医学界新聞

 

〔インタビュー〕

看護に必要なEBN
サイエンスとしての看護とEBN

日野原重明氏(聖路加国際病院名誉院長/聖路加看護大学理事長)


 近年,医療の場においては,EBM(Evidence-Based Medicine)の必要性が問われ,研究の場に限らず,臨床判断にもその考えは不可欠とされつつある。
 医療の一翼を担う看護においても,ここ数年EBMは必須との考えが主流となり,EBMに代わる言葉として,新たにEBN(Evidence-Based Nursing)が話題となってきた。
 そこで本紙では,EBMとEBNを率先して提唱される日野原重明氏(聖路加国際病院名誉院長/聖路加看護大学理事長)に,特に看護とEBNに関するお話をうかがった。


看護になぜEBNが必要か

医療界を風靡するかに広がったEBM

―――現在,医学の世界では科学的根拠に基づいた医学ということで,EBM(Evidence-Based Medicine)が話題になっています。一方看護においても,根拠に基づいた看護,すなわちEBN(Evidence-Based Nursing)を取り入れていこうという動きが見られるようになりました。看護になぜEBNが必要か,ということからお話しいただきたいと思います。
日野原 「EBM」という言葉は,一般のジャーナリズムにも普及してきている言葉ですが,それに対して,あたかも今までの医学に科学性がなかったかのようにいうのはおかしい,ということで,実際にそういう反論が,「ランセット」誌に掲載され波紋を引き起こしました。もちろん,これまでの医学に科学的根拠がなかったということはないのですが,ある病気を持っている個人にそのデータを適用する時に,用い方が不適切だったのではないかということの反省が,日本でも言われています。
 「疫学」は,大きな集団を対象にした学問体系で,その研究結果を個人にあてるという新しい分野において臨床疫学が進歩してきたわけです。日本では治験例のサンプリングが不十分で,こちらの大学ではこういう成績があったとか,あちらではこうだったというように,違った条件における対象群をあまり差別することがなかったのです。それで,「何パーセントの人に効果があったからあなたにもよい」という提供の仕方で,個人の治療や診断を行なったところに反省すべき点があります。
 アメリカの内科学会と英国のBMJ社が一緒に編集している隔月雑誌「Evidence-Based Medicine」(A Journal of the American College of Physicians)が創刊されてから5年経ち,現在は「Evidence-based CARDIOVASCULER MEDICINE」という,専門分化した雑誌も出るようになりました。また,看護では「Evidence-Based Nursing」(BMJ)が,1998年から発行されています。
 このようにEBMは医療界を風靡するように広がったのですが,誤解が多かったことも事実です。というのは,何でも数値化することで医学や看護が説明されるなら,そこにサイエンスはあってもアートはないのではないか,という反省です。より科学的な医学を実践するためにはEBMを浸透させるべきだ,という医学界の姿勢が看護に及んだ場合,看護はそれをどう受けるかを考えなければなりません。ナースは非常に大きなショックをこれから受けようとしている ,あるいは受けつつあるのだと思います。看護がEBMをどのように受け入れるかについて私の意見を述べたいと思います。

看護の領域を広げていくEBN

日野原 私は,EBMというのは,自然科学的な技法を効果的に使って,その証拠を材料にして,目の前の患者の健康問題をより効果的に解決する技法だと思っています。その患者が,体質ですとか,価値観,死生観といったものをそれぞれに持っているのだということを,私たちは認識して,その患者にとって最もよい形でマネジするのが臨床医の働きであり,同時にナースの働きであると思います。
 科学の基礎に立って,患者に心温かくアプローチして,患者の生きがいや死生観をも洞察した上で,その患者を全人的な立場からどうマネジすればよいかということを考える。これは,科学を超えたアートの領域に属することと言えるでしょう。つまり,EBMでは今後,むしろ評価のしにくいクオリティ・オブ・ライフ(QOL)をどう科学的に基礎づけるかという研究がなされなくてはならないでしょう。
 言い換えると,「これをすると他の治療よりも成功率が80%よいから使う」というのがEBMの普通の言い方です。しかし,そのことで患者のQOLが害されたり,末期の癌患者の残された短い時間を計算ずくで処理されるというのではいけないわけで,そこでもう少しQOLを考えるべきです。そして,その判断材料として,ターミナル患者のQOLの根拠を評価するためのきちんとしたデータを出さなくてはなりません。幸い,最近のQOLの研究学会などでは,そういう評価の仕方の研究発表がされています。私はそれを,今までのEBMに看護が入る機会ととらえ,患者の側に立った活用法として看護の領域を広げていくべきだと思います。

