医学界新聞

 

【特別編集】

医学・医療研究と個人情報保護

「個人情報保護法」の法制化をめぐって

田中平三氏
(東京医歯大難治疾患研教授・
社会医学研究部門)=司会
中村紀夫氏
(慈恵医大名誉教授)
堀部政男氏
(中央大教授・法学部)
水嶋春朔氏
(東大医学教育国際協力研究
センター)
矢崎義雄氏
(国立国際医療センター総長)


個人情報の保護とは

まもなく個人情報保護法が法制化される

田中 本日は,「医療・医学研究と個人情報保護」をテーマに,先生方に本音のお話をしていただきたいと思います。
 今年3月には,幅広い範囲に適用される「個人情報保護法」が国会へ提出される予定です。この法案が成立した場合には,この法の下に人を対象とした医学研究を進めていくことになります。昨年10月に内閣の情報通信技術(IT)戦略本部(昨年7月まで情報通信社会推進本部)の法制化専門委員会で検討された「個人情報保護基本法制に関する大綱」が決定され,ホームページ(後述)で公開されております。
 本日は,この法により医学・医療領域ではどのような影響を受けるのか,どのように医学研究の発展と個人情報の保護との調和を図っていくのかをお話しいただきたいと思います。
 まず,情報通信技術(IT)戦略本部の個人情報保護検討部会で座長を務められた堀部先生に今回の「個人情報保護法」について,その成立の背景などを解説いただきたいと思います。堀部先生は,個人情報保護に関するわが国の第一人者です。
堀部 1960年代からコンピュータ化が進む中で,個人情報がコンピュータ処理されるようになり,そこで法律関係の研究者間で,特にアメリカを中心に,個人情報のコンピュータ処理をプライバシー保護の観点から論じるようになってきました。しかし,一般的にはアメリカは情報に関して,“free flow information=情報の自由な流れ”を主張し,一方,ヨーロッパ側は“protection=保護”を強調しました。この両者の対立をどう調整するのかが,国際機関に持ち込まれました。OECD(経済協力開発機構)がこの問題について関心を示して,1978年から検討を始め,1980年に「プライバシー保護と個人データの国際流通についてのガイドライン」(この中にOECD8原則が定められている)を採択することになり,これが80-90年代の各国の立法の指針にもなります。このような国内外における個人情報保護の検討の流れを,表1に記します。

日本における個人情報保護検討の動向

堀部 日本においては,1980年に当時の行政管理庁(現:総務省)が立法化を検討し,82年に「個人データの処理に伴うプライバシー保護対策」という報告書をまとめました。
 一方で,臨時行政調査会では行政がもっている個人情報がきちんと保護されることで国民の信頼を得るべきだという観点から,行政改革の一環として論じられるようになります。それに基づいてできたのが,「行政機関の保有する電子計算機処理に係る個人情報の保護に関する法律」です。
 そうした中で,90年7月にEUで,個人データ保護についての理事会指令提案が採択され,「十分なレベルの保護措置を取っていない国には,個人情報,個人データを移転してはならないという規定を,各国の法律に設けるべきである」としました。当時,日本の状況を考えて,「これは大変なことになる」と思ったものです。
 このような国際的な動向の中で,日本の民間についての検討は80年代半ばから始まり,大蔵省の関連では財団法人金融情報システムセンターが,さらに通産省,郵政省と相次いで指針を示して,民間で対応することになりました。
 90年代に入り,情報化を一層進めるために,94年には高度情報通信社会推進本部が設置され,昨年7月に情報通信技術(IT)戦略本部に名称変更されました。他方,国会では,住民基本台帳法の審議が進み,そこで多くの議員から「包括的な個人情報保護法が必要」という指摘があり,また,新聞の社説でも同様の論調で論議されてきました。
 そして,99年に故小渕総理が,民間部門も対象とした法整備を含む個人情報保護システムについて検討することを国会で答弁いたします。それを受けて,先ほどの高度情報通信社会推進本部に個人情報保護検討部会ができ,私は座長として参加いたしました。そして10月に座長私案を提出し,了承を得て,それを文章化したものが「我が国における個人情報保護システムの在り方について(中間報告)」であります。そして昨年1月に「個人情報保護法制化専門委員会」が設けられ,10月に「個人情報保護法基本法制に関する大綱」が提出されました。これが主な経緯です。
田中 先生が座長をされた個人情報保護法検討部会や法制化専門委員会のメンバーにはどのような方が入っておられましたか。
堀部 検討部会には,当時は国立大蔵病院長の開原成允先生が入っておられましたが,法制化専門委員会は,法律関係の専門家で構成されました。

