ってくれるので,日常生活においてそれほど知能の低下が問題にはならないと結論づけられています。
伊藤 脳科学で言う「認知学習」と「手続き学習」に対応するのですか。
下仲 流動性知能は,多分に情報処理能力が影響し,記憶も関係するかもしれません。
伊藤 昔から歳をとった人を賢者と称しておりますからね。
下仲 老年心理学では最近,高齢者の賢さが注目され,本格的な研究が始まりました。
神庭 高齢者になると情動が安定してくる。穏やかになって,価値観が変わる。前に受け入れられなかったことを思い返して,受け入れられるようになってくる。そういうことも1つの賢さ,円熟ということにつながるでしょうね。
下仲 25歳から90歳の人を対象に不安の調査をしましたが,やはり高齢者のほうが低いです。感受性,繊細さも65歳から80歳代の人に10年間,ロールシャッハテストで追いかけましたら,加齢とともに少しずつは落ちてきます。だからといって,高齢になって感動が鈍麻になるわけではありません。一方ではものごとや,状況を的確に判断して行動する能力は落ちません。ですから,自分をコントロールして正しい行動をする能力は維持されていますから,それが補完します。若い頃はすべてのことに感激したり,悲しみに涙したけれども,少々のことで動揺しなくなり,ゆったりと現実を受け入れられるようになる。そういう変化が示されました。
伊藤 高齢者というのは,何歳くらいを考えておられるのですか。
下仲 法律上は65歳ですが,老年学では65歳から74歳の方をyoung-old(前期高齢者),そして75歳から84歳までをold-old(後期高齢者)と言います。老年期が長くなったので,65歳以上の人を十把一からげに老人とは言えなくなったのです。つまり,70歳代の人と80歳代の人では心身の機能の老化のレベルが違うからです。
 「人生50年」の時代には,young-oldという世代はありませんでした。ところが,高齢化とともにその世代が現れて,非常に若く元気で体力もあるし,経済的な面も安定している。社会や家族に対する責任も少なくなって,さまざまなオプションを選択できる時期でもあります。仕事をしたいと思えばできるし,早くやめて自分の好きなこともできる。そういうライフスタイルを持てる世代と位置づけられます。最近は100歳老人のような元気なスーパー級の生き残り(surviver)世代が増えています。85歳以上の人はextremely-old,あるいはoldest-oldと分類されています。

  

 

知能の測定

石川 知能が「結晶性」と「流動性」に分けられるということですが,ある程度定量化できるものでしょうか。個人差も当然あるわけですので。
下仲 高齢期は,まさに個人差の時期です。しかし,一般的なものはやはりあるツールと尺度を用いて大量のデータの平均値を出さないとわかりません。知能に関しては,一番よく使われているWAISという知能検査を用いて測定された結果です。
西道 個人を縦断的に見てもそうですか。
下仲 いろいろな年齢層をとって,同じツールで測定して年齢差をみる横断研究が,1960年代は一般的でした。発達的にみようとしたら縦断法ですが,欠点があります。特に長期になると,調査に協力してくださる方が途中で亡くなったり,拒否されたりして減ってきます。そうすると,最後まで調査に協力してくださった方は,健康で知能も高く,要するに優秀な老人です。selective attrition(選択的減少)と言うのですが,対象者がアトランダムに落ちていくのではなく,よい人が残ってしまう。もちろん練習効果も起こりますけれども,知能が上がっていくことになります。最近は,横断法と縦断法をミックスしたcross sequencial method(系列法)という新しい方法が用いられています。先ほどの高齢期の知能の結果は,その方法によるものです。
御子柴 その方法は外国で作られたもので,生活パターンが日本とだいぶ違います。それでもあてはまるのは,日本人がかなり外国の生活パターンに変わってきたからだと考えてよいのですか。ものの考え方や価値観などの問題が合致してないと,定量化ができないのではないかと思いますが。
下仲 知能検査は,知能の中でも収束的な知能を測定しています。つまり,この質問に対して唯一正しい答えを述べるというのが知能検査です。先生のおっしゃるような価値観や個人の独自性というのは,拡散的な思考パターンと言えます。
御子柴 感情を除外するわけですね。