ケアの統合をめざして

EBMでは手が伸びなかったフィールドに,看護職が行動を

―――そうしますと,具体的なケアだけではなく,患者のQOLを含めたケアであり,医学と看護の両方に科学的な根拠が必要だということですね。
日野原 そうです。ケアという言葉は,もともと世話をするという日常用語です。外国式の考え方では,「ケア」という大きな傘の中でさまざまなかたちのケアが融合して存在しているのですが,日本では,この言葉を,医療,看護,介護のそれぞれに使って別個のことを表現しています。私は,今後はもっとケアを総合的に評価する時代がこなければいけないと思っています。
 「ケアはキュアではない」というのはよく言われることですが,たとえ命が短くても質において生きがいのある生涯を終えたのであれば,キュアでは失敗しても,そのケアは成功したことになるのです。ただ,これは,看護のケアがキュアに対抗するという意味ではありません。看護はEBMを上手に利用して,今までの不備なケアにもう少しサイエンティフィックなものを加えなければならないと思います。
 例えば,ナースが褥瘡をケアする時に,特別養護老人ホームの患者と普通の老人保健施設の患者,また一般の病院の患者においては病気も違いますし,運動の習慣がある人と寝たきりの人というように,全部条件が違ってきます。ある施設から,ある方法でよくなったという発表があったとしても,それを一般に当てはめることはできないのです。それで点数をつけるというのは,科学的なケアの表現としてはよくないということを,EBMは私たちに教えたのです。
 もちろん,無形のものを有形のデータで評価するということ自体に,非常にむりなことがあるのですが,科学的なアプローチを排撃するのではなく,それを使いながらケアしていくと,どこかでケアはキュアと出会うはずです。
 私は,EBMの今後の研究,ことにナースの側からの研究はこういったものになるだろうと考えています。そして,ケアをするナースの感性と患者の感性とが合致する方向でナースのアプローチ方法も行動科学的にとらえ研究の中に入れるべきだと思います。それによって,ケアがよりevidence basedになります。つまり,看護は医薬を使う以上に行動科学をもっとケアの分析に取り入れて,それを基礎データとすることです。そう展開されることが,私の希望です。これまでの医学のEBMでは手が伸びかねたようなフィールドに,ナースが行動科学や生命倫理をもってアプローチを考えることができればすばらしいですね。
 EBNは,ナースだけではなく,行動科学の分野や,生命倫理の研究者,生活習慣を考えているような専門家が加わることによって作り上げられていくと思います。

ナースが正しくEBNを広めること

―――日本の看護職の間には,まだEBNはそれほど知れわたっていないということがあると思いますが。
日野原 今までは,アメリカで提唱された医学が日本に紹介されるまでに10年かかり,その翻訳本が出て普及するまでには15年かかるのがあたりまえでした。例えば看護診断でも看護過程でも10年以上遅れていますし,プライマリナーシングのようにアメリカで方向転換が始まって日本で混乱が起きているというものもあります。
 学ぶのなら早く取り込んで,そのままの借り物ではなく,もっと日本の文化に同化したかたちで活用すべきです。EBMの雑誌や単行本が出るタイミングは非常にテンポが速くなっています。ナースの場合には,一般に新しい情報が医師よりも早く広がる傾向があり,ナースが正しいEBNを広めることによって,今までのEBMがそれほど重視してこなかった,いわば“ソフト”の面を補うようになるならば,evidence basedのサイエンスが本当に築かれるのではないかと思っています。