EU指令第三国条項の波及効果

田中 医師は人々の健康の維持,増進あるいは疾病の予防,診断,治療に役立つ研究を推進するために,個人情報の収集,解析等をしてきました。こうした活動が「個人情報保護法」の下で医学研究を実施していかなければならなくなったことは,驚きでもありました。私の被害妄想かもしれませんが,医学研究は国際流通や電子商取引の話に巻き込まれてきたのではないか,という印象を持ってしまいます。
 医学研究の場における個人情報の収集,解析とそれに伴う保護という点が,電子商取引のような分野における個人情報保護の考え方とどう馴染むのか,また法案ではどのような個人データが念頭におかれて,このような形になってきたのか。そのあたりを教えてください。
堀部 日本の場合,民間部門を対象とする時には,例えば「電子商取引等に推進に向けた日本の取組み」などで触れていますが,世界的な流れからは,特別に電子商取引にかかわりなく,個人データ保護が進んできています。
 90年のEUの指令提案で「adequate level of protection=十分なレベルの保護措置を講じてない国には,個人データを移転してはならない」という規定を,EU構成国の15か国の法律に入るとなりますと,医学研究にも支障が生ずるだろうということですね。
 その前提として,何か制度を作ると,さまざまな分野に何らかの影響を与えることがあります。個人情報保護,個人データ保護という発想が大きくなると,医学研究や報道などに影響を与えることになります。そこで保護と利用のバランスをとる必要が出てきます。
田中 水嶋先生,このような流れから特に医学研究に関する動向をご説明ください。
水嶋 90年のEUの指令提案から5年たった95年にEU指令95/46号「個人データ処理に係る個人の保護および当該データの自由な移動に関するEU指令」が決定されています。ここでは第25条,第26条に第三国条項があり,「データを受け取る側にきちんとした保護措置のシステムがない場合は出してはいけない」と明記され,EU以外の米国や日本にも個人情報保護の適正な整備を強く促すものとなっていることで有名です。また同時に,このEU指令においては,個人情報の有用性とのバランスにも配慮していまして,いろいろな原則に関する医学研究などの適用除外が盛り込まれているのが特徴的です。
 もともと80年のOECD8原則では特に「収集制限の原則」が大きな問題だったかと思います。これは個人に関する情報をその個人からしか収集できないという制限をつけたものです。しかしそうすると,医学研究では支障を来します。例えば実際に問題が起きたのは地域がん登録制度で,本人が告知されておらず自分ががんである情報を持っていない場合は登録できないことになります。そうした研究者の主張が聞き入れられ,EU指令では,そのあたりの調整が図られました。
 もう1つは「利用制限の原則」です。例えば医学研究では,検診データや死亡届として集められた個人情報を,地域ごと,施設ごとでの傾向をみたり,他のデータとリンクさせるなどというように,個人情報の収集時点での利用目的に関連した二次的な利用がされることが多いのです。医学研究などについては「利用制限の原則」の適用除外にすることが,95年のEU指令の中に盛り込まれました。こうしたことが,個人情報の保護と活用のバランスの一例ではないかと思っています。

学術研究は適用除外に?!