感情・創造性・空想力・記憶力

下仲 そうです。IQは知能検査ですが,EQ(emotional quotient)テストがあります。創造性や知恵,問題解決能力,そういったものが拡散的思考パターンから出てくるのです。最近は,高齢期でも創造性がどう開花するのかという研究が外国でも行なわれています。
伊藤 創造性はどのように測るのですか。
下仲 創造性の心理テストがあります。子供はどのように創造性を発達させていくのかという検査もありますし,大人の創造性が維持されているか,あるいはどういう創造性能力が高くなるか,低くなるかを測定する検査があります。
御子柴 創造性は若い時しかないという考え方がありますが,高齢者にも別の創造性があると感じます。物理化学では若い時がよいでしょうが,特に生物学では年取ってから,知識を十分に蓄えた後での発見ということが少なくありません。使っている脳の場所が違っているかもしれません。
下仲 25歳から90歳までの人を対象に創造性を測定しました。創造的な知能には教育年数が相関率でいうと0.4くらい影響します。今の若い人と老人を比較した場合,どうしても教育年数が高齢者では低いので,教育年数をコントロールしないで,平均値で出すと老人は悪くなりますが,教育年数をコントロールしますと,若い人と同じように創造性は維持されていました。
 しかし,創造性を応用力,生産力,空想力の側面から測定した場合,空想力は下がりますが,応用力や生産力は維持されているという結果が出ています。ですから,高齢者だからと言って趣味の世界だけに生きるのではなく,生産的な仕事にもまだ従事できる能力があると思います。生産力が若い人と変わらないのであれば,高齢者の方も社会の中で若い人をサポートする形で仕事に従事できると思うのですが。
御子柴 空想力が少ないというよりも,やはり現実の生活のいろいろなプレッシャーがかかっているから,そう簡単に空想できないということが問題かもしれませんね。
神庭 自分のことを考えても,空想力が一番あったのは子供の頃,せいぜい小学校までです。だんだんと現実的になってしまう。
石川 2つの知能がお互いに補完して,知能全体をより高く保つのはよいけれども,逆に空想力を抑える面も出てきませんか。
下仲 まだ見ていませんけれども,3者間の相関を見ると,出てくると思います。
伊藤 記憶力はどうですか。
下仲 アメリカの老年心理学で今一番行なわれているのは記憶の研究です。記憶の生涯発達についてはわからないところがたくさんあります。一般的には記憶のメカニズムを感覚記憶,短期記憶,長期記憶にわけて考えます。感覚記憶は五感から入るもので,あっという間に消えてしまいます。その中でちょっと気にとめたものが短期記憶に入るわけです。例えば,電話をかけている間は電話番号を覚えているけれども,終わったら忘れてしまうのは,感覚記憶から短期記憶に入ったけれども,注意しないので消えてしまう。しかし,何回も電話をかけると,番号が頭に入ってしまう。それが長期記憶に入ったと考えるのです。長期記憶は記憶の貯蔵庫と言われまして,いくらでも入りますし,長期に保存もできます。
 高齢になりますと,短期記憶は落ちやすいと言われています。これは生理的な老化として注意を集中する,あるいは注意を分散する能力が少しずつ落ちてきて,注意を集中できないせいだと言われますが,最近の実験ではそうではないという結果もあります。まだ結論は出ていません。お年寄りは昔のことをよく覚えていると言いますが,それは長期記憶によるものです。かつては,記憶は加齢とともに落ちると考えられていましたが,もう少しすれば結論が出ると思います。

