医学界新聞

 

 〔連載〕ChatBooth

 自分を語ること

 加納佳代子



 2年近く前に「えん」というグループを始めた。グループといっても,集まりたい人が月に1回集まって,ただ話をして帰ってくるという,まぁちょっとした知り合いがおしゃべりしているだけ,といえばそれだけなのだけど,私にとってはホッとできる時間と空間だった。
 そもそもは私が呼びかけたおしゃべり会なのだが,呼びかけ文は今から思うと随分と気負っている。読み直してみると,ちょっとくすぐったい。
 「保健・医療・福祉の場でケアを職業とする人々によるフリースクールを始めました。ケアを職業とする人なら誰でもが参加できます。1人ひとりが教師であり,学生です。助を職業にする人々が,でつながり,になり,自分をじてみる学です。あなたの支払う授業料は,あなたに支払われる講師料と同額です。自分で決めてください。あなたは自分の経験を言葉にして表現してください。あなたが何を感じたのか,あなたが何を伝えたいのか,みんなで聞き,経験を共有し合います。人々をケアする職業だからこそ必要な集いの場です。ケアの仕事から得たこと,その意味などを共有し合える場,職場の関係から離れて自由に自分を表現できる場,自立した職業人として認め合える場,お互いにエネルギーを補給し合える場,そこに行けば誰かに会える場,自分を見つめることができる場,それが『えん』です。広く知り合い,深く分かち合い,長く続く,そんな『えん』を作りましょう」
 「なんだ,これって『ナラティブセラピー(物語療法)』なんだ」と後で知ったのだが,こうして2年前の文章を読むと,あの当時の自分は何が枯渇していたのかがよくわかる。
 去年の11月末,私は娘に教わりながらホームページを作った(そこら中に宣伝していたら,「大工さんが家を建てたのに,『私,家を建てたの』と言っているようなものだ」と言われたのだが……)。
 インターネットの世界をのぞいてみると,多くの人々が個人サイトを管理して「物語療法」にいそしんでいることがわかる。「まぁよくもこんなに……」とも思うのだが,パソコンや携帯電話を使い,液晶画面に向ってしか語りかけられないのだったら寂しいが,これは「私たちの仕事をもっと社会に知らせるために使える道具だな」と思った。
 別にインターネットやEメールができなきゃ看護婦をやれないというわけではないし,できたからどうということもない。ただ,道具として気楽に使えるのなら,それもまたよし,という程度のものである。でも,その道具を使って知りたいことや伝えたいことには,きっと大切な何かがあるのだろう。
 その人によって語る道具は違うだろうけど,誰もがみんな自分を語りたいのだろうと思う。ただじっと壁をみつめている人も,ベランダから手を振って叫んでいる人も,くる日もくる日もノートに恋文を書き綴っている人も,そうやって自分を物語っている。
 もう1年になるが,精神科閉鎖病棟では手話ダンスを毎日練習している。その時間になると何もしないかのようにみえる人も集まってくる。私には手話で自分を物語っているように見える。
◆ナースサポートkk
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