田中 「個人情報保護基本法制に関する大綱」の骨子を説明していただけますか。
堀部 この中の「基本原則」は,個人情報を取扱う場合は誰にでも適用になるものとして構想されています。「個人情報取扱事業者の義務等」では,違反した時に直接に罰則を科するのではなく,主務大臣が改善命令等を出して,それに従わない場合に罰則を科すというものです。医学研究で個人情報を扱う場合,「個人情報取扱事業者」に該当すると,この義務を負わなくてはなりません。
 また,大綱の「7.その他」に「ア.報道分野等との調整について」とあり,報道分野等については基本原則のみの適用としました。そこでは,医学研究をはじめとする学術研究についても,報道分野に準じて適用除外することになっています。その部分は報道分野以外の宗教,学術,政治の分野における個人情報取扱についても,「信仰,学問,政党活動の自由と密接に関係することもあり得ると考えられ,これらについては,政府の立案過程において,報道分野に準じて適切に調整する必要がある」と,報道分野と同様に適用除外を規定すべきであるとしています。
 そうすると,この「学問」というのがどの範囲なのかが問題になるかと思います。これは憲法との関係で考えていて,学問・研究の場合は憲法23条「学問の自由はこれを保障する」とあり,これで調整を図ろうとしています。
 今年3月頃に国会に提出されるであろう個人情報保護法では,適用除外が「報道機関,学術研究」という言葉になるかどうかはこれからの議論だと思います。報道や学術研究などに基本原則は適用しても,「個人情報取扱事業者の義務等」は適用しないとすると,制約はほとんどないのではないでしょうか。従来比較的自由であったものが一定のルールの下に情報の収集や利用をしなければならない時,そのルールをできるだけ緩やかなものにし,従来の公益を制約しないようにという配慮を,この大綱でもしているつもりです。
水嶋 同じ適用除外の「イの項」で,「公衆衛生等の公益上の必要性から特別の配慮が……」の部分は医学・医療にかかわると思いますが。
堀部 もちろんそう思いますし,特に「公衆衛生等」として,適用除外として考える根拠にしています。つまり,憲法25条に「公衆衛生の向上」とあり,医学研究については,大綱でもその点は含まれています。

医学・医療研究に与える影響

学術研究,公衆衛生の範囲

田中 個人情報保護法が制定されると,医療・医学研究の本質でもある,人を対象とした研究への影響が懸念されます。ここで,日本学術会議第7部(医歯薬)の個人情報保護検討小委員会で「医学研究と個人情報保護」についてご検討いただいている臨床の先生方から,お考えをお聞きしたいと思います。
中村 臨床の立場からは矢崎先生と重なる部分が多いと思いますが,私は外科の代表として考えています。この大綱を2-3度読みましたが,「学問」と「学術」という言葉が両方出てきますね。この「学術」といった場合に,適応除外の分野として医学全体を含んでくださるのか,それとも今おっしゃった公衆衛生的な側面だけを取り出したのかが疑問です。今までの歴史をみると,公衆衛生はアメリカや他国でも除外している国があり,そのような中でなぜ「臨床」という言葉が見られないのかが非常に気になるのです。いかがですか。
田中 医学は大きく3つに分かれ,(1)基礎医学,(2)診断,治療というところの臨床医学,そして(3)予防医学を含む社会医学,と言っています。医学の中でも(3)に限局しているかどうか,ということです。
堀部 いや,そうではありません。
田中 憲法でいう「公衆衛生」とは,そうではないのですね。
堀部 憲法における「公衆衛生」というと,難しいですね。憲法23条「学問の自由はこれを保障する」とは,公権力が学問の自由に関与してはならないという考えです。一方,「公衆衛生の向上」という規定がある憲法25条は「国の責務として保障すべき」というものです。前者は,法律学上で「自由権」と言っているのに対して,後者は「社会権」という概念で,普通,公権力が規制してはならないといっているのは「自由権」です。昨年の段階でも,そこをどう調整するのかを議論しました。
 公衆衛生を狭い意味でとらえると予防医学となりますが,学問・学術と考えると広い分野となります。その場合に,患者を治療する行為と,そこで得られたカルテに文字化・表現された情報をまた医学研究に使うというようなことを全部含めて学問・学術と捉えるかどうかは,医学界としてどう考えるか,うかがいたいところです。
田中 「公衆衛生」と言う時に,予防医学的な意味に限局しているのではなく,パブリック(公衆)という意味から「国民の」ととらえ,「衛生」は医学全体をさす,と理解してよいということでしょうか。

個人情報のレベルと医学研究

矢崎 情報化社会が進み,個人情報をいかに保護するかについては世に問う必要があり,この法案の成立は,時代の流れだとは思います。しかし,臨床疫学の立場からとらえると,例えば個人の追跡調査などを行なう場合に,議論が沸いてくると思います。当然,医学・医療の場でどのようにプライバシーを保つかは,すべての人が共有している意識だと思います。学会その他が自主的に提案しようというその時に,現在の議論では,研究の意義が十分に理解されないままに,個人情報保護を優先させているのではないかという危惧があります。
 先日行なわれました疫学研究における個人情報保護に関するガイドラインの議論では,このような公衆衛生的な情報やある目的をもった地域での追跡調査にも,すべて個々の方から個別的に必ずインフォームド・コンセントを取らなければいけないような案がありました。
 このような疫学的調査では全体を調べないと真実がわかりません。ここで研究の意義が十分に理解されずに「私は参加しない」となると,真実が見出されない可能性が生じ,そこから得られる恩恵を受けられなくなります。真実を発見できないことと,個人の思いのどちらに重みがあるかは,今後検討することが必要ではないかと思います。