EBNが根づくためには

早くマニュアルを作ること

日野原 そのために必要なのは,情報を正しく評価することです。ナースに限りませんが,文献の読み方を知らない人が多いのは事実です。根拠のない文献は読まないようにするためには,活用に値する文献とは何か,という基礎的な勉強をすることが必要でしょう。
 私は,サイエンスのいちばん基礎になるのは文献の読み方なのだと思います。ですから,どの看護短大でも看護大学でも,解剖生理と同じように文献の読み方の教育からはじめなければならないと思います。
 そして研究者の側の課題は,1日も早くEBNにふさわしいマニュアルを作ることであり,それを毎年改訂することです。半年のうちに補うくらいが望ましいのですが,ナースがいちいち文献を探さないで済むような便法を考えることが必要です。臨床実践の場でもよい文献を見極める力をつけることによって,雑誌の質も上がっていくでしょうし,そのことは看護や医学の進歩を助けることになるでしょう。

経験知とEBN

―――最後にEBNの導入によって看護に何が期待できるかをお聞かせください。
日野原 看護は,科学でありアートであると言いましたが,これまでケアの概念はかなりぼんやりとしたものだったのではないでしょうか。これがもっと整理されて,自分でケアのエッセンスがわかってくることが,EBNの導入によって期待されます。 頭の中で,どこがサイエンスであり,どこがアートであるかを,識別しながら,しかも患者の中で融合するような技が看護の技であるということを覚え,「これにはこういうevidence=支えがあるからやってもいいのだ」と,実践に自信を持ち,いつもセルフチェックをする習慣を身につける。EBNというのは,臨床判断が正しいかどうかをいつも自分に問いかけながら,いろいろなことの決定を下していくということでもあります。この時によく経験ということが言われます。単に先輩が「私はこう思う」という言い方の経験では駄目なのです。しかし,経験の中にはまだまだ大切なものがあるということを知って,それを尊重することは必要です。
 EBMで言えば,先輩や教授が犯した誤りから,その人が学んだ知恵というものがあるわけです。その経験というのは,知識(=knowledge)でなく知恵(=wisdom)です。サイエンスというのは知識ではあるけれども,臨床の場でこそ,本当の知恵が出てくるのではないでしょうか。そしてその知恵こそが,今のEBMに不足しているものであって,看護の領域から提供されるべきものではないかと思うのです。
―――ありがとうございました。

〔お知らせ〕
日野原重明氏監修による『看護に必要な
EBN(仮)』は,明春発行の予定です。


【近刊予告】

看護に必要なEBN

監修:日野原重明(聖路加国際病院名誉院長)


 今日,看護の現場で話題になってきているEBN(Evidence-Based Nursing) とは,従来の看護ケアにおいて一般的常識とされてきた「経験・直感に基づいた看護」を見直し,集積されたデータや検証された事実などからの,「科学的根拠に基づいた看護」をめざすものである。しかしながら,EBNに関しては,看護界の関心は高まっているものの,現在EBNの概論などを具体的に紹介している書籍は少ない。
 本書は,医学におけるEBM(Evidence-Based Medicine)および看護におけるEBNを率先して提唱している日野原重明氏を監修に,EBMをいち早く日本で紹介した福井次矢氏や,米国においてEBNの実践を学んできた阿部俊子氏らを執筆陣に,「EBM/EBNとは何か」をはじめ,その基本的概念や実践,さらに臨床への活用から,文献・情報検索の実際までを網羅し,看護に有用な1冊として紹介している。


【執筆者】
日野原重明(聖路加国際病院)
福井 次矢(京都大学)
名郷 直樹(作手村国保診療所)
阿部 俊子(東京医科歯科大学)
小山眞理子(聖路加看護大学)
金子 善博(東京医科歯科大学)
        (順不同)
 
【目次】
□サイエンスとしての看護とEBN
 ●看護になぜEBNが必要か
 ●EBNが根づくために必要な条件
□医療ケアにおけるEBM/EBNの必要性
 ●医療の中でのEBM/Nが必要か
 ●医療の質とEBM/N
 ●EBM/N導入と医療の経済効率
 ●日本でEBM/Nを発展させるためには
□臨床における患者ケアの質とEBM/EBN
 ●患者ケアの質とEBM/N
 ●標準化と個別性
 ●アウトカム主義
□EBM導入による医療の効率化と患者のQOL
□EBNとEBMは何が違うのか
□看護におけるEBN
□EBNの海外事情と動向
□マクマスターでのEBNプログラム
□EBNと文献検索の仕方
□EBNの情報源リスト

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