老年者のうつ

伊藤 老年期のうつ病は大きな問題です。
神庭 臨床的に見ても,ドラスティックな変化はうつを招く率が高いように思います。一般的に,若い方のうつ病はどちらかというと遺伝的な影響が濃く,家族性も多いですが,お年寄りの場合は原因はさまざまです。うつ病の発症年齢のピークは30歳代に1つ山があり,それから減少し,50-60歳代に第2の小さな山を迎えます。この時にブルトンが観察したように,心理的な要因としては,社会的な役割を急に失ってしまうことが多いと思います。
 ちなみにうつ病というのは,それほど特殊な状態ではなく,軽いものも入れると,一生の間に罹るリスクは20%にのぼると言われています。特に高齢者の場合は,遺伝的と言うより,誰もがなり得る状態と捉えて対応していく必要があると思います。
伊藤 原因は何でしょうか。
神庭 生物学的な原因として大きいのは,脳の加齢化ではないかと思います。多発性,無症候性の脳梗塞に伴って,うつ状態が現れやすい。高齢者のうつ病は若い人に比べて治りにくく,脳血流の測定結果でも,若い人では変化が見られます。また前頭葉領域の血流が落ちています。これは治癒すると元に戻る一時的な現象ですが,脳の老化と関連しているのかもしれません。
御子柴 ある時期によくなるとおっしゃいましたが,生活環境がかなり影響しているということですか。
神庭 社会的環境が負の方向へ変わることが,若い人よりも脳機能に影響を与えるのかもしれません。
西道 微小梗塞が原因の人と,そうでない人では異なる可能性があるでしょう。
神庭 脳血管性のうつ病と言われますが,はっきりとした神経症状として現れないような微小な脳梗塞が多発している場合に,意欲や気分の低下とかいうような,うつ病に似た状態が生じ,一般的なうつ病の治療に反応しにくいと言われています。
伊藤 遺伝素因でないとすると,社会環境を整えればかなり防げるわけですね。
神庭 そう思いますが,ひと言付け加えますと,昔からお年寄りは多少元気がなくても当たり前だと見られていて,うつ病になっているにもかかわらず見過ごされている場合が多いのではないでしょうか。その結果,脳の老化をさらにうつ病が促進してしまう可能性もあると考えています。
伊藤 社会的な要因もあるでしょうね。
神庭 最近感じることですが,お年寄りを楽にさせることは,実は役割を奪っているという面もあると思います。昔は大家系で生活していて,畑に出たり,子供を育てたり,それなりの年齢に伴った社会的役割を与えられていました。最近は核家族化で,老人夫婦と若い世代とが分かれて暮らす。同居していても精神的には距離ができている。これなども知らぬうちに役割を奪い,それがうつ病の原因になるとともに,うつ病が見過ごされる原因でもある,ということも考えられるのではないでしょうか。
西道 栄養状態は関係ないですか。
神庭 老人のうつ病は食べられなくなります。体重が低下して,栄養状態が悪化しまし,脱水状態を起こしまして,救急外来に担ぎ込まれるような形で私たちのところを受診する方も少なくないです。
石川 意欲が低下することとうつ病との関係はどうですか。社会的役割が奪われることで意欲がなくなる。それがうつ病に進んでいくと考えてよろしいですか。
神庭 意欲がなくなるよりも,することがなくなることが先にあるように思います。

人生100年の時代

石川 かつての「人生50年」の時代では,それを超えると急に老けてしまいました。まさに社会が作っているような感じです。
下仲 人生50年の頃は定年が55歳ですから,平均年齢よりも長く勤めていることになるわけです。定年になったら名実ともに老人になって,すぐ亡くなられたから,痴呆になる機会もなかった。高齢者の特徴の1つは,年をとると頑固になることだと言われます。また,抑うつ的,心気的になるのが老人の特徴と言われていましたが,今はそれを否定するデータが出ています。
伊藤 「人生100年」の時代になると,仕事が生き甲斐という風潮も変わらないといけないですね。
神庭 最近は,仕事人間などばからしい,と考える人も増えているようです。会社でも定年前の準備教育が導入されてきています。生き甲斐に対する価値意識が変わってきたという気がします。
下仲 うつ病は男女差はないのですか。
神庭 一般論ですが,女性のほうが2倍だと言われています。しかし,諸説があってまだ決着はついていません。
下仲 高齢者の自殺者は,男性より女性が多い。そして,女性でも家族と住んでいる人が多い。家族の中での孤立感,疎外感が追い詰めていくと解釈されています。
神庭 同居していながら精神的に孤立している状態のほうが,むしろ辛いのではないかと思います。物理的な距離があっても,精神的に近いほうがまだよいのでしょう。
下仲 普通は男性の方が先に亡くなりますから,女性は家族や子供たちと同居する。しかし,一緒に住んでいながら,疎外感の中で苦しんでいるケースが多いです。
神庭 先ほども言いました,食べられなくなって,衰弱しても家族がぎりぎりになるまで気づかず,救急外来に連れてくるケースなども同様ではないかと思います。