細かいガイドラインは研究の進歩を制限する

矢崎 遺伝子解析に関しては,国民が不安感を抱いていることからも,非常に細かい手順が決められました。しかし,国民の健康や医療の進歩をめざす疫学的な医学研究までに,なんとなくそれに従って,遺伝子解析と同じようなマニュアルづくりが進んでしまっています。
 研究は日常的に進みますが,その時に個人情報保護だけの視点で細かい規定を先に作ってしまうと,後でどうにもいかなくなります。このようなことで医療の進歩に大きな制限を加えてはいけないと思います。これは人権を無視していい,ただ研究を進めたいという意味ではありません。
 私は,最初から細かい規定をガイドラインとして作成するのではなく,綱領ぐらいにして,学会などを中心に自主的に取り決めてはと思います。

個人情報の有用性と保護のバランス

田中 矢崎先生のご指摘のように,例えばこの大綱に「個人情報の有用性に配慮しつつ,個人の権利・利益を保護する」とあります。しかし議論の中で,医学・医療の進歩による健康の維持増進や疾病予防,診断,治療等への有用性という考えが薄れ,個人の利益を保護するほうが上位なのか,と言いたくなります。私はどちらも同じだと思っていますが,次第に個人情報保護のほうが大きくなってきて,そのため医学研究が,ひいては公共性や有用性という面が,非常に束縛されてきている印象を受けるようになりました。
 私は疫学が専門ですが,疫学研究を行なう際に,決して個人の尊厳を冒したり,また個人の情報を漏らしたことはありません。現在でも,行政や住民組織あるいは日本医師会との調和を図って研究を実施していかざるを得ないために,いわゆる「コホート研究」を実施しがたいような風潮があります。しかし欧米では,十万人規模のコホート研究が行なわれ,大きな成果をあげていますが,日本ではもしも十万人に書面でインフォームド・コンセントを取っていくというようなことになれば,さらに実施し難くなります。
中村 私も1つ申し上げたいことがあります。研究を進める上で,年々やりにくくなってきている実感がありますが,元来医学は,人間を理解するための学問だと思います。その意味でこの法案がさらに大きな妨げになるのではないか,という不安感を持つと同時に,法案の解釈・運営いかんによっては,むしろ必要最小限の個人情報保護の境界線を示す内容になるのではないかという期待感もあるのです。
 私が大綱の中で最も気になることの1つは,「個人情報取扱業者の義務」で,そこには種々の条件がありますが,その最後に,「以下の場合には適用しないものとする」と入っています。それがどの程度生かされるのか。ここに最大の不安が残ります。
田中 公益性と個人情報保護のバランスの問題で,何かだんだん個人情報保護のほうが強くなっているような感じがします。
堀部 「個人情報の有用性に配慮しつつ」と,両者のバランスを取ることを掲げますので,この主旨での法律になります。このあたりは曖昧な表現をすべきではないという意見の人もいます。少なくともこの大綱でこのように文章化していますので,これに則った法ということになるかと思います。

利用目的の制限:インフォームド・コンセントの有効範囲

田中 「個人情報取扱事業者は,一般的に合理的と考えられる範囲を超えて利用目的を変更してはならない」とあり,また,「予め本人の同意がある場合は適用しない」と,種々のケースが起こって難しいのです。
 例えばインフォームド・コンセントで,「心筋梗塞のX遺伝子について解析します」と,非常にスペシフィックな同意を得ている場合があります。しかし,医学にはまだまだ解決すべき問題が山積みです。研究の中で,突然Yという因子が疑われてくることもありますし,逆に心筋梗塞に関係があると思っていたものが,ある種のがんとかかわりがある,というようなことも起こってきます。実際にそんなことがあるかはわかりませんが。
 そうなると,「利用目的の変更」となりますが,ここで再度インフォームド・コンセントを取らなければいかないのか,ということです。もしそうなった時,その研究成果が早くわかれば多くの人命を救うことになるのに,研究が遅れてしまうことにもなります。そのようなことも「合理的と考えられる範囲」と考えられ得るのかどうかです。
堀部 一般論としては,医学研究として公益に適うものであれば,合理的と考えられる範囲内だと言えるのでないですか。
田中 そうすると,現在議論されているガイドライン案のインフォームド・コンセントの取り方は,このような場合は「もう1度翻って取る」となっていますから,かなり厳しいですね。極端な場合であれば,「これは医学研究のために必要になることもありますので,あなたの血液や尿を保存させていただきます。何か起こったときには,分析させていただきます」というようなことで十分なのかどうかですね。

