医学界新聞

 

連載(12)  「微笑みの国」タイ……(5)

いまアジアでは-看護職がみたアジア

近藤麻理

E-mail:mari-k@dg7.so-net.ne.jp    


2416号よりつづく

タイの医療提供状況

富める人々への医療

 私には,十数年前にタイ国バンコク市の病院に入院した辛い(?)経験があります。外国人が病気をした場合には,バンコク市内であれば英語・日本語などさまざまな言葉を話す医療スタッフの揃った私立病院を選ぶことができます。そこでは,アメリカや日本に留学経験のある優秀な医師や看護婦が,先進国並みの最新医療を提供しており,キャッシュレスで海外旅行保険を利用できますから,治療費・入院費などは全額保険会社の負担です。経営者は外国人患者確保のために,日本語・日本食サービス,国際電話可能なシャワー付き個室を用意しています。ですから,私は無料で入院治療したうえにホテル並みのサービスを受けることができました。
 日本の病院でも,都会でしたらこのように外国語を話す医療スタッフのいる病院を探すことも,以前より容易になってきました。現実には,外国人が保険に入っていない場合など金銭的な負担が大きく,タイのように歓迎はされません。言葉の壁だけではなく食事の違いや宗教,文化などの違いまで考慮に入れて外国人患者の治療を行なうことは,簡単ではありません。タイなどのような発展途上国において,富める人々は医療の面でも優遇されているのです。

私立病院と国公立病院の格差

 その一方で,タイの国公立病院の大部屋を覗くと,20人以上のベッドが横に並び仕切りのカーテンもなく,また,十分な医療機器も揃っていません。医療スタッフの給料は安く,夕方から私立病院にアルバイトに行ったり,個人クリニックを開いたりして収入を得ています。裕福な私立病院と,経済的な問題を抱えている国公立病院の格差は,タイ社会の現実を映し出している鏡のように思えます。
 私立病院にかかる場合の治療費は自費10割で,日本と同じくらい高い額となりますから,医療保険を持たないごく普通のタイの人々が簡単に利用できるはずはありません。バンコクで生活していれば,公立病院や診療所は身近に存在します。しかし,都会ではない郊外や村で暮らす人々の健康や治療は,いったい誰が担っているのでしょうか。そもそも人々が生活している場とは,家があり家族がいて田畑が広がっている田舎です。近年,特に増加しているバイクによる若者の交通事故を例外とすれば,救急設備を整えた病院は必要とは言えません。

郡部における医療提供体制

 タイ国内の医師・看護婦・公衆衛生師の数は限られており,現実的に県や郡レベルの病院・保健所以外には配置されていません。そこで地方の村々ではプライマリヘルスケア(PHC)を推進し,これを重要な公衆衛生活動の核としてきました。PHCの基本的な考え方は,地域住民参加,適正技術,コミュニティリーダーシップなど,そこで暮らす地域住民があくまでも主役です。例えば,昔から村々に伝わる薬草や伝統的な治療法が,近年ずいぶんと見直されています。薬草を栽培し,それを換金作物として収入を得ている村もあります。タイ式マッサージと呼ばれる伝統治療も広く普及しています。バンコクでは,ワット・ポー寺でマッサージが受けられることと,同時にそこで修行すれば免許を取得できます。全身マッサージや足マッサージは健康によいばかりではなく,女性の都会での出稼ぎ収入にもつながっていきます。

PHCセンターとVHV

 タイにはバンコク都と75県,789郡,タンボン(郡内を小さく分けた地域で,町に近いかもしれません)が7000以上あり,村はというと6万5000を超えています。この村々のすべてにPHCセンターを設置しようと努力した結果,1996年で6万個所以上のセンターが設置されました。センターというと立派な建物を連想しそうですが,10畳ほどの暗い倉庫のようなものから,2部屋以上もある立派な建物までさまざまです。
 村のPHCセンターには,当番でビレッジ・ヘルス・ボランティア(VHV)が常駐しています。村々には研修を受けたVHVがおり,健康相談,簡単なケガの処置,栄養指導,エイズ教育など,村人の健康を担っています。VHVは無給の仕事であるにもかかわらず多くの人々が研修に参加し,タイ全土で現在までにVHVの数は60万人を超えました。