アルツハイマー病

伊藤 次に,アルツハイマー病の話題に移りましょう。この分野の研究は最近かなり進みましたね。
西道 かつては特殊な病気でしたが,「正常な老化の延長上にあるのではないか」という認識に変わりつつあります。
 実際には混合型が多く,厳密な区別は難しいですが,痴呆症は「血管性」と「アルツハイマー病」に大別されます。前者は血管の老化を防ぐことで予防がある程度は可能ですが,後者は予防法も実質的治療法もないのが現状です。
 アルツハイマー病の研究は70年代までは病理学的研究が中心でしたが,その後,80年代に病理生化学の仕事が進み,物質レベルの研究が可能になりました。さらに,90年代に入って家族性アルツハイマー病の原因遺伝子の同定と解析が進み,分子レベルの理解が進みました。厳密な意味での家族性アルツハイマー病は,おそらく1%以下ですが,孤発性よりも因果関係を検討しやすいので詳しく調べられました。
伊藤 病因は確定したのですか。
西道 厳密な意味での確定はしていませんが,おそらくβアミロイドという蛋白質が脳に溜まることが原因と考えられます。脳の中に蛋白質が溜まってできる痴呆症は他にもあります。プリオン病もそうですし,ブリティッシュアミロイドという新しいアミロイドーシスが最近見つかりました。いずれも遺伝子の変異で溜まるもので,脳の中にごみが溜まることが共通しています。
 孤発性のアルツハイマー病を調べますと,個人差が大きく,正常な人でも早い人は40歳代から脳にアミロイドが溜まり始めます。一般的には40-60歳代くらいで溜まり始め,それが顕著になるのが70歳代から100歳にかけてです。おそらく90歳でアミロイドがまったく溜まっていない人はほとんどいないだろうと言われています。つまり老化の過程で溜まってくる。その時にアミロイドの蓄積や,その他の因子で脳の寿命が決まってくると思います。脳の寿命と体の寿命の相対的な関係で発症が決定すると考えられています。
伊藤 遺伝性とどう違うのですか。
西道 原因遺伝子のある人は,早い方は20歳代,遅い方は60歳代で発症します。遺伝子があれば必ず発症する優性遺伝ですが,おそらくアミロイド蓄積が普通の人の2-3倍に加速されたためで,結果的にすべての人が発症するという考え方です。
伊藤 どうすれば防げるでしょうか。
西道 アミロイドの産生を抑制する方法と,分解を促進する方法があります。今後5年ほどで大まかな目途が立つのではないかと予測されています。ただ,老化と関係する治療や予防は,薬剤を使う場合ですと長期投与になるので,副作用が課題になります。薬に関しては,もう少し時間がかかるのではないかと思います。
伊藤 環境要因はないのですか。
西道 あると思います。ハンチントン病のモデルでは,マウスをよい飼育環境と悪い環境においた場合,前者のほうが病気の進行が遅い。よい環境とは水や餌,運動道具があることですから,頭や体を使うことが大事だということはわかっています。
石川 どのような薬剤が考えられているのですか。
西道 アミロイドは幼児期から定常的に作られています。従って,それを抑える薬剤,除去する薬剤,また溜まった後に細胞が死ぬまでにいくつかあるステップの進展を止める薬剤,という3種類の観点から研究が進んでいます。
御子柴 基本的には,沈着したものが起こしていたということになりそうです。
西道 はい。ただ,病理学的に老人斑として蓄積したものは墓石のようなもので,本質的なものの影ではないかという考え方があります。つまり,老人斑は脳内に溜まってきた邪魔者を固めるためのゴミ箱であって,それ自体が破壊者ではないという考えです。ゴミ箱には容量がありますので,それを超えた時点で,脳全体の邪魔者が急激に増えて,状況が悪化するわけです。老人斑にアミロイドが溜まり始めて,実際に発症するのは10-20年,という時間的なギャップがありますが,これはこのような考えで説明できるのだろうと思います。
石川 アルツハイマー病は細胞死ということで説明できるわけですか。それとももっと別の要因もあるのですか。
西道 細胞死が原因である可能性と,結果である可能性を考えておく必要があります。プリオン病は本当は神経細胞の機能低下が原因で,細胞死というのは働かなくなった細胞をきれいに片づけるためのメカニズムではないかとの考えがあります。ですから,この場合は細胞死を抑えても,そこでは本当の作用点ではなくて,その前の神経細胞の機能が低下するところを止める方が大事だということになります。
 細胞死のメカニズムには,アポトーシスとネクローシスの2種類がありますが,そこを止めてよくなる病気と,止めてもよくならない病気があります。特にアポトーシスは,その後の炎症反応を抑えるメカニズムですから,アポトーシスを抑えるとネクローシスが起こる。結果的に炎症反応が起こり,むしろ状況が悪くなる可能性もあります。ですから,アルツハイマー病に関しては,非常に緩やかに細胞死が起こる現象ですので,アポトーシスなのかネクローシスなのか,まだ確定していません。それは今後の問題だと思います。