社会の意識との関係と研究者組織の説明責任

堀部 そこは社会の意識との関係で決まってくると思います。それが,一般的に考えられる範囲なのか,もう少し適用を特定すべきなのかという議論になるでしょう。医学研究の場合,最初の目的とは違う目的に使うこともあり得るというのが,通常の研究において起こり得るということだと思います。この目的で取ったからこうだと明確にしきれない点があっても,それが社会的に妥当なものと認められれば,適用の範囲内と言えるのではないでしょうか。
 問題が起きた時に説明する責任,つまり「アカウンタビリティ」が必要になってきます。組織が対外的なアカウンタビリティをもってきちんと説明できれば,一般に考えられている目的の概念を超えても,社会的には許されるのではないでしょうか。

遺伝子解析とそれ以外の研究を分けて整理

矢崎 ここでもう1度確認したいのは,遺伝子解析の問題とは異なる分野まで,医学としてひとくくりにして同様の縛りをするのはどうかということです。
 例えば「データ・マイニング」という言葉がありますが,毎日の診療から思わぬ事実を得ることを指します。例えば,インフルエンザの薬であるアマンダシンがパーキンソン症候群に効いたことなどは,診療記録を解析しているうちに発見されてきたことです。このような場合,インフォームド・コンセントを取り様がありません。要するに,一般診療の結果をもとにして次の研究のストラテジーを組み立てる時に,ある部分は連結可能として,後は匿名化すればよいのでないかということです。
 患者さんの追跡調査といったところまでその縛りがあると,真実がわからなくなってしまう可能性があります。これは,国民全体の問題でもありますが,医療を進める医学者の中でも十分な理解ができていないことも問題かもしれません。

医学・医療における個人情報保護のあり方

堀部 矢崎先生の言われた遺伝子解析の場合も,従来は本人の同意を得ていると理解してよろしいですか。
矢崎 はい。しかし,今問題になっているのは,4年以上前に取ったサンプルだと思います。これに関しては,そういう意味のインフォームド・コンセントは取っていません。これは遺伝子医学が4-5年前に臨床領域に入ってきたばかりで,それまでは実験医学であったわけです。したがって,その前から採取し保存していた患者さんの試料をどうするかが非常に大きな問題です。今後は遺伝子解析についてはインフォームド・コンセントを取りますが,その場合でも,個人情報が表に出てしまって,就職や結婚などで社会的な差別を受けてはいけません。そのために絶対に個人に戻らないように匿名化して研究が行なわれなければならない。そのためにも研究者自身もそれが誰かを知らない,そのデータは個人の判断には使わないという鍵をかけます。それはそれで問題ないのではないかと思います。
 一方,疫学研究では,研究者は個人を同定できない前提で集団として解析しますから,これも社会的に十分に納得される判断に基づけば研究を進めてよいと思います。
 私が心配しているのは,例えば鍵をかける前の情報まで踏み込んだ綱領を作られている気がすることです。
堀部 そこが,以前にうかがったところだと,特定の個人を同定できるようにしておくことがあるそうですが……。
田中 コホート研究の場合はそうです。
矢崎 それは連結可能な匿名化ですね。
堀部 これは,個人情報や個人データをどう定義するのかに関連します。OECDの理事会勧告では「identified or identifiable」という言葉を使い,identifyには「識別する」という言葉をあてはめ,それ以来,法律ではidentifyを「識別する」,identifiableを「識別可能な」という言い方をしています。
 この大綱でも,個人情報については「個人に関する情報であって,個人が識別可能なものをいう」と言っています。これは定義としては簡単なもので,今後,詳しく定義されていくでしょう。
 法律でいうこの「識別可能性」がなくなれば,個人情報ではなくなります。つまり,先ほどのように鍵をかけ,それ以降は識別不可能,同定不可能になってくれば,個人情報保護のルールの適用を受けなくなる,という解釈もできるかもしれません。
 80年代半ば,「統計調査をどうするか」という議論がありました。国勢調査の場合,最初の段階では個人の学歴など二十数項目あって,それは完全に本人が識別できます。統計目的で利用する時には,個人情報保護法の適用を受けなくする,という形を取っています。そのアナロジーが医学研究,疫学研究の場合にもあてはまるのかどうかは,もう少し議論すべきでしょう。

学術研究は適用除外の可能性

堀部 「義務等」のところは,医学研究の範囲がどこなのかが問題になってくると思います。学術研究の一環であれば,むしろこの「個人情報取扱事業者の義務等」は学術研究には適用しないとなります。そうすると,「基本原則の5原則」に違反したからといって,処罰規定にかかることはまったくないことになります。

学問と社会的妥当性

堀部 学術研究とは,社会的にその必要性や妥当性がサポートされないとやっていけないものです。矢崎先生のおっしゃったクローン人間研究は法律によりできなくなりました。これは世界的に話題になっていますが,いくら学問の自由と言えども制約を受けないわけにいかないのではないかという議論があります。
 むしろその社会的妥当性がサポートされるように,何か学界としても方針を明らかにしていく必要があります。これは報道機関の場合も同じで,いろいろな批判がある中で自主的に対応するために,新聞社によっては外部の人間を入れた委員会を設立するなどしています。
矢崎 確かに,われわれ医師も,医学・医療の現場で個人のプライバシーや人権の重要性を十分に意識していても,明確な条文では示してはきませんでした。
 日本は,権利を主張するという社会にまだ十分になっていないことも事実です。一方,議論もありますが,日本人は他と比較して教育程度が高い国民であり,その利点を十分に活かして理解しあう必要があるのでは,と思います。われわれは自身の文化で対応して,資源のない,人口密度の高い場所で,いかに皆が仲良く信頼しあって効率的に生きていくかを考えて,社会も研究者も努力していくべきでしょう。
田中 国際化の中で日本あるいは日本人の特性,特徴をどう生かし,その両者間のバランスを図っていくかですね。

学問,学術研究とは何か

堀部 法案の中に,例えば「学術研究」という形で適用除外項目に入れることでこと足りるのかどうかというと,今の段階ではよくわかりません。国会できちんと審議をして,法案が医学研究に支障が生ずるのであれば,そこで修正案を出すということはあり得るわけです。
矢崎 医学だけではなく,学術研究への義務の適用除外は,報道と同様に取り扱っていただきたいという要望を持っています。
堀部 報道については,問題を大きく提起してきましたので,法制化専門委員会も,他の分野を検討する時間がなくなりましが,学術研究も報道と同様に扱われると言ってよいと思います。しかしその場合に,学術研究とはどの範囲なのかが,日本学術会議などである程度議論を経ておく必要があります。
 例えば事業として行なわれる地域がん登録は学術研究とは違うのではないかと言う方もいますが,それを言うなら報道も営利事業です。ここでは営利か非営利かということではなく,その研究目的で区別していきますので,そこは事業であっても学術研究ととらえるべきであると思います。
 その定義の1つとして,文部省設置法第2条第8号の中に,「(学術とは)人文科学及び自然科学,並びにこれらの応用の研究をいう」とありますね。また,最高裁判例には「学術の研究を目的とする法人」とは,「その定款又は寄付行為の目的条項に日本学術会議法10条に定める区分によって示されるような意味における人文科学及び自然科学の学理的研究並びにその応用に関する研究を行う趣旨を掲げ,かつその組織,運営及び活動の実態からみて右研究という目的にそっていると認められる法人をいい,必ずしも学術に関する法人として文部大臣の設立許可を受けたもののみに限定されない」と言っています。これでいくと,かなり広い意味に取れるのではないでしょうか。これをキーワードとしてとらえるとよいと思います。
 その基礎には「学問の自由」がありますが,民間法人等になると「学問の自由とは関係ない」とする向きもありますので,私はこれを広く学術研究と捉えるのも1つではないかと思います。

個人情報保護は1つのルール

堀部 この大綱で示している日本型の個人情報の考え方とは,規制ということよりも,これまで明確なルールがなかったところに,「個人情報」という観点を踏まえて,その有用性にも配慮しつつルールを作るとどうなるのかという,そのルールだと思います。それを,制約と感ずる面も出てくるかもしれません。そこは,学術研究との関連で調整を図っていくことになります。今後の立案作業の中でその点を明確に位置づけていく必要があると思いますし,そこで位置づけられたものは,その運用にあたっても学術研究の一環としての医学研究とのかかわりで,きちんと社会的に認識していく,となるかと思います。