痴呆の問題

伊藤 アルツハイマー病のデータに関してはいかがでしょうか。
西道 データとしては,100歳老人の9割くらいが痴呆,あるいは痴呆に近い状態であることになっています。その大半がアルツハイマー病だろうと思います。
下仲 最近は,100歳でも元気で,かつ頭もしっかりしている方が多くなってきた印象がありますが,どうでしょう。
西道 元気な100歳老人の総数は増えていますが,比率としてはあまり変わらないと思います。もちろん,生活環境や栄養状態の影響があるかもしれませんが,一般的に日本は欧米よりもアルツハイマー病の比率は低いと言われています。
石川 健常人の脳機能の低下は,細胞の減少が原因だと言われていますが,どのようなカーブを描くのでしょうか。
西道 脳の細胞は成人以降,徐々に減少しますが,アルツハイマー病では脳が萎縮するほどに顕著に神経細胞が減少しています。ですから,神経細胞死は正常な老化の範囲内での機能低下の主要な原因ではないと思います。また,最近アルツハイマー病の前段階として,認知能力の低下(MCI:Mild Cognitive Impairment)が注目されています。これは,社会的に大丈夫ですが,かなり脳の機能が落ちた状態で,痴呆状態に移行する可能性の高い状態です。この状態では,おそらく顕著な神経細胞死はまだ進行しておらず,アミロイドなどが溜まってきて機能が低下していると思います。
 例えばパーキンソン病の方は,アルツハイマー病になるリスクが他の方よりも5倍から10倍くらい高いです。いろいろな病気がオーバーラップしているのでしょう。先ほど言いました微小梗塞があって,アミロイドもある方はかなり多いです。ですから,厳密な意味で分けるのは困難だと思います。
御子柴 昔は症候群とよく言いましたが,もしかしたらアルツハイマー症候群という捉え方もできるのでしょうか。
西道 病理学的には定義がはっきりしていますから,アルツハイマー病でよいと思いますが,いくつかの病理的な状態を合わせて持っている方の場合は,症候群と言ったほうが正確かもしれません。
伊藤 以前NIHで測ったデータでは,20歳を過ぎると脳の神経細胞の数がだんだんと減ってきて,300年経つとゼロになるような直線に乗り,それでグリア細胞が逆に増えてくるそうです。
石川 確実に神経細胞の数は加齢的に減っていく。ただ,機能は総合的には,いろいろな面で補っていくので,機能の測定という面は別として,細胞数としては減っていくと言ってよろしいのですか。
伊藤 オックスフォード大学のスミス博士がアルツハイマー病の患者の海馬の厚さを系統的に測った結果では,アルツハイマー病になると海馬の厚さが急に減少する。少しずつ減っていたのが,ストンと落ちてぼけてくるそうです。
石川 緩やかなら,ネットワークの組み替えなどで,代償的な対応ができるのですね。
西道 細胞死が原因か結果かというのは,非常に難しいところです。例えばプリオン病の場合,発症の時点では脳の萎縮がなくて,寝たきりで亡くなる直前にかなり萎縮すると言われます。おそらく細胞死は,ある部分では原因であり,ある部分では結果であるというところだと思います。
伊藤 その前に何か機能異常を起こしているのでしょうね。
西道 そうだと思います。軸索やシナプスの異常がかなりあるのでしょう。