情報公開の問題

中村 一言申し上げたいことがあります。外科側からすると,外傷の問題を見逃すわけにいきません。これは一般の法律関係の方も医師も気がついていないと思うのですが,これまで,外傷,特に交通外傷の予防がさかんに議論されているのにもかかわらず,個々の被害者が傷害を受けた事故情報について,警察庁の調査した事故環境や現場のデータは,一切医療サイドにもらえません。したがって,重症・死亡事故症例の医学的資料を交通安全プログラムと直結されるルートはまったくない,あるいは不完全です。これは医学と関連学術の間での情報公開の問題であり,今後各学術の間の情報公開は一層重要性が高まると考えられます。このような情報をもう少しオープンにしていただきたい。これは,いかに個人情報が境界領域で有用かという話と密接に関係します。ぜひこの議論をしていただきたいと思います。
堀部 それはまた,情報公開の議論でもありますね。個人情報の保護と同時に,情報公開の視点も兼ねてこの研究は進めていく必要があるますし,そういう認識で,特に公的機関の保有する情報については,情報開示も含めて考える必要があるということでしょう。

学界からの基本方針,自主的取組が必要

矢崎 研究のレベルによっても規制が異なりますので,基本方針としては医学・医療の場で申合せをし,規則については国民的な理解が進む,また学会の中で理解が進むうちに築き上げていくべきものだと思います。その前に,医学界として,「われわれは個人の人権や個人情報保護をきっちり守るように姿勢を正します」と宣言し,さらに国民にも,「遺伝子解析にはこういう効果がある」「疫学調査にはこういう目的がある」など,なぜ医学・医療研究が行なわれるのかを理解していただくことが大切ではないでしょうか。
田中 自主的取組については「大綱」でも強調されていますが,医学界としても基本方針を作るなど自主的取組を進めていくことは重要でしょう。
 最後に若手疫学者として,実際にこれから医学研究なさる側としていかがですか。
水嶋 わが国の個人情報保護の第一人者の堀部先生から,個人情報の取扱いについては規制というよりも,有用性に配慮しながら保護と利用のバランスを図って調整していくという基本的なお考えをうかがったことで,非常に安心いたしました。また,「説明責任」というお話もありましたように,研究者の自主的な取組みを進めることが重要だと感じました。今後,学術研究をどのように進めていくのかということを,1人ひとりの問題としても考えていきたいと思います。
田中 研究の当初は,その学問の意義や,それが国民の健康や病気にいかに重要であるかを理解しがたい面もあります。そういった時にこの法律で,先ほど触れましたように,個人情報保護のほうがはるかに優先されてしまい,役に立つデータが押さえられてしまうということを懸念しますし,行政ではそのようなことが多々あります。医療・医学研究における個人情報には,矢崎先生のご指摘のように種々のレベルがあって,そのレベルに応じた公益性とのバランスもあるのではないかということですね。そして医学界としての自主規制についても,時代の流れとともにさまざまなレベルで検討すべき課題だと思います。
 本日はありがとうございました。

情報通信技術(IT)戦略本部個人情報保護法制化専門委員会:「個人情報保護法制に関する大綱」2000
 URL=http://www.kantei.go.jp/jp/it/privacy/houseika/taikouan/1011taikou.html

表1 国内外における個人情報保護に関する検討の流れ
1976  事務次官会議申し合わせ「電子計算機初期に係るデータの保護について」
1980  OECD理事会8原則「プライバシー保護と個人データの国際流通についてのガイドラインに関するOECD理事会勧告」,行政管理庁(現,総務庁)プライバシー保護研究会における検討
1982  行政管理庁プライバシー保護研究会報告書 5原則
1986  「行政機関の個人情報の保護に関する研究会」,行政機関における個人情報保護対策の在り方について」
1988  「行政機関の保有する電子計算機処理に係る個人情報の保護に関する法律」
1989  統計法および統計報告調整法の一部を改正する法律
1990  EC理事会「個人データ処理に係る個人の保護に関する理事会指令提案」
1994  内閣 高度情報通信社会推進本部設置(本部長:内閣総理大臣)
1995  EU指令95/46号(同条例に第三国条項),総務庁統計審議会「統計行政の新中・長期構想」
1998  高度情報通信社会推進本部 電子商取引等検討部会,「電子商取引等の推進に向けた日本の取組み」,高度情報通信社会推進に向けた基本方針
1999  厚生省厚生科学審議会「21世紀に向けた今後の厚生科学研究の在り方について」
高度情報通信社会本部 個人情報保護検討部会(座長:堀部政男)
「我が国における個人情報保護システムの在り方について(中間報告)」
米国保健社会福祉省「個人特定可能医療情報のプライバシー基準」規則案
2000  高度情報通信社会通信本部 個人情報保護検討部会,個人情報保護法制化専門委員会(委員長:園部逸夫),厚生科学審議会先端医療技術評価部会(座長:高久史麿),「疫学的手法を用いた研究などにおける個人情報保護等の在り方に関する専門委員会」(委員長:高久史麿)
「個人情報保護基本法制に関する大綱」提出