神経細胞の増殖と移植

伊藤 次に,神経細胞は増えるかという問題に移ります。最近は「神経細胞は継ぎ足している」と考えられていますね。
御子柴 従来は,神経細胞は増えないと言われていました。特に脳の中では,神経細胞は1度分裂したら絶対に増えない。ただ,嗅球だけは例外で分裂する。グリア細胞がいろいろな形で外傷を起こしたり,何かの状況に応じて増えて間を埋めたり,機能を代償したりすると考えられていました。
 しかし,最近は神経細胞,あるいは将来神経細胞になると思われる細胞も,ある条件では増えるのではないかという考え方が出てきました。この種の研究は日本にはほとんどないと言われていましたが,実はかなり重要な研究が日本から発信されています。京都府立医科大学にいらした藤田晢也先生が,脳の脳室細胞にマトリックス細胞というものがあって,それが分裂してエレベーター運動をする。「エレベーター運動」も「マトリックス細胞」も,藤田先生が名付けられました。実は,現在脳の幹細胞(stem cell)と言われているものが,実はマトリックス細胞だと考えられています。昔からマトリックス細胞説を提唱されていて,それと独立にまったく新しい幹細胞という考えが出てきて,また藤田先生の考え方が現実化してきていると私は理解しています。これに対して外国では,グリア細胞が最初に作られ,そのグリア細胞の線維を辿ってニューロンが移動するという考えですが,これから学問的に結着するでしょう。
伊藤 脳の幹細胞はどこにあるのですか。
御子柴 脳室壁に,分裂できる能力を持った細胞としてあります。その細胞が刺激を受けると,もう1度増える。最初にradial glia fiberがあると言うのですが,もしかするとマトリックス細胞のradial fiberで,グリアではないと思います。
 それから神経細胞ができ,その後にグリア細胞ができます。大人の脳室にそういう幹細胞がある。現在,それをうまくラベルすることによって,必要に応じて分離して取り出すことが可能になってきています。分離した幹細胞を処理して戻せば,もう1回分裂をスタートするということです。これはネズミの実験ですが,私たちの考え方を根底から変えるインパクトがあります。
 細胞を刺激すると出てくる神経伝達物質は,情報を伝えるだけでなく,栄養因子として働いています。だから,頭を使えば使うほど,次の細胞に対して栄養因子が出るので,回路が強固になって,もしかしたら細胞が増えるかもしれません。その辺は実験で確かめる必要があります。
伊藤 神経細胞を脳に移植する「細胞治療」の幅も広がりますね。
御子柴 倫理的な問題をクリアしなければいけませんが,脳に障害を受けた方に対しても,脳室の細胞を少し採って増やして,もう1回入れてやれば治療になります。
伊藤 細胞移植に使うのは幹細胞に限るわけではないですね。
御子柴 パーキンソン病ではアデノウイルスべクターを使って,チロシン,ハイドロキシレースを入れた別の細胞を,実験的に作ったラットのパーキンソン病の脳に入れると少々よくなります。そういう形でうまく神経幹細胞を使えば,完全に脳の組織として同化してしまう。今後はそういう方法で,老化した脳を治していくことが可能になります。
石川 障害されたところに周りから動いてきて埋めるわけですか。
御子柴 突然変異の動物に,別の個体からとった細胞を移植すると一緒に動くという意味です。
伊藤 別の細胞を入れると,心に影響する恐れはありますね。
御子柴 今まで経験されて蓄積された「知識」を,新しく移植した幹細胞で取り戻し得るかどうかという問題が出てきます。
 しかし,外から入れた細胞は,非常に巧妙に以前からある細胞の中に入り込みます。例えば,プルキンエ細胞が死んでいくミュータントマウスの小脳の中に,若いプルキンエ細胞を入れますと,前からあるプルキンエ細胞の位置に移動していきます。神経回路網の働きを回復する可能性があるのではないかと思います。ただし先ほど言いました「知識」という点では,学習の記憶により蓄積された情報,例えば学習によって得た可塑的なシナプス回路の情報は,幹細胞を使った場合は,もう1度学習し直さなければいけないでしょう。
石川 何か方向が見えてきた感じがします。幹細胞は年齢に関わらずずっと存在し得るということですね。
御子柴 そうです。

神経系と内分泌系

御子柴 脳の発達や老化の問題に関して,大事なことは神経系と内分泌系の関係です。従来,生体の調節系をこの2つに分けて考えてきました。独断と偏見かもしれませんが,脳神経系は内分泌器官であると言ってもよいと思います。ニューロンの中にもパラニューロンというものがあります。あれは内分泌細胞と言ってよいでしょう。
 脳の中でもdiuretic hormone,尿崩症を起こさせないためのホルモンを分泌する細胞は,完全に内分泌ニューロンです。現在,内分泌系と神経系は完全に同じコンセプトの中に入り,しかも神経特有と考えられていた情報伝達物質の放出のメカニズムに使われている分子群は,内分泌系の開口放出に使われている分子とまったく同じです。閉口放出についてみると,神経細胞では突起が伸びることのみが強調されて,そこで伝達物質を出している。それだけの違いしかないとも言えます。
伊藤 高齢者の知能と結びつきますか。
御子柴 環境から刺激を受けると内分泌系が動きます。内分泌系は神経系に影響しています。神経系はまた分泌ホルモンを出しますから,それが回り回って自己回帰的に自分を活性化する。だからこそ,老化しても神経細胞が活性化している。高齢化によって神経細胞が少し減っても,自分自身を活性化しながら,十分に働き得るのではないか。そういうことがあり得ると思います。
石川 神経細胞を1つの内分泌細胞と捉えることは大事です。脳を働かすことが脳自体にも,また体全体に対しても大きな影響を与えることになりますと,やはり脳を積極的に使わないといけないわけですね。
御子柴 環境を整えることによって,細胞を刺激できます。癌に関する免疫の研究でも,気持ちの持ちようでずいぶん変わるという話があります。よい気持ちになると,脳細胞が活性化されます。そのターゲットから伝達物質が放出されますから,さらに下流が広がって,多くの細胞が活性化されることになります。その末端には内分泌器官があるし,免疫系がありますから,当然活性化されることになります。生活環境を変えることで,脳の働きだけでなく体全体を活性化することもできるでしょう。そういう意味では,ただ狭い頭蓋の中ではなく,体からも脳を支えるいると思います。
石川 お年寄りがベッドに縛りつけられてしまうと,みるみるうちに痴呆的になります。体と脳は別々に考えられないですね。
神庭 お年寄りは入院しただけで,たちまち老化が進んでしまうこともあります。
西道 発生過程では活動性に依存した生き残りの過程があります。それとある程度共通すると考えてよいでしょう。そういう意味では,生涯教育ということですね。
下仲 アルツハイマー病の方に,私たちは毎週,グループセラピーを行なっていますが,顔つきも変わりますし,積極的に参加する意欲が出てくる人もいます。
御子柴 ふだんの生活でわれわれが使っている脳細胞は,ほんの一部にすぎません。ですから,たとえ老化して減っても,本質的に使っている部分が維持されていればまったく問題はないと思います。