表2 「個人情報保護基本法制に関する大綱」における基本原則と検討課題
基本5原則個人情報取扱事業者の義務等医療・医学研究に関連した検討課題
1.利用目的による制限

2.適正な方法による取得

(1)利用目的による制限及び適正な取得
ア.利用目的の明確化
イ.利用目的の不合理な変更の禁止
ウ.利用目的の本人通知(公表等知りうる状態にする)
エ.適用除外
(1)本人の同意がある場合
(2)生命,身体又は財産保護のための緊急性
オ.適法かつ適正な方法による取得
・本人以外の収集制限によりがん,脳卒中などの疾病登録事業が不完全となる
・家族からの医療情報収集が困難となる
・診断治療目的で収集した情報を無断で研究には使えない
・収集された情報の2次利用が困難
 例:症例集積報告やレセプト情報に基づく医療費分析
・後ろ向き研究(過去に遡った情報〔健診結果,手術既往等〕と新たな健康被害の関係解析など)が困難
 例:症例対照研究,放射線被曝影響の健康調査
3.内容の正確性の確保
4.安全保護措置の実施
(2)適正な管理
ア.個人データの内容の正確化,最新化
イ.個人データ保護のための必要な措置,及び監督
ウ.個人データ取扱を第三者に委託する場合,選定の配慮,監督責任
・過去の情報を消去せずに蓄積できるようにする必要
・個人識別情報とデータセットを分離管理するなどの安全保護措置が必要
・多くの共同研究者でデータセットの共同利用が困難
 (3)第三者提供の制限・
ア.個人データを第三者に提供禁止
  (本人同意がある場合,生命,身体又は財産の保護のための緊急の場合を除く)
イ.適用除外
(1)営業譲渡,分社等で営業資産として引き継ぐ場合
(2)明確化された利用目的のため共同又は委託により,個人データを扱う場合
(3)特定の者との間で相互に利用する場合で,利用目的及び提供先等について本人に通知され,又は公表等がある場合
(4)第三者提供目的の場合で,本人からの求めに応じて,提供禁止その他の適切な措置を講ずる場合で,本人に通知され,または公表等がある場合
・多施設共同研究が困難
・疾病登録事業,研究が困難
5.透明性の確保(4)公表等
ア.事業者の不利益,本人通知する場合などを除いて次ぎの事項をについて公表等する
(1)利用目的,(2)事業者名,(3)開示等に必要な手続き
(4)その他個人情報の保護を図るための必要事項
イ.変更事項について公表等を行う
(5)開示
ア.本人又は第三者の不利益になる場合などを除いて本人に対して当該個人データを開示
イ.開示に応じない場合,その理由を説明
(6)訂正等
ア.本人又は第三者の不利益になる場合などを除いて本人の請求に応じてデータの訂正,追加,削除その他の措置を講じる
イ.訂正等に応じない場合,その理由を説明
(7)利用停止等
ア.本人又は第三者の不利益になる場合などを除いて本人の請求に応じてデータの利用停止,削除などを講じる
イ.利用停止などに応じない場合,その理由を説明
・客観的なデータ収集が困難
 例:がん,脳卒中などの疾病登録が不備となる
 例:医薬品等による副作用等の報告の精度

 

 
・診断に関する情報を開示できるか,慎重に検討する必要
 例:がん,難病,精神疾患など

 (8)苦情の処理
個人情報の取扱に関する苦情について,体制の整備,適切かつ迅速な処理に努める
(9)苦情の処理等を行う団体の認定
苦情処理等のため,事業者を構成員とする団体を設け,申請により主務大臣の認定を受けることができる
 
註:個人データは,個人情報データベース等を構成する個人情報のことをさす