高齢者の価値観と生き甲斐

伊藤 最初に下仲先生が,知能に関して「流動性知能が落ちても,結晶性知能が補完する」とおっしゃいました。また,神庭先生が,「高齢者の情動は安定する」と言われましたが,そういうことを脳科学で説明できるようになって,治療や予防の対策が立てられるとよいと思います。
 ところで,生き甲斐の問題はどうでしょうか。これは人生観にも関わってきます。仕事が生き甲斐というライフ・スタイルは,もうすでに古く,むしろ早く引退して,好きなことをしたいという人が結構増えていますね。
御子柴 何が本当の価値なのかということを見直す必要があるかもしれませんね。
神庭 若い時から多様な価値観を持って,柔軟に生きていく姿勢が個人に求められますし,社会もそれを受け入れるシステムを作る必要があると思います。
石川 身体一般に関しては生活習慣病というものがありますが,脳について生活習慣病的なものがあるのでしょうか。そういう捉え方もしないといけないと思います。脳だけを離して捉えている面があるような気がします。身体との相関関係をもっと考えるべきではないでしょうか。
西道 活動と代謝はきれいに相関していると思います。考慮すべきことがあるとしたら,活性酸素や過酸化物の問題です。少なくとも血管に関しては,過酸化物は老化を誘導するファクターですので,アクティビティを上げながら,体内の過酸化物を過剰に出さないという工夫は必要だろうと思います。おそらく脳に関しても同じことがあるのではないかと思います。
御子柴 今後は「お年寄りになったら,静かにする」という一般通念を変える必要があると思います。脳と体は切っても切れない。神経系による制御にしても,内分泌系も血液循環としてすべてつながっています。ですから,「年とってきたら,活発に動きましょう,働きましょう」というように転換すべきでしょう(笑)。
 動けば確かに疲れますけれども,血液循環がよくなります。昔から言っているように,「血の巡りがよい」という意味は,「頭がよい」ということです。簡単に言えば,血液循環と脳の働きが関係している。脳の循環を調べてみますと,働いている場所と血液循環の場所は完全に一致しています。年を取ったからといって動かなくなるのではなく,「度をわきまえて,若い人と同じように活発に動きましょう」ということになるのではないでしょうか。
伊藤 それがold-oldくらいまでは適応できるでしょうが,extremely-oldになってしまうと,追いつかなくなってくる(笑)。
御子柴 それはそれなりにいろいろ活動が ありますから。
下仲 oldest-oldの方は,まさに土台が元気で,気も人一倍強いし,ストレスは絶対に自分でためないような行動をする。100歳の方を調査しますと実感しますね。
伊藤 脳科学を挺子(てこ)にして,高齢社会にこれからどう対処すべきかという方向がみえてきました。
 今日は長時間にわたって,大変興味深いお話をたくさん聞かせていただきまして,ありがとうございました。
(全3回おわり)

 この座談会は,雑誌『生体の科学』で企画された「連続座談会:脳を育む(全3回)」のうち,「(3)成人・老年期」を医学界新聞編集室で再構成したものです。なお,全3回の全文は同誌第52巻1号に掲載されます。
[週刊医学界新聞編集室]

連続座談会「脳を育む」<全3回>の構成と出席者

(1)幼児・小児期(第2423号に掲載)
大津由紀雄氏(慶應義塾大学教授・言語文化研究所)
小泉英明氏(日立製作所基礎研究所長)
小西行郎氏(埼玉医科大学教授・小児科)
繁下和雄氏(国立音楽大学副学長)
藤田道也氏(浜松医科大学名誉教授<『生体の科学』編集委員>)

(2)少年・青年期(第2424号に掲載)
坪井 俊氏(東京大学教授・数理科学研究科)
三國雅彦氏(群馬大学教授・神経精神科)
森 浩一氏(国立身体障害者リハビリテーションセンター研究所・感覚機能系障害研究室長)
渡辺義文氏(山口大学教授・神経精神科)
野々村禎昭氏(東京大学名誉教授<『生体の科学』編集